第178話 「母の良き息子」達の夢と呪い。俺が勇気と正義を語ること。
気付けば、ホールの中は死屍累々だった。
ゾンビ達の細切れた死骸が堆く積み重なっている。飛び散った血飛沫の跡は、あたかも部屋の中で手榴弾が爆発したかのような凄惨さだった。
正面階段の中程には、タリスカによって身体を縦真っ二つに両断された鬼の身体が転がっていた。元は何色だったかあまり覚えていないが、皮膚が見たことも無いどす黒い緑色に変わっている。
紅のカーペットの上には、サーモンピンク色の脳をぶちまけた能面女が横たわっていた。垂れた4本の腕が、痣で青黒く変色している。
ナタリーの身体にも、同じだけの切り傷と打ち身が残っていた。
彼女は額の傷に手際良くスカーフを巻きながら、俺の視線に気が付いて言った。
「すぐ治るよ、平気。ただの肉体の傷だし」
俺は彼女の傍へ寄り、黙って抗議の視線を送った。元からそうだけど、水先人の魂に触れてレヴィと約束した後では、とても容認できる考えじゃない。
ナタリーは当惑した風に眉を下げ、声を落とした。
「な…………何スか?」
「…………前にも言ったかもしれないけど、俺は君がそんな風に自分を扱うのは嫌だ。すごく嫌だ」
「でも、本当に大したことないし…………」
「そういう問題じゃないんだ。君の魂は傷ついている」
「私の魂って…………。でも、そんなの」
ナタリーが反論し掛けたその時、ホールに「太母の護手」の男の声が響いた。
どこから聞こえてくるのかわからない、壊れた鉄琴をいたずらに打つような、耳障りな声だった。
「なんということ…………。悲願を目前にし、「母の歌う御使い」が顕現したというのに…………巫女様の魂は、こんなにも穢れて…………。
母様…………。これは試練なのでしょうか? 何故、魂への問いはかくも残酷なのでしょう? あの白き魔物の、天高く在るが如く…………」
タリスカが音も無く俺達の傍らに舞い降りて、切っ先を正面階段の頂へ向けた。
レヴィは身体を大きく旋回させて俺とナタリーの頭上へとやってくる。身体に纏った七色の光が、危なっかしく不安そうに揺らいでいた。
ナタリーがそんなレヴィを指先と目線だけでなだめると、彼の虹がほんの少しだけ和らぐ。
俺は続く男の言葉に、眉を顰めた。
「いや…………。諦観もまた、一つの悲願…………。
御使いの紡ぐ調べは、次の「私」が聞き届けるであろう。遙か時の彼方、混沌の泥の底に眠る「私」が囁くように、私の夢は永久に終わることはない。
あの日、「私」は我が都を捧げて誓った。王家の血と民の肉に浸り、「母」に出会った。「私」を焦がした熱は今もなお、この身を焼き続けている…………」
無秩序な鉄琴の不快な反響が止み、やがて正面階段の頂に人影が現れた。
タリスカに斬り捨てられたはずの男が、到底幻とは思えぬ存在感を放って、言葉を継いだ。
「…………良いでしょう。「私」がこの試練、乗り越えて見せます」
俺は咄嗟に理解した。あの男こそが真の「太母の護手」の指導者だ。今まで俺達が戦っていたのは、彼と同じ呪いを抱く「誰か」に過ぎなかった。
男が右腕を高く掲げ、鮮やかに彫られた「牙の魚」を露わにする。
男の禍々しい詠唱によって、刺青が白い光で縁取られていく。タリスカは男を睨み据えたまま、顎骨の合間から冷たく息を漏らした。
「…………勇者、水先人の娘。心せよ。
奴は異国の魔術、亜人の呪術を操る。「牙」飼いの魂の色は、混沌にして静謐。決して己が色に拘泥するな。抗えば、より深く沈められる。真に強き魂なれば、色は自ずと浮かびくる。
…………勇者よ。死地へ赴く前に聞かせよ。勇気とは何だ?」
ふいに尋ねられ、俺は短く答えた。
「…………挑戦です」
「ならば、正義とは?」
俺は面食らいつつ一拍考え、言った。
「…………信念です。何物にも代えられない、貫くべきもの」
タリスカは何も答えず、ただ頷くのみであった。
ナタリーはじっと俺を見つめていた。彼女の勇気と正義は、サン・ツイードで一緒に戦った時によく知っている。
俺の正義がどんなものなのか、俺自身も言葉にできない。
だけどそれでいい。
頭ではわからなくても、心は知っている。
魂に刻まれた痛みが、それを教えてくれる。
ナタリーが俺の手を取り、レヴィに叫んだ。
「ミナセさん! レヴィ! 行こう!!」
レヴィが翠玉色の奔流を渦巻かせ、たちまちホールに海をなだれ込ませる。
俺とナタリーは抱き込まれるように大海原に飲まれ、目一杯に尾ヒレを打ち下ろすレヴィの背に掴まった。
俺達の目の前で、タリスカが漆黒のマントを大きく翻して姿を消す。最後に一瞬だけ閃いた二つの刃の輝きが未だ目に残る中、俺達の前に巨大な影が現れた。
「――――――――!!!」
――――――――…………俺とナタリーが同時に目を剥く。
そこにいたのは、レヴィと同等か、あるいはそれ以上の体躯を誇る鮫…………大きく高く三日月形に聳え立つ尾ビレと剣のような背ビレ、細く美しい流線形の身体を併せ持った、メタリックブルーの美しい鮫であった。
薄く開かれた口の合間から見える三重の乱杭歯は、見惚れる程に滑らかで、鋭い。
水面から降り注ぐ陽光を浴びたその肌は麗しくも不気味な、灰と青の入り混じった光を散乱させていた。
黒い、虚ろな丸い目が俺達をじっと見下ろしている。
背ビレと胸ビレに薄くこびりついた白い模様が波に揺られて、幽霊のように柔らかくおぞましく見えた。
「牙の…………魚…………」
ナタリーが呟くのと同時に、レヴィが身体をうねらせて急激な勢いで水底へ潜り始める。
俺は強くレヴィを掴み、振り落とされないよう必死で耐えた。隣ではナタリーが、焦った声を上げていた。
「まっ、待って! レヴィ!! 逃げちゃダメ!!」
激しい水流が巻き、レヴィの纏っていた虹色の光がサイレンのように激しく点滅し始める。
俺はレヴィにピタリと身体をくっつけ、念話で語りかけた。
(レヴィ…………落ち着け! 落ち着けって!! 俺達を振り落とす気か!?)
レヴィは聞く耳を持たず、ぐんぐんとスピードを上げて潜っていく。
海がみるみる暗くなる。冷たくなる。虹色のサイレンの動揺が一層激しくなり、仄暗い海原に眩く差した。
後ろを振り返ると、案の定、牙の魚が俺達を追って凄まじい速度で迫ってきていた。
「くっ!!!」
ナタリーが明るい翠玉色の瞳を悔しそうに細め、拳に力を込める。
俺は限界まで首を振り向けて牙の魚を見つめながら、相手をつぶさに観察した。
何か、突破口があるはず…………!
――――――――…………獣が逃げ、魚が追う。
いつからともなく、あの男の声が脳裏に響いていた。
淡々と、呪わしい湿っぽさが頭に満ちていく。
――――こ…………さま…………。
――――巫女様…………。
――――どうかお聞き届けください。
――――その小さな御使いは、貴女の敵ではございません…………。
――――貴女の歌う御使いもまた、敵同士などでは無いのですよ…………。
ナタリーが不快そうに顔を顰める。
俺は彼女の横顔を見守りながらも、声を無視して牙の魚の観察を続けた。
よく見ろ。
よく考えろ。
必ず何とかなる。
…………はず。
ふと、ナタリーがこちらを向いた。俺は親指を立てる代わりに、不敵に微笑んで見せる。ナタリーが不器用に、だけど安心したように微笑み返した。俺も慣れたものだ。
男はさらに言葉を続けていった。
――――…………さま…………。
――――…………巫女様…………。
――――「無垢なる魂」の夢をご覧になったことはございますか…………?
――――太古の水先人は、己の穢れなき魂にて、歌う御使いの力を引き出されたという…………。
――――その歌は遥か天地を貫き、遍く命…………如何なる存在へも届くと言います…………。
男はもったいぶった間を開け、それからまた話を継いだ。
――――…………貴女の、お父様が…………。
――――最期に、仰っておりました…………。
ナタリーの目つきと顔色が豹変する。
あからさまな嫌な予感に、俺は叫んだ。
「ナタリー、聞くな!!!」
男の薄汚い微笑が暗闇に大きく浮かんだ気がした。
彼はちゃちな憐れみをたっぷりと声色に滲ませて、露骨な台詞を吐いた。
――――貴女は、真の巫女たり得ると…………。
ナタリーの瞳に、憎しみの炎が盛る。
途端にレヴィの虹色が爆発し、狂暴な輝きを放った。
俺が何か言う暇も無く、ナタリーは力強くレヴィを掴んで――――その背から、赤い血が吹き出した――――怒鳴った。
「レヴィ、アイツを殺せ!!!
…………私のお父さんを侮辱するな!!! お父さんがそんなことを言うはずない!!!
私はアナタ達の巫女なんかじゃない!!!」
その時、牙の魚の喉の奥に、青く光る魔法陣らしきものがチラリと見えた。
浅い所では陽光のせいでよく見えなかったのが、辺りの暗さのおかげで目立ったらしい。
俺は目を凝らし、魔法陣の形を窺った。
「円の中に…………稲妻?」
だが俺の囁きは、ナタリーにもレヴィにも最早届かなかった。
魔法陣はレヴィの虹色の大爆発に包まれ、たちまち掻き消えてしまった。
彼女らは猛烈な速度で身を切り返し、牙の魚に突進していった。
「ナタリー、レヴィ!! 待て!!!」
俺の叫びも虚しく、レヴィは牙の魚に猛スピードで衝突した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます