第200話 何年越しの兄妹喧嘩? 俺が堅牢なる妹の扉を叩くこと。

 悶々とした気持ちのままリビングに戻ったら、あーちゃんとフレイアが無言でテレビを見ていた。


 あーちゃんは俺にチラリとも視線をやることなく、黙々とお菓子を貪りながら、旅番組を睨みつけている。フレイアは例によって、痛ましい程に神妙な面持ちで、チカチカと絶え間なく光る画面を凝視していた。


 かつて一世を風靡したベテラン芸人達のトークはつまらないこともないのだが、この空気の中では例えどんな傑作コントでも虚しく響くことだろう。 

 俺は2人の間にそっと腰を下ろし、同じくテレビへ視線をやった。

 観光用のトロッコに揺られる芸人と元アイドルの軽やかな笑い声が、空々しく部屋に響き渡る。


「…………」

「…………」

「…………」


 誰かが何かを言わねばならない。そしてその誰かはどう考えても俺なのだが、はたして何をどうしていいのやら。

 俺はフレイアの方を向き、適当に会話を始めた。


「これ、テレビって言うんだよ。知っている?」

「…………もう話した」


 あーちゃんの冷たい声が即座に会話を切り捨てる。

 フレイアは「伺いました」と控えめに頷き、俺とテレビとあーちゃんとを交互に見た。

 俺はめげずに、さらに足掻いた。


「そっか。ありがとうね、あーちゃん。…………それじゃあ、フレイア。こっちのお菓子のことは…………」


 俺が皿の上のチョコレートを手に取ろうとすると、あーちゃんがいち早く気付いて皿ごとこちらへ押し付けてきた。


「あ、ありがとう」

「…………別に」


 あーちゃんは一切テレビから目を離さない。「こいつら、誰?」そんな女子高生の冷ややかな眼差しが、盛りの過ぎた芸人達を容赦無く刺し続けている。

 俺がチョコレートを一粒手に取ってフレイアに渡したタイミングで、彼女はまた口を開いた。


「…………黒いの、苦手なんだって」

「え?」


 振り返る俺に、あーちゃんは異様に淡々と話した。


「フレイアさん、コーヒーとか、羊羹とか、ああいう黒っぽい色の食べ物は向こうの世界であんまり見かけないから、ビックリするんだって。…………だから、チョコじゃない方がいいかもね」

「あ…………そう…………。…………そうだったの?」


 フレイアに尋ねると、フレイアはちょっとだけ肩を狭めて答えた。


「あの、実は…………」


 俺が肩を落とすと、フレイアは慌てて言い足した。


「で、ですが、いずれも非常に興味深く思っております。ほろ苦いのも、慣れれば美味しく思えるという予感がいたします。…………あっ、いえ、決して今も口に合わないというわけではないのですが…………」


 テレビから賑やかな笑い声が上がる。

 あーちゃんの目はテレビ画面に釘付けされたままだったが、彼女の本当の視線がどちらに向いているかは俺にもわかる。

 フレイアはチョコレートを一つ手に取って、包みを開いた。


「あぁ、無理しないでいいよ」

「いいえ。コウ様の勧めてくださることですので、何でも味わってみたいのです」


 今に始まったことではないのだが、何だか人前でこんなことを言われると余計に照れてしまう。

 フレイアはおずおずとチョコレートを口に含み、パッと顔を明るくして笑った。


「…………あっ、苦くない。これは甘くて、美味しいです」


 俺がホッと胸を撫で下ろすと、フレイアはまたにっこりとして言った。


「中に入っているのは、木の実でしょうか? これも、とても美味しいです」

「ああ、ナッツが好き? そしたら、こっちの柿ピーも食べてみる? これはしょっぱいやつだけど…………」

「いただきます」


 フレイアの隣に寄って、色々と紹介してあげる。フレイアは俺の持ってくるものをちびちびと食べながら、やがてまたテレビに目をやった。


「ところで、この方達は今、どこにいらっしゃるのでしょう? 遠い地の様子を、この黒い石板を通して映し出しているのだとアカネ様から伺ったのですが、私達の今いる場所と、向こうの地とでは時間の進み方が異なっております。どういうことなのでしょう?」

「えーと、それは、まずこの人達を映像として撮影してだな…………」

「エイゾウ…………? サツエイ…………?」

「ちょっと待ってね。やって見せる方が速い」

「今、できるのですか? このような複雑な術を、すぐに?」

「誰にでもできるよ。そう言えば、俺のスマホどこだろう? …………まぁいいや。あーちゃん、ちょっとスマホを貸して」


 あーちゃんはテーブルの上のスマホを握ってやおら立ち上がると、俺を睨んで


「嫌だ」


 と声を低くして呟いた。

 その静かな剣幕に、俺はたじろいだ。


「え…………? そんなに怒ること?」

「怒ってない」


 あーちゃんは重しを落とすように言い放ち、そのまま背を向けてリビングから出て行った。階段を上る荒々しい足音と、さらに荒々しい部屋の戸を閉める音が続く。

 丁度CMに移ったテレビから、とんでもなく明るい効果音が急に放たれる。

 フレイアは目を大きく瞬かせ、輝き溢れるビールと水着美女の画像に目を奪われていた。


「…………あの方達はどこへ!? この黄金色のエールのような飲み物と下着姿の女性はどこから!? …………いえ、えっと、それより、アカネ様はどうされたのです?」


 俺は頭を抱え、フレイアに言った。


「ごめん、フレイア。テレビの話はまた後で。しばらくここにいて。あーちゃんと話してくる」


 フレイアが心配そうに胸に手を置く。

 俺はあーちゃんを追って、階段を駆け上った。



 思えば、彼女の部屋をノックするのは、もう何年振りだろうか。そもそも、ノックなんて気遣いが必要な年頃に彼女がなって以来、この部屋を訪れたことなんか無いかもしれない。

 そんな近くて遠い部屋の戸を、俺は今、思い切りよく叩いていた。


「あーちゃん! あーちゃん、ちょっと話そうよ!」


 返事は返ってこない。

 俺は溜息を吐き、続けて戸を叩いた。


「何が気に障ったのかわからないけど、このままじゃ良くないよ。話してくれよ! 何でも聞くから!」


 一拍置いて、部屋の中から不機嫌な声が返ってきた。


「別に何でもないって言っているでしょう。マジで、もういいから。どっか行って」

「その態度で何でもないわけないだろう! とりあえず開けてくれよ! こんな風に話していたんじゃ、何も解決しないよ!」

「話、聞いていた? 解決することなんて何も無いから」

「ある! いいから開けてくれ!」

「大声出さないで!」


 苛立った声と同時に、部屋の戸が乱暴に開かれた。

 目の前には俺を睨み付ける、俺の妹の顔。

 見慣れているはずの顔立ちは、得体の知れない激しい感情のせいで般若みたいに歪んでいた。


「…………何? 入らないの?」

「あ…………ああ」


 俺は見えない首輪で引き摺られるように、彼女の部屋の中へ招き入れられた。


 昔から使っていた学習机や本棚、ベッドは、今も綺麗に使っているようだった。所々に積み上げられた参考書は、何度も使われているせいか、かなり風格がある。


 そんなものの合間合間には、たくさんの人形が所狭しと置かれていた。誰でも名前を知っている人気キャラクターから、いかにも女の子らしい、愛らしい顔をしたもの。逆に個性が尖り過ぎて、俺には若干キモく思えるものまで、まるで彼女の心の色合いを表すみたいに多彩だ。


 あーちゃんは突っ立っている俺に、言葉を投げた。


「座れば?」

「あ、ああ」


 俺はもう一度アホみたいな返事を繰り返し、床に座った。

 あーちゃんはベッドの上に立膝をついて座り、早速スマホに取り付いた。液晶画面を機械的に撫で回す手つきは、正直あまり魅力的ではない。


「…………何の話?」


 頑としてスマホから目を離さない姿勢の彼女に、俺は声を落として話しかけた。


「その…………いきなりこんな話に巻き込んで、悪かったと思っている。あーちゃんに無理をさせているんじゃないかって、俺、心配なんだ」


 あーちゃんは少しだけ顔を上げ、淡泊に答えた。


「そんな話? それなら気にしてないって、何度も言っているでしょう。イカれたコスプレ魔女とか、喋る化け猫とか、もうこりごりだし。別に積極的に行きたいわけじゃないけど、納得するしかないでしょう。私だってもう子供じゃない。そんなことで駄々こねたりしない。

 …………話、もう終わり?」


 あーちゃんは何も言えないでいる俺を一層冷ややかに見下し、またスマホの世界に吸い込まれていった。

 彼女が何かメッセージを送る度、そして受け取る度に、間の抜けた音がする。それはテレビのトークよりももっと虚しく、刹那的に空間を駆け抜けていく。


 俺は腕を組み、悩んだ。

 そもそも問題なんて無いと言い張る相手に、これ以上の絡みは不可能だ。


 彼女は一体どうして、こんなにも怒っているのだろう?

 行きたくもない異世界に選択の余地無く連れて行かれることが原因…………なのだろうか? 他に何があれば、彼女は機嫌を直すだろう? 向こうで待っている楽しいことの話とかかな?

 俺は少しでも場を明るくなればと、また話を始めた。


「サンラインのことなんだけど、別に危ないだけの場所ってわけじゃなくて…………」


 口にした瞬間、彼女の心が一段と荒んだのが肌で感じられた。

 「くどい」。

 俺を一瞥した眼差しがそう語っている。


 俺は悪手を即座に引き下げ、観念した。

 ダメだ。もう、直球以外には手が無い。例えそれが最悪なやり方だとわかっていても、やるしかない。

 俺はわざとらしく溜息を伸ばし、こぼした。


「…………ハァ。あーちゃん、俺はもう限界だよ」


 あーちゃんが眉を寄せ、スマホをいじる手を止める。

 火山はまさに、爆発寸前であった。


「…………は? 何が?」

「自分勝手なのは、重々承知だけど。でも、あーちゃんがそんな風に自分の中に閉じこもっていたら、みんなは全く安心できないんだよ。

 誰もエスパーじゃないから、君の考えていることを察することはできない。言って通じても意味が無い、なんてもし考えているなら、どうか考え直してほしい。俺はただ、君のためになりたいだけなんだ。このままじゃ永遠にわかんないよ」


 あーちゃんがスマホを脇へ放り投げる。

 彼女はわずかに声を震わせながら、かろうじて冷静を保っていた。


「…………察してなんて誰も言ってないでしょう。

 っていうか、「みんなは」って言ったり、「俺は」って言ったり…………正直じゃないのは、お兄ちゃんの方もじゃないの? 私の態度が迷惑だって、もっとハッキリ言ったらどう? 私のことを考えているみたいな顔して、結局は周りのこと…………フレイアさんとかのことの方が、大切なんじゃない!

 こんなことになったのはお兄ちゃんのせいじゃん! お説教なんかされる筋合いは無い! お兄ちゃんは口先ばっかり! 人の気持ちなんて、全然、全く、ちっとも、さっぱり考えてない!」


 最後の言葉は、さすがに胸が痛かった。

 俺は「ごめん」と呟き、それからまた言い足した。


「でも…………あーちゃんのことが心配なのは、本当に、本当なんだ。俺のせいであーちゃんが苦しんでいるのを見るのは辛い。それこそが自分勝手ってことなんだろうけど…………やっぱり、このまま放っておけない。

 俺にできることはないか? どんなことでも構わない。言ってほしい」


 言いながら隣に寄ると、あーちゃんは悲しそうな表情で俯き、顔を膝の内に埋めた。

 泣いているのか、肩が震えている。

 そっと背中に手を添えると、かろうじて絞り出された声が聞こえてきた。


「…………ない…………」

「あーちゃん…………」

「言えないし、言いたくない。…………撫でないで。私は…………」


 俺は手をそのままにしてしばらく待ったが、その先に言葉が繋がることは無かった。


 場違いに明るい着信音が連続する。あーちゃんは顔を上げずに手探りでスマホを掴むと、すげなく電源を切ってまた放り投げ、ぼそりと言った。


「もう行って。…………もう、大丈夫だから。…………。

 …………怒ってごめん」


 俺は彼女から手を離し、なるべく優しく言い残した。


「…………困ったら、いつでも呼んでくれ」


 あーちゃんは頷かず、じっとしていた。

 俺はベッドから身を起こし、部屋を出て行った。

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