第105話 フレイアのお茶と繊細な木彫り人形。俺が隠し扉を見つけること。

 それから俺は、シャツに簡素な皮の胸当てを装備しただけのフレイアと一緒に控えの間へ行った。

 控えの間への扉は、あの間違い探しの間の絵画の後ろに巧妙に隠されていた。そうだと知ってみれば、自分の部屋の気配とは別の扉の気配を確かに感じる。視覚的にも魔力的にも、あまりにさりげなく仕込まれているので、今まで気付かなかった。

 フレイアは手慣れた様子で壁に仕掛けられた魔法陣をなぞりながら、俺に言った。


「館のどこへでもすぐに駆けつけられるよう、あらゆる場所に入り口が繋がっているんです。元々は館の主の部屋だったと言われている部屋なのですが…………蒼姫様が使われないので、今は精鋭隊の待機室として使用させて頂いております」

「ふぅん。どうしてリズ…………いや、蒼姫様は使わないんだろう?」

「窓が無いので息が詰まると仰っておりました」

「はぁ。窓なんか指先一つで開けられそうなのに。ってか、そもそも窓なんかあったら、かえって危ないような気がするけどなぁ」

「本物の窓でなければ嫌だと、こだわりを持っておられるようです。蒼姫様は滅多に館から出られませんから、きっと余計に閉塞感をお感じになるのでしょう。…………お待たせいたしました。どうぞ」


 俺は開いた扉から、先に中へ通してもらった。

 中には案外広くて快適そうな部屋が広がっていた。ソファや暖炉だけでなく、なぜかロフトまであって、上にはベッドまで設えられていた。

 所々にクラシックな雰囲気の調度が並んでいて、彼らの宿舎よりも数段「精鋭」らしい高級感に包まれている。


「結構、居心地良さそうだね」


 俺が振り返って伝えると、フレイアは少し肩をすくめた。


「私達が使いやすいようにと、蒼姫様がいつの間にか内装を整えてくださったんです。梯子の上の寝る場所も、元々は無かったのですが…………。最初こそ驚きましたけれど、今ではとても使い良いです」

「へぇ…………」


 俺は初めてリズに紹介された自室のことを思い、密かに当時の隊員たちの戸惑いを慮った。フレイアの表情からは、そこはかとなく俺が受けた衝撃と似たものが察せる。

 リズも、決して暇なわけではないのだろうけれど、日々にどうしようもない窮屈さを感じているのは確かなようだ。

 もっと思い返せば、トレンデで出会った彼女の霊体も弱気なことをこぼしていた。


 ――――わからない。気が付いたらここにいたの。

 ――――私は、その気になれば、どこにでも行けるから…………

 ――――でももう、どこにも行きたくない。どこにもいたくないの。


 あのリズは、彼女が魔海に潜る際にこぼしていった霊体の断片に過ぎないらしいが、俺には彼女の言葉をそのまま信じる気にはなれなかった。

 思うに、トレンデにいた彼女は紛れもない彼女の一部で、(そんなことが可能かはわからないものの)意図的に離れた場所に隔離されていただけなのではないか。

 どうしてそんなことをする必要があるのかと聞かれれば、今となってはわかり過ぎる程わかるわけで。


 ともあれフレイアは俺にソファへ座るよう促すと、自分はトコトコと奥の台所の方へと向かっていった。


「今、お茶を淹れますね」

「ありがとう」


 答えながら俺は何となくこそばゆく、柔らかいソファに深く腰掛けて、ぼんやりと部屋を眺めていた。

 暖炉の上には隊員の誰かの趣味なのか、小さな木彫りの人形がたくさん置いてあった。どれも何かの動物をかたどったもので、繊細ながらも、生き生きとした躍動感のある出来栄えだった。中には簡単に色がついているものもあったが、そうなると一層、動物の息づく雰囲気が伝わってくる。

 俺はティーカップを持って戻ってきたフレイアに、人形への感想を告げた。


「素敵だね」

「へっ!?」

「あの、人形たち」


 フレイアはお茶を持つ手を一瞬だけ崩しかけたが、あやうく取り直してテーブルの上に置いた。彼女は暖炉の上を見て「ああ」と安堵したように呟くと、胸元に手を置いて照れ笑いを浮かべた。


「そう言って頂けると光栄です。あの子達は、私が揃えたんです」

「そうだったんだ。どこかのお土産とか?」

「いえ…………恥ずかしながら、自分で彫りました。旅先で、丁度良い木を見つけた時に、少しずつ」

「えっ、本当?」


 俺はもう一度人形に目をやり、まじまじとその造りを眺めた。巧緻極まる細工ではないが、十分に売り物と呼べるレベルである。俺はフレイアに頼んで、近くへ寄って手に取らせてもらった。違うアングルから見てみれば、確かにフレイアらしい純朴な印象を受けなくもない。

 俺は満足いくまで愛でた後、人形を元の位置に戻した。


「フレイア、これ、すごく良いと思うよ! 君にこんな才能があるなんて知らなかったよ。剣も魔術もすごいけれど、こんなに手先が器用でセンスが良いなんてすごいなぁ」

「えっ。そ、そんな…………いずれも大したものでは…………」


 耳まで赤くなったフレイアは俯き、ごにょごにょと言葉を萎ませた。俺は少し追い詰め過ぎたかと反省し、おとなしくソファに戻った。フレイアはその後から、頬を火照らせたまま俺の横に座った。

 彼女は改めて俺を見ると、軽く溜息を吐いてから話し始めた。


「コウ様。お疲れのところ、お越しくださってありがとうございます。ささやかなお構いしかできず申し訳ないのですが、どうかゆっくりしていってくださいね」

「ありがとう。こちらこそ…………この際だから打ち明けると、独りになるのは、寂しかったから。嬉しかった」


 はにかむフレイアの顔を見ながら、俺は紅茶を口に含んだ。実家に常備してあるお茶と大体同じ味がする。というか、慌てて淹れるとどんな茶葉もこんな風味に落ち着いてしまうっていう、ある意味一番飲み慣れた味がした。

 フレイアは自分も一口お茶を飲んでから、ポツリと話しだした。


「コウ様がサンラインにいらっしゃってから、今日で一週間になりますね」


 彼女は紅玉色の瞳を俺に向け、言葉を続けた。


「こちらにはもう慣れましたか?」


 俺はお茶を置き、答えた。


「ううん…………。もう一週間というか、まだ一週間しか経ってないのかって感じではあるんだけど。だいぶ馴染んできた気がするよ。指輪のおかげで、言葉にも不自由しないし、食べ物も口に合うし。魔術ってものの力も、嫌になるぐらい実感したし。…………呪術だって」


 俺は膝の上で手を組み、今日の戦いを思い返しつつ話した。


「本当にまだ頭がイカれてないのが不思議ってくらい味わった。それに何より、自分の力…………「扉」の力が、まだまだ不安は残るんだけど、生き残る術にはなるってわかったし。諦めなければ、何かの可能性にはなれるって思えてきて、どうにかやっていく自信はついてきた」


 加えて言えば、責任の重さも感じるようになってきていた。あの時ああしていれば。あの時ああしていなければ。俺はいつかとんでもない後悔をする気がしてならなかった。クラウスのことだって、俺がもっと早く宮司の呪いを開放していれば助けられたんじゃないか。

 ただ、俺はそこは口を噤んだ。


「もちろん、「扉」の力は降った湧いた力だ。努力して身に着けたものじゃない。何度も色んな人から戒められているように、俺があの力に溺れた時にはきっと、ひどいしっぺ返しを食らうと思う。だからそうならないように、精一杯努力しなきゃいけないんだけど…………」


 俺はそこで、もう一度フレイアの深紅の目を覗き込んだ。


「そのためにはどうしたらいいのか、具体的に何に取り組めばいいのか、全然わかってない。そういう点では、まだ全く馴染めてない…………のかなと、思うよ」


 雑談なのに、ちょっとクソ真面目に答え過ぎただろうか。俺は昔から、夢中になるとちょうどいい温度ってものを見過ごしてしまいがちだ。ニートゆえにと言うべきか、だからニートなのだと言うべきか。

 しかしフレイアは、不器用な俺を馬鹿にすることなく答えてくれた。


「コウ様は、やはり素晴らしいお方ですね」

「え? いや、全然そうじゃない、って話だったんだけど」

「いいえ」


 フレイアは首を振り、じっと俺を見つめて言い継いだ。


「フレイアには、ちゃんとコウ様のお心の気高さがわかります。魔術の技も、剣の技も、精神の鍛練無くしては決して活かされることはございません。コウ様のお心掛けは、この上もなく尊いものでしょう。…………護衛の私も、改めて気が引き締まります」


 俺はもうどう答えていいかわからず、天を仰いでから仕方無しに渋い紅茶に口を付けた。

 何だ、このクソ真面目ちゃんは。

 時々、フレイアは俺の手に負えなくなる。きっと誰の手にも負えないんじゃないか。

 フレイアは期待と何か未知の感情に満ちた瞳を爛々と輝かせ、話し続けた。


「私に何か協力できますことがあれば、ぜひ仰ってくださいね。微力なりとも、尽力させて頂きます。…………ところで、コウ様」

「何だい?」

「実は、ずっと気になっていたのですが」


 彼女は首を傾げ、目をぱちくりと瞬かせた。


「コウ様は、ご結婚なされていますか?」


 予想外の問いに、俺は飲みかけのお茶を噴いた。


「あっ、大丈夫ですか?」


 下がり眉のフレイアがすかさずハンカチを差し出す。俺は袖口で口元を拭いながら、むせつつそれを受け取った。


「いや、平気。ごめん。ちょっと、動揺しちゃって」


 なおも不安げな顔のフレイアにハンカチを返し、俺は冷静を装って話した。


「いや、そんなこと聞かれたの初めてだったから、ついね。今まで、誰も気にすらかけなかったし」

「では、つまり」

「してないよ。ついでに言えば、恋人もいない」


 苦笑する俺に、フレイアは何とも言えない真顔を向けた。憐れみ? 疑い? 安堵? 何だか色々な感情が混ざった複雑な表情である。俺は気恥しくなって、首の後ろを掻いた。


「その…………どうしていきなりそんなことを聞いたの?」

「それは」


 フレイアはふいに目を落とすと、雫が滴るように答えた。


「「勇者」様というのは、大変危険なお役目ですから…………。今更、差し出がましいことかとも思ったのですが」


 それから彼女は、目を閉じてふるふると小さく首を振った。


「あまりこのようなことを申し上げるべきではないのでしょう。ですが、どうしても己の胸の内だけにしまっておくことはできませんでした。

 …………コウ様がサンラインにお越しになってからのわずかな間にも、傷ついた方、亡くなられた方が大勢いらっしゃいました。サモワールで過ごされていた魔術師の方や、市民の方。この度の呪術の起点とされた傭兵の方々。それから、賢人会の方。…………精鋭隊の、隊員も」


 胸の前で手を合わせたフレイアの声はいつになく心細げだった。


「未熟者とお叱りください。ですが、フレイアは…………恐ろしくなってしまったのです。コウ様が危ない目に遭われることはもちろん、コウ様を失って涙を流される方々がいたなら、その悲しみの深さが、計り知れなくて、そう思うとどうしても震えが止まらないのです」


 フレイアが縋るように組んだ手を額に当てる。こうしていると、本当に、ただのか弱い女の子にしか見えなかった。


「こんなことは、初めてなんです。…………自分がいつか死ぬことも、共に戦う仲間が戦いの中で倒れることも、戦に巻き込まれた人々の嘆きも、全て受け入れてきたはずですのに。「裁きの主」が、彼らの魂に恵みを与えてくださるはずですのに。なぜでしょう…………? コウ様のこととなると、途端に落ち着きを失くしてしまうのです。…………いいえ、身体は動きます。むしろ、普段よりも遥かに鋭く動きます。ですのに、心ばかりは」


 俺は寂しげな彼女を見守ることに耐えきれず、言葉を引き取った。


「思うようにならない?」

「はい」

「それで、あんなことを聞いてみたと」

「申し訳ございません。自分でも支離滅裂な自覚があります」

「謝ることはないよ。気持ちもわかる。だけど…………そのう」


 俺は少し考えてから、繋げた。


「気負い過ぎではあるかもね。前にトレンデでも話したと思うけれど、君はもっと君自身のことを大切にした方がいい。俺のことなんか、出来る範囲でやればいいんだ。ましてや、俺の家族や友達の悲しみなんて、君が思い詰める問題じゃ無い。それは俺の問題だ」

「ですが、もしもコウ様が…………」

「それは、その時に考えれば良いんだ」


 俺は納得いかない様子の紅玉色の瞳を見つめて、続けた。


「…………たくさん人が亡くなって、悲しいことばかりだけど、あまり後ろ向きに考えるのは止そう。俺はやれるだけやる。君もやれるだけやる。クラウスたちも、やれるところまでやった。心残りはあるだろうけれど、みんな、一生懸命生きた。生き抜いた。…………あとは、神様…………裁きの主の考えることでいいんじゃないか?」


 フレイアはしばらく静かに俺を見ていたが、やがてションボリと目を落として紅茶を手に取った。彼女はお茶を遠慮がちに一口すすり、言った。


「…………仰っていることは、わかるのですが」

「納得できない?」


 フレイアが子供のように頷く。俺は自分も紅茶を飲んで、続けた。


「じゃあ、今はそれでいい。段々わかるよ、きっと」

「本当にそうでしょうか?」

「うん。君より少し歳取ってるから、それはわかる。世の中、時間をかけなければわからないことがたくさんあるよ」


 フレイアは眉を上げるでもなく、下げるでもなく、無言でお茶を飲んでいた。

 俺はその横顔を見守りつつ、自分で言ったことを改めて噛みしめ、黙った。

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