第90話 会議は踊る。俺が忍び寄る闇と対峙すること。

 俺は何を反省したら良いのかもわからぬまま、真顔で呆けていた。

 「あーあ、やっぱりこうなった」と、タカシにぶつくさ言われているような気がして、すごく憂鬱だった。

 俺はもう見栄を張る気力も無く、座ってしょんぼりと項垂れた。耳元では、ツーちゃんの喧しい声がギャンギャンと響いていた。


(オイ、貴様! よくも勇者「らしい」などと抜かしおったな!? 貴様がそのような態度で、どうして信用が得られると思う!? 駆け引き以前に、立場上最低限の配慮というものがあるだろう!? それがどうして、どうして、どうして貴様にはわからんのだ! 愚かなのは百も承知であったが、まさかここまで腑抜けだとは思わなんだ! …………オイ、聞いておるのか!?)


 ウザいのでガン無視していると、ふいに、ツーちゃんと翠姫様の間に座っていた鎧姿の男が立ち上がった。音もてらいも無い、その研ぎ澄まされた動作に、俺は思わず見惚れた。

 彼は氷原を吹き抜けるそよ風の如く、屹然と周囲に会釈した。


「教会騎士団・「白い雨」団長、ヤドヴィガ・サラ・マシュウです。本日はよろしくお願いいたします」


 男はグラーゼイ同様の、オオカミそっくりの顔をしていた。細い顎に、年古としふりた色の牙が鈍く柔らかく光っており、白く乾いた毛並みは枯れてなお、閑寂とした気品を香らせていた。


 俺は騎士団長の、小柄ながらもズシンと重心がのった堂々たる立ち姿を眺め、感嘆の息を漏らした。

 彼は白銀の毛に埋もれた青い瞳…………その瞳孔は吹雪に煙る空のように白く霞んでいたが…………を少しばかり見開き、淡々と話した。


「精鋭部隊と共に、紡ノ宮の警備を担当しております。そのため、有事の際には称号を持たない団員を招集する旨、予めご了承願います。…………失礼いたします」


 団長は刀を思わせる高潔な眼差しで一座を見渡すと、立った時と同じ、居合の演武を思わせる至極無駄の無い所作で着席した。


(格好良い…………! 侍みたいだ!)


 俺がはしゃぐと、ツーちゃんは急に機嫌を直して、満足気に頷いた。


(うむ。サムライとやらは良く知らんが、確かにあやつはよく出来た男だ。まだ目の良かった頃は、素晴らしい竜騎士でもあったのだぞ)

(リュウキシ?)

(竜の、乗り手のことだ。こと騎竜剣術に関して言えば、スレーンの戦士にも劣らんかった)

(へぇ…………。竜に乗って戦うなんて、すっごいなぁ)


 俺は感心し、もう一度ヤドヴィガ団長を見つめた。ツーちゃんはお茶を濁されたことに今になって気付いた風であったが、ともかくも気を取り直して、会議を進めて行った。


「ん…………では、これで全員だな。

 まぁ、ざっとこんな顔ぶれだ。代替わりしたもの、新たに加わったもの、非常時ゆえに特別に参加した者など様々だが、ここでは皆が同格の者として振る舞うように。大いなるものの御前にて、全ての魂は等しい。

 …………さて、次は肝心の奉告の内容についてだが…………」


 そこから先の話は、俺にはサッパリだった。

 専門用語…………というか、俺の知らない固有名詞が滝のように流れていって、どんどん話が先に進んでいってしまった。ツーちゃんに用語解説を求める暇も無く、俺はあれよあれよという間に会話から取り残された。


 だが、俺は無力感と眠気(仕方無いじゃん?)に苛まれながらも、何とか話を追おうと努めた。

 無い知恵を絞って、ぼんやりとアウトラインを辿る限りでは、先代の蒼姫についてが主な議論となっているようだった。


 どうやらリーザロットが就任する前の、今は亡き「蒼の主」が、「裁きの主」との「謁見」を済ませたのかどうかわからないのが問題らしかった。「謁見」の有無を確認しないことには、そもそも正式な「三寵姫」として明言できないとすら言われていた。(そもそも「裁きの主」に選ばれたから、「姫」なんじゃないのか?)


 ともあれ、その「謁見」というのは、先代の姫が契約した「依代」にしか確かめようが無いことだという。

 「依代」とは、要は「裁きの主」の「依代」となる人間のことらしい。各三寵姫との直接的な契約によって任命され、姫の行動の指針となるという。(ん? そしたら、姫が「依代」を選ぶのはおかしくないか? 仮にもその言葉が「裁きの主」の意志だと言うのなら、「裁きの主」自身が「依代」を選ぶべきでは?)


 そして、今、賢者たちの頭を一番悩ませているのは、その肝心の先代の「依代」がどこにいるのか、彼らの力を持ってしても未だに掴めないことだった。

 もう死んでしまったのか、どこかに隠れているのか。…………誰かに匿われているのか。討論の中心が次第に「依代」の行方の追及に移っていくにつれて、いよいよ会議は熱を帯びていった。


「…………アーノルド魔術師会長、落ち着いてください。それはバレーロ家当主として、決して口外できない情報です」

「考え直すべきだ。…………貴様の父、アンドレが「地下交易路」を数多あまた抱えておったことは、周知の事実だ。密貿易は重罪だ。その情報は無辜むこの民への犯罪の証拠でもある。それを秘密にすることが、真に「裁きの主」への偽りでないと言えるか?」

「お言葉ですが、その件に関する捜査はもう済みました。父は罪を償いましたし、密貿易に関係した「扉」についての情報は、すでに全て公開されています。これ以上先のことは、完全に個人的な事柄です」

「しかし、コンスタンティン様。先代の蒼姫様の後見人として、アンドレ様が最も精力的に活動していたのは事実です。今、先の戦の生き残りで、「依代」の行方をご存知の方があるとすれば、あの方をおいて他に無いでしょう。

 それに、自警団による初動捜査が不十分であったことは、遺憾ではありますが、教会騎士団としては同意せざるを得ません」

「…………。主に誓って言う! 我がバレーロ家に、一切隠し立ては無い! …………言いがかりはもうたくさんだ! こんな議論は、不毛だ!」

「それについては、私も同意だな。ここでいくら「依代」の行方を追及しても、埒が明かない。奉告はその点を省いて行えば良い。少なくとも、「紅の主」として同じ立場にあったなら、私はそうする。…………なぁ、リーザロット? 君は、それではいけないと思うのかい?」

「先代の蒼姫様には、あまりにも不明な点が多くあります。私は、「偽らない」とは、単に嘘を吐かないことではなく、あくまでも主に誠実であろうとすることだと信じています」

「相変わらず頑固な姫だ。…………要するに、現「蒼の主」としては、「謁見」の有無について一切引く気は無いと?」

「はい」

「私も蒼姫様の仰ることには深く共感いたします。霊ノ宮の方でも、少なからず調査に協力させて頂いてきましたが、あのような亡くなられ方をなさった先代の御霊が、これほどまでに沈黙しておられるのは尋常ではございません。今朝ほど、エレノア様にもご意見を伺いましたが…………」


 ああ、もう、何を言っているやら。俺には、もう限界だ。

 俺は悪魔じみた眠気を紛らわそうと、賢者たちの仰々しい名前に対抗して、もし自分にもミドルネームがあったらと妄想し始めた。居眠りするよりかは、若干マシだろう。

 「初めまして。ミナセ・ロドリゲス・コウです」。強そうで悪くない。でも折角だから、もっと華やかな雰囲気が欲しい。「ミナセ・ド・ボーヴォワール・コウであります」…………馬鹿っぽいな。


 俺の思考能力がみるみる下がっていく中、ふと「何か」が俺の背をよぎった。ほんの一瞬のことだったが、まるで透明人間が忍び足で、ハンカチ落としでもしたかのような感じだった。


(…………?)


 そんなに不安でもなかったが、俺は一応ツーちゃんを見やった。ツーちゃんは真剣に議論に参加しつつも、珍しくすぐに返してくれた。


(どうした? 寝たらフレイアに貴様の性癖ろりこんをばらすぞ?)

(だから違うって!! …………それより、なんか今、変な感じがしたんだ。何か透明なものが後ろを通り過ぎていったような、妙な気配がした)

(フム、どんな魔力だった? 貴様の感覚で良いから、言ってみろ)

(わからない。本当に一瞬だったから、何の味もしなかったし…………)


 その時俺は、なぜか吸い寄せられるように視線を「裁きの主」の祭壇へと伸ばしていっていた。竜の水晶じみた瞳が陽の光を浴びて七色に光っている。竜像の頬に走る、涙の跡のような一筋のヒビが、不思議と心に沁みた。


 会話が霧のように晴れて、急に辺りに静寂が訪れる。何だか俺だけが別の世界に迷い込んでしまった気分だった。

 世界のどこかで、小さな命の芽生える息吹が聞こえて、ハッと息を飲む。よく見れば、いつしか竜像の瞳の上に幼い植物が生えていた。確かな生命の存在に、身体中が震えた。


(お前、か?)


 植物に問いかけても、当然ながら答えは無い。それでも俺は相手を見つめ、しばらくはじっと耳を澄まし続けていた。なぜかツーちゃんの声すらも、今は全く聞こえない。俺は空間からも、時間からも遊離していた。

 そんな折、隣でずっと口を噤んでいた翠姫様が、ぽつりとこぼした。


「…………来る」

「え?」


 俺は思わず尋ね返した。翠姫様は弾かれたようにこちらを振り向くと、急に驚いたような、怒ったような表情になって怒鳴った。


「「勇者」さん! 気付いていたなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!?」


 その声を聞いた瞬間に、俺は一気に我に返った。

 同時に、世界が嘘みたいに一変した。


「――――――――精鋭隊、直ちに「玉座の間」へ集合せよ!!」


 ヤドヴィガ団長の地も割れんばかりの叫び――――脳天をガツンと打つ、文字通り衝撃的な号令だった――――に続いて、ツーちゃんの詠唱が甲高く響いた。彼女の小さな指が、めまぐるしく印を展開していく。


 強い、生温かい風が広間に吹き荒れる。

 深い闇から地下鉄が迫りくるような、湿った圧が胸をキリキリと締め上げた。警笛に似た、破滅的な勢いを持った魔力が俺の呼吸を止める。

 恐ろしく苦い、ドロリとした粘液が舌から喉へ這う。

 気管支から肺に至るまで、真っ黒に染まっていく。

 身体が、熱い。


 俺は呆然と、あわただしく席を立つ貴族たちや、腰を抜かす商会連合のオッサンや、怯えて椅子の下に蹲る、何とか組合の人の尻を眺めていた。目には映っているけれど、誰が何をしているやら、全く頭が追い付かない。飛び交う人々の声が、悲鳴のように脳内にこだました。


「――――コウ君!! 総司教様!! 今、参ります!!」


 リーザロットの切迫した声が、キィンと耳をつんざいた。

 彼女の詠唱と共に、どこからか呼び出された金色の羽衣が俺をフワリと包み込む。俺はヴェルグが冷たく目を細めるのを見た。

 ヴェルグはゆらりと優雅に扇を揺らし、聞こえるか、聞こえないかの穏やかな声で呟いた。


「…………ああ。これはまた、大きな魚だね。…………何人生き残るかな」


 俺は円状に並んだ椅子の中心から、勢いよく瓦礫を跳ね上げて躍り出た、黒く迸る一筋の「蛇」…………いや、渦潮うずしおの如く激しく巻く、漆黒の「竜」に、瞬く間に抱き込まれた。


 暗黒が俺の目の前を、背後を、頭上を、壁の如く染め上げている。

 迫る死の予感に、俺は叫ぶことすらできなかった。

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