第167話 広過ぎる空。遠過ぎる友。引き籠る俺がフレイアに迫られること。

 この上なく晴れやかな空の下、俺達はもっぱら地面ばかり睨んでいた。


 方々に竜を飛ばしてナタリー達を探すも、それらしき人影や痕跡は一向に見当たらない。

 そもそもフレイア曰く、本気で潜伏したタリスカを見つけるのは、魔導師・グレンの力を持ってしても至難の業だろうとのことだった。


「どこかに洞窟とかないのかな? その中に潜んでいるのかも」


 俺が言うと、フレイアは難しい顔で溜息を吐いた。


「確かにその可能性は高くございます。ですがその場合、洞窟自体が容易には発見できない、もしくは常人には到底侵入不可能な環境にあるものと思われます。

 いずれにせよ、捜索は難しいでしょう」

「なるほどねー…………」


 俺は溜息を吐き返し、引き続き目を凝らして飛んだ。


 時に、フレイアの体調はもう大分良くなってきていた。

 顔色は目に見えて生き生きとしていたし、伝わってくる魔力にももう違和感は無かった。肌の艶もすっかり滑らかで明るくなっている。

 セイシュウ同様、もうほとんど本調子と言ってよさそうだった。一応傷の経過を確認したいところだけど、まぁ、それは今晩まで待とう。


 ふと何の気も無しに遠くへ目をやると、グラーゼイの飛ぶ姿がポツンと見えた。気のせいでなければ、こちらをきつく睨み据えている。

 まったく、私情に囚われて任務をおろそかにするなんて、なんと情けない精鋭隊長だろうか。俺は余程手でも振ってやろうかと考えたが、わざわざ積極的に絡みに行くこともないかと思い直した。


 そしてシスイはと言えば、まさに春のツバメの如く大空を駆けずり回っていた。ちゃんと探しているのかと不安にもなるが、きっと彼のことだから案外真面目に見張ってくれているに違いない。

 ちょっと目が合ったので手を振ってみると、彼は竜の翼を大きく左右に振って返してきた。


「何だか、ご機嫌ですね」


 やり取りを見ていたフレイアが、少し笑って肩をすくめる。

 シスイは吹き抜けていく一陣の風をいとも容易く捉えると、あっという間に空の彼方へと滑り去っていった。

 俺はみるみる小さくなっていく彼の姿を見守りつつ、再び探索に意識を傾けた。



 そうして一日が過ぎた。

 各々の熱心な捜索にも関わらず、結局この日の収穫はゼロだった。

 日没後、地上で指揮を取っていたグレンは、もう一日費やしてダメなら計画を変更せざるを得ないと話した。


「すでに魔力追跡を掃った以上、後には引けない。少々粗はできるが、計画は予定通り進めるつもりだ」


 グレンは補修されたテーブルにテッサロスタ市内の図を展開しながら、当初よりも幾分狭い範囲に攪乱の狙いを絞った作戦を提案した。

 最初の予定より危険性は高まるものの、それでも何とか人員の欠如は補えるはずと彼は言った。


「…………とはいえ、タリスカ氏がいないのは正直心許ないな」


 シスイの呟きは、誰もが思っていたことだった。ここへ来て我らが蒼姫の陣営最強の戦士がいないのは、確かに痛手だ。

 グレンは眉間に皺を寄せ、ツーちゃんそっくりの仕草で腕を組んだ。


「うむ。錬金組合の方から多少人数を借りるつもりではあるが、それでも接近戦に関しては間違いなく脆弱と言えよう。

 加えて水先人の少女の力も利用できないとなると、「太母の護手」の呪術にも更なる人員と手間を割かねばならなくなる。…………余裕の無い戦いとなるだろう」


 フレイアもまた、険しい表情で懸念をこぼしていた。


「あまり時間をかけてしまいますと、レヤンソン郷から増援が到着してしまいます。そうなれば、この手勢では打つ手は皆無です。協力者の安全も保障できません」


 要は、成功させるしかない。

 聞くだに胃がキリキリと絞られる話である。


 グラーゼイはずっと黙って耳を傾けていたが、やがて静かにこう言った。


「ミナセ殿のお力を最大限に活かさせて頂きましょう。

 我々の個々の力は概してジューダムの兵共を大きく凌いでおりますが、それを鑑みてもなお、数の不利は圧倒的です。

 ジューダムの魔術も、「太母の護手」の呪術も、大人数を頼みとした巨大力場を特徴といたします。もしもの対策として、扉の力をお持ちのミナセ殿と共力場を編成しつつ行動するのが善策かと存じます」


 俺が、と言わず、その場の誰もが驚愕の視線を彼に向けていた。

 まさか他でもないグラーゼイの口からこんな発言が飛び出るとは、思ってもみなかった。

 グラーゼイは眼光鋭い顔つきをピクリとも動かさず、こう続けた。


「無論、力場を余計に広げられるより先に個々の兵を撃破していくのが最重要です。…………不確定な要素は極限まで排して戦に挑むべきでしょう」


「不確定な要素」が俺の力のことを指しているのは明らかだ。だがそれにしても、受けた衝撃は和らがなかった。

 あのどうしようもない頑固者が、陰険で無駄にプライドの高い、心の面積ニュートリノサイズのグラーゼイが、俺の力を認めただと?


 グラーゼイは露骨に俺を無視し、またむっつりと黙り込んだ。

 フレイアがそんな彼女の上司と俺の顔とをそれとなく見比べている。俺と視線がかち合うと、なぜか少し嬉しそうに浮かびかけた笑みを押し隠した。

 何だ? もしかして、仲直りしたみたいだとか勘違いしているのか? …………見当違いにも程があるぞ。


 ともあれ、それからの話し合いはグラーゼイの言う通りの方向へ進められていった。

 俺はフレイアとは邪の芽のせいで濃い共力場を編めないから、必然別の誰かと組んで行動することになる。

 問題は、それを誰とすべきかに移った。


 この議論は白熱した。

 街中での陽動は竜を使って行うために、シスイが中心となって担当する。一方で東方区領主の館へと向かうのは、激しい直接戦闘を得意とする者…………つまりは精鋭隊の2人のどちらかが先陣を切って行うこととなる。どちらも、少しでも多くの戦力が欲しいのには変わりない。

 決着のつかない話し合いの果てに、グレンは俺をどちらへ向かわせるべきか今しばらく考えたいと言い、今夜の会合を切り上げた。



 その後は、何だかんだと細かな用事を片付けるうちにあっという間に時が過ぎた。

 俺は夕食を頂いた後、隙を見て屋根裏部屋に引き籠り、全力で息を潜めていた。

 何故こんなことをする必要があったかっていうと、ずばりグラーゼイゆえである。


 フレイアと俺が同室で寝ているだなんて知ったら、グラーゼイは先の話も忘れて、マジで俺をジューダム兵の大群の中に独り特攻させるべきだと主張し始めるだろう。

 どこでヤツが寝るとかいう面倒な話に巻き込まれたくも無かったし(というより、俺がいると確実にこじれる)、トラブルの種はおとなしく埋まっておくのが一番だと考えた。

 シスイがいればきっと、空気を読んで何とかしてくれるはずだ。


 そうして寝転んでいるうちに、誰かが階段を登ってくる音がして、やがてションボリと肩を落としたフレイアが入ってきた。

 彼女は恨みがましい目つきで寝台の上の俺を睨むと、ツカツカと歩み寄ってきて俺の隣にストンと腰を下ろした。


「コウ様、やはりここにいらっしゃったのですね」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「お惚けにならないでください。急にシスイ様とご一緒のお部屋になったなどと聞かされて、フレイアは大変混乱いたしました。…………わざとシスイさんにしかお話なさらなかったのですよね? どうしてです? フレイアのことを信用なさっておられないのですか?」

「…………。ただの勘違いだよ。…………それより、グラーゼイはどうなったの?」

「グラーゼイ様は、コウ様が整理してくださった地下室でお休みになるそうです。コウ様のお姿が見えないのを大層訝しんでおられましたが、何とか納得して頂きました」

「そう。…………じゃあ、声はそんなに気にしなくても大丈夫かなぁ…………」


 考え込んでいる俺を見つめながら、フレイアが無言で口を尖らせる。

 彼女は唇を少し噛み、寂しそうにこぼした。


「…………どうしてコウ様とグラーゼイ様は、いつも反目なさるのです? お二人が仲良くなされば、とても心強いですのに」


 小声ながらも力のこもった物言いに、俺は頬を掻いて答えた。


「そりゃあ、向こうがトゲトゲしてくるんだから、こっちだって意地にならざるを得ないよ。…………今日だって一言多かったしさ。

 何より、君が」


 フレイアが不安そうに深紅の瞳を瞬かせる。

 俺は嘆息し、続けた。


「…………いいや、気にしないで。

 その…………あの人と俺はさ、全然違う生き方をしてきたんだ。片やニート、片や一国の精鋭隊長。俺は庶民だし、アイツはどうせ貴族だろう?

 そもそもオースタンとサンラインじゃ、文字通り土台からして全然違う。オースタンの俺が住んでいた街では、戦う術なんか知らなくても普通に生きていける。俺は君と会って初めて、本物の剣を見たぐらいだ。魔術なんて以ての外だし。

 だからさ、正直言って俺にはあの人の考えていることが全くわからないんだ。何を思って生きてきたのか、これからどんな風に生きていくのか。エリートが真っ直ぐに脇目も振らず生きていくってだけでも、俺には理解不能なのに。

 でも、それはきっとお互い様でさ。あの人からすれば、俺みたいな甲斐性無しが、どうして恥知らずにのうのうと生きていられるのか。何で剣も持たずに、魔術一つ覚えずに、明日のことすらロクに考えずに立っていられるのか、サッパリわからないんだと思う。むしろあの人は多分、俺から見る以上に俺を意味不明だと感じているんじゃないかな。

 …………何でしょっちゅう喧嘩するかって言われたら、それが答えだよ。簡単には解消できない。俺達は、歩み寄るには遠過ぎる」


 フレイアはやや前屈みになって俺へ身を寄せると、不思議そうに俺の目を覗き込んで話した。


「ですが…………それは私とコウ様にとっても同じです。

 フレイアはコウ様にお会いするまで、魔術の無い世界のことをほとんど存じ上げませんでした。コウ様も、サンラインのことを一切ご存知無かったではありませんか?

 それにコウ様とフレイアでは、グラーゼイ様と比べる以上に大きな違いがございます。コウ様は男の方で、私は女です。

 それでも、コウ様は私にはとても良くしてくださっております」


 俺はもう一度頬を掻き、返した。


「それは、君は優しかったし…………」

「グラーゼイ様も、本当はお優しい方なのです。コウ様に対してはとりわけ厳しく、素直でなく振る舞っていらっしゃいますが、あれは本来のお姿ではありません。

 あの方はまだ入隊して日の浅いフレイアのことを、いつもそれとなく気遣ってくださるようなお方です。言葉や態度は手厳しくとも、行動の上ではいつだって公平で、正しくございます。

 ですからどうか…………もう少しだけ、お気持ちを汲み取っていただけませんか?」


「やだね」と、言いかけて、俺は危うく言葉を飲んだ。

 いくら何でも、ここまで彼女に言わせて撥ね付けるのはあまりに大人げない。

 別に優しいんじゃなくて君に構いたいだけだろ、ぐらいは棘を刺してやりたいところではあったけれど、ここで毒づいたってどうにもならない。

 俺はもう一度息を吐き、降参した。


「悪かった。…………俺、ちょっと幼稚だったよ。次からはもう少し態度を改める」

「ありがとうございます。やっぱり、コウ様はとても頼りがいがございます」

「…………おだてても何も出ないよ」

「コウ様」


 言いつつ、フレイアがそっと俺の太ももに手を置く。

 俺は驚き、身を強張らせた。


「え…………フレイア?」


 フレイアは何も答えず、ひたすらに熱心な目で俺を見つめていた。揺らがない紅玉色の瞳が、俺をさらにどぎまぎとさせる。

 と、いきなりフレイアが俺の胸に寄りかかってきた。


「いっ!? フ、フレイア、どっ、どうし…………」

「今少し、お静かに願います」


 フレイアの落ち着き払った言葉に圧され、俺は口を噤んだ。

 高鳴る心臓の音が部屋中に響き渡っているようで、気が気でなかった。


「…………」


 フレイアが黙って目を瞑り、次第に身体を俺へと添わせていく。

 俺は彼女を引き剥がすべきか、抱き締めるべきか、理性と邪の芽とタカシとの3つ巴の大混戦に陥っていた。


 何としてでも負けるわけにはいかないのだが、太ももに置かれた手がゆっくりと内股へと滑り込んでいくにつれ、その辺りの筋肉が一層緊張していった。

 俺は彼女の手に自分の手を絡め、彼女に抵抗した。


「…………ん」


 フレイアが小さな声を漏らし、もどかしそうに身をよじる。

 俺は一度不器用に深呼吸し、思い切って彼女に言った。


「フ、フレイア! な、なな、何してるの!? じゃっ、邪の芽のことだってあるんだし、困るよ!! ダメだ!!」


 フレイアはうっとりと潤んだ眼差しを持ち上げると、キョトンとした口調で答えた。


「…………? 今朝、コウ様が過剰に失ってしまわれた魂の色を拝見させて頂いていただけなのですが…………」

「へ?」

「そんなに、ご迷惑でしたでしょうか? ごく薄い共力場しか編ませて頂いていないつもりだったのですけれど…………ご不安にさせてしまいましたか?」


 フレイアがスッとあっけなく俺から離れる。

 俺は全身からへなへなと力が抜けていくのを感じつつ、塞がらぬ口をそのまま開いた。


「え…………いや…………。そう…………だったの…………?」

「申し訳ございません。事前にきちんとお話すべきでした。ふいに良い機会が感じ取れたので、つい…………焦ってしまいました。反省いたします」

「いや、あの…………それは、いいんだけど…………。ごめん。ちょっと勘違いしてた」

「勘違い? 何をです?」

「…………。っていうか、大丈夫だって何度も言っているのに…………どうして、今朝からそんなに俺の色にこだわるの…………?」


 聞くとフレイアはほんのりと頬を染め、口元に両手を添えて言った。


「それは…………何より、コウ様、ですから」

「? …………どういうこと?」

「フレイアはコウ様をとても…………とても、大切に思っております。ですから、どうしても我慢が利かなくて…………」

「…………」


 いまいち答えになっていないのだが、本人は気付いているのか、いないのか。

 彼女は俺が何か返すより先に、慌てて続けた。


「あのっ…………本当にごめんなさい。もう今夜は諦めます。名残惜しいのですが、ご無理を言ってコウ様に厭われては…………元も子も…………」


 言葉の終わりをごにょごにょと濁し、フレイアが俯く。

 俺は真っ赤な顔をした彼女の肩を支え、首を振った。


「いや、そんなことあるわけないよ。…………でも、心配してくれてありがとう。俺は大丈夫だから、そんな悲しそうにしないで」

「私…………コウ様のお気持ちも考えず…………」

「…………」


 俺は胸一杯に満ちてくる呆れやら疲れやらを飲み込んで、彼女の肩の傷に手を置いた。

 フレイアが何かを思い出したみたいに身を縮込め、さらに赤くなる。

 俺は彼女の円らな瞳に見入り、言い聞かせるように話した。


「…………明日も早いから。傷の手当をして早く寝よう。…………ね?」


 フレイアがこくんと小さな頭を縦に振る。


 それから俺は、エルフの軟膏をちょこちょこと傷に塗り重ねてあげた。

 喜ばしいことに、傷口はもうほぼ完全に塞がっていて、化膿している様子はどこにも見られなかった。この分だと、もう明日には薬は必要なくなるかもしれない。


 フレイアの反応は相変わらずだったけれど、俺の方は幾分慣れたせいか、最初程には動じずに済んだ。

 事の終わりには、フレイアはどこか寂しそうに俺を見つめ、


「…………ずるいです」


 と、膨らんだ胸と凛々しい眉とをいじらしく寄せていた。


 彼女の可愛らしい「おやすみなさい」の後、俺はようやく床に就いた。



 翌朝、俺達は再び捜索に向かった。

 だが、誰もが心のどこかで覚悟していた通り、その成果は空しいものとなった。

 そして俺達は失意に染まる暇も無く、テッサロスタへと侵入することとなる。

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