第89話 続・賢者たちの会合。俺が太陽の洗礼を受けること。

 次の話者である魔術師会会長は、立ち上がって重々しく会釈すると、一転してひどく尊大な口ぶりで語り出した。


「魔術師会会長、アーノルド・ジル・ロティスだ。

 端的に言おう。私は「勇者」とやらに興味が無いし、奉告の内容にも興味が無い。私は今も昔もただ一つ、奉告の意義を問うのみだ。

 近年の「賢者」への権力集中には、特に目に余るものがある。こうした状況でなされた奉告は到底、信用できぬ。せめて奉納済みの奉告の修正ぐらいは、認められるべきであろう。これは偽りではなく、むしろ、正義のためである。

 それと、ついでだから言うが、賢人会の代わりに、市民の主導による公的な議論の場を設けることも訴えたい。抜け道の多い、現在の「賢者」共による統治方法は、いずれ取り返しのつかぬ過ちを歴史にもたらす。

 賢人会を滅ぼす。わたしはそのつもりで、会合に臨む」


 彼は一同を睨み渡すと、杖の頭の紫の宝石を、呼応するようにギョロリと力強く輝かせた。

 いきなりの迫力に圧倒されつつも、なぜか俺の胸は少しスカッとしていた。彼は俺を睨んでいたが、それは俺とここの連中とを、同等に見做しているからに他ならない。

 確かに喧嘩っ早そうな爺さんだが、案外悪い人ではないかもしれない。


 とはいえ、やはり今の発言は「賢者」にとって、聞き流せぬものであったらしい。会長がどしりと思い切りよく腰を落ち着けるなり、すかさず彼の二つ先の席に座っていた男が立ち上がった。

 男は貫禄漲る銀髪の偉丈夫で、美しいワインレッドの目をしていた。


「失礼する。私は中央区領主、オーディン・アルバス・ツイード。ロティス会長が先程述べた、奉告書の改訂および民衆議会設立の案について、予め反対の意を表明させていただく。

 市民の声があっての情報公開、議会設置という運びであれば、サン・ツイード市を預かる私としても一考の余地がある。だが現行では、「賢人会」によるお仕着せの統治と何ら変わらぬ結果をもたらすだけであろう。何より、かように強引な理屈では、信仰心の篤い市民らは決して満足すまい。会長とは違い、我々は異邦人ではない。生粋のサンライン人なのだ。

 我がツイード一族はこの土地に生まれついてより、長きに渡り、自警団や公営診療所への後援を始めとした市民生活への援助を惜しみなく行ってきた。その甲斐あって市内の生活水準は比類なく向上し、サンラインは小国ながらも、隣国からは抜きんでた存在となった。

 商会連合や教会騎士団、ゆくゆくは錬金組合とも足並みを揃えることで、平和への体勢はさらに盤石となる。

 主より恵まれし知恵を持て余すことなく、実質的な試みをたゆまず積み重ねることこそ、真の「賢者」としての責務ではないかと私は考えている。公式のごとき理念と、定式化され尽くした理念と制度から始めるようなやり方は、実に魔術的ではあるが、生活の本質とは永遠に馴染まない。私は、あくまでも現体制の維持を主張したい。

 以上だ。…………紹介を終える」


 俺はポカンとしながら、かろうじて思考を巡らせた。

 ええと、何で政治の話になっちゃったのかはさておくとして、そうだ。今の貴族のおじさん、「ツイード」とか名乗っていたけれど…………どこかで聞いた名のような気がする。さて、どこだったか。

 悩んでいるうちに、ギャンギャンと小うるさい念話が届いた。


(貴様という男は、惚れた女の名すら覚えられんのか! ツイード家は中央区領主を務める、フレイアの実家だ! オーディンはあやつの、父親だぞ!)


 …………ああ!

 危うく声に出しかけて、俺はすんでのところで言葉を飲み込んだ。そうだった。「フレイア・エレシィ・ツイード」。それが俺の、大切な人の名前だった。

 ん? っていうか…………。


(えっ!! 今、惚れてるって言った!? 何でバレてるの!?)

(むしろなぜバレていないと思う!? うつけめ!)

(いや、そんなことよりフレイアって、超お嬢様じゃん! お父さんも超怖いし! 俺、もしもの時に挨拶に行けないよ!)

(知るか! まずは定職を見つけてから言え!)

(どうしよう!? 俺、実は庶民なんだ!)

(知っとるわ! どこの世界に貴様のような貴族がおるか!)


 俺たちのくだらないやりとりを遮るように、順番を継いで、魔術師会長の隣の人影がすっくと立ち上がった。俺はその方へ視線をやって、ハッと胸を打ち抜かれたような感覚を味わった。


 ゆっくりと場を見渡すその女性は、俺が今までに見たことの無い、血潮のごときガーネット色の瞳をしていた。

 燃え盛る真夏の太陽に似た灼熱の魔力が、俺の胸に鮮やかに差し込んでくる。


 プラチナじみた輝きの短髪を後ろに流し、彫像のような美貌を惜しげもなくさらけ出す彼女は、極めて気の強そうな眼差しと、完成されたプロポーションによって、男性的な凛々しさすら醸し出していた。背後の竜像と比べてなお勇ましく、美しい。

 口紅すらもくすんで見える、健康的で血色の良い唇が、きっぱりと開く。

 

「父上に割り込まれてしまったが、仕切り直して名乗らせてもらおう。…………私は「紅の主」、イザベラ・アルバス・ツイード。名を知らぬ者は無いとは思うが、この場ではお初にお目にかかる。良い機会を貰ったことに感謝している。

 十分に成熟した三寵姫にとって、肉体の姿はさほど重要なものでは無いが、それでもこの顔を覚えておいて頂けると色々と役に立てるはずだ。私は一度会った者の顔と名を決して忘れない。これからはいつでも忌憚なく、私に会いに来てくれ。

 いまなお未熟な一柱ではあるが、今後ともそなたらの知恵を貸してもらえるよう、助力を乞う」


 見目麗しき紅姫様は、それからスッと俺に目を向けた。例によって俺は、意味も無く震え上がって、肩を強張らせた。

 

「やぁ、「勇者」殿。噂は聞いている。…………名は何といったか?」

「あっ…………えっと、ミナセ・コウです」

「ミナセ殿。貴公はスレーン人なのか? よく似ているが」

「いえ…………あの、オースタンから来ました」

「ほう。面白いこともあるものだな。かつてはサンラインとも交流のあった土地だが…………」


 紅姫様はカツンッ、と軽やかな足音を立てて俺の方へ歩み出すと、真っ直ぐに俺の目の前に立ちはだかって言った。


「貴公、魔術の心得はいかほどか?」

「えっ? いや、その…………ありま、せん」


 言ってから俺は慌ててツーちゃんを見やったが、物凄い形相で睨まれただけで、望む支援は得られなかった。頼れと言うわりに、いつも肝心な時にちっとも役に立たないんだから。

 紅姫様は真剣な顔になって腕を組むと、さらに迫ってきた。


「フム、変わった冗談だな。…………では、武術は? タリスカ殿のように、異国の技芸を極めているのか?」

「あぁ…………いえ…………それも…………」

 

 気まずさに耐え切れず、俺は目を逸らし項垂れた。何の言い訳も思いつかず、口を噤むより他に術が無かった。

 紅姫様はしばらくは答えを待っていたようだったが、いよいよ答えが無いとわかると、ふいに白く大きな手を俺の顎に添え、クイと持ち上げた。


「「勇者」。こっちを見なさい」


 俺は低く唸ったきり二の句が継げず、ただただ彼女の紅い瞳に吸い込まれていった。

 フレイアと同じ、清く美しい深紅である。だがあの子とは決定的に違う、苛烈な業火が、その瞳の奥に激しく踊っていた。絶え間なく燃え滾る火焔が、みっともないぐらいに俺を火照らせていく。

 紅姫様は一心に俺だけを見つめて、問うた。


「…………貴公、ここへ何しに来た?」


 俺は答えられなかった。

 リーザロットの悲しそうな顔が頭に浮かんで、物凄く惨めな気分になったが、それよりも、身体が熱いやら寒いやらで、頭の中がどうしようもこんがらがっていた。

 見栄も張れないし、嘘も吐けない。この人の前では、全てが否応無しに炙り出されてしまう。弱い自分以外に、何も見せることができない。


 俺が真っ白に焼き尽くされてしまう、その寸前で、ようやくツーちゃんが言葉を挟んだ。


「イザベラ。「勇者」はまだ覚醒の途上だ。これから、力の使い方を覚える」

「いつ完成するのだ? それは」

「わからぬ。だが、見込みは十分にある」

「…………琥珀殿。例え貴女といえども、偽りは罪になる」


 ツーちゃんは紅姫様からの眼差しを受けとめ、黙って息を吐いた。次いで、俺達のやり取りを冷たく見守っていた一人の少女が口を開いた。


「イザベラよ、君の半身たる僕からも頼もう。…………「勇者」を開放してやりなさい。琥珀は嘘を言っていないよ」


 紅姫様が顔を振り向け、声の主を見やる。視線の先の黒いドレスの少女…………ヴェルグは、フワフワの羽毛で飾られた扇で口元を隠し、ゆったりと言葉を継いだ。


「初めまして、「勇者」。そして改めまして、皆の衆。

 僕の名はヴェルグツァートハトー・ハエル・ナ・デナ・ヤンガシュール・マリンフェタァル。「紅の主」の後見にして、しがない魔導師だ。…………お手柔らかに頼む」


 ヴェルグは俺の睨みつけなどどこ吹く風といった調子で、ユラユラと扇を揺らし、すました顔で微笑んだ。金色の妖艶な瞳が、意地悪く瞬く。

 「初めまして」だと? ふざけやがって…………!


「どうした、「勇者」? 僕に何か、言いたいことがあるかい?」

「…………ッ」


 俺はこみ上げてくる怒りをぐっと飲み込み、ツーちゃんへ思いをぶつけた。


(オイ! アイツ、どうにかできないのかよ? アイツのせいでここへ来るまでに、何回死にかけたと思ってるんだ?)


 ツーちゃんは何も言わず、ヴェルグに向かってだけ言った。


「…………ヴェルグ。先程「半身」と言ったが、貴様は紅姫と「依代」の契約を交わしたのか?」

「ああ。それが?」

「単なる確認だ」


 ツーちゃんはじとっとした目で彼女を一睨みした後、何かを噛み締めるように、低い声で順番を回した。


「…………次の紹介へ、移ろう」


 応じて立ったのは、中央区領主の隣に座っていたリーザロットだった。

 リーザロットは静やかに頭を下げると、鈴のようにしおらしく喋り始めた。


「「蒼の主」、リーザロットです。先日は「サモワール」にて、多大なご迷惑をおかけいたしました。亡くなった魔術師の方のご遺族には、謹んでお悔やみ申し上げます。

 それと…………この度、「勇者」様をサンラインへお招きしたのは、私です。巷への影響を考え、これまで発言を控えて参りましたが、会議ではきちんと事情をお話させていただくつもりです。

 奉告は、先代の姫様からの引継ぎとなりますが、志半ばとなった彼女の意を汲めるよう、力の及ぶ限り心がけて参ります。

 至らぬ点も多々あるかとは思いますが、どうかご理解のほど、よろしくお願いいたします」


 リーザロットが言葉を切り、着席する。

 紅姫様と比べて、随分と腰の低い挨拶だった。元々物腰の柔らかな子だったけれど、何もこんなに畏まらなくてもよいのではないか。俺は「サモワール」での一件について、返す返す反省した。あの事件さえなければ、もっと彼女も明るい顔ができたろうに…………。


 順を追って、貴族連中と会話していた貴婦人がゆったりと立った。

 俺は彼女が翠姫様だとばかり思っていたので、聞こえてきた言葉に、ちょっと拍子抜けした。


「ごきげんよう、皆さま。魔術師のエレノア・ラ・アリスです。偶々通りがかったものですから、顔を出しました。

 すっかりお爺ちゃんになっちゃったパトリックやアーノルド、それから、若くて初々しいお姫様たちに会えて、何だかとても温かな気分です。バレーロの実家にも、たまには帰ってみるものですね。永遠に変わらないようなサンラインも、少しずつ違っていっていて、それがとても楽しい」


 エレノアさんは、上品に俺に微笑みかけた。


「それに、このご時世に異邦人の男の子が「勇者」だなんて、昔を思い出してワクワクします。

 ご存じかしら? 実は、あなたの前にも一度「勇者」がいらっしゃったことがあるの。あの頃は確か…………まだ、リリシスもここにいて、ああ、翠姫様も、ほんの赤ん坊でした。駆け出しの魔術師だった私と、琥珀様と、「勇者」様とで、森の果てにある微睡の都まで、エルフの揺りかごを探しに行ったことが懐かしいわ…………」

「は、はぁ」

「あの時の「勇者」様は、そのすぐ後の大魚との戦で亡くなってしまったのだけれど、あなたはそうならないように、気を付けてね?」

「…………頑張ります」


 オイオイ、いくつなんだ? この人…………。

 俺が困ってツーちゃんに目をやると、エレノアさんは目敏くそれを拾って、言葉を継いだ。


「ああ、そう。琥珀様とも、とても仲がよろしいのですね。こんなに楽しそうな琥珀様を見るのは本当に本当に久しぶりで、つい私まで顔がほころんでしまいます。

 ね、翠姫様も、そう思いませんか?」


 俺は呼びかけられた女性…………俺のちょうど左隣にいる女の人を、つられて振り返った。

 実は、彼女のことは部屋に入った瞬間から気になっていたのだが、ついに正体を知る時が来てしまったようだった。


 彼女はエレノアさんやリーザロットとはまた違った意味で、ひどくミステリアスだった。

 つぎはぎだらけのシャツに、薄汚れたショール。伸び過ぎた前髪とニキビだらけの肌が、俺の脳裏に「引きこもり」という言葉を浮かばせて止まない。まだあどけない少女のようにも見えるし、ただの化粧っ気の無いおばちゃんのようにも見える。

 彼女はもさっとした髪を振り乱して顔を上げると、素っ頓狂な声で答えた。


「あー。それ、ずっと思ってました。さっきからずっと、こっそり喋り倒してて、いや、うるさいなー、って。琥珀様って、本当にわかりやすいなって」


 もさっとした女性は流れるような所作で俺を見ると(よく見れば、パッチリとした一重まぶたの、シンプルな作りの若い美人だった)、特に顔色を変えるでもなく挨拶に入った。


「あ、私、「翠の主」です。名前は…………何だったっけかな? まぁ、どうでもいいですよ。「翠の主」って言ったら、基本的には私しかいませんし。…………皆様も、今回も、よろしくお願いしますー」


 俺はもう一度、ツーちゃんを見やった。ツーちゃんはこれでもかと眉を吊り上げ、苛立ちここに極まれりといった鬼の形相で、俺を含めた3人にまとめて怒鳴りつけた。


「黙って聞いておれば…………この、恩知らず共め! 人の会話を盗み聞きした挙句、この私が…………よりにもよって、このワンダと、痴呆のマヌーもどきと話していて、「楽しそう」だと!? 立ち聞きの果てに、「うるさい」だと!? 貴様ら、少し長生きしたからと言って、あまり調子に乗るでないぞ!? どいつもこいつも、なぜ余計なことを喋りおる!」

 

 ツーちゃんはその勢いのまま、全体に向けて八つ当たりのように言葉を投げつけた。


「私は魔導師、琥珀!! 自己紹介など、これだけで良い!

 …………次だ、コウ! わかっておろうな!?」


 なぜか順番を飛ばして名指しされた俺は、一斉に視線を浴びつつ、言われた通りに簡素に述べた。


「あ…………ミナセ・コウです。なんか、「勇者」らしいです。…………よろしくお願いします」


 冷たい顔の羅列に、俺は自分の体温が氷点下まで下がるのを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る