再会 分かたれた世界の狭間にて

第153話 夜明けへの道。俺が寒いジョークを飛ばすこと。

 レヴィ達から離れ、俺達は辺りをゆっくりと飛んでいた。

 フレイアはドロドロと押し流されていく流転の王を眺め下ろし、後ろの俺に話した。


「流転の王の身体が急に崩れ始めたと思いましたら、コウ様達が波と共に、王の身体を突き破って出てこられました。大変驚きましたが…………いずれにせよ、お二人がご無事で何よりです。

 先の戦闘中、コウ様がいきなり私の後ろからいなくなられた時には、もしや落竜されてしまわれたのではないかと気が気でなかったのですよ」


 疲れた微笑を浮かべるフレイアに、俺は素直に謝った。


「心配かけてごめんね。君の方は大丈夫だった?」

「私は平気です。ただ、セイシュウの怪我は深刻です。可哀想に…………私がたくさん無茶をさせてしまったせいで、大分飛びにくそうです」


 確かに、セイシュウの羽ばたきは明らかに弱々しかった。首から尾にかけて、あちこちに新しい傷が出来ている。特に濁竜との戦闘で負った傷には、目に見えて状態が悪化していた。

 俺はぐったりと萎れた彼の尾を見つめ、内心で溜息を吐いた。これでは、到底もう空戦などはさせられないだろう。

 フレイアの言葉と入れ替わりに、横から重々しい男の声がした。


「勇者が失せた折の乱心は収まったか、フレイアよ。今後は同様に泣き叫ぶことの無きよう、深く自省せよ。いついかなる時も背後への警戒を怠るな。

 しかし、我が宿命かたき、よもや勇者に討たれようとはな…………。フム」


 見れば、漆黒のマントを血で滴らんばかりに染めたタリスカが、じっとこちらを見つめながら飛んでいた。その手には未だ青白い輝きを放つ二振りの曲刀がひんやりと垂れ下がっている。

 彼は独り言めいた調子で、つらつらと重ねた。


「彼奴と私の因果は形を変え、永久の呪縛は解き放たれた。…………幾百年、幾度となく刃を交え、なおも達し得なかった境地。このような結末に至ろうとは…………。

 見事と言うべきか。否…………捧げるべきは称賛ではなく、感謝か」

「…………? どういうこと…………?」


 タリスカは俺に答えることなく、ただ小さく頷き、


「水先人の娘の下へ向かう」


 と言って、藍佳竜を駆って去っていった。

 視線だけで彼を追っていくと、レヴィの上のナタリーが軽々と彼の藍佳竜の背に飛び乗るのが見えた。レヴィはようやくといった様子で気ままにどこかへと泳いでいく。

 ナタリーとタリスカはまた何やら言い争っていたが、風の音が強くてほとんど聞き取れない。ナタリーの甲高い叫びだけが少しだけ届いた。


「何が「我が宿命」ですか!! そもそもアナタのせいで…………もうっ! 本当サイテー!!」


 フレイアと俺は再び顔を合わせ、肩をすくめあった。


「何の話をしてるんだろう?」

「さぁ…………。フレイアには全くわかりません。

 あと、私は決っっっして泣き叫んでなどおりません。お師匠様は大袈裟に仰っています」

「タリスカは時々、すごくわかり難いよ。もう少しくだけた現代的な言い方はできないのかなぁ?」

「ううん…………。お師匠様はご自分の流儀を大切にされる方ですので…………」

「「自分勝手」って言うんだよ、それ」


 そうして飛ぶうちに、一騎の緋王竜が闇の奥からぬるりと合流してきた。

 白銀の毛並みが勇壮にたなびく乗り手の頭部には、力強い金の目が二つ、険しく灯っている。彼は俺達の隣へ滑り寄ると、戦闘後の疲弊など些かも感じさせない毅然とした声音で話しかけてきた。


「…………無事か? フレイア」


 抑揚すらない、実に素っ気ない調子である。

 フレイアは彼女の上司へ、とびきり明るい笑顔を向けた。


「グラーゼイ様、よくぞご無事で! 長い間魔力を感じられませんでしたので、とても心配しておりました。今まで、どこにおられたのです?」

「イゼルマ湖の外縁にて、ウェーゼンの群れを相手していた」

「ウェーゼンを!? それでは、かなりの燐光をお浴びしたのでは? ご体調にお変わりはありませんか?」

「侮るな。…………戦いでは時に狩りにも似た地道な忍耐が功を奏することもある。事を不必要に急がねば、対処は十分に可能であった。

 …………お前の具合はどうなのだ?」

「問題ありません。コウ様も、大きなお怪我無くいらっしゃいます」

「セイシュウは?」

「悪くなっています。レヤンソン郷までは頑張ってくれるでしょうが…………それ以上は厳しいかと」

「了解した。…………シスイ殿は?」

「あちらに」


 フレイアが前上方へ向けて腕を伸ばす。その腕に巻かれた火蛇が、やんわりと遠くへ光を投げかけた。

 そこではジコンを手にしたシスイが、なおも張り詰めた面持ちで竜を大きく旋回させていた。見たところ、彼も彼の竜も元気そうだ。

 グラーゼイは竜を大きく羽ばたかせて上空へ送り出すと、振り返って俺達にこう伝えた。


「シスイ殿と不時着地を相談する。…………お前は今後は戦闘を控えるように」


 俺達は去っていく彼を見送りつつ、いずれ伝わってくるであろう指示を待った。


 にしても、見事に俺を無視しきったな、あの野郎…………。



 ややしてから、シスイから念話が届いた。


(派遣団各員へ。シスイだ。

 これより、フィリカ洞穴群を経由してレヤンソン郷へ向かう。今のところ周囲に敵影は確認できないが、油断はできない。可及的速やかに移動しよう)


 次いで彼は、隊列にも言及した。


(今回は、あえて隊列をバラけさせる。ここからレヤンソン郷までなら遭難の危険は少ない。それより、万が一再度敵襲があった場合の被害の分散を優先したい。

 タリスカ氏とナタリーさんは北の渓流沿いのルートを。隊長さんは北の峰を越えるルートを。そしてコウさんとフレイアさんは俺と共に、最短となる洞穴抜けのルートを辿ってもらう。

 …………では解散。再会を祈る)


 シスイの念話がプツリと途切れる。


「…………洞穴抜け?」


 俺の呟きに、フレイアが答えた。


「フィリカ洞穴の内部には、かつてはエルフの宮殿がございました。今は完全に廃墟となっていますが、抜け道となる通路が残っていたとしても不思議ではありません」

「エルフの宮殿! そんなものがあるんだ。どうして廃墟に?」

「強い呪いで一族の血が絶たれたと伝えられております」

「はぁ、呪いねぇ…………」


 何とも嫌な響きの語である。できることなら、あのモヤモヤ空間には二度と招待されたくないものだ。


 そんなこんな話をしているうちに、シスイがこちらへやってきた。

 彼は伸びやかにセイシュウの隣に自らの竜を並ばせるや、早速案内を始めた。


「さぁ、君達が向かう洞穴の入り口はこっちだ。中は複雑だから、絶対に俺を見失わないようにしてくれよ。とっておきの近道だが、それでも急いだ方がいい道程ではある」

「シスイさんは、遺跡には何度も入られたことがあるのですか?」


 フレイアからの問いに、シスイはどこかぎこちなく応じた。


「…………まぁな。こんな仕事をしていると、色んな道を通らされる」

「遺跡へ通じる扉の鍵はお持ちですか? 扉には非常に複雑な結界が施されていると聞いております」

「心配無い。スレーンなりの交易路があるんだ。それぐらい用意するのは容易い。

 …………で、洞穴抜けだが、とんでもなく早く着くぞ。一度無事に抜けてしまうと、まともに飛ぶのが馬鹿らしくなるぐらいにな」

「じゃあ、いっそ全員で通れば良かったんじゃないですか? 結界があるなら、待ち伏せの危険も無いでしょうし」

「それがそうもいかないんだ、コウさん」


 シスイが渋い顔で振り返る。彼は氷の上を滑るように優雅に竜を飛ばしながら、浮かない口調で続けた。


「洞穴抜けは正直な所、余程のことが無い限りやらないつもりだった。賭けの要素が全く無いわけじゃない」

「やはり、危険なのですね? 狭所ゆえ、操竜が困難ですとか?」


 フレイアの問いに、シスイは口の端を笑い損ねたみたいに歪めた。一見ユーモラスな表情ではあったが、その黒い眼差しにはそれでも打ち消せない、変な迫力があった。

 彼はそよ風の如く、サラリと話した。


「いや。確かに操竜の腕は要るが、そこは君達にとっては大した問題じゃない。オマケに言えば、あそこには魔物の一匹もいなければ、妙な仕掛けの魔法陣も一切無い。呪いだってもう残っちゃいない。

 …………だが、その代わりを十二分に務める厄介なモノが蔓延している」


 フレイアが首を傾げる。

 シスイは一言、静かに言葉を置いた。


「瘴気さ。あそこを通ると、ひどい熱病に罹ることがある。溜まっている水のせいなのか、住み着いている虫のせいなのかは知らんが、いずれにせよお世辞にも清潔な環境とは言えなくてな。傷を負って疲れている時に、好んで入りたい場所じゃない」

「そんな! それではコウ様が…………!」


 突っかかろうとするフレイアを、俺は何とか抑えた。


「待って、フレイア。俺、身体だけはやけに丈夫だから、多分平気だよ。っていうか、そもそも何で心配されるのが俺限定なんだ? 君の方が怪我が多いのに…………。

 とにかく、今は多少のリスクは仕方ないよ。それより、その病気は竜は罹らないの? セイシュウの方が心配だ」


 俺の質問に、シスイは溜息を吐いた。


「そいつは大丈夫だ。なぜか竜はいつもピンピンしている。でなければ、俺は通らない」

「なるほど。じゃあ、とりあえず俺達はマスクでもしていればいいか。確か鞄の中にスカーフがあったはず…………」

「…………」


 フレイアはしばらく口を尖らせていたが、何も言わずにシスイについていった。



 かくして、俺達は問題の洞穴に着いた。

 遺跡の扉の前で俺達は一旦竜から降り、鍵をあてがった。扉は特別巨大でもなければ、豪華な装飾が施されているのでもなく、どちらかと言えば岩の狭間に溶け込んでしまうような地味な見た目をしていた。鍵も鍵穴も、ごくごく普通のそれである。


「…………」


 しみじみ見つめていたら、シスイに心を読まれた。


「残念そうだな、コウさん。もっと豪華に出迎えてもらえると思ったか?」


 俺は「いいや」と頭を掻いてから、用意していたスカーフを顔に巻き付け、扉を押すのを手伝った。


「そんな………。扉に刻まれた紋章がカァーッと光って、「汝、名を名乗れ」的なことをエルフ語で語りかけられて、試練のゴーレムがフワーンて魔法陣から召喚されて、倒したら、「汝、真の「勇者」なり」みたいなこと、想像していたなんてことないですよ」

「…………」

「コウ様…………」


 憐れみの眼差しが左右からじっと俺に注がれる。6割方ジョークのつもりだったのだが、どうやら盛大に滑ったみたいだ。

 とにかくも俺達は扉を開き、中を目の当たりにした。


 当たり前だが、内部は真っ暗だった。火蛇の明かりがなければ、一寸先も見えない。

 むわっと漂ってくる黴の匂いと、下水道じみた濁った湿り気がとても不快だった。魔力の気配こそしないものの、何とも言えない不気味な空気が充満している。

 蝙蝠か何か、小さな生き物が羽ばたくのが視界の端を掠めた。サワサワとヤツデに似た虫が足下を這っていくのも気味が悪い。


 もう少し奥へ目を凝らすと、巨大な柱や回廊、タイル張りの床なんかが薄っすらと見えてきた。どれも重厚だが飾り気の全く無い、扉と同様の質素な造りだった。相当古いらしく、所々に大きな亀裂が走っている。崩落している部分も数多い。

 シスイは自分も手ぬぐいで当て布をしつつ、竜の手綱を取った。


「さぁ、行こう。扉は少し経つと勝手に閉まる。逆に言えば、閉まる前に行かなくちゃならない。実はこの鍵、使い捨ての複製品なんだ」


 俺はフレイアと共にセイシュウの背に跨り、ハーネスを締めて彼女のお腹に腕を回した。フレイアはスカーフを口元に巻き、セイシュウに声を掛けた。


「…………行こう!」


 俺に向けるのとは少し違う、柔らかで強い励まし。

 セイシュウが羽ばたくと同時にブワッと風が立ち、砂埃が大きく舞い上がった。火蛇の一匹がすかさずベールを張り、視界をクリアにする。


 俺達はゆっくりと遺跡の奥へ進んでいくシスイに付いて、迷宮へと踏み出した。

 扉の閉まる重々しい音が背後から響く。

 たちまち、シスイの掲げるランプだけが唯一の目印となった。

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