第154話 訪れた再会の時。俺が世界の狭間で叫ぶこと。
遺跡は広かった。
一体どんな技術を使ったのかはわからないが、岩山の中身を丸ごとくりぬいて、その中にボトルシップみたいに大きな街がみっちりと組み立てられていた。
無論、エルフの街はとうの昔に滅んでいる。だが、火蛇の明かりによって薄っすらと浮かんで見える文明の跡…………崩れた壁画や花瓶、銅像、庭園跡などは、未だに不思議な生活感を漂わせていた。
静かに横たわっているいくつもの人骨(エルフの骨かな)が、何とも言えず白く、物悲しく、美しい。
ユラユラと複雑な岩の街道を辿りながら、俺達は迷路のような都市の谷間を飛んでいった。
地下水が急流となって流れる場所、腐臭のする汚泥が深々と溜まっている場所、地の底まで続くような亀裂の走った場所など、竜がいなければとても探検できない所ばかりだ。とりわけ街から王宮らしき場所へと続く壮大な大階段は徹底的に破壊されており、飛ぶ以外の手段では決して乗り越えられそうになかった。
「その昔、とある研究で偉大な業績を残したエルフの王子が、思いのほか皆からチヤホヤされず腹を立て、怒りに我を忘れた結果がこれだそうだ」
王宮へ向かって飛びながら、シスイが話した。
「王子の呪術によって住民のエルフ達は皆、死に絶えた。だがその王子本人は、これから通る隠し通路を抜けて、テッサロスタへと逃げたという。
そしてなおも研究を続けんがため、方々から亜人達を集め、秘密結社を組織した…………」
フレイアが小さく首を傾げる。俺はそんなフレイア越しに顔を覗かせ、続く話に耳を傾けた。
シスイは淡々と語っていった。
「王子の研究対象…………それは、「母なるもの」。…………サンラインで言うところの「赦しの主」だ。
「裁きの主」に拮抗する強大な存在だが、まぁ、大概のエルフ連中にとっては確かにどうでもよい研究だったのだろうな。奴らは一般に信仰心を抱かない。それなのに、他ならぬ王子がそんなものに没頭していたとなれば、呆れを通り越して不愉快ですらあったのは想像に難くない。
しかし王子はいくら同胞に反発されようとも、「母なるもの」を希求し続けた。あるいは、彼女の闇にすっかり飲み込まれていたのかもしれないなと、俺はここに来る度に思うんだ」
シスイが壊れた王宮へと視線を移す。
王宮の内部は、完全にがらんどうと化していた。そこには闇以外に息づくものは何もない。火蛇の明かりに当てられて微かに浮かび上がってくる闇の底の景色は、黒ずんだ血飛沫や、粉砕された人骨、掠れた魔法陣の跡といったものばかりだった。
在りし日の栄華はいっそ小気味良いぐらい空虚に飲まれ、この上なく凪いでいる。永い眠りと無限の安らぎが、沼の底の泥の如く、たっぷりと湛えていた。
シスイは闇の胎内へ、ゆっくりと竜を滑り込ませていく。
彼は時々振り返って俺達がついてきているのを確認しつつ、崩れた床の隙間を注意深く潜り抜け、その下に続く螺旋階段を下っていった。
隠し通路というだけあって、他の場所よりも数段作りが荒く、狭い。フレイアはセイシュウの翼や手足が瓦礫に触れぬよう絶えず気を配っていた。
シスイはそんな中で、先の話を継いでいった。
「王子の作り上げた組織の構成員は、その後、「母の良き息子」と名乗るようになる。元は研究対象であった「母なるもの」を、いつしか信仰するようになっていったんだ。
そして彼らの系譜は、時代に沿って変遷を辿りつつも、今なお連綿と続いている。…………「太母の護手」。それが今、最も知られている彼らの名だ」
階段の終わりに、フレイアがフワリとセイシュウを持ち上げ、シスイの隣に柔らかく落とした。シスイはそれに呼吸を合わせ、速やかに俺達を先へと導いていく。
フレイアは彼を追いながら、尋ねた。
「あの…………、シスイさん。失礼ですが、そのお話はどこでお聞きになったのでしょうか? 各地の文献を集めた精鋭隊の調書にも、そのような記載は一切ありませんでした。…………その、本当に信頼しても良いお話なのでしょうか?」
シスイは水滴滴る暗い通路を行きながら、ちょっとだけこちらを振り向いて目を細めた。笑っているらしい。彼はフッと小さく息を漏らし、答えた。
「まぁ、信じるか信じないかは君達の自由だ。この話は、ここで見つかった王子の手記からの推測だ。
君達が「太母の護手」ともやり合っているって聞いていたんでな。道中の暇潰しに聞かせただけだ。なかなか面白い話だったろう?」
俺はフレイア越しに、彼に尋ねた。
「そのエルフの王子って、実はまだ生きていたりしますか? もしまだ研究熱が冷めていなかったら、その王子が「太母の護手」のボスってことになりますよね?」
シスイは目を大きくして俺を見、今度は洞穴中に声を響かせて笑った。
「アッハハハ、面白い発想だな! 夢がある。…………けど、残念だがそれは無いだろう。まだ生きているとしたら、あまりに痕跡が無さ過ぎる。
それに、タリスカ氏や琥珀氏のような超例外が身近にいるから、つい君も感覚が狂ってしまうんだと思うが、普通の生き物はそんなに平然と何万年も生きてはいられない。戦いの中で命を落とすか、危険な研究の最中で道を踏み外すか、あるいは、訳もなくふと自ら命を絶ってしまったりするヤツの方が遥かに多い。生きるってのは、どんな御大層な力があったって、ちっとも簡単じゃないんだ」
「そういうもんですか?」
「ああ、そういうもんさ」
俺は生前の流転の王の無惨な姿を思い浮かべ、少し納得した。ジェンナだってかなり思い詰めていたことを考えれば、確かに長生きも過ぎると心に毒なのだろう。
それに、よしんば王子が生きていたとしても、流転の王やタリスカの姿からして、きっとあまり肉付きの良い姿はしていないに違いない。エルフのゾンビってのは少々趣深いが、会いたいかと言われれば全くそんなことはない。
独り薄ら笑いを浮かべている俺を、フレイアが怪訝そうに眺めていた。
「コウ様、何を笑っていらっしゃるのです? 何だか、先程から少々ご様子がおかしいように見受けられます。お疲れなのですか? まさか、瘴気に
「アハハ、そうかも。
…………ところで、もし王子が生きているとしたらさ、エルフの骸骨って見る限り人間のそれとあまり変わらないから、タリスカの魔術師版みたいなのが出てくるのかな? でさ、同じように真っ黒いマントを着ていて、その手には剣の代わりに伝説の杖が…………」
「シスイ様。出口はまだ遠いのでしょうか? コウ様が心配です」
「ん? いつも通りじゃないか? けどまぁ、出口はこの先の大縦穴を抜けたらもうすぐだ。頑張ってくれ」
「はい」
俺はほのかな悲しみを抱えつつ、上昇に転じるセイシュウの背でまたフレイアにしがみついた。
フレイアは気遣わしげに俺を見やり、次いで視線を上方へと向ける。
長い殺風景な縦穴の天井からは、ほの明るい白い光が差してきていた。星明りか、月明りかはわからないけれど、俺は火蛇がヒラヒラと舞い散らせる火の粉を浴びながら、フゥと胸を撫で下ろした。
もうすぐ、夜が終わる。
外の空気を思いっきり吸える。
流れ込んでくる清涼な風に包まれ、俺は狂おしい気持ちに駆られた。
恐らくセイシュウも同じ気持ちだったのだろう。彼は先に外へ出たシスイの竜に続いて、フレイアの合図を待たずに一気に宙へ躍り出た。
「あっ、コラ! いけません!」
フレイアの叱る声とセイシュウの羽ばたきが晴れた夜に響く。
俺は待ってましたとばかりにスカーフを剥ぎ取り、思いきり深呼吸した。淀みない爽やかな風が汚れた肺をすっきりと洗い流してくれる。
ああ、気持ち良い!
眼下には一面、野原が広がっていた。青々とした豊かな羽振りの植物が、俺達を歓迎するみたいに一杯に身体を揺らしている。
解放感が全身の隅々まで駆け巡っていく。滞っていた血流が一気に流れ出し、タカシが歓喜の声を上げた。
だが、呑気に身体を伸ばす俺とは対照的に、先に出ていたシスイの魔力はキンと冷たく、真冬の清流のように研ぎ澄まされていた。
それはたちまち高山から溢れる雪解け水となり、みるみる勢いを増していく。
重なって、フレイアの魔力がふっと俺を熱く焦がした。ベールを張っていた火蛇が急に猛々しく炎を噴き上げ、青い野に荒ぶった火の粉を撒き散らした。
「…………っ!? ど、どうしたんだ?」
フレイアは俺に答えず、紅玉色の瞳を一直線に前へ向けていた。尋常でない緊張が、その眼差しの鋭利さから察せられる。
見れば踊る野原の向こうに、人影が2つ、静かに並んでいた。
一人は黒地に黄金の装飾があしらわれた壮麗な鎧を着込んだ偉丈夫。その手に構えられたロングソードからは、眩むような銀の輝きが立ち昇っていた。頭部を覆う兜は牙の長い、鮫に似た生物を模している。鋭く突き出た目庇が、星明かりを浴びて鈍く、妖しげに光っていた。
騎士の隣には、淡い光沢を放つ漆黒のコートを羽織った長身の青年が立っている。腰に帯びた短刀の、緻密な銀細工の拵えが神々しい。首元から覗く深紅のシャツの色合いが、不思議と俺の故郷を思わせた。
彼の栗色の柔らかな短髪が、風に無邪気に戯れている。
俺はその景色を何度も見たことがあった。
彼は灰色がかった青の、どうしようもなく懐かしい眼差しで、ひたと俺を見据えていた。
俺は言葉を失っていた。生まれてこの方ずっと喋り続けてきたはずの地球の言葉が、全くもって咽喉から出てこなかった。
相手はじっと何かに耐えるみたいに、きつく唇を結んでいた。不器用で、何も隠せないギザギザした顔つきが、昔と何も変わっていなかった。
風が一際強く吹き、青年が口を開いた。
「…………立ち去れ。ここは通さない」
かつての俺の友人、
彼は嵐を力づくで噛み潰したみたいな、どうしようもなく荒れた調子で続けた。
「対話はしない! あくまでも押し通るつもりなら、「王」と「裁きの主」の名の下、お前
達を排除する!
…………スレーン人も、オースタン人も、皆だ!」
俺は堪らず、ハーネスを外してセイシュウから飛び降りた。
フレイアが悲鳴を上げ、すぐに俺を追ってきた。
「コウ様!? 危険です、お戻りください!!」
ベールを張っていた火蛇が即座にフレイアの傍へ集う。突然乗り手を失ったセイシュウを、シスイが視線だけで制した。
フレイアが俺の腕に手を伸ばす。
俺は彼女を振り返り、紅玉色の瞳を真っ向から見つめた。怯んだフレイアに、俺は言った。
「知り合いなんだ」
「え?」
「あいつは、俺の友達なんだ! オースタンにいた頃の!」
「…………そんな。…………ですが」
「アイツと話したい。…………行かせてくれ」
フレイアが腕を震わせる。
彼女はその手をそっと剣の柄へ添え、眉間を険しくして答えた。
「…………なりません」
一拍置いた後、彼女はさらに声を高くした。
「あの方は……………………他でもない、ジューダムの「王」その人です!
ジューダムの民の魔力を一身に束ねる、当世最強の魔導師です! お行かせすることなど、できません!」
揺れる銀髪の下の燃える眼差しが、俺を貫く。
俺はたじろがず、もう一度告げた。
「フレイア、お願いだ」
「…………」
フレイアは俺に引く気が無いと知るや、おもむろに剣を抜いた。
たちまち刃の周りに火蛇が螺旋を巻く。
彼女は出会ってから初めて、正面から俺の言うことを拒絶した。
「なりません」
俺を置いて前へ歩み出した彼女に対峙して、鎧姿の男が一歩踏み出す。
俺はヤガミに向かって声を張った。
「ヤガミ!! 俺だ、水無瀬孝だ! 覚えてるだろう!?
お前とはもう争いたくない!!」
ヤガミはフレイアと鎧の男が間合いを詰めていくのをじっと見守りながら、俺へ冷たく言い放った。
「言ったはずだ。話はしない。…………お前ともな」
言葉が終わるや否や、鎧の男がロングソードを大きく振り被り、フレイアへ打って掛かった。
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