第124話 示された信条と理想。俺が予想外の提案に、打ちひしがれること。

 ナタリーの傷の手当てが終わった後、俺たちは広間へと案内された。

 ギラギラしたシャンデリアが重く垂れ込め、艶やかな柄のカーペットとカーテンが幾重にも敷き詰められた部屋は、庶民な俺には物凄ーく居心地が悪かった。

 いくら一つ一つが綺麗でも、こう一時に並べ立てられると眩暈がしてしまう。

 ナタリーは俺と似た心境なのか、食事が出てくるまでの間、借りてきた猫のようにやけに行儀良く、窮屈そうに座っていた。


「あの…………ミナセさん?」


 隣の彼女のか細い囁きに、俺は耳を寄せた。


「何だい?」

「私、本当に一緒に来てよかったのかな? 蒼姫様は「ぜひご一緒に」って言ってくださったけれど…………やっぱり、場違いな気がしてさ。っていうか、そもそもミナセさん達は何のためにここへ来たんスか? ただのお食事会ってわけじゃないでしょう?」

「それはね…………」


 俺が答えようとしたその時、中座していたオーナーが部屋に戻ってきた。


「いやぁ、申し訳ない! お待たせいたしました。おやっ、お食事はまだですか? 先にお出ししておくよう給仕に言っておいたのですが…………。やれやれ、どうにもスレーン人ってのは接客に慣れていなくて、困る、困る。まぁ私もですがね。ハハハ! こう、やんごとない方がやって来ると、緊張して敵いません!」


 笑いながら腰を掛けるオーナーに、リーザロットが心配そうに尋ねた。


「器の棟での騒ぎはもうよろしいのですか? 先程いらっしゃった管理人の方は、かなり慌てていたようですが」


 オーナーは呼びつけた女給に何かせせこましく指示を出すと、大袈裟に肩をすくめて答えた。


「いや、何、大したことじゃありませんよ。仕込み役がうっかり食材を逃がしてしまったってだけの話でして。本棟から人数を送ったので、すぐに収拾がつくでしょう」

「そうなのでしたか。このお店はいつも、とても生きの良い食材を使っていらっしゃるのですね」

「そりゃあもう。売り文句通り、ホット・アンド・スパイシーです!」


 俺は大口を開けて笑うオーナーを見つめながら、しみじみ不思議に思った。

 以前、タカシが彼に会ったということだったが、やはりどうにも俺には実感が湧かない。顔も交わした会話もちゃんと覚えてはいるのだが、それらの記憶はあたかも夢の中か映画の中の出来事みたいに虚ろだった。

 オーナーはふと俺に目をくれると、見透かしたように言った。


「ああ、「勇者」様。タカシ様のことはよく存じております。どうかお気になさらず、のびのびとお寛ぎください。そちらの自警団のお嬢様も同じです。「無色の魂」のお客様なんて、実に貴重、実に素晴らしい。固くならずに、気楽にお楽しみください。

 意外に思われるかもしれませんが、我がサモワールに肉体・霊体の差別はございません。私がそれぞれの棟を分けているのは、「悦び」の形と可能性を最大限に引き出すことを目指してのことです。それぞれに価値の貴賤があるとは、私は、ま・っ・た・く! 思っておりません。異教徒、亜人、異邦人、「無色の魂」。生きとし生けるもの全てに、「悦び」を探求する権利がある。

 猥雑だ何だと非難がましい人もいますが、世の中なんてそもそも混沌としたもんではないですか? 整然としたものばかりが美しいわけじゃあないし、そもそも美しさなんぞ、「悦び」の一つの形に過ぎません。大切なのは、可能性なんですよ。ねぇ、そうは思いませんか、お嬢様?」


 いきなり振られて、ナタリーがさらに肩を縮こめる。

 彼女は


「はぁ」


 と弱々しく呟くと、俺に視線を送った。俺は出されたお茶を一口飲み、文字通りお茶を濁した。

 オーナーの言っていることにはとても共感できるが、実際にサモワールを体験した後では、多少の規制が欲しいという人の気持ちもよくわかる。

 何事も程々にというのは、どこの世界でも難しいものであるらしい。


 やがて女給たちがぞろぞろと部屋に入ってきて、豪勢な食事を俺達の前に並べ始めた。リーザロットの館で食べるものより明らかに手の込んだ品々を、ナタリーはいちいち目を皿にして眺めていた。


「…………ミナセさぁん」

「どうしたの?」

「これは、夢? それとも、誰かの魔術…………? 正体のわからない料理ばっかりだよー…………」


 彼女の囁きを、俺は一笑に付した。

 そんなことを気にしているようじゃあ、異世界じゃ到底やっていけないぜ、お嬢さん。



 そして食事が始まると同時に、交渉も始まった。


「――――ところで、ウチの竜のことなのですがね」


 自家栽培の野菜を使ったとかいう黄色いスープの蘊蓄から、ふいに話が振られた。

 リーザロットは淑やかに顔を上げると、優雅に微笑んだ。


「はい。当世最高と名高い、トリスさんの竜のお話を楽しみにして参りました」


 不審げにスープの匂いを嗅いでいたナタリーが驚き顔でリーザロットを見やる。俺はカボチャとカリフラワーの中間みたいな味のスープをおいしく平らげて、会話に耳を傾けた。

 オーナーはわかりやすく気を良くしたようで、にこやかに語った。


「いやぁ、よもや蒼姫様のお耳にまで届いておりますとは、誇らしいやら、恥ずかしいやら、誇らしいやら。実際、我ながら自慢の竜たちです。いずれサモワールの仕事を引退したら、本格的に育て屋に専念しようと思っているぐらいなんですよ」


 よくよく見れば、オーナーの後ろの棚には幾つもの精巧な竜の像が置かれていた。どれも似た形でありながら、少しずつ目つきや翼の血脈の形が違っている。オーナーは目敏く俺の視線を察すると、早速自慢にかかった。


「ああ、これ、やはり気になられますか? 実はこれは、今まで私が手がけた竜の似姿なのです。特に速く、強い竜たちを選んで、テッサロスタの金細工職人に作らせました。彼ら彼女らの美しさを再現するために、一体どれほど作り直させたことか。いやいや苦労した甲斐あって、この上もなく満足な仕上がりです」

「素敵ですねぇ。…………一度、本物の姿も見てみたくなります。きっと凄く格好良いんだろうな」


 半ばは本心、半ばは様子見のつもりで俺が言うと、オーナーはうんうんと大きく頷いて言った。


「そりゃあもう、たまげるでしょう…………。一目見たら、欲しくて欲しくてたまらなくなるに違いありません」

「あの、竜たちって、どこで育てるんですか? サン・ツイードの街には、そんなに広い土地は無いように見えるんスけど」


 ナタリーからの無邪気な問いに、オーナーもまた無邪気に答えた。


「北方に土地を持っていますので、そこで育てています。北は空気も水も気脈も良いですし、何と言っても、スレーンに近いですからな。育てるにせよ、乗るにせよ、やはりスレーンの技術は欠かせませんので」

「へぇ、そうなんスか。じゃあ、そこの像になっている子たちも、そこで飼っているんスか?」

「いいや、この子達は、今は」


 オーナーがニヤリと笑って、ナタリーから俺とリーザロットに視線を移動した。


「この街にいます。郊外の牧場にですが。…………良い乗り手を探しているもので」


 俺はスープの次に出てきた魚のソテーを景気良く頬張りながら、緊張を漲らせた。よし、ここからは本格的に勝負だ。


「あっ! 頂けるならこのパン、もう一個ください。これ、めっちゃ美味しいです!」

「ありがとうございます。焼きたてなんですよ」

「わぁ、やっぱり! 嬉しいなぁ」


 呑気なナタリーと女給の会話を聞き流しつつ、俺は一歩踏み込んだ。


「良い乗り手…………ですか?」

「はい。私の育てる竜は、飛竜ですからな。飛ぶ悦びを知らねば話になりません。悦びを知って、竜も人も完成へ至るのです」

「しかし、乗り手を探すのでしたら、それこそスレーンで探すのが一番なのではないでしょうか? 商会連合よりも遥かに練度の高い操竜士が多くいらっしゃると聞いておりますが」


 リーザロットの問いに、オーナーは俺に負けじとモリモリと魚を喰らいながら応じた。


「いやぁ、近頃はスレーンも型通りの乗り手ばかりです。そりゃあ、腐っても竜王の末裔ですからな。商会連合の掻き集めたいい加減な乗り手には逆立ちしても劣りゃしませんが…………文字通り逆立ちできるんですよ…………それでも私の竜を満足させるには遠く及びません。最高の竜には、最高の乗り手を。それが私の信条なのです」

「最高の乗り手って?」


 ナタリーがパンをごっくんと飲み込み(彼女はいつの間にか、あれほど訝しんでいたスープも魚もペロリと平らげていた)、ちょうど良い質問を投げかけた。

 オーナーはナタリーの純粋極まりない食いっぷりが気に入ったのか、女給に追加のパンと酒を追加で持ってくるよう指示をしてから、言い継いだ。


「お嬢様。「良い乗り手とは何か」。一度、スレーン人にそれを吹っ掛けてご覧なさい。三日三晩煮えたぎる議論に巻き込まれた挙句、たちまち内戦が勃発するでしょう。…………というか、しました。実際に」

「そんなに大変な話なんスか?」

「ええ、ええ、そうですとも。ウン百年と延々竜の世話をし続けていると、細かい話が色々と出てくるものなんですな。ムチの頻度だとか、アブミの深さだとか。もっと大まかに言えば、竜という存在の捉え方ですとか。

 …………まっ、とは言え、私個人の答えは至ってシンプルなもんです。私がスレーンを放逐されるきっかけともなった考えではありますがね」

「と、言いますと?」


 一座の視線を受け、オーナーは質問した俺にゆったりと、どこか勿体ぶるように答えた。


「私はね…………「勇者」さん。結局のところ、竜の乗り手に必要なものは、「強さ」だと思っているんです」

「「強さ」…………ですか」


 俺が繰り返すと、オーナーは深く俯き、続けた。


「ええ、そう、そうです。飛竜は…………いや、この世に存在する、ありとあらゆる命は、究極的には、戦う存在なのです。ただ生存するためにも、愛を貫くためにも、戦う必要がある。であればこそ、「強さ」こそが尊いのだと、私は信じるわけです」


 オーナーは女給に注がせたワインじみた赤い酒を一気に煽ると、一層調子を強くした。


「「強さ」! つまりは、戦闘能力ですな。…………竜の心がわかるだとか、風が読めるだとか、操竜が上手いだとか、そんなことは下らん副次的なことに過ぎず、要は、強ければ良いと思う訳なんです、私は。

 だが今のスレーンの乗り手には、その気概がまるで無い。お行儀が良過ぎる。もちろんサンラインの一般市民と比べれば、多少は魔術や操竜に覚えはあるでしょう。だがそれでも、私の竜の美しさに釣り合う「強さ」には遠く及びません。

 だからこそ私は、持ち得る限りの私財をなげうってスレーン高地を降り、サンラインにまで出張って、猛者を探しているという次第なのです」


 俺は頷き、リーザロットを見やった。

 リーザロットはオーナーを見つつ、俺にもちらりと目をくれた。何だか意外な方向に転がりつつある事態を、彼女も扱いかねているようだった。

 俺は次に運ばれてきた肉料理に舌鼓を打ちつつ、話を継いだ。


「では…………良い乗り手さえあれば、竜を譲るというおつもりなのでしょうか?」


 オーナーは肉を大胆に切り分けると、その肉片を一口で飲み込んだ。


「フム、うむ、うむ。…………まぁ、概ねそうですな。竜は乗り手と共にあって初めて完成する。私の望みは、唯一つ。良い「竜」を見ること。それに尽きますからな。そのためになら、努力は惜しみませんとも。

 良い乗り手…………例えば、教会騎士団の団長・ヤドヴィガ殿、あるいは音に聞こえし蒼姫様の伝説の騎士、タリスカ殿などがお乗りになってくださるのであれば、タダでだってお譲りしたいぐらいですなぁ」


 俺とリーザロットは互いに目を見合わせ、内心で息を飲んだ。単純に高値を吹っ掛けられるよりも、遥かに交渉しにくい。タリスカとか、こんな理由で乗ってくれるんだろうか。

 俺達が密かに困惑する中、ナタリーの能天気な声が広間に響いた。


「あ、すみません! お酒じゃない飲み物も欲しいんですけれど、もらえますか?」


 女給が「はい、只今」と鮮やかなピンク色のあのジュースをいそいそと持ち出してくる。俺はついでにそのジュースを一杯もらって、何とか打開策を捻り出そうと唸った。


 強い人?

 それも、タリスカ並に?

 そんなの、竜を集めるよりもずっと難しいじゃないか!

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