第106話 迫る戦禍。俺が竈の使い方を教わること。

 今度は俺が淹れてくると無理を言って、俺は席を立った。今のフレイアには少し一人で落ち着く時間が必要だろう。どんなに強くても、やっぱり彼女にはあの木彫りの人形のように繊細な部分があるのだ。


 が、俺は台所に入って早速立ち往生してしまった。

 どうやってお湯を沸かすのかわからなかったのだ。

 かまどとポットらしき陶器はあるが、そもそも俺はこの世界における火の起こし方を知らない。火打石? 馬鹿な。現代オースタン人のうち、果たして何パーセントがそんなものを使いこなせるというのか。


 そういや、前にタカシがステーキを焼いていたが、あの時は一体どうやって火力を制御していたのだろう? タカシそのものの衝撃に圧倒されて、完全に失念していた。

 大体、フレイアがお茶を淹れてきてくれた時だってよく考えたらおかしい。オースタンならまだしも、なぜあんな短時間でお湯が沸かせたのか。


 よく探せば、異世界から輸入してきたマッチが存在したりするのか。それとも、この世界には普通にマッチがあるのか。あるいは、リーザロットが使っていたような魔法のポットが、ここにもあるのか。

 どれも見つけられずに途方に暮れて突っ立っていると、見兼ねてフレイアが寄ってきた。


「あの…………コウ様? どうかいたしましたか?」


 俺は肩を落とし、素直に白状した。


「ごめん。俺には無理だった。火って、いつもどうやってけてるの?」


 フレイアは円らな目を一度ぱちりと瞬かせると、指先にスッと火蛇を呼び出した。彼女はそのまま炉の前に屈み、中へ火蛇を滑り込ませ、あっという間に炎を盛らせた。

 フレイアは呆然と見ている俺を振り返って言った。


「普通は、ここの上にある魔法陣を使って着火します。ですが、私には火蛇がおりますので」


 フレイアが竈に彫られた魔法陣を指差し、呼び戻した火蛇と仲睦まじく頬を寄せ合う。俺はたちまちクツクツと湧き出したポットのお湯を眺めながら、ふと、トレンデで彼女が池ごと沸騰させていたことを思い出した。



 あっさりと雑にお茶を淹れ、俺とフレイアは連れ立ってソファに戻った。結局何の役にも立たなかったなと、今度は俺が落ち込む番だった。


「コウ様、どうかお気になさらないでください。竈の使い方は、サンラインでは子供の頃にご両親から教わって覚えるものです。それに、ここの竈は大層古いですから、魔法陣の位置も形も分かりづらくなっておりますし…………」


 フレイアの慰めは時々ズレている。

 俺は彼女が「最近開発された、魔力のごく弱い者でも簡単に扱える竈」の話を始めようとするのをそれとなく遮り、話題を振った。


「そうだ、フレイア。実は、俺も聞きたいことがあってさ」

「はい」


 落ち着いた返事を受け、俺は話を続けた。


「いや、別に大したことではないんだけど。…………いや、大したことではあるんだけど。あくまでも雑談程度に君に意見が聞きたくて。

 その、この国とジューダム…………奉告祭を狙ってきた国との戦争は、これからどうなるのかな、ってことについてなんだけど」


 フレイアは俺の問いかけに、一転して「わかりました」と凛々しく頷くと、いかにも分別のある、穏やかな口調で話し始めた。


「そうですね…………。総じて、状況は芳しくありません。

 今日の襲撃は、明日には広く知られるところとなるでしょう。とりわけ、東方区領主様が敵方と通じていた件、そしてそれを事前に察知できなかった諸々の状況…………東方区領主様の館がございますテッサロスタの現況が、大きく取り沙汰されるかと思われます」


 彼女は難しい顔で、さらに言い継いでいった。


「こうなれば、世論は到底、蒼姫様が望むような「和平」といった雰囲気ではなくなります。むしろ、本格的な衝突が間近に迫っている…………。誰もが、そう取るのではないでしょうか」

「マジか…………」

「そして、これはまさにヴェルグ様やお姉様…………いえ、失礼いたしました。紅姫様のお望みになるところでもあります。賢人会にいらしていた商会連合のオニール様も、傭兵団の大半を失った不名誉をそそぐべく、強く開戦を後押しなさるでしょうし…………。加えて申し上げれば、「太母の護手」の件…………」


 眉間を険しくするフレイアに、俺は身を乗り出した。


「それ、イリスが言っていたやつだよね」

「はい。「太母の護手」は、近年とみに活発化している異教徒の団体です。セレヌ川の河口に広がる三角州・エズワース地区を中心に、近頃はサモワールのあるロレーム地区にも信徒を増やしています。

 彼らは、「母なるもの」…………もしくは、「裁きの主」と対置して、「赦しの主」と呼ばれる存在を信仰しています。その教義については、私はあまり詳しくないのですが、幾度か彼らの関与した事件の収拾に赴いた経験から申し上げますと…………」


 フレイアは言葉を探し、話を繋げた。


「「太母の護手」たちは皆、あの東方区領主様と同様に、魂の消滅を一切恐れていないように見えます。彼らは身の丈に余る術を躊躇なく行使し、強大な魔物をいとも容易く呼び寄せます。

 …………もちろん、彼らなりの正義があるのでしょう。信徒の多くが異邦人や亜人であることもあり、教会の倫理では簡単にはまとめられませんが、それが彼らにとって揺るぎない信念ゆえの行動であるのは確かです。

 ですが…………彼らのために、街に見過ごせない混乱がもたらされているのも事実です。彼らの術によって、これまでにも多くの無関係の市民が亡くなっています。昨年の戦いでも、騎士団の介入が遅れたばかりに、ヒイロ地区の自警団の団長さんが亡くなられました。

 私達「白い雨」は、「裁きの主」の信徒としてではなく、市民の生活を守る戦力として、彼らと対立しています。自警団の方だけでは、彼らの強力な魔術・呪術に対抗しきれないのです。

 …………その「太母の護手」がこの戦争に噛んでいる。しかも、明らかにジューダムに加担しているとなどと知れたなら、もうどう足掻いても、サンラインとジューダムの正面衝突は避けられません。事が事だけに、こちらの件についてはさすがに情報規制がかかるとは思いますが…………」

「なるほど…………」


 俺は溜息を吐き、俯いた。

 思った通り、事はとんでもない感じに転がっていきそうだ。

 フレイアはちょっとばかり落としていた顔を上げると、悲しそうに言った。


「本来であれば、このような一騎士の立ち入った見解などコウ様のお耳に入れるべきことでございませんでした。ですが…………貴方にとって、そして蒼姫様にとって重要なことかと思いましたので、思い切ってお話をさせていただきました。どうかご無礼をお許しください」

「いや、ありがとう。俺が聞いたんだし、むしろ、もっと詳しく聞かせてほしいぐらいだよ」


 俺は紅茶をすすり、頭を捻った。

 何だかもう、俺にどうこうできる段階を遥かに超えてきている気がした。そもそも最初からだいぶ蚊帳の外だったってのに、いよいよ本格的に口が出せなくなってきたような。

 きちんと扉の力を使うためには、何かハッキリと立場を決めておきたいのだけれど。

 さて、どうしたものか…………。


 フレイアは思い悩む俺を不安げに見守りつつ、何も言わずに追加のお茶を注いだ。俺はお礼を言ってから、また尋ねた。


「ありがとう。…………もし戦いが起こるとしたら、やっぱりこの街も戦場になるのかな?」

「すぐにというわけではないでしょうが、すでに紡ノ宮まで手が及んでいる以上、その可能性は高いでしょう」

「そうか…………」


 俺は慰霊祭の時に見た市場の活気や、クラウスに連れて行ってもらった酒場の賑わい、女の子の笑顔、馬車の窓から見たのどかな風景を思い出して、気分を曇らせた。

 ああいう当たり前の景色が、サモワールで見たような悲鳴と絶望に飲まれるのは見たくない。壊れた街を見て泣き崩れるナタリーの顔なんて、思うだけで胸が潰れる。


 だが、放っておけば近いうちに必ず、俺は戦禍の真っ只中に立つだろう。いつものように、無我夢中で「扉」を開いて、知らず知らずのうちに死体を積み上げる。ともすれば、俺も屍の一つになる。

 フレイアは自分のカップの中にもお茶を注ぎながら、静かに話を紡いだ。


「しかし…………まだ、回避する手立てはあります」

「え?」


 顔を上げる俺に、フレイアは凛と告げた。


「サンラインの魔具供給の拠点であり、ジューダム側の魔術・呪術の中継地点となっている街…………テッサロスタの奪還が叶えば、被害はこの街、サン・ツイードにまでは及ばないでしょう」


 フレイアは深紅の眼差しをほの暗く揺らし、俺を見据えていた。

 彼女は淡々と、だが確かな力を込めて話した。


「ただ…………これは容易なことではありません。テッサロスタはここより遥か東方、「古い世界の裂け目」を越えた先にあります。余程良い竜を飛ばしても、4日はくだらない距離です。作戦に十分な数の戦力を整えるには、相応な時間と手間、資金がかかるでしょう。戦争の指揮を執っておられるヴェルグ様が、テッサロスタにそれだけの価値を置かれるかどうか…………」


 フレイアは悩ましげに自分の胸に手を当て、目を瞑った。


「すみません。自分から始めましたのに、ご安心いただけるようなお話ができず…………。いずれ、蒼姫様か琥珀様から、きちんとした今後の方針が示されるかと存じます。フレイアの最後の言葉は、戯言とお聞き流しください」

「…………」


 俺は示された希望と、その儚さに、何も言えなくなった。

 せいぜい、なるべく被害を出さないように戦うしかないということだろうか。俺にできることは結局今までと変わらず、その場しのぎでの可能性を探すだけなのか。


 俺はティーカップの中に映る頼りなげな男の顔を見つめて、再度長い溜息を吐いた。

 ああ。こんなんじゃ、「勇者」なんて夢のまた夢だ。オースタンで暮らしていた頃なら、「水無瀬孝」が世界に対して何も出来なくったって、ちっとも気にならなかったっていうのに。

 フレイアは憐れむように目を細めた。


「コウ様。サンラインでは、病は霊体からと申します。あまり思い詰められますと、お身体に障ります。

どうかお気を楽になさってください。街は、騎士団が主に誓って、守り抜きますから」

「…………」


 俺はお茶を飲み、天井の隅に溜まるひっそりとした暗がりを仰いだ。

 やっぱり、俺なんかにできることはないのかな…………。



 それから、もう少しだけ雑談を交わして(サンラインにいる動物の話とか、魔力の弱い人でも使いやすい竈の話とか)、お茶会はお開きになった。

 俺は遠慮するフレイアを無理矢理納得させて一緒に食器を片付け、控えの間から出た。


「じゃあ、今日はありがとうね」


 俺は間違い探しのホールで、フレイアと向き合った。未だに気は晴れなかったが、結果的には一人で先を思い悩むよりかはずっと良かったように思う。

 俺はしんみりとした佇まいのフレイアに、話を続けた。


「君のおかげで、気持ちが落ち着いたよ。館の警備のことも、無理を言ってごめんね。本当に感謝しているよ」

「いいえ、そんな。こちらこそ、お疲れのところに長いお話を聞いていただいて…………。コウ様のお心に、甘えてばかりで申し訳ありません」


 何となく顔が火照った感じがして俺は俯いた。見ればフレイアもちょっと頬を染めている。今更になって、こんな風にお礼を言い合うのはよそよそしい反面、二人だけで過ごしたんだなと改めて思い返すと、距離が近過ぎる気がして恥ずかしくなった。

 俺は頬を掻いて、最後にこぼした。


「その…………今日は…………気の毒、だったね」


 フレイアが首を傾げて俺を見上げる。

 俺は声を低めた。


「その、クラウスの、こと。俺、知り合ったばっかりだったけど、とてもショックだった。明るくて良いヤツで…………結局、世話になりっぱなしで終わってしまった」


 フレイアは俺の言葉を聞いてしばらく黙っていたが、やがて目を丸くし、「は」という形に唇を開いた。そのあっけらかんとした円らな瞳は、故人を悼むにはあまりに呆けていた。

 彼女は急に眉間に皺をよせ、切迫した調子で言った。


「…………コウ様」

「へ?」

「ひどいです」

「えっ? な、何が?」

「あんまりです」

「へ?」


 フレイアは俺の顔を真っ向から睨んで、一気に言葉を繋げた。


「クラウス様はご存命です! 今、タカシ様とご一緒に病院で治療を受けておられます。…………重傷ですが、亡くなられてはおりません、まだ!」

「ええぇっっ!?」


 驚く俺に、フレイアは泣きそうな声で畳みかけた。


「勝手に殺さないであげてください…………。確かに、女性にはだらしない所もおありですが、性根は誠実なお方のはずです」

「あ…………そう…………」


 ひどい言われ様だなと思いつつ、俺は笑みが湧き起こってくるのを抑えられなかった。起こった悲劇の全てが救われたわけじゃないが、彼がまだ生きているというのは、滅茶苦茶嬉しい報せだった。


「ハ、ハハ…………そっか。…………ごめん、俺、てっきり」

「コウ様が呪われ竜に掛かった呪いを解除し、攻撃の直前にお声をかけてくださったおかげで、一命を取り留められたそうです!」

「そっか…………そうだったんだ…………」


 俺は涙が溢れそうになるのを堪え、「ごめん」ともう一度フレイアに謝った。フレイアは左右に首をふると、ちょっと笑顔になって、今度は柔らかな調子で言った。


「コウ様。貴方のおかげでどれだけ私達が救われているのか、ご存じないでしょう? …………きっと、貴方が思っていらっしゃるよりも、ずっとずっとたくさんなんですよ」


 俺はそれとなく「目が痒いんだ」と言って涙を拭った。


 …………良かった。

 本当に、良かった…………。

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