選ばれし竜の乗り手
第119話 サンラインの墓所「霊ノ宮」。俺がさっそく失態を演じること。
俺は馬車の窓から身を乗り出し、正面に見えてきた茶色いかまくら型の建物に目を留めた。
「あの建物、妙な形をしているね」
リーザロットは俺の隣で同じように景色を眺めつつ、話を受けた。
「あれは霊ノ宮の社務所です。古の祠を真似て、土塊を何個も積み上げて、ああした形に作るのだそうです。元々は雪で作っていたそうなのですが…………現在のサン・ツイードには、そんなにたくさんの雪は降りませんから」
「ってことは、昔はここにも雪が降っていたの?」
「ええ。大昔の奉告には、そうした記録がちらほら見られます。今は真冬に粉雪が舞う程度ですけど」
「へぇ。何で降らなくなっちゃったんだろうね? 温暖化ってわけでもないだろうに」
「…………精霊が去ったからでしょう。残念なことです。一面の雪景色って、ぜひこの目で見てみたいのに…………」
リーザロットが外の景色に目を細める。昨日の雨が嘘のような快晴であるにも関わらず、彼女の瞳は、それこそ真冬の雪の海でも眺めているかのようにしっとりと潤んでいた。あるいは、彼女ならば本当に雪景色を見ているのかもしれないが。
リーザロットの豊かな髪(今日はポニーテールに結っている)がサラサラと風に流れ、白々としたうなじが露わになる。今も薄っすらと首筋に残る呪いの傷跡をじっと眺めていると、ふと彼女がこちらを振り向いた。
さっきまでとは一転して、雨上がりの空のような笑顔だった。
「コウ君とこうしてお出掛けできるなんて、夢みたいです」
「えっ? それは、どういう…………」
「ね、もう中に戻りましょう? こうして二人で寄りかかっていると、ちょっと危ないもの」
「あ、ああ。そうだね」
俺は彼女に誘われ、おとなしく席に戻った。リーザロットは俺の向かいで、白とオレンジの花をあしらった髪飾りのずれを、はにかみながら直している。奉告祭の時とは違って、今日はとても溌剌とした雰囲気だった。軽やかな袖の無いドレスに、手触りの良さそうな薄いショールを羽織っている。
何だか、こうして向き合っていると変に緊張してしまった。そんなに珍しいことでもないのに、何でかソワソワする。
「夢みたい」って、すごく嬉しいって意味だろうか? それとも信じられないってだけのことか? ううん…………。
そんなことを考えているうちに、馬車はたちまち霊ノ宮に辿り着いてしまった。
馬車が止まるなり、リーザロットは真っ先に飛び降りて、やけに芝居がかった所作で俺に手を差し伸べてきた。
「お手を、勇者様」
彼女の行動に面食らいながらも、俺はその麗しい手を取って降りた。
「ありがとう。でも、あの、それは本来俺がやるべきことじゃ…………?」
「一度やってみたかったんです。でも、精鋭隊のみんなは隙が無くて」
「で、俺に目を付けたと」
「これ、案外気分が良いわ」
「じゃあ、次は俺にやらせてほしいな。…………俺も初めてで、要領はよくわからないけど」
「わかりました。でも、その次は早いもの勝ちにしましょうね」
リーザロットの笑顔につられて俺も微笑む。だが、そんな折にも彼女の首筋には嫌でも目がいった。
もう二度と消えないかもしれない、呪いの痣。浅はかな俺のつけた傷である。俺はチクリと跳ね返ってくる痛みに堪え、尋ねた。
「ところで、霊ノ宮って結局、何をする場所なんだっけ? 昨晩の説明がちょっと複雑過ぎて、混乱しちゃって」
「無理もありません。コウ君はとてもお疲れでしたから。…………ここは、お葬式をする所というのが一番わかりやすいでしょう。主の御許の魔海へと還った霊を悼み、安らかな眠りを守るための場所です」
「お墓かぁ」
「ええ。慰霊祭の時には、たくさんの人が集まります。街の出店で食べ物やお酒を買って、ここへお参りに来るんです。ちょっとしたピクニックのような感じかしら」
「そうだったんだ。じゃあ、お墓って言っても、あんまり暗い感じじゃないのかな」
「故人を想って寛ぐにはぴったりの丘ですよ。大宮司のロドリゴ様も大変思慮深い方で、いつも穏やかな気分で過ごせます」
俺は奉告祭で出会った、陰鬱な男の顔を思い浮かべた。
およそ「寛ぎ」や「穏やか」なんて言葉とはかけ離れた容貌だったが、事実彼はあの時、呪術で俺達を助けてくれた。リーザロットも今回、いの一番に彼の名を挙げていたし、きっと見かけによらない人物なのだろう。
それから程なくして社務所からその当人…………奉告祭の時と寸分変わらぬ、じっとりと真面目くさった顔つき、身なりを整えたロドリゴ宮司が歩いてきた。
彼はいそいそと足を運んで俺達の前まで来ると、恭しく挨拶をした。
「おはようございます。蒼姫様、勇者様。今朝はようこそお越しくださいました。何かわたくしに御用とのことで」
「おはようございます、宮司様。お忙しいところお時間を作って頂き、ありがとうございます。実は、私の方で少し困ったことになっていまして。ご協力して頂ける方を探しているんです」
「では、詳しいことは社務所の方で伺いましょう。…………ちょうど、わたくしの郷里から姫様のお好きな茶葉が届いたところでしてね。ぜひご馳走したく思っていたのです」
「まぁ、嬉しいわ。でも、その…………何だかいつも、狙ったようなタイミングで訪問してしまい、ちょっと申し訳ありませんね」
「いいえ。お気になさらず。偶々のことでございますから…………」
宮司が口の端を不器用に歪ませる。もしかして微笑しているつもりなのだろうか。彼は歩き出しながら、俺にも同じ笑顔を向けた。
「勇者様。先日は大変お世話になりました。貴方様がいらっしゃらなければ、サンラインは一体どうなっていたことでしょう。…………その後、お身体に変わりはありませんか?」
「ああ、はい。多分、今はもう大丈夫だと思います」
「それは何よりでございます」
宮司はスイと俺から目を離すと、じっくりとリーザロットを見やった。リーザロットは向けられた視線を察し、ちょっと困ったような、恥じらった笑みを浮かべる。宮司は微かに唇を歪め、血色の悪い頬を少し赤らめた。
俺は得も言われぬ居たたまれなさに口を噤み、社務所の中の、宮司の私室へとズルズルと招かれていった。
宮司が言っていた例のお茶が出される間、彼はもう何を憚ることも無くリーザロットだけを見つめていた。瞬きすらもしない、そのあまりの熱心さに、俺はもうどういう顔をしていいのかわからなかった。
どうやら彼にとって、俺は最早お邪魔虫ですらないらしい。あたかも空気中の塵の如く、俺は彼の視界の中で浮遊していた。
宮司は死体じみた顔色を、やや健康的な土気色に染めながら話を始めた。
「それで…………お話とは?」
「はい。単刀直入に申しまして、私達に竜を譲っていただきたいのです」
必死なリーザロットの訴えに、宮司はどこかわざとらしい驚き顔を見せた。
「竜を…………? それはまた珍しいご相談ですな。差し支えなければ、理由をお聞かせ願えますか?」
リーザロットは肩を縮こめ、答えた。
「ロドリゴ様はすでにご承知のことかと思いますが、私はこの度のジューダムとの戦に反対しております。ですので、事態がこれ以上悪化する前に、一刻も早くテッサロスタへ向かい、和平のきっかけを掴みたいのです」
「ほう、なるほど」
「しかし、私に動かせる財産では、とても今の商会から竜を買うことができません。そこで、個人的に竜を譲っていただける方を探して訪ねています。…………もちろん、相応のお礼はさせていただくつもりです」
リーザロットがチラと俺を見やる。俺は応じて頷き、言葉を継いだ。
「その…………俺の故郷であるオースタンにまつわる貴重品を、いくつか用意しています。物以外にも、オースタンに関する地理や情勢、技術上のことなんかもお話できます」
「ほう、オースタンの…………」
宮司が聞こえるか聞こえないかの声で呟く。俺は彼の深緑の瞳が妖しく光るのを見逃さなかったが、あえて今は深く追及しなかった。いきなり押し過ぎても引かれてしまう。ここは徐々に、着実に距離を詰めていこう。
「色々と、柔軟に対応させてもらえたらと思っています。ちょっとでも興味のあることを話していただければ、きっと力になれるでしょう。
例えば、こんな物が欲しいとか、こんなことはできるかとか。何でも遠慮なく俺に聞いてください。大抵のことは叶えられるはずです」
ううん、ちょっと話がうますぎて、詐欺師っぽいか? いやでも、ここで弱気を見せたらそれこそ怪しくなる。俺は精一杯真摯な笑顔を繕い、続けた。
「オースタンの物って、どれもとても面白いんですよ。興味を持って頂ける物がきっとあります。
今日も、館にあるものだけですが、色々と見繕って持ってきたんです。よろしければ、参考に見ていかれませんか? …………ねぇ、リズ?」
俺は隣のリーザロットにそう呼びかけて、最後の最後にとんでもないヘマをしでかしたことに気付いた。
リーザロットは目をぱちくりとさせて
「どうしたの?」
と、無邪気な表情で首を傾げていたが、一方の俺は青ざめて、弱々しく取り繕うしかなかった。
「じゃ、なくて…………あ、蒼姫様」
だが時すでに遅く、宮司は世にも禍々しい悪霊のような顔で俺を睨んでいた。俺は明らかに、彼の刺激してはならない部分を刺激してしまっていた。
…………ヤバイ。このままではマジで呪われる。祈りとか祝福とかじゃなくて、もっとストレートに呪われる。
小刻みに震え出す俺に、宮司はあくまでも丁寧に、厳かに言った。
「事情は承知いたしました、勇者様、蒼姫様。なかなか興味深いお話でございました。
…………そうですね。よろしければ、勇者様とぜひお話させていただきたく存じます。蒼姫様には誠に申し訳ないのですが、しばらく二人きりで語らいたく…………」
もうダメだ。末代まで祟られる。(俺の次があるかは知らないが)
当のリーザロットは場違いに明るい笑顔で、両手をふっくらとした胸の前で合わせた。
「わかりました。では、私のことは気にせず、存分にお話しなさってきてください。
興味を持って頂けて、安心しました。これでお二人が仲良くなられたなら、私はもっと嬉しいです」
寝惚けたことを言ってくれる姫様だ。
人の心が読めるんだか、読めないんだか、…………読まないんだか、マジでわからない。
「フフ…………。それでは、勇者様。どうぞ書斎の方へお越しください」
俺は透明な手綱で引かれるように、すごすごと隣室へと移動させられた。
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