【幕間の物語① とある青年騎士の昼下がり】


 こざっぱりとした洋館の一室。窓から日差しがたっぷりと差し込み、のどかな雰囲気。

 しっかりとした造りの椅子やテーブルが部屋の隅にきちんと積み上げられている。部屋の中央には六芒星型の大きな魔法陣がほの白く輝いている。

 窓の外には美しい街並みと、目にも鮮やかな新緑。

 美しい黒髪の女性が魔法陣の中に座り込み、分厚い本を広げて何か考え込んでいる。

 そこへブロンドの青年騎士がやって来て、恭しく話しかける。



騎士 「失礼いたします、姫様。

 そろそろご休憩になさいませんか? いくら慰霊祭が近いとはいえ、連日そんなに根を詰められてはお身体に障ります。

 もし今、姫様がご体調を崩されたら、これから到着なさる「勇者」様がさぞ当惑なさいますよ」



 姫は騎士を振り返り、華奢な肩を竦める。遥かな遠洋を思わせる蒼玉色の瞳が、困った風に一度瞬いた。



姫 「もう。貴方っていつもズルいわ、クラウス。そんな風に言われたら、中断せざるを得ません。

 …………わかりました。今日のところは、これで切り上げることにします。魔術の訓練は、いくらしてもし過ぎることは無いけれど、それで貴方達を困らせしまうのでは本末転倒ですものね」


騎士 「ご理解頂けて幸いです。

 …………やはり姫様には、「勇者」様がご必要なようだ」


姫 「まぁ、またそんなことを。

 大丈夫ですよ、きっと。まずは、信じなくては」


騎士 「私は、姫様のそういう所をとても好ましく思います。というか大好きです。

 けれどやはり、この件に関してはまだ釈然としません。どうするんですか? 例えば、「勇者」様がとんでもない阿呆で、欲深い、スケベな、どうしようもないヤツだったら? 

 そもそも、それが普通なんですよ、人間は。姫様はその、少々…………無防備過ぎるかと存じます。失礼ながら」


姫 「その時はその時です。

 ねぇ、クラウス。何をそんなに心配しているのですか? 貴方を始め、精鋭隊の方々がすぐ傍にいてくださるのですから、そう簡単には危ないことにはならないはずだわ。

 何より、あのフレイアが迎えに行っているのだもの。あの子はああ見えて、きちんと物事を見る目のある子ですよ。どうか信じてあげてください」


騎士 「フレイアのことは信用しています。ちょっと危なっかしい所は多分にありますけどもね。

 ただ、俺は…………失礼いたしました。私は、重ねて無礼を承知で申し上げますと、姫様のそのお優しさこそが不安なのです。世の中、剣で守れるものばかりではありません。人の情け心に付け込んでくる卑劣な輩が、どれだけ多いか!」



 姫が本を閉じ、立ち上がる。

 彼女は4歩ほど歩んで魔法陣から出、騎士の前に立って彼の顔を仰ぐ。

 騎士は目を逸らさない。彼の涼やかなスカイブルーの瞳は、真っ直ぐに彼の主だけを映している。

 窓からの降り注ぐ温かい日差しが二人の影を静かに伸ばしていく。



騎士 「私は、サンラインが好きです。この土地の人々も緑も空も、かけがえなく思っています。姫様のことだって、誰にも負けないぐらい深く敬愛しているつもりです。

 ですから、つい…………。気持ちの整理がつかなくて」



 騎士がバツの悪そうな表情を浮かべる。

 姫は微笑み、彼の頬にそっと片手を添える。



姫 「ありがとうございます。貴方にそんな顔をさせてしまったこと、謝らなければなりませんね。

 私は自分の選択を後悔してはいませんが、確かにこれは途方も無く大きな賭けです。

 実は昨晩、琥珀こはくにも似たことを言われてしまったの。「今のお前の優しさは、人に付け込まれる隙でしかない。もっと警戒しろ、疑え、狡くなれ」って」


騎士 「それは…………」


姫 「でもね、きっとそれって事実だと思うの。私は弱い。いつも私の隣にいるタリスカだって、あの性格だから黙ってはいるけれど、同じようにもどかしく思っているのではないかしら」


騎士 「あの方は、そんな風には考えないと思いますが」


姫 「貴方はどう思いますか? やっぱり…………狡い私が良い?」



 騎士は答えず、困惑して目を細める。

 姫の手が騎士から離れていく。その微笑みには、どこかいたずらっぽい色が滲んでいる。

 騎士は姫の手を取ろうとして、止める。

 彼はやがて観念し、溜息を吐いて話を逸らす。



騎士 「…………そう言えば、そのタリスカ様は今何処いずこへ? 今朝方はこちらに居られたようでしたが」


姫 「彼は今は館の「裏」へ行っています。何だか力場の構造に興味があるみたいなの」


騎士 「ハァ、姫様に負けず劣らず研究熱心な方ですね。あの方はあれ以上強くなって、一体何を目指しているのでしょうか?」


姫 「さぁ…………。

 気になるのでしたら、一度試合でも申し込んでみてはどうかしら? 彼は案外、そういうやり方であれば分かりやすい人よ。貴方が相手だなんて、珍しいこともあると喜ぶのではないかしら?」


騎士 「ハハ、ご冗談を。先程も申し上げましたが、私は姫様を残して逝くわけには参りません」


姫 「フフ、頼りにしていますよ。

 ところで、クラウス。よろしけば、この後少しお茶に付き合ってくださらない? 休憩にはやっぱり、美味しい紅茶が一番ですもの。腕によりをかけて淹れて差し上げますよ? 最近はようやく、趣味の域を超えてきたと思っているんです」



 騎士はやや照れた、嬉しそうな表情で頷く。



騎士 「それは誠に畏れ多いお誘いで…………。けれど、是非ご馳走になりたく思います。

 不肖ながらこのクラウス、琥珀様程ではございませんが、魔術には多少の覚えがあります。先の魔法陣のこと、もしかしたら何かご助力ができるかもしれません。どんなことでも、いくらでも、ご相談ください」


姫 「嬉しい。でも、折角だからもっと別な、貴方としかできないお話がしたいわ。

 そう。どうかあの「サモワール」のことを聞かせてください。行ってみたいのだけれど、グラーゼイがどうしても許してくれないんです」


騎士 「成る程、隊長は堅物ですからね。

 まぁ、ですが、そういうことでしたら承知いたしました。何を隠そう、それは私の一番の専門分野です。ご期待ください」


姫 「楽しみです!」



 姫がたどたどしい手つきで椅子とテーブルを並べ始める。騎士は慌ててそれを制し、代わる。


 窓からの日差しが魔法陣を明るく照らしている。

 街の至る所にある教会から、刻を告げる鐘の音が鳴り響く。

 騎士は誘われるように、晴れやかな青空に視線を送った。

 彼の脳裏には、未だ「勇者」のことがチラついていた。



騎士 (「勇者」か…………。

 実際、どんな人なのだろうな…………)

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