第170話 テッサロスタ市街戦。俺が踏みにじられる魂のために決断したこと。
この大騒ぎの最中で、タリスカ達は本当に逃げ切ることができるのか?
そもそも彼らはどこから現れた?
どうして、俺達のアジトを知っている?
幸い追手はついてこなかったが、次から次へと湧いてくる疑問と再会の興奮のせいで全く落ち着かなかった。
シスイは合流地点である人気の無い橋の下へと注意深く降りながら、タリスカ達について、こう話した。
「恐らく、先に到着して潜伏していたのだろうな。どうやって街に入ったのかはわからないが…………あるいは、さっきの敵陣のど真ん中への唐突な出現とも関係しているのかもしれない」
「…………時空の扉みたいなのを使った…………とか?」
「これまでにもなかったか? どこからともなく急に現れたり、急に消えたり」
「それは滅茶苦茶ありますけど。でも、そんなに都合良くあちこちに開いているものなんですか? あれって」
「いや、無いことも無いんだが、通常はどれも非常に不安定で、とても使えたものじゃないんだ。あのエレノアさんならともかく、ロクな準備もなくそんなものを使える人間はまずいない」
「じゃあ、他にどんなからくりが?」
「人間「は」いない。…………異邦人なら、そういう裏道を通れるヤツらがいる」
「えぇ? でも、ナタリーは人間だし、タリスカも一応は人間なんじゃ…………」
「俺も案内人になってから初めて知ったことなんだが、そういう裏道の中には、少し手を加えれば人間が安全に使えるようになるものがあるらしい」
「タリスカ達にはそこを通ってきたと?」
「そうでないと説明がつかないな。きっとこの後も、きっとそうやって凌ぐつもりなのだろう」
次いで彼は、後ろめたそうに来た道を振り返って話し継いだ。
「あとは、預けたセイシュウ達が余計に暴れないことを祈るばかりだ。…………暴れろと言ったり、暴れるなと言ったり、竜達には本当に可哀想なことをしている。仕方のないことだったとはいえ、俺はああいう竜の使い方は大嫌いなんだ。…………尊敬の欠片も無い」
だろうなとは思っていたので、俺は何も言わなかった。
ナタリー達ならきっと彼らを悪くは扱わないはずだが、そういう話ではないのだろう。シスイは竜との信頼関係を揺らがした、自分自身が許せないのだ。
俺は崩れかけた旧水道の壁にへたりこみ、息を整えつつ話した。
「「強い乗り手」って、難しいですね…………」
シスイは俺の隣に座り込み、渋い顔で俯いた。
そうしてしばらく息を潜めて待っていると、誰かが忍び足でこちらへ近付いてきた。
警戒しつつ覗き見てみると、はたしてフレイアとグラーゼイ、そしてグレンの姿がそこにあった。皆、多かれ少なかれ返り血を浴びてはいるが、怪我は無いようだ。
フレイアは物影に潜んでいる俺を認めると、一瞬嬉しそうに口元を綻ばせ、それからすぐに思い直したように張り詰めた面持ちに戻った。
俺は彼女達へ合図し返し、立ち上がった。
顔を合わせるなり、グレンは気難しい顔で状況を語った。
「結界は無事、全て破壊した。再構成には少なくとも丸1日は掛かるはずだ。つまり、これでもうジューダム軍に痕跡線を取られることはない。思う存分に魔術を解放しなさい。
とはいえ、街中が追手だらけだ。錬金組合の魔術師達が攪乱を行ってくれてはいるが、いくら何でも注意を集め過ぎてしまった。このまま全員で潜伏地に戻るのは、どう考えても悪手だ」
グレンの話を聞く傍らで、俺はフレイアに視線を送った。
フレイアは強張った表情で話に耳を傾けて、俺と目を合わせることを極力避けていた。憂いと戸惑いを色濃く淀ませた彼女の紅い瞳には、拒絶と、同じだけの優しさが滲んでいる。
俺が来る途中でタリスカ達と遭遇したことを話すと、グレンは眉を上げて驚きを示した。
「それは朗報だ。…………うむ、道理で街の外をいくら探索しても見つからなかったわけだ。
とにかく、この混乱は考えようによっては好機だ。陽動の手間が省けたとも言える。
私は魔術師達の連携を指揮するため、一旦アジトに戻る。そのついでに、彼らを待とう。
フレイアとミナセ君は、このまま直接東方区領主の館へと向かってくれたまえ。私はタリスカ氏を連れて、後に合流する。シスイ君は私と共にアジトへ戻ろう。竜には君が必要だし、君にも竜が不可欠だ。グラーゼイは、この先にある教会跡地へ向かってくれ。そこで街の魔術師達がさらなる攪乱の準備を進めている。力を貸してやりなさい」
俺達はグレンの言葉通りに、速やかに解散した。
俺とフレイアは二人きりになって、気まずい沈黙をたんまりと堪能していた。
とはいえ、特別に行動が滞ることはなく、一応はうまくいきそうだと思えた時であった。
突如橋の上の路地から、金属と石のぶつかり合う物々しい騒音と短い悲鳴が聞こえてきた。
俺達は急ぎ身を潜め、続く会話に耳を澄ませた。
ヒステリックな男の声が、路地に喧しく響いた。
「オイ、なぜまだ発見できない!? 貴様らは
「は、はひ…………あの…………」
「この役立たずのクズ共め!! 貴様達らの如き卑しい浮浪者が堂々と大通りをうろつけているのが誰のおかげか、わかっているのか!?
貴様らに恩義を感じるだけの真っ当な魂と知能があるというのなら、態度で示せ! 汚らわしい蛮族めが!」
僅かに顔を出して様子を窺ってみると、そこにはあの花売りの少女達がいた。武装したジューダムの兵士達が寄ってたかって彼女達を地面に跪かせ、激しく怒鳴りつけている。
兵士の中でも一際身体の大きな男が、姉の喉元に槍を突きつけて言った。
「さては貴様ァ!! あの賊共と結託しておるな!? わざと見当違いの方向へと我らを誘導し、欺いておるのだ!!」
「そっ、そんな…………め、滅相もごぜぇません!! それだったら、初めから兵士さん達に助けを呼んだりなんかぁ…………」
「黙れ!!! 貴様らの言葉など信用せぬ!! 貴様らはやはり、魂から腐っておるのだ!!」
「キャァァァッ!!!」
「キリエお姉ちゃん!!」
女性の悲鳴に被さって、妹のチェルの泣き声がする。
兵士の槍の柄が姉のキリエのこめかみを強打し、彼女を地面に突っ伏させていた。
「お姉ちゃん!!! 血が出てる!! お姉ちゃん、大丈…………」
「うるせぇ、ガキ!! テメェもぶっ殺されてぇのか!!」
「っ!! うぐぅっ!!!」
何かを蹴り上げる鈍い音がして、やがてチェルの呻きとすすり泣く声が聞こえてきた。
キリエの叫び声が、再び響いた鈍い音と金属音によって遮られる。
血の飛び散る水音に被せて、大男の声が再度路地に響き渡った。
「白状しろ!!! サンラインの賊共はどこに隠れている!? 答えなければ、ここで姉妹共々串刺しにする!!」
「し…………知らねぇ…………よぅ…………」
「まともに喋れ、耳障りな女め!!」
暴行の音が激しくなる。兵士達がキリエを打ち据えているらしい。
幾度も「知らない、知らない」と繰り返す彼女に、兵士達は容赦ない暴力と罵倒を浴びせ続けた。
「答えねぇなら、妹に聞くぞ!!」
「あっ!! う…………うぅっ…………チェル、だけはぁ…………」
「んなこと聞いてねぇっつってんだろ、クソが!! これだから馬鹿は!! 蛮族は!! クズは!!」
チェルが姉を庇う声も、すぐに痛みを訴える悲痛な叫びに変わる。
兵士達の怒鳴り声が辺りの壁を激しく叩いてこだまする。
俺は堪らず、飛び出そうとした。
このままでは本当に二人が殺されてしまう。
焦る俺の裾を、フレイアが掴んだ。
「フレイア!」
「いけません、コウ様! 今、姿を見られるわけには参りません! そもそも彼女達を助けて、どうするおつもりなのです!? 彼女達はジューダム軍に協力を強いられています。いずれ間違いなく私達の行方を報告するでしょう!!」
「けど、見てられるかよ!!」
「コウ様!!」
飛び出した俺を追って、フレイアが駆け出す。
こちらに気付いた兵士の一人が、声を上げた。
「!! ヤツらだ!! ヤツらが出やがった!!」
途端にフレイアの魔力が熱く燃え盛る。
彼女は目にも留まらぬ速さで橋の上へ飛び上がると、瞬く間に欄干の傍にいた兵士3人を斬って捨てた。
さらに返す刀で火蛇達を矢の如く放ち、今振り返ったばかりの2人の喉元を食い破らせる。
キリエを殴っていた大柄の兵士が、すかさず大音声で詠唱する。水面を渡る波紋のように薄く素早い魔力の広がりが、肌をヒヤリと震わせた。
応援を呼ばれてしまった。
フレイアは一足で大柄の兵士に迫り、激しく剣を打ち合わせた。
赤々とした火蛇を纏わせた彼女の刃が、相手をみるみる壁際へ押しやる。
兵士はわずかの間だけ耐えたが、あえなく鎧ごと焼き斬られた。
恐れ慄く残りの兵士達に、フレイアは獣の如く掛かっていく。狩る者の情熱と狩られる者の絶望が入り乱れる。
俺は痣だらけで打ちひしがれている姉妹の下へと近づき、手を貸した。
「立てるかい?」
「なっ、何しに来ただ…………っ!?」
後ずさる少女達に、俺は必死に訴えた。
「君達を助けに来たんだ!! 俺達はこの街をジューダムから解放しに来た!! 安全な場所まで送る。信じて、ついてきてくれないか?」
「なっ、何でそんなことを…………。そもそも兄ちゃんら、誰だ? 何なんだ?」
「俺は」
話しかけたその時、俺達の頭上で凄まじい爆発が起こった。
路地沿いの建物が崩れて、俺達めがけて雪崩れてくる。
「――――危ない!!」
俺は咄嗟に姉妹を庇い、地面に蹲って息を堪えた。
フレイアの叫び声が聞こえるも、すぐに大量の瓦礫が砕ける音に紛れて失せてしまう。
俺は飛び散った破片をいくつも背中に浴びながら、どうにか姉妹を守りきった。大した怪我も無く済んだのは、単に運が良かっただけだ。
安堵する暇も無く、未だ激しく砂埃の舞う中で、集結してきた大勢のジューダム兵の詠唱が始まる。
知らない言葉。
奇妙な律動を伴った詠唱。
大勢の詠唱は勢いよく節をつけながら、どんどんと和する人数を増していった。
「うっ、うぅっ…………!?」
彼らの魔力がギリギリと俺の舌を締め上げた。苦いとも酸っぱいとも言えない、胃液に似た奇妙な味が舌に張り付いてくる。
強く鋭い痛みが顎に走って、俺は歯が割れるかと思う程に食いしばった。
轟音があちこちで鳴り響き、まるでドミノを倒したかのように辺りの家が連続して倒壊していく。
圧迫感のある不安が急激に胸に充満していった。
不安が膨らめば膨らむだけ、爆発は大規模に、倒壊は過激になっていく。
止められない不安が、さらに不安を呼んだ。
「――――…………っ!!!」
俺はジューダム兵の作る力場に意識を傾け、扉を探ろうとした。
時を同じくして、フレイアの魔力がさらに強く火蛇を猛らせる。彼女の魔力のとろりとした甘さが喉元を過ぎて、一気に花開いた。
彼女が地を強く蹴って駆け出す感触が全身に突き刺さってくる。
微かに乱れたジューダム兵の詠唱が途切れ、すぐさまそれを覆うように、より速いテンポで詠唱が続く。
魔術を操っているジューダム兵達がどこにいるのか、俺の位置からでは見えなかった。
姉妹を痛めつけていた兵士達は皆、すでに血だまりの中に沈んでいる。
フレイアの鋭い詠唱が聞こえてくる。
悲鳴、どよめき、詠唱、金属のぶつかり合う物音が忙しなく錯綜する中で、彼女の声は不思議なくらい冷たく、朗々と響いた。
「――――――――…………兄ちゃん、後ろ!!」
ふいに、チェルが金切声で叫んだ。
振り返ると、新たなジューダム兵の一団が俺達へ向かってきていた。兜の隙間から覗く目には、あからさまな憤怒と憎悪が燃えている。
無論、俺の手に武器なぞ無い。あっても使えない。
俺は集中し、ジューダム兵達の扉を探すべく力場へと急ぎ潜った。
…………潜ろうとした。
――――――――…………そこは俺が思うより、遥かに漠然とした空間だった。
延々と続く鈍い頭痛。
全身に麻酔を打たれたような、ぼやけた手足の感覚。
仄暗い夜明けの空を漂う千切れ雲にも似た、心許ない浮遊感。
舌に張り付いていた不快な胃液の感覚は、生ぬるい風に包まれてわからなくなった。
ゴムのような自分の肌が、他人の物のように空々しい。
洗剤で作った不格好なシャボン玉そっくりの心が、いつまでも弾けずに、ぶよぶよ浮いている。
自分を押し包む虚空のどこかで、何千万もの手足が不規則に蠢いていた。
誰の手にも届かない。
何も、見えない…………――――――――。
「――――――――くッ!!!」
戻ってきた時には、兵士達が俺達のすぐ傍まで迫ってきていた。
振り被られた槍の切っ先が、日を反射してギラリと光る。
後方の兵士の矛先もまた、真っ直ぐに俺へ向かって伸びてきていた。
俺は泣き叫ぶ姉妹を庇い、痛みを覚悟して目を瞑った。
カラン! ガラン!
――――――――…………。
「――――――――…………?」
乾いた音が路地の空気を割り、俺はおずおず目を見開いた。
ものの見事に叩き折られた槍の端が数本、俺達の傍らに転がっている。
誰かが俺の前で、勇ましく拳を構え直していた。
活力漲るその所作に、思い切りよく引かれた引き締まった小麦色の足に、俺はようやく喜びの声を上げた。
「ナタリー!!」
ナタリーは真夏の南の海みたいにきらめく翠玉色の瞳をチラとだけこちらへ向けると、ニコッと爽やかに笑って言った。
「ミナセさんって本っ当、馬鹿みたいにお人好しだね! でも、好きだよ。そういうとこ。
さぁ、一緒に戦おう!」
俺はすっくと立ち上がり、彼女と力場を編むべく隣で両足を踏ん張った。
…………迷っている場合じゃない。
ナタリーの翠色の海原が、俺の心に清々しい飛沫を立てた。
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