第118話 一時の安息。俺がハジける郷愁に浸ること。

 食後、俺はリーザロットやタリスカと共に、テーブルに置かれたコーラ瓶と対峙していた。

 さて、どうやって蓋を開けようかな?


「オースタンには、こういう形の、これを開ける専用の道具があるんだよ」


 俺が空中に絵を描いて説明すると、リーザロットは感心した様子で言った。


「まぁ、それはとても便利そうな道具ですね。構造も簡単ですし、力の弱い方でも簡単にこの固い蓋を開けられるなんて、すごいわ」

「まぁ、サンラインでは望むべくもないけどね。代わりにスプーンでも使おうかと思ったんだけど…………」


 俺はスプーンを手に取り、ちょっと考えてから止めた。あまりに高級そうなスプーンなので、万が一にも表面を傷付けたら事だ。

 それから俺は、昔映画で見た、テーブルの縁に蓋を引っ掛けて開けるやり方のことを考えた。マフィアの屈強な男がバーカウンターに瓶をぶつけて蓋を開け、颯爽と片手でビールを煽っていたシーンがやけに印象に残っている。ちょっと格好良かったので、一度試してみたいと思っていた…………のだが。


「…………」


 俺は眼前のテーブルに目を落とし、これもあえなく断念した。勢い良く瓶を滑らすには、このテーブルもまた高級過ぎた。こんな上等な木のテーブル、オースタンだったら一体いくらしてしまうのだろう。コーラ如きのために傷付けられていいはずのない、重厚な品格が俺を無言で責め立てていた。


 あとは、かつて親戚の叔父さんが歯でビール瓶を開けているのを見たことがある。だがあんな芸当、俺には到底真似できない。

 やはりスプーンを犠牲にするしかないのかと考えていると、タリスカが声を掛けてきた。


「斬れば良かろう」


 ユラリと鞘から抜かれた白刃に、黒いコーラ瓶が冷たく映り込む。つい俺が納得しかけたところで、リーザロットがタリスカを制した。


「いけません、タリスカ。それでは瓶が壊れてしまうわ。私、その透明な不思議な形の瓶も、色鮮やかな蓋も、できれば綺麗に取っておきたいんです。

 …………そうだ! 温めてみてはいかがでしょうか?」


 リーザロットの提案に、今度は俺が大きく首を振った。


「ダ、ダメだよ! そんなことしたら、爆発しちゃう!」

「爆発するのね!?」


 リーザロットの目が好奇心できらめく。俺は彼女の無邪気な笑みにたじろぎつつ、話を継いだ。


「そう。多分、瓶も中身も粉々になる。だから…………あの、傷ついてもいいスプーンを貸してもらえないかな? 何とかこじ開けてみるからさ…………」


 言っている隙に、タリスカがおもむろに瓶を掴んだ。彼はしばらく蓋に指をかけて感触を確かめていたようだったが、やがてリーザロットの方へ瓶を差し出した。


「…………姫。では、強化術を勇者に見せてはどうか。見立て通りならば、姫の力でも十分に開く」


 リーザロットは大きな瞳を愛らしく瞬かせ、それからわずかに眉をひそめた。


「また、修行ですか?」

「見せるだけで構わぬ」

「それなら良いのですが…………」


 リーザロットは俺を見やり、口元に可憐な指を添えた。


「コウ君、「強化術」ってご存知ですか?」

「いや、まだ聞いたこと無いけど」

「魔術で身体の力を強める術のことなの。サンラインの子供は皆、学校で習うわ」


 リーザロットは半目になって、そっと両手のひらに息を吹きかけた。ほんのりと甘い、花の蜜の魔力が俺にも伝わってくる。彼女はコーラ瓶を胸の前で握り締め、俺を見つめた。


「私は、学校に通ったことが無いので、普通はどんな風に教わるのかわかりません。ですが私なりの理解をまとめると、これは自然物への呼びかけの一種だと思っています。森や、山、空、大地、海。そういったもの達への働きかけと同じようなものであると」

「え? タカシへの呼びかけじゃないの?」

「同じことなのです。この世界の全ては裁きの主の恵みであり、魔海の枝葉。根から見るか、枝から見るかの表現の違いでしかありません。実践に当たって、どちらの方がイメージを作りやすいかは、人に寄るかと思いますけれど」


 俺は何となくタリスカを振り返る。彼は腕を組み、俺の考えを汲んだかのようなことを話した。


「無論、そのような魔術に頼らずとも肉体は研がれ得る。一心の修練がもたらす境地なれど、不可能ではない」


 リーザロットは小さく肩をすくめ、タリスカと俺を見比べて言った。


「ええ。確かに彼の言う通り…………というより、まさに彼のように、自ずから肉体のくびきを解くことは可能でしょう。ただ…………」

「姫。私は未だそのような境地に達しておらぬ」

「もう、茶々を入れないでください。…………いずれにせよ、彼はとても特殊な一例です。一般には、強化術を習得した上で、身体と魔海との理解を徐々に深めていくものなのです。

 肉体が本来持つ力は、普段はあらゆる理由で制限されています。個人的な思い込みを始めとして、ある種の呪いや、気脈の条件によっても大きく力の抑制具合は変わってきます。強化術は、そうした括りをある程度まで無効化する技と言って良いでしょう。

 …………例えば、このように」


 リーザロットが瓶の蓋の縁に親指をかけ、力を込める。まさかと思った瞬間、彼女はいとも簡単に蓋を宙へ弾き飛ばした。

 蜜なんて上品なものとはかけ離れた、コーラ独特のフルーティでダイレクトな香りが俺の脳をシュワっと刺激する。プツプツと沸き起こる小さく元気な泡に、俺は喉を鳴らした。


「す、すごいね…………。それ本当に皆できるの? ってか、なんで初めからやらなかったの?」


 リーザロットはまじまじと興味深そうにコーラを見つめながら、事もなげに答えた。


「だって、つまらないわ。コウ君の色んなアイデアや表情が見たかったんですもの」

「ううん…………。そう言われると、何ともだけど…………」


 俺はコーラをキュッと抱き締めるリーザロットの上目遣いに押され、閉口した。全くこの子は、もう。

 リーザロットは両手を添えてコーラを俺に差し出し、爽やかに笑った。


「それより、さぁ、召し上がってください! 色は変わっているけれど、とても良い香りがします。おいしそう…………なのかしら?」


 俺がコーラを受け取ろうとすると、横から大きな手がヒョイと瓶を奪い去った。


「あっ、タリスカ!?」

 

 叫んだ時にすでに、彼は景気良くコーラを煽っていた。

 彼は半分ほど一気に飲んでから、瓶を俺に突き戻した。


「…………毒は無い」

「無いって言ったじゃん…………」

 

 俺が唖然として抗議すると、タリスカは厳粛な口調で答えた。


「油断するな、勇者。戦場に身を置くものなれば、見慣れし物にこそ警戒せよ。甘きものは、往々にして罠となる故」

「はぁ」


 俺は釈然としないまま、残りのコーラを受け取った。開け方もわからなかったような代物に毒も何も無い気がしてならなかったが、最早何と訴えていいやら。

 リーザロットを見やると、彼女は小さく肩をすくめてタリスカに文句を言っていた。


「気遣ってくれてありがとう。でも、いきなり飲んだらビックリします。…………それで、おいしかったですか?」

「姫も、反省せよ。勇者をいたずらに危険に晒すべきではない」

「…………。わかりました。…………それで、おいしかったですか?」

「勇者に聞くが良い」


 二人の視線が同時にこちらへ注がれる。俺は堪らなくなって、ぐっと大きく瓶を煽った。

 たちまち、喉に、腹に、懐かしいフレーバーが沁み入る。あり得ないような濃度の糖分と微かな炭酸が否応無しに快感を連鎖させた。俺はあっという間にコーラを飲み干すと、思わず涙を零した。


「まぁ…………そんなに?」


 ニコニコと尋ねてくるリーザロットに、俺はこくこくと無言で頷いた。


「ごめん…………。つい、全部飲んじゃった。おいしいはおいしいんだけど、それより、何だか滅茶苦茶懐かしくて、とにかく甘くて、我慢が…………」

「いいのよ。良ければもう1本、開けましょうか?」

「君も飲むなら、ぜひ」

「じゃあ、待っていてね」


 リーザロットが箱からもう1本瓶を取り出し、今度は適切な力加減で蓋を弾く。彼女は赤い王冠を大切そうに手のひらに乗せ、嬉しそうにタリスカに見せびらかしていた。

 俺は空っぽの瓶を手で弄び、いじましい残り香と、それが運ぶ郷愁とに酔いしれた。帰りたいと、こんなにまで自分が考えていただなんて知らなかった。思いもよらなかった。

 リーザロットはコーラを存分に味わった後、こう話した。


「サンラインには無い不思議な味です。色は、正直、ちょっと怖いのですが、でも飲んでみると意外に爽やかで、かえって面白いと思うわ。何より…………こんなに甘いとなると、砂糖の代わりとしてかなりの高値で取引できるかもしれません…………」


 なるほど、砂糖ね。

 俺はリーザロットから譲られた残りのコーラを味わいながら、頭に書き留めた。

 ちなみにタリスカは、リーザロットの再三の熱心な勧めにも関わらず、二度とは瓶に手を付けようとしなかった。


「どこか依存的な香を感ずる」


 というのがその理由だったが、非常に優れた勘である。俺はもうダメかもしれない。というか、これ以上目の前に置いておいたら、確実にダメだった。



 そんなわけで俺は、早々に部屋へ帰らせてもらうことにした。

 嬉しいことに、今晩はリーザロットが送ってくれた。


「少し、明日のお話をしましょう。明日は、霊ノ宮へロドリゴ宮司様をお尋ねしますから、お洋服は…………」


 俺は心地良い疲労感の中で、彼女の話に耳を傾けていた。


 霊ノ宮か。一体何が待っているのだろうな…………。

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