第93話 戦う獣の戦士とニート。俺が苦しみに悶えること。

 放られた鞠と同じ軌跡で飛んでくる、華奢な人影。だが彼女は呻き声一つあげず、華麗に身を翻すと、乱れた銀色の前髪の隙間から、燃えるような眼光を一筋、鋭く走らせた。


 彼女を囲っていた火蛇のベールがふっと解かれる。フレイアは腕を伸ばし、一瞬で二匹を撚り合わせて鞭にすると、視線を射った方向へ向かって素早く彼らを放った。

 たちまち火蛇が激しく燃え上がる。

 大火焔となった二匹の向かう先には、今までのものよりも一層濃厚な魔力を放つ、竜の頭があった。


「ウィラック様!!! 吐息を!!!」


 フレイアの声が響く。応じてウィラックが両手で印を組んだ。また、時がぐんと間延びしたような感覚が襲ってくる。

 クラウスの短い、掠れた声の詠唱が、フレイアの下に円盤を作った。フレイアはそこへ転がって着地すると、鈍化した時を打ち破らんばかりの音量で叫んだ。


「αです!!」


 フレイアを襲った竜の咽喉が、ゆっくりと膨れあがる。デンザに倒された竜が、死の直前に見せたのと同じ動きだ。

 全身にゾワゾワと、黒い魔力が這い上ってくる。

 俺は思わず怒鳴った。


「――――何か、来る!!!」


 直後、突如として金の羽衣が閃光を放った。

 俺は目を眩ませた。誰かの叫ぶ声が遠巻きに聞こえてくる。クラウスの詠唱か、デンザの咆哮か、あるいは、火蛇の炎が猛り狂う音か。微かに目を開くと、ウィラックが上空から、こちらへ飛び降りてくるのが目に入った。

 彼はその真っ赤な目で、真っ直ぐに俺を見つめたまま、不思議な余韻のある(時計の針が動いた時と、よく似ていた…………)、落ち着いた声で言った。


「…………慌てない」


 と、次の瞬間、俺が呪われ竜に初めに喰らったのと同じ、黒い津波のような炎が、轟音と共に俺とウィラックを飲み込んだ。

 ウィラックは炎に包まれる寸前、例によってまた、薄いカーテンを潜り抜けるようにして俺の羽衣の内へ入ってきた。


 羽衣の発光はなおも続く。しかし、竜の魔力はどんどん勢いを増して雪崩れ込んできた。

 俺は無我夢中で悲鳴を上げた。羽衣の光はみるみる減じていく。肺が一面、ドス黒く焼け爛れて、口内までもが吐く息で粘ついていくかに思えた。息ができなくなり、過呼吸みたいに喘ぎ続ける。ハンマーで殴られたような頭痛が幾度となく頭蓋に打った。


「痛い!!! 痛い!!!」


 俺は声にならない叫びを上げ、身をよじった。

 胃が、肺が、内臓が残らず全部内側から剥がされて、神経も血管もズタボロに引き千切られていく幻覚が全身を駆け巡った。

 動く度に骨がミシリと軋む。木彫り人形にされたような、絶望的なぎこちなさ。無理するとバリリと折れ、ささくれが肉を刺し貫く。

 頭がマグマのように熱い。閃光のせいで目がチカチカする。吐き気がする。涙も出ない。

 俺は苦痛から逃れたくて、地面を、身体中を、滅多やたらに掻きむしった。剥がれかけの爪が悲鳴を上げる。痛い。

 痛い痛い、

 痛い痛い痛い痛い!


「大丈夫だ、暴れなさるな」


 ウィラックが耳元で囁く。だが、俺には到底そんなことに耳を傾ける余裕は無かった。俺は芋虫のように地面にうずくまり、のたうち回り、何度も言葉にならないことを叫び続けた。

 息苦しさで、意識が無惨なぐらい幼稚になっていった。激痛はうねるように、打つように、貫くように、変幻自在に様相を変える。ウィラックは俺の身体をさすりながら、何か淡々と問いかけてきていた。しかし己の叫声が邪魔で、何一つ聞き取れない。痛みが、身体が、心が、うるさい!


 羽衣の光がいよいよ尽きていく。俺はそれを見つつ、言い知れぬ恐怖を味わった。

 俺は赤子のように両腕をぶん回して、暴れた。闇を掻き消すように。痛み、嘔気、火傷、渇き、怯え、何もかもを、掻き消したくて。


「痛い!!! 痛い!!!」


 俺は愚かしく叫び続けた。

 視界が急速にグニャグニャと歪んでいく。ウィラックも、己の身体も、子供の落書きの世界に溶け込んでいく。


 やがて誰かが、俺の世界にぐわん、と大きくのめり込んできた。巨大な質量だ。白樺の幹のような両足が、奇妙に伸び縮みして見える。いつの間にか俺のすぐ近くにまでやって来ていたその人は、億劫そうにこぼした。


「ご安心召されよ、「勇者」殿。…………ここは我々、純然たる「戦士」の仕事場ゆえ」


 冷たい声に、俺はかろうじて頭をもたげた。

 白い鎧に覆われた、大きな姿が見えてくる。彼は肉厚のロングソードを手に、悠然と前へ歩み出して行った。

 白銀の毛並みを逆立て、唸り声を立てている。オオカミそのものの声を聞くと、総毛立ち、胸がざわめいた。

 視界が徐々に、ハッキリとしてくる。


 剣先を足下へ下ろした、堅牢な構え。彼の理性は野性との境界線限界ギリギリで保たれていた。猛々しい怒りで大きく歪んだ口元から、白い牙が歯茎に至るまで、ガッツリと覗いている。美しい金色の瞳から迸る強い魔力は、カラリとした、度の高い蒸留酒のような熱さがあった。

 俺は乾いた喉の奥で生唾を飲んだ。

 悔しいけど、少し、ホッとしている自分がいる。


「いざ――――…………白き、主の名において!!!」


 グラーゼイは機を見るや否や、剣を下からぐんと振り上げ、竜の頭へ一気に駆け出した。

 刃に沿って、追い風が湧き起こる。俺は竜の泥のような魔力と、白狼の剣風が衝突する渦を見た。握り締めていた拳が、知らぬ間にさらに固くなっている。


 金槌の嵐とでも呼ぶべき壮絶な頭痛の中で、俺はヤツに投げられた言葉を何度も噛み締めていた。

 「ここは我々、純然たる「戦士」の仕事場ゆえ」。

 …………「みっともねぇ」って、ハッキリ言いやがれ!!

 滾った怒りが、視界を完璧に取り戻した。


「落ち着かれたかな? さ…………こちらへおいでなさい」


 ウィラックの声が、今度はきちんと頭に入ってきた。俺は相変わらずの痛みに震えながらも、歯を食いしばって、ウィラックの方を向いた。怒りやら羞恥心やらで、トマトかリンゴか、フレイアみたいな顔になっていたろう。

 ウィラックは無表情で俺を見つめ返し、柔らかく言い紡いだ。


「楽になさい。サンラインきっての名医である私がついているのだから、万全に決まっている。戦闘などは、デンさんやら、隊長やら、フレイア嬢やら、向いている方に任せておけばよろしい」

「あ…………ありがとうございます。あの、取り乱してすみません」

「なに、珍しいことではないよ。呪われ竜の吐息はとにかく肉体に効く。今もさぞ、痛かろう」


 俺が続けて口を開きかけた時、離れた所から、また鼓膜を破らんばかりの大爆発が起こった。頭痛と相まって、凄まじい眩暈が起こる。デンザの爆破の魔力は、最早、何の味というよりも、単なる衝撃に近い。味と痛みと音がごっちゃになっている。


 時折肌にかかる、クラウスの冷たい雨の魔力。フレイアの、優しくくゆる蝋燭のような魔力。グラーゼイのどぎつい酒の魔力。それらが一辺に混ざり合って、感覚の処理がちっとも追い付かなかった。

 堪らずよろける俺を、ウィラックの手が支えた。


「おっと。…………音に聞こえし蒼の羽衣でも、さすがにもう厳しいか。あと1撃が…………本当の本当に限度だな。となれば、今少し辛抱が必要だが、構わんかな? 「勇者」君」


 俺は呻き声を喉の奥に押し込み、答えた。


「平気です。でも、何をするんですか?」

「今から君にある薬を投与する。私が特別に調合した、霊体に作用する薬だ。なに、心配は要らない。元はありふれた薬だ」


 俺は何だか嫌な予感がして(同じパターンがこれまでに何度もあった)、さらに踏み込んだ。


「それは…………どんなお薬なのでしょうか?」 

「端的に言えば、特定の共力場に溶け込みやすくなる薬だ。この場合は、クラウスが作った力場に溶ける」

「その薬を飲むと…………いや、打つの? どちらでもいいんですが、俺は、どんな感じになるんでしょうか? 具体的に俺の身体に何が起こるんでしょうか?」


 ウィラックはまじまじと俺の顔を見つめると、なぜか感心したように頷いた。


「ほう。こんな状態で、なんと勉強熱心な方だ。デンさんやクラウスより余程良い。フレイア嬢の見る目も、あながち侮れない」


 いいから質問に答えてくれよ。

 俺の無言の抗議をスルーしつつ、ウィラックはコートの内から取り出した注射器を磨いたり、俺の腕をまくったり、消毒薬(?)を塗りつけたりと、テキパキと用意を進めていった。

 注射器の中には、例によって、あの虹色に輝く液体が入っていた。


「…………それ、動物と俺の霊体が融合するヤツですよね」


 半ば観念して俺が呟くと、ウィラックは嬉しそうにもう一度、頷いた。


「まさかご存知とは、お見逸れした。…………が、しかし、これはその弱化版だ。「勇者」君の言う動物とは、恐らく魂獣か、或いは一部の獣の霊体のことであろうが、この薬は、獣人化した人間と一時的な共力場を編むことを目的としている」


 獣人。俺は真剣な顔のまま繰り返した。ウィラックはスラスラと話し継いだ。


「専門的な話なので、作用機序については省くが、これを投与された「勇者」君はまず、肉体と霊体に分離する。霊体となった「勇者」君は、我々が作っている力場に溶け込み、今より遥かに身軽く力場の中を移動できるようになる。君の例の力もいよいよ使いやすくなるだろう。そして何より、肉体と分離する故、痛みも治まる。少々習慣性があるのが難点だが…………どうだ、いい案だろう。攻撃こそ最大の防御。そうは思わんかね?」

「はぁ」


 俺があいまいに返事すると、ウィラックはパン、と音を立てて俺の肩を叩いた。骨に響いてひどく痛んだが、どうにか悲鳴をあげずに耐えた。


「「勇者」君。「案ずるより産むがやすし」というオースタンの諺を、琥珀殿から聞いたことがある。とにかくやってみなさい」


 俺は黙って相手を見返した。一片の迷いもない、いかにも魔術師らしい澄んだ狂った目である。

 一見敬っているようで、その実、全くというあたり、本当にフレイアの仲間達なのだと感じ入る。俺は心の中だけで涙し、拭い、覚悟した。


「わかりました。お願いします」

「よろしい」


 ウィラックは注射器を俺の腕に添えると、優しく、滑り込ますように、針を俺の中に刺し込んだ。

 血液と虹色の液体が混ざり合っていくマーブル状のイメージが、頭の中にぼんやりと浮かんでくる。頭のどこかで、タカシの喧しい声がした。


「痛い!!! 痛い!!! これヤバイって!!! 絶対マズイって!!! っていうか、これで痛くなくなるの、コウだけじゃん!! 俺は痛いままじゃん!! バカ!!」


 やれやれ。この期に及んで、我ながら情けないヤツだ。


 と、そう思った時には、俺はすでに霊体となって宙に漂っていた。眼下には泣き喚くタカシと、宥めているウィラックがいる。見る限りでは、タカシに大きな外傷はないようだ。俺の斜め上方には、円盤に乗って何か長い詠唱を続けているクラウスの姿があった。

 ウィラックがこちらを見上げる。長い耳をピクピクッと小刻みに動かし、彼は平静な調子で伝えてきた。


(ああ、言い忘れたが、訓練を受けていない君が呪われ竜から攻撃を受けると、先程の痛みとは比べ物にならない苦痛を受けるだろう。痛みのあまり、存在そのものが崩壊し、魔海へ還ったとしてもおかしくはない。…………心して掛かりたまえ)


 俺は無表情で、親指を力強く立てた。

 どうせそんなこったろうと思っていたぜ。

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