第166話 逆鱗の導く世界。分別という名の臆病。俺がまたしても薬を盛られること。
次から次へと掘り出されてくる意味不明なガラクタ達の圧倒的物量に四苦八苦しながらも、俺は何とか女王竜の逆鱗と、そのレプリカが詰まった箱を見つけ出した。
虹色のフラフープだとか、魔法陣の刻まれたサーフボードだとか(鮫らしきものに齧られた歯形つき)、様々な魔物の絵が描かれたタロットカードだとか、馬鹿みたいにでかくてカラフルな双六? のマットだとか、昔映画で見た火星人そっくりの軟体動物の瓶詰だとか、本っっっ当にどうでもよさそうな物ばかりが乱雑に積まれている倉庫の中で、よくぞまぁ何の破損も無しに保存されていたものである。
俺が喜び勇んで報告に行くと、グレンは実にあっさりと次の指示を与えてきた。
「よろしい。ではそれぞれの逆鱗と共力場を編み、本物を見つけ出しなさい」
「…………は?」
「君の力で、真の逆鱗を見出すのだ」
「えっと…………逆鱗と、共力場…………? あとこれ、軽く300個ぐらいありそうに見えるんスけど…………」
「そのために君を地下室へ送ったのだ。ただ箱を見つけるだけなら、猫でもできる。さぁ、早く地下に戻りたまえ。君の仕事をしなさい」
有無を言わさず、俺は再び地下倉庫へと送り返された。
他の皆は文字通り息つく暇も無く立ち働いており、俺が何かを訴えられる隙は一切無かった。
かくして俺は箱の前に胡坐をかき、途方に暮れていたのだった。
「「逆鱗と共力場を編む」かぁ…………」
人や動物、魔法陣や土地やらと魔力を通わせたことは今までにもあったが、なかなかどうして、ただの薄汚い銀色の欠片と心を通わせるのは難しかった。
何というか、本当にただの小石を眺めているみたいで、いまいち気持ちが乗りきらなかった。
「…………」
俺はじっと逆鱗を睨みつつ、ふとリーザロットの館のくるみ割り人形のことを思い出した。
そう言えば、あの人形にも核となる貴石が埋まっているという話だった。だとすれば、もしかしたらこの逆鱗にも、ああいう風に何かが宿っていたりするのかもしれない。
「…………。…………「何か」って、何だよ?」
虚しい独り言に、もちろん答えはない。
少し顔を上げると、明かり取りから差す朝日が目に沁みた。
俺は、まぁどうにでもなれという気持ちで箱の中から逆鱗の一つを手に取り、意を決して話しかけてみた。
「…………よし。まずは、君からだ」
俺は深呼吸し、じっくり逆鱗を見据えた。
命ある者に、真っ向から話しかける真剣さ。
「初めまして、俺はミナセ・コウ。…………どうか
イゼルマ湖で気脈を辿った時のように、心を開け放って相手を眺め続ける。
徐々に意識を、俺の存在を、逆鱗に傾けていく。
ザラザラとした、手に馴染む感触。
鋭い陽光を反射する反射する、くすんだ銀色。
かつては綺麗な正方形を形作っていたはずの角は、今は風化して自然な丸みを帯びていた。
かつて見た老いた女王竜の姿が脳裏に浮かんで、俺には何だかこの逆鱗が、とても懐かしいものに思えてきた。
…………妙な話だけど、俺は彼女に出会うずっと前からこの逆鱗を知っていた気がした。
どこで触れたのかはわからないけれど、この重さと握り心地、表面の傷の具合に、初めてとは思えない親しみが湧いてくる。
――――…………それから不意に意識に映り込んできたのは、オースタンの夕景色だった。
オースタン。俺の故郷、地球の、日本。
習い事へ向かう途中、あの何でもない日。
俺に笑いかけてくれた、誰かのことが蘇ってくる。
息を弾ませて駆け抜けた神社の石段の景色が、鮮明に目に浮かぶ。
鳥居の奥の、深く濃い茂みの中。
木の葉の合間から、夕陽がまだらに漏れていた。
その光の下に転がっていた変わった形の小石。
錆びた銀色の、礫石みたいな手触りの、掌にのせると、ほんの少し持ち重りがする…………。
あれは紅い日を浴びて、じんわりと物悲しく、滲むように輝いていた。
――――…………あの日俺に笑いかけてくれた、誰か。
思い出せそうで思い出せない。
ただあの子の笑顔の名残だけが、宝石みたいに美しく俺の魂に刻まれている。
…………紅かった。
本当に、夕陽だけが?
…………どうして思い出せない?
俺は、何を忘れている?
「――――――――…………」
俺はどうやら、異世界まで旅に出てこれだけ信じられないものを目の当たりにしてきたっていうのに、まだ「あるはずない」なんて思っているらしい。
俺は逆鱗から伝ってくる景色を受け止めきれないでいた。
直視することを意識が強く拒絶している。
自分で自分に堅く鍵を掛けている。
…………あの時通い合わせた眼差し。
澄んだ憂いを孕んだ、真っ直ぐな瞳。
もっと集中すれば、今なら見えるのに。
どうしてもあと一歩が踏み出せない。
「――――――――…………」
俺は怖気づいていた。
夢を守りたいとか、追いかけたいとか言いながら。
今、心を解放することが出来ない。
ヤガミと対峙して「勇者」になることも、フレイアに責任を持つことも、肝心な所で覚悟しきれていなかったみたいに。
分別の皮を被った臆病が今になって身を竦ませている。
「――――――――…………」
俺は、どうしたらいいのだろう。
本物の逆鱗を探すだけなら、多分これでもう十分だ。
この逆鱗の力はレプリカなんかじゃないって直感でわかる。
…………覗く、べきなのか?
だけどこれを知ったら、俺の大切な記憶はどんな風に変わってしまうだろう。
何か取り返しのつかないことになる予感がしてならない。
今まで自分を支えていたものが、根本から崩れて去ってしまうような…………。
「――――――――…………」
はたと目を瞬かせた時、俺の掌には虹色に輝く逆鱗がふんわりと、半ば宙に浮くようにして乗っかっていた。
逆鱗の放つ光は水面のように危うげに揺れながら、やがて弱々しくしぼんでいった。
手元に残ったのは元通りの、くすんだ銀の欠片である。
俺は手に染み込んでくる逆鱗の重さと感触を、何度か軽く握って確かめた。
「…………もう、時間切れか…………?」
問い掛けても、逆鱗はもう完全にただの小石と化している。
俺はもう一度は共力場を編む気になれず、それを横に除けて次の逆鱗を手にした。
気を取り直して、大きく深呼吸。
あり得ないとはよくわかっているが、俺は今さっきのことを気にしたくない一心で、残りの仕事に熱心に励んだ。
だが結局、どれを試してみても最初の逆鱗が見せてくれたような景色は見えなかった。たまにぼんやりと淡い虹色に輝くことはあっても、それだけだった。
俺が最初に見つけた本物の女王竜の逆鱗を持って上へ戻った時には、すでに作業に一区切りがついていた。
部屋中に冷たいハッカの香りが充満しており、あたかも巨大なタコが室内で暴れた後みたいに、壁や家具のあちこちに青黒い染みが飛び散っていた。
ひび割れたテーブルの傍らで泥だらけの手袋を脱いでいたフレイアは、俺の顔を見るなり、笑顔でこちらへ寄ってきた。
「コウ様、お帰りなさいませ。逆鱗は見つかりましたか?」
「うん…………どうにかね」
「逆鱗の力場に触れますと、通常では到底見えることのできないものが見えると、伝承には伝えられております。何かご覧になりましたか?」
「まぁ…………色々と」
俺はやけにキラキラと輝く紅玉色の眼差しから目を逸らして、話題を変えた。
「…………それで、そっちの調子はどうだい?」
「こちらは何も問題ありません。今はもう一通りの作業が終わって、グレン様とシスイさんが最後の仕上げに取り掛かっております。コウ様は…………」
話の途中で、のそりと大きな影が俺と彼女の合間に割って差す。
仰ぐと、白銀の毛並みを泥で汚したオオカミ男が、いつもと寸分変わらぬ陰険な眼差しで俺達を見下ろしていた。
「ミナセ殿。部屋の清掃を行いますので、今しばらく部屋の外にてお待ちいただけますか?」
「…………俺も手伝いますよ」
「国賓である貴方に雑務のお願いなどとんでもございません。どうかご遠慮なさらず、お休みください」
「…………俺を追い出したいんですか」
「誤解無きよう。私はミナセ殿の手を煩わせぬよう、尽力しておりますのみ」
俺はグラーゼイを睨み付け、改めて意見を強調した。
「いいえ、手伝います。真っ当な人間の礼儀として」
暗鬱な空気に、爽やかなミントの香りもたちまち淀んでいく。
ひょっこりと台所から顔を出したグレンが、さりげなく仲介してくれた。
「ミナセ君。確かに人手は多い方が助かる。外にロージィがいるから、雑巾の場所を聞いて壁を拭いてくれたまえ。
それから、グラーゼイ。君はこっちにいるシスイ君と交代だ。やはりスレーン式よりサンライン式の方が馴染む」
グラーゼイが俺を一睨みし、ばつが悪そうなシスイと入れ替わりにグレンの方へと去っていった。
俺は「フン」と一息吐き、再びフレイアを振り返った。
「大丈夫? あの野郎に嫌な目に遭わされなかった?」
フレイアは困り眉で肩を縮め、顔を横に振った。
「いえ、そのようなことは…………」
「朝2人で出て行った時、何を話したの?」
「…………邪の芽の現状と、熱病に罹った経緯についてです」
「本当にそれだけ? 傷のことは? まさかエルフの軟膏のことを話したりとかは…………」
「コウさん、そこまでだ」
シスイが俺の肩をポンと叩く。
彼は俺が躍起になって言い返そうとするのを片手で制し、続けた。
「君も隊長さんも少々…………いや、大いに慎みに欠けている。フレイアさんの気持ちになってみろ」
「だけど、元々はグラーゼイが」
「どっちが悪いという話ではない。…………さ、雑巾を取りに行こう。話は手を動かしながらでないと、グレンさんがうるさいぞ」
俺はシスイに引き摺られるように、渋々外へ出ていった。
フレイアは戸惑いと恥じらいとを目元に赤く滲ませつつ、小さく溜息を吐いて俺達を見送っていた。
その後は、大きなトラブルもなく掃除は進行した。
一度だけロージィが飛び出してきて桶の水をひっくり返していったが、あれはまぁ、俺のトカゲを捕まえようとしてのことだったので許さざるを得ない。惜しくも逃げられてしまったが、彼女にはぜひこの調子で励んでもらいたいものだ。
そうして晴れて全てが整った頃、グレンが温かいポットを携えて部屋へ出てきた。
グレンは一同を見渡し、満足気に話した。
「うむ、ようやく完成した。諸君、ご苦労であった。
一度結びつけられた魔力追跡の糸を掃うためには、一度自身の魂を軽く脱色してならす必要がある。これから注ぐのはそのための薬湯だ。諸君自身が作ったのだ。よくよく味わいたまえ。
飲み終わったら、私がそれぞれと共力場を編み、追跡の糸を解く」
俺はグレンが淹れてくれるお茶を見つめつつ(白くとろみがあり、蕎麦湯のようだった)、気になって尋ねた。
「あ、えっと…………ちょっと飲む前に伺いたいんですけど…………」
グレンがフレイアやシスイにも茶を注ぎながら、無言で先を促す。
俺は言葉を探しつつ、続けた。
「前に、ツーちゃんから聞いたんですけども…………何ていうか…………魔力の大元っていうのは霊体、つまり魂で、その魂の色っていうのは、その人の感情と切り離せないものだから…………もし、魂の色を脱色するなんていう時には、感情も一緒に消えちゃうんじゃないかって…………聞いたし…………心配なんですけど…………」
ナタリーの「無色の魂」について問い詰めた時、確かにツーちゃんはそう話していた。
グレンは「うむ」と気難しい顔で一度深く頷くと、空になったポットを脇に置いて答えた。
「君の言う通りだ、ミナセ君。魂を脱色するのと、単に心を落ち着かせるのとの違いは、まさにそこにある。感情の強制的な抑制、ひいては人格の変容。
だが、そこに関しては全く心配要らない。この薬湯での脱色は、先にも述べた通りごく軽度なものだ。時間が経てばすぐに元に戻る。恒久的に他者を脱色したければ、薬湯などという生温いやり方は用いない。霊体を消滅させて「無色の魂」と入れ替えるか、逆に肉体に強い衝撃を加え、感情の生成能力自体を喪失させるかだ」
「…………はぁ」
この人は時々、平然とおっかないことを話す。
俺はしばしナタリーのことに思いを馳せ、それから気を取り直してグレンに返した。
「わかりました。…………じゃあ、安心していただきますね」
そう言って口に含んだ薬湯は、蕎麦湯からはかけ離れた味がした。
例えるなら、ミントの香りが非常に強い漢方薬で、ゴボウとニンジンを足して2を掛けたみたいな凄まじい風味がした。わざらしい甘さが、喉元を過ぎるとじわっとした苦みに変わる。
温かいのに、なぜか身体の芯がひんやりとした。お世辞にも美味しいとは言えなかったものの、飲むと直ちに気持ちに変化が起こった。
頭自体は冴えているのに、心はそこから薄皮一枚隔てた所にいるみたいな、そんな奇妙な感覚に陥った。この場にいる自分と観察している自分がぴったり重なっているにも関わらず、同時に明らかに乖離している。
いつか、どこかで味わった心地だけど思い出せない。
決して気持ち良くはなかった。傍らに誰もいなければ、何をしたかわからなかった。それだけ自分を抑制するものが無く…………いや、本当に無いわけでは無くて、そういった頭の中の一般的な人としてのルールが、まるで色づいて感じられなかった。
俺は不安定な気分を掻き分け、グレンに尋ねた。
「それで…………この後は、どうすれば…………?」
グレンは俺を見て渋い顔をさらに渋く、厳めしく顰めると、いきなり「むぅ!」と短く唸って捲し立てた。
「しまった! 魔力場の極端に狭いミナセ君には、この量でさえ強力過ぎたようだ!
グラーゼイ、早く奥の部屋から赤い薬湯を持ってきたまえ。大至急だ! …………ああっ、フレイア、君は座っていなさい! ミナセ君の症状が余計に進むだろう! シスイ君、彼女を抑えなさい! 遠慮は要らん! その娘はサンラインの大抵の男より遥かに強い! …………何、それじゃあ俺には敵わないだと? 弱気を見せるな、それでも君はスレーンの…………、グラーゼイ、何をしている!?」
俄かに俺の周りが騒がしくなる。
グラーゼイがフレイアを抑え、彼女は暴れながら大声で叫んでいた。
「お離しください! コウ様が! コウ様が!」
「フレイア、落ち着け! 何をそんなに慌てている!?」
「コウ様! コウ様ぁ!」
グラーゼイがもう一度強く彼女を叱りつける。シスイが赤い薬湯とやらを取りに行く傍らで、グレンは俺の瞼を無遠慮に摘まんだりめくったりしていた。
「うむ…………。これは…………うむ…………」
このオッサン、大概だよな。
俺は特に何を感じることも無く、他人事のように全てを見守りながら、されるがままになっていた。
フレイアが何も答えないせいで、次第にグラーゼイまでヒートアップしていく。フレイアの感情も抑制されているはずなのだが、彼女には逆にちょっと成分が足りなかったんじゃなかろうか。
やがてシスイからカップに入った赤い薬湯が手渡されて、俺は粛々とそれを飲んだ。
普段ならそれこそ血反吐をぶちまけてやりたいようなマズさだったが、幸い今はそれ程元気も関心も湧かなかった。
俺は渡されるだけ全部、一滴残らず飲み干した。
…………そんなこんなで、ようやく探索に出掛けられるという折には、俺は一応は元に戻ったということにされていた。
魔力追跡も無事に掃いきり、竜の体調も芳しく、フレイアとグラーゼイも何とか落ち着きを取り戻して、シスイもやっと竜に乗れると期待に目を輝かせている中、俺は未だに他人事気分が抜けきれないまま、ちょこんとセイシュウの上に乗せられていた。
フレイアは俺と自分にテキパキとハーネスを装着しつつ、しきりにグレンを問い詰めていた。
「グレン様。本当に本当に本当に、コウ様のご感情は失われていないのですね? どんなに些細なお心も?」
「うむ、何も問題は無い。…………検査上は」
「もし…………もし、万が一失われていましたとしても、再生は可能なのですよね? 先に仰っていた方法で」
「うむ…………。だが…………しかし…………」
「荒療治であることは承知しております。少なくともこの探索を終えるまでは、何もせずご様子を窺うべきだというご意見も承りました。
ですが、夜になりましてもコウ様がまだこのご様子でしたら、その時は…………」
グレンが首を捻りながら唸る。
俺はフレイアの背を優しく叩き、言葉を遮った。
「フレイア、心配ありがとう。でも、大丈夫だよ。すぐにいつもの調子に戻ると思う。
それより、早くナタリーとタリスカを探しに行こう。あの2人に限って考えにくいことではあるけど、何か困ったことになっているかもしれないし」
フレイアがしょんぼりと困った顔を見せる。
俺は彼女を安心させたくて、とりあえず微笑んだ。
フレイアはわずかに頬を染めて小さく俯き、上目遣いにこぼした。
「やっぱり…………貴方は、ずるいです」
言うなり彼女はパッと俺から顔を背け、手綱を取ってセイシュウに出発を呼びかけた。
眩い青空にはすでに、軽快に舞い泳ぐシスイと老竜の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます