決着と胎動

第102話 繋がる獣達の扉。俺が白い騎士と共に戦うこと。

 クラウスが黒炎に飲まれた直後、俺の脳裏に男の声が響いた。


(――――――――ミナセ殿!!)


 俺は未だショックから抜け出せず、呼びかけに反応できなかった。声の主は続けざまに怒りを露わにした。


(何をしておられるのか!! 直ちにその場から立ち去られよ!! 貴殿まで炭になるおつもりか!!)


 俺が何も返せずにいるうちに、メドゥーサの頭の一つが俺に焦点を定めた。クラウスは竜の足下で微動だにせず倒れ伏していた。獣人化が解かれ、白銀の鎧が無惨に黒く煤けている。爛れた生気の無い腕が微かに見えた。


(ミナセ殿!!)


 再び怒鳴られて、俺はようやく立ち上がった。竜の咆哮が耳をつんざく。あの不快な魔力が、またぐんと押し寄せてきた。舌が痺れて、焼け付くような苦みが喉に走る。肺が熱い。痛い。


 俺は力を振り絞って走った。呪術の力場にいた時と比べると、気が遠くなるような遅さだった。自分の身体(霊体であるにも関わらず)をこんなに煩わしく、無意味に感じたのは初めてだった。


(――――――――ダメだ、追い付かれる!!!)


 俺が炎に巻かれる覚悟を決めかけた時、俺の傍らから大きな影が飛び出していった。


「ミナセ殿、下がられよ!!」


 さっきまで頭に響いていた男の声が、直接鼓膜に叩き込まれた。

 俺は言われた通り彼の後ろへ転がり込み、身構えた。


 男は獣じみた眼差しを金色に猛らせ、一足飛びに竜へ向かって行った。

 銀色の毛並みが風になびき、勇壮な横顔を厳めしく際立たせる。彼は胸に構えた長剣を踏み込みと同時に大きく突き出し、目の前の竜の喉を貫いた。

 

 別のメドゥーサの頭が振りかかってくる。男は片足を大きく引き、そのまま剣を旋回させると、竜の首を引き裂きながら、猛々しい形相で新たな頭へと斬りかかった。

 鋭利な竜の牙が男の頭に触れる。だがその時、すでに男は相手の首を薙ぎ払っていた。ギラギラと闘争に燃える男の目は獣を通り越して、ほとんど鬼であった。


 俺は咄嗟に、敬称無しで叫んだ。


「グラーゼイ、まだだ!!」


 さらに多数のメドゥーサの頭が迫って来る。あの炎の吐息の気配がする。俺は肝を冷やし、拳に力をこめた。


 グラーゼイは白く鋭い牙を剥きだしにし、唸るように一言、唱えた。竜の頭達が一瞬、金縛りにあったかのように硬直する。グラーゼイはすかさず剣を振り被った。竜達の雄叫びが轟く。膨らんだ喉から、炎が溢れかける。


 グラーゼイの刃は一直線に目の前の竜の喉笛へ振り落とされた。迸る竜の血が、白銀の毛並みに滝となって飛沫しぶく。

 矢継ぎ早に、別の頭達が迫る。

 グラーゼイは怯まず、詠唱と共に踏み込んだ。彼は身体ごと竜達へ叩き付けるように、うんと前へ出た。白い刃の軌跡がギラリと空を走る。


 俺はクラウスから伝えられていた自分の頭上の「扉」に気を集めていた。悩んでいる暇はない。これを開けるしかない!

 乾いた塩味の魔力が舌に触る。確か、大宮司が俺にかけた「呪い」だったはずだが、果たして何が起こるか。


 グラーゼイの渾身の斬撃によって3つの頭が薙ぎ払われた。彼はためらわず、さらに打って出る。重く速い、まさに豪雨の如き剣舞。続々と集結してくるメドゥーサの頭にも、彼は一切引かなかった。


 俺は扉を押し広げるため、さらに拳に力をこめた。予想外に重い。強力な力だ。



 ――――…………手汗が滲んで、爪の喰い込んだ傷にジワリと沁みた。

 砂利を噛んだような感触が口中に広がっていく。

 塩の苦み。

 急に背中に冷たいものが走って、俺は身を固めた。


 奇妙な熱が腹の底から沸々と湧き上がってくる。

 全身が粟立つ。

 血が煮えたぎって、筋肉に沁み通っていく。

 アドレナリンが脳を滅茶苦茶にゆする。


 俺の身体が、急速に硬いエメラルドの鱗で覆われていった。

 視界がぼやけていく。目に薄い膜がかかった。

 手足の骨がバリバリと音を立てる。不思議と痛みは無いが、やたらと背中が疼く。疼く。疼く。

 病院で麻酔をかけられた時のような、振動ばかり伝わってくる不可解な体感が全身を包んでいた。


 見れば俺の手には、黒蛾竜にさえ劣らない鋭い長い爪が生えていた。手足が短く太くなり、力が漲ってくる。狂暴な衝動がガツンと心臓を叩く。

 背中には巨大な、翠色の翼が生えていた。


「――――!?」


 俺は思わず、思い切り身体を捻った。その拍子に翼が大きく広がり、意図せず身体が宙高く舞い上がった。


「――――!?」


 例によって、喋れない。一体何がどうしてこうなったのか。俺はいつの間にか己の内の扉が開かれていることに気付いた。あの呪いを開放した際に、一緒に開け放たれたようだ。やたらに昂るのは、このせいか。


 俺は気を改め、眼下を睨んだ。

 戸惑っている時が惜しい。下ではグラーゼイが、なおもメドゥーサと熾烈な争いを繰り広げていた。すでに十数もの頭が倒されていたが、それでも劣勢は火を見るより明らかだった。

 俺は大きく息を吸い込み、決死の覚悟で急降下した。


 俺は流星のごとく落ちていく。

 強い魔力があちこちから強い熱となって伝わってきた。呪われ竜の魔力はもちろん、賢者たち、精鋭隊の魔力が全身の鱗でひしと感じられる。あまりの魔力の濃さに、鱗が焼けそうだった。


 俺はぐんぐん落ちる。時が鈍化していく。

 鋭隊員たちとはまるで共力場を編んだみたいに近しく、力を通じていた。彼らそれぞれが内に秘めている「扉」が、手に取るようにわかる。


(これは、何だ…………?)


 呪いの力場なら、何らかの「想い」や「祈り」がその中核にあるはずだが、今の俺には見当もつかなかった。


 グラーゼイが襲い来る頭の一つを捌き、後ろへ飛び退がる。

 そこへ、竜が再度グラーゼイめがけて激しい炎を吹きつけた。

 俺はぐっと腹に力をこめ、翼を打ち下ろした。

 叩き付けんばかりに、念話を投げる。


(グラーゼイ!! 「扉」を開く!! ありったけの力を開放するんだ!!)


 いきなりこんなこと言われて、平然と対応しろという方が土台、無理な話だが。

 彼は、普段の彼からはおよそ想像もできない素直さで、即座に答えた。


(承知した!!)


 オオカミの野太い咆哮が天を突いた。炎を真っ向から被りながら、グラーゼイは一回り、二回りもその身を巨大化させると、その身を人らしく保っていた白い鎧を引き千切り、地に叩き捨てた。


 今や完全なる獣と化したグラーゼイは炎に巻かれながら、毛むくじゃらの、人間離れした肉体で竜の頭へと突進していった。なおも強く握られている彼の剣は、白銀に轟々と燃えたぎっていた。狂暴な瞳と牙が、いつにも増して苛烈に尖る。

 

「おおおおぉぉぉ――――――――っ!!!」


 地も割れんばかりの雄叫びが、白銀の美しい刃が、竜を豪快に叩き斬った。

 断末魔さえ消滅させるような、凄まじい気焔が獣から噴出する。

 彼は続けざまに、辺りに群がる頭を一掃した。

 白い嵐を撒く獣は、強く吠えた。


 俺は地面スレスレで翼を広げ、すぐさま彼へ手(というか、前脚)を差し伸べた。乗って来なければ軽く蹴り上げるつもりであったが、彼はいち早く俺の意図を察して直接背へ飛び乗ってきた。


「…………αの元へ」


 グラーゼイは肩で息をしつつ、短く指示した。

 俺は俺で大分ぶっきらぼうとはいえ(もう敬称も普通に無視しているし)、こうも当然の如く頭の上から命令されると多少癇に障る。

 グラーゼイは未だ濃厚な獣の気配を吐息に滲ませつつ、尋ねてきた。


「ミナセ殿…………そのお姿は?」

(宮司さんの呪いです)

「なるほど。呪術の共力場と、「扉」の力か」


 俺は翼を大きく広げてグライドしながら、αと呼ばれる呪われ竜の本体へと移動した。

 αはフレイアやデンザ、そしてあともう一人、強い魔力を持った誰かと交戦中であった。

 背中でグラーゼイが続けた。


「ミナセ殿の元へ向かう際、ヤドヴィガ団長に加勢頂いた。クラウスの力場はエレノア様が引き継がれている。残っている首の討伐には恐らくコンスタンティン殿か…………最悪、紅姫様が向かわれたろう。

 護衛や封印に回る手が少なくなり、非常に切迫している。だが同時に、先ほどの貴殿らの…………琥珀殿らの解呪により、呪われ竜の力も大幅に弱体化している」


 グラーゼイの視線の重さが背中越しにズシリと伝わってきた。


「ミナセ殿。未だ仔細は存じませぬが、貴殿の力はこの場において重要な鍵となっております。…………引き続き、ご協力を乞う」


 偉そうな言い方だが、言われるまでもない。

 俺は黙って眼下を見下ろした。


 αとの戦いは一進一退を繰り返していた。魔力の流れが人の身体であった頃より鋭敏に伝わってくるおかげで、混戦ぶりが詳らかにわかった。

 今のところ、フレイアの火蛇が元気を無くしている気配は無かった。俺は彼女の無事にひとまず安堵し、それからまた気を引き締めた。


 グラーゼイは静かに場を見下ろしていた。何か考えを練っているのか。俺はαの上空を緩く旋回しながら聞いた。


(俺の、扉の力は…………俺と共力場を編んだ人の力を強く引き出すことができます。今はかなり冴えてるから、誰でもいける)


 俺の言葉に、グラーゼイが応じた。


「フレイアも可能ですか?」

「…………いや、あの子だけは…………」


 無理だった。

 なぜだかはわからないが、フレイアの扉だけはうまく感じ取れなかった。火蛇の魔力はよく伝わってくるのだけれど、俺の意思はどうしてか、彼らには通じなかった。

 「自分の魔力は特殊だ」とフレイア本人が話していたが、確かにその通りだった。扉を開くには、フレイアを感じるより、火蛇達を感じなければならないみたいだ。


 俺の返事を聞いたグラーゼイは、心なしか満足そうに言った。


「左様なれば、お気になさらず。…………貴殿のお力添え無くとも、フレイアは隊の要。十分な戦力足り得ます。ご安心召されよ」

(…………)


 オオカミ野郎はいけしゃあしゃあと話し継いだ。


「それでは、ミナセ殿。今しばらく、私に力をお貸し願いたい。…………降下を」

(…………わかった)

「次ぐ合図の後、デンザの援護に」

(OK)


 俺は上から目線に密かにムッとしつつ、αの元へと降り始めた。グラーゼイは魔力をカッカと充実させ、さらに怒鳴るように言葉を繋げた。


「もっと速く!」


 俺は容赦無く急降下に移った。首筋を握る手にギリリと力が入り(痛い)、唸り声が漏れ出た。グラーゼイはαの頭上まで来ると、俺の背を力強く蹴って(痛い)勢い良く飛び出した。


「おぉぉぉっっっ!!!」


 気魄のこもった掛け声と共に、白刃がαへ迫る。

 αが振り向き、牙を剥く。グラーゼイは紙一重で身を捌くと、自身の身体ごと叩き落すように竜の後頭部に深い斬撃を浴びせた。


 αがのけぞり、悲鳴をあげる。俺は翼にその凄まじい衝撃を感じながら、翻って戦場を眺めた。

 煌々と燃え盛るグラーゼイの白銀の刃が、霞む目にも眩い。同じく明るく燃え盛るフレイアの火蛇がグラーゼイを囲うように守っており、その一方で、ヤドヴィガ団長とデンザがすかさず追撃に掛かっていた。


 俺は合図を待った。

 自らでかかって行こうかとも考えたが、控えて扉の感覚を澄ました。

 グラーゼイは体勢を立て直すと、フレイアと共にαの側方へ回った。走りながらフレイアがαへ火蛇をけしかける。αの注意が一瞬、デンザ達から逸れた。

 機を見計らって俺は、さらにαの気を引くべく急降下した。


(――――「勇者」様!! いっちょ派手に頼んますぜ!!)


 デンザからの呼びかけに応じて、俺は翻って彼へ意識を注ぐ。竜の牙が俺の身体を掠めて空振りした直後、デンザの魔力が堰を切ったように、怒涛となって溢れ出た。

 たちまち、輝かしい閃光がデンザを覆う。


「いよっしゃぁあっ!!!」


 気風の良い掛け声と同時に、デンザが大きく跳躍してハルバードを振り被る。彼が斧を打ち下ろすと、橙色の魔力が一気に爆散した。

 爆発の余韻が俺の鼓膜を麻痺させる。俺は爆風に煽られ、目を眩ませた。


(コウ様!! お気を確かに!!)


 フレイアの声に励まされ、どうにか気を取り戻す。俺は一度大きく周回してから、再度呪われ竜の様子を窺った。

 驚いたことに、まだ息がある。顔の半分が潰れてはいたが、まだ生きている方の目は爛々と冴えていた。


 αは突如首を大きく振り被ったかと思うと、顔から肉片が剥がれるのも構わず、油断していた俺に向かって強烈な頭突きを放った。

 俺は腹にモロに喰らい、壁に叩き付けられた。衝撃が稲妻のように背中に走る。


「――――グッ!」

「コウ様!!!」


 フレイアの悲鳴が耳をつんざく。俺はよろめきつつも気力を振り絞り、最も魔力に熱の乗った人間に呼びかけた。


(グラーゼイ!!!)


 返事は無い。

 だが、ここぞとばかりに迸る魔力の熱がその応えとなった。

 俺は捻るようにして体勢を整え、竜の気を引くべく全速力で再び飛びかかった。


 俺はもう一度、グラーゼイの扉へ力をこめる。

 カラリとした魔力は、その性格とは真反対に爽快で清々しい。

 白銀の毛並みが一斉に逆立つ。

 グラーゼイと向き合っていたαが一瞬、俺に視線を投げる。

 オオカミの雄々しい剣が眩く、さらに眩く輝いた。


(――――――――いけぇっ!!!)

「――――――――応っ!!!」

 

 竜の首へ、一直線に白い閃光が走った。

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