第92話 吹き荒ぶ白刃。俺が守られて思うこと。

 竜が、氷柱にズタズタに引き裂かれた身体を鞭のように振り下ろす。

 対するクラウスの形相もまた、鬼気迫っていた。

 牙をむき出しにし、光る目を吊り上げ、皺くちゃで、唸り声さえ漏れ出ている。彼は竜が小刻みに繰り出してくる牙を器用に避けつつ、隙を突いて執拗に相手を斬りつけていた。眼球や、口内、先ほど斬った首元を、集中的に、絶妙なタイミングで攻めていく。

 一方、俺へ竜の注意が向きかかると、すかさず氷柱の魔法でけん制する。氷柱は、回数を重ねる毎に徐々に小さくなっていっていた。


 ――――俺を庇っているせいか。

 俺はクラウスの攻めきれない追撃を見て、呻いた。彼は俺の傍から離れることが出来ないようだ。

 トレンデでボロボロになったフレイアの姿が頭によぎる。あの子も俺を守っていたせいで、全力では戦えなかった。サモワールでのリーザロットだって、そうだ。


 何か、俺にできることは無いか。

 考える俺に、クラウスから鋭い視線が飛ぶ。「まだだ」。そう言っている。

 俺は手に汗を握り、堪えた。不甲斐無いが、今は指示を待とう。蒼の館で不用意に扉を開いて、タリスカを危険に晒したことだって、まだちゃんと覚えている。

 …………だけど。


 その時、逡巡を断ち切るように、竜の頭部で強烈な爆発が起こった。

 橙色の火の粉が吹雪のように舞い散る。爆風に煽られた羽衣が、キラキラと金の刺繍を輝かせた。爆発の起こった方を唖然として眺めやると、そこには、強健な腕で竜の首にしがみついている、毛の生えたサイのような顔をした男がいた。

 男は見事な一本角を微かに、だが勇ましく振り上げると、クラウスに向かって怒鳴った。


「よう、色男! 珍しく苦戦してんじゃねぇか! また寝不足か?」


 クラウスはホッとしたように顔の皺を緩ませると、いつもの茶化した調子で答えた。


「ええ、その通りです! 毎晩、約束が一杯で」


 サイ男はなおも暴れる竜の頭を御しつつ、顔にも身体つきにも似合わない軽々とした身のこなしで俺の傍へ颯爽と降り立つと、フン、と大きく息を吐いた。


「「勇者」様、お初にお目にかかります。デンザです。あの青二才に代わりまして、私が護衛を担当いたします」

「は、はい」


 俺はまじまじとサイ男の顔を見た。小さな黒目に、キッと光る闘志。彼は手にした巨大なハルバードをダイナミックに竜へ突き出し、燃え上がらんばかりの大音声で詠唱した。

 たちまち、ドン――――、と地が深く揺らぐ。足場を崩したのか、竜が苦しげに、激しく悶えた。


 隙を突いてクラウスが駆け出す。詠唱が二声。中空に薄い光の円盤が二枚、出現した。彼は最短のステップでそこを跳ね昇ると、あっという間に竜の頭部へ到達した。振り被った刃の上を迸る、冷気と霜が眩しい。

 デンザが、言った。


「落とせ! 左からも来るぞ!」


 竜の首が飛ぶ。

 その軌跡がまだ瞳に鮮やかなうちに、デンザが叫んだ通り、左方から別の竜の頭が迫ってきた。

 宙にもう一枚、少し広めの円盤が浮かぶ。クラウスはそこへ転がり込むなり、剣を目の前に立て、片手で印を組んだ。冷めた雨の魔力が、バラバラと俺の肌に当たる。

 竜の頭がうんと畝って、俺をめがけて突撃してきた。


 デンザの縦にも横にも広い背中の後ろで、俺は無心で戦いを見守っていた。デンザは地割れじみた雄叫びを上げ、全身で踏み込む。その刺突は太く、鋭い。


「くらえ!!!」


 追って響く、強烈な爆発音。白い光が一挙に溢れ出す。俺の視覚と聴覚は一瞬、空白に飲まれた。

 キィン…………と、爆発の余韻が脳に残しつつ、段々と音と景色が戻ってくる。爆炎に包まれたデンザは竜巻のように得物を振り回して炎を振り撒くと、また勇壮に切っ先を正面へ構えた。

 向かい合う竜の頭は、ボロ布のように枝垂れながらも、まだ生き永らえていた。


「ひ、ひぇ…………」


 壮絶な攻防に、思わず怖気づく。

 そんな俺の気も余所に、上空からクラウスの呑気な声が響いた。


「デンザさん、気を付けてください! コウ様もいらっしゃるのです!」

「おっと、こりゃ失礼!」


 気風の良い受け答えに、どこからか見知らぬ声が加わった。


「全く、派手だな。デンさんは」


 俺が慌てて辺りを見回すと、クラウスの上空からふわりと、まるで暖簾でもくぐるかのように、声の主と思われる真っ白な毛皮のウサギ男が現れ出た。


 ウサギ…………にしては、鋭い目つきである。童話に出てくるみたいな紳士的な雰囲気に、偉そうな鼻眼鏡。彼はなぜか鎧を纏っておらず、代わりに高級そうな白いローブを羽織っていた。

 ウサギ紳士はいかにもな赤い目をチラとだけ俺に向けると、すぐにまた竜へ視線を戻し、クラウスに尋ねた。

 

「さて、これもβかな? クラウス」

「わかりません。どの首も、相当に手強い。右翼の方はどうなってます?」

「フレイア嬢がいつになく乗っている。さらに2つ、落としてしまった。3つ目で慌てて逃げ出してきたのが、この首だ」

「ハハハ! さすが蒼の剣鬼の秘蔵っ子。凄まじいこった。…………で、ウィラック? お前は何しに来たんだ?」

「加勢、それと見張り。「勇者」殿が爆炎に巻き込まれているやもしれんと」

「手遅れです。俺が咄嗟に結界を張らなきゃね。ね、コウ様?」


 俺はどう応じていいものかわからず、仕方無しにハハハと愛想笑いを浮かべた。フレイアの同僚だけあって、随分と手荒い連中だ。

 クラウスは竜へと視線を伸ばし、言葉を継いだ。


「…………ツェーナとブラッツは、もう限界のようですね。力場のバランスが崩れてきている」


 俺はちょっと意識を集中し、力場を探った。確かに、初めの頃よりも大分不安定な感じが増している気がする。呪われ竜の嫌な魔力の味が、じっとりと強まっていた。もしクラウスたちの共力場が維持しきれなくなったら、これ以上酷くなるのか。

 考えていると、ウィラックと呼ばれたウサギが、ふと俺の方を向いて呟いた。


「フム、命脈の羽衣か。…………もう1、2撃くらいなら、耐えられそうだが」


 聞こえてますよー。

 抗議するわけにもいかず、俺は静かに肩を縮めた。しょうがない。フレイアがたくさんいると思って諦めよう。


 竜の頭はゆったりと左右に揺れながら、攻撃の機会を窺っていた。デンザの、そしてクラウスたちの、素人目にも隙の無い構えが緊張を強める。

 俺が瞬きをした直後、デンザが仕掛けた。

 巨大な戦斧を振りかざし、突進して行く。


 猛獣然とした突撃。デンザはその最中、地面に向かって勢い良く斧を振り下ろした。小気味良く、鮮烈な爆発が起こる。デンザは爆風に乗ってさらに加速、跳躍した。ウィラックの短い詠唱が、追って重なる。


 竜がフッと咽喉を膨らませ、赤い目をチカッと瞬かす。竜の頭上へ斧の刃が降りかかる。

 一瞬が、うんと引き伸ばされて感じた。

 デンザが叫んだ。詠唱か、咆哮か。

 再び時が動き出した時、竜の頭はすでに、西瓜よろしく豪快にかち割られていた。


 真っ黒な血飛沫を浴びながら、デンザが着地と共に歓喜の雄叫びを上げる。ウィラックはその様子を見つつ小さな溜息を吐くと、微かに首を振った。


「やれやれ。世話の焼ける…………」


 その時、クラウスがハッと気付いたように背後を振り返った。


「!!! フレイア!!! 無事か!?」


 俺は心臓を握り潰された心地で、顔を振り向けた。

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