第88話 賢者たちの会合。俺が独り、向き合わねばならないこと。

 …………リーザロットがいる。

 彼女はすました表情で、じっと俺を見つめ返していた。頬にはまだ戦いの時の痣がうっすらと残っていたけれど、思っていたよりかは顔色が良かった。


 彼女は俺と同じ、濃紺色のドレスをゆったりと着こなし、長い髪を後ろできれいに結い上げていた。いつもよりぐっと大人っぽい。滑らかなうなじをふんわりと覆う純白のベールが、花嫁さんみたいで可愛らしかった。

 リーザロットは蒼い瞳をぱちりと瞬かせると、たおやかに目を伏せた。ちょっと熱心に見つめ過ぎたかもしれない。


 他には、身なりの整ったオッサンがたくさん並んでいた。ちらほらと若い奴もいたが、なぜか皆、年寄りくさい表情をしている。

 俺は一際熱い視線をこちらに送ってくる、正面方向の初老の男に目を留めた。


 ギョロリと動く大きな目玉に、大胆に迫り出した立派な鉤鼻。真っ黒いローブに、同じ色の山型の帽子。爆発したようなチリチリの長髪と、何やらいわくありげな、妖しい紫の宝石が埋め込まれた杖。まさに、絵に描いたような「魔術師」である。

 二つの目玉もさることながら、杖の頭の宝石がまるで第三の目玉の如く、鮮烈に俺を睨み据えてくる。つい負けるもんかと必死になって睨み返していると、ツーちゃんから念話が届いた。


(よせ。あやつは現・魔術師会会長、アーノルド・ジル・ロティス。野心家で、サンラインの独裁支配を目論む危険人物よ。もういい歳のくせに、すぐに頭に血がのぼる。あまりガンを飛ばすな)


 俺は驚きつつ、無言でツーちゃんを見やった。だが彼女は俺に目もくれず、淡々と会議を進めていった。


「初めに、皆には自己紹介を頼みたい。一座の内には、もう嫌と言う程知り合った仲の者も多かろうが、此度は新参者がおる。新たに代替わりした領主もおるし、冗長にはなろうが、必要なことだ」


 「賢者」達はそれぞれに頷き、提案に同意を示したようだった。大方、念話かなんかで繋がり合っているのだろうが、それにしてもスムーズ過ぎて、不気味な光景だった。

 新参者とは多分、俺のことだが、この連中の内に割って入るのはぶっちゃけ、気後れした。


 集まっているのは、俺を含めて総勢18人。(うち、5人は女性だ)全員分の紹介となると結構長くなりそうだったが、右も左もわからない俺としては、面子の確認ができるのはありがたかった。


 紹介は俺のすぐ右隣の男から始まった。

 薄茶色のローブを身に纏った、頬の垂れた血色の良いオッサンで、取り立てて特徴は無いものの、目じりの下がり具合がどこかタヌキを彷彿とさせた。

 タヌキ男はいそいそと立ち上がるなり、見た目に似合わない、歯切れの良い口調で喋り始めた。


「では、まずは私から失礼いたします。

 私はサンライン商会連合の総代を務めます、マリオン・ユニ・オニールと申します。この度は賢人会へお招きいただき、誠にありがとうございます。尊き主の御威光の下、栄えある賢人会の末席を汚させていただき、誠に喜びにたえません。

 さて、昨年、私が組合長を務めておりました商人組合は、かねてより協働関係にありました流通組合とめでたく合併し、商会連合として新たにスタートいたしました。これにより長年の悲願であった国内外の物流一本化が達成され、我々は益々精力的に、効率的に務めに励めるようになったものと自負しております。

 特に、この春ついに完成いたしました東方領への独自の竜航路は、連合の前途をより一層明るく! 輝かしく! 拓いていくものと確信しております。

 及んではサン・ツイード市の発展も、まさに朝日の昇るが如き勢いでございましょう。来るべきジューダムとの大戦におきましても、紅・蒼・翠の大勝旗が雄々しく翻る様が、ありありと目に浮かぶようであります。

 これも一重に、「賢者」の皆さま方の…………とりわけ、そちらにおられます大魔導師、ヴェルグツァートハトー様、ならびに、国一の英雄たる中央区領主様のおかげと、深く心得ております。お二方のお力添え無ければ、かような大事業…………二大組合合併、新航路開拓といった、忌まわしき旧習を打ち破り、我らが栄光のサンラインに誉れ高き革新をもたらす象徴的事業は、到底成し得ませんでしたでしょう。

 白き恵みの雨とは、まことお二方の無限なるご慈愛に他なりません。身勝手ながら、この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第であります…………」


 …………長っ。

 演説を終え、いそいそと席に着くタヌキ男を横目に見つつ、俺は密かに息を飲んだ。信じがたいことだが、彼の手元には演説用カンペがまだ4枚も綴られていた。何に使うんだ?


(賢人会用が2枚、奉告祭用が1枚、締めの挨拶が1枚、というところだな。…………例年からすれば、手短な方よ)


 吐き捨てるようなツーちゃんのコメントに蒼ざめ、俺は同じ調子で続くのかと不安を込めて、次へと視線を伸ばした。こんなのがあと16人もいるとか、堪ったものじゃない。

 だが幸い、次の男の口上は極端過ぎるぐらいにシンプルだった。


「我が名はトゥール・ロマネ・スリング。東方区総領主である」


 やおら痩せた男が立ち上がり、言うなりすぐに腰を下ろした。あまりの素っ気なさに俺が唖然としていると、ツーちゃんから同じく、味気のない解説が届いた。


(そやつの言った「領主」というのは、要は貴族だ。なかでも東西南北の各領地を統括する総領主と、サン・ツイード市内を管轄する中央区領主を五大貴族と呼ぶ。いずれも古い英雄の血を引く一族で、代々「賢者」の称号を受け継いでおる。…………何もしないくせに、やたらと偉そうなのが特徴だ)


 なるほど、貴族ね。俺はひとり頷き、蒼白い男の顔を改めて眺めた。座の内では比較的若い男である。繊細な顔つきに似合わない、ちょっと奇妙な口ひげが印象的だ。ナイフのように鋭く走る、真っ黒な眼光。かしずかれるのが当然と、生まれてこの方一瞬たりとも疑わず生きてきた者特有の、謎の迫力があった。

 やはり同じニートでも、俺とは別の生き物なのか。


(そうだな。魔術の才が血統に、否応無しについてくるしな。あやつもああ見えて、相当な魔術師だ。増長して敵わんがな)


 俺はもう一度頷き、次へと視線を送った。

 今しばらく、貴族が続いた。


「南方区領主、ウラジミール・ド・レ・ヴァレリー。どうぞお見知りおきを」

「北方区領主、フリードリヒ・セレヌ・クルシュマン。右に同じく」

「西方区領主、コンスタンティン・リリ・バレーロ。父上に代わり、新たに領主となった。よろしく頼む」


 皆、いかにも貴族然とした雅な顔貌の男たちだった。しいて言えば、南の人は目の離れ方が魚に似ていて、北の人は頭の形がダチョウに似ていた。西の人だけ飛び抜けてハンサムだったが、その目つきにはどこかカラスに似た、油断ならない狡猾さが潜んでいた。


 さっさと立っては座っていく貴族に、ツーちゃんの隣に座っている綺麗なご婦人が時折声をかけていた。「お元気?」程度の簡単な挨拶だったが、西の領主とだけ、少し込み入った会話を交わしていた。


「お久しぶりね、コンスタンティン。貴方が当主になったということは、アンドレ伯父様はもうご隠居なのかしらね?」

「はい。父は今、ドルゼン氏の居候となっております」

「いつからですの?」

「三年前からです。私が学院から戻って、すぐのことでした」

「ふぅん…………。先代の「蒼」の事件のせいね。後悔なさるぐらいなら、やらなければよろしいのに。伯父様は、相変わらずのご様子?」

「いえ。ようやく赦されたと言って、日々、氏の庭で釣りに勤しんでおられます」

「そう、それならば良かったわ。…………それにしても、ドルゼン家とは懐かしいこと。昔はよくお庭でパーティをしたものよ。あの頃はまだ皆、竜を食べていて、中でも貴方の曾曾ひいひいお爺さんが作るローストは絶品でしたのよ。そうね…………今度、私も遊びに行こうかしら」

「いや、それはどうか、ご容赦を」

「フフ、冗談ですよ。私が行ったら、皆大騒ぎですものね」


 女性は極めて高潔な、一輪の薔薇のような人だった。決して若くは無いが、その甘やかな美貌には、男なら誰もが振り返ってしまうに違いない。怜悧な菫色の瞳と、流れるグレーの髪が、成熟した大人の落ち着きを香らせている。

 きっと、彼女が翠姫様だろう。


 ともあれ順番は、雪のように白いローブを着た、白髪のお爺さんにまで巡っていった。

 途中には、「スレーンの族長」や、「錬金組合代表」といった人の紹介があったが、あまり印象には残らなかった。どちらもごく標準的な中肉中背のオッサンで、特にスレーンの族長の方は、言われてみれば日本人っぽくはあったものの、パッと見た限りでは、ただ日に焼けただけの、よくいるサンライン人にしか見えなかった。


 お爺さんは、服こそ真っ白だったが、サンタクロースそっくりの優しそうな顔をした人だった。彼は丸々と太った身体を、ちょこんと雪だるまのように折り曲げてから挨拶を始めた。


「どうも。教会総司教の、パトリック・テラ・ウルスラです。年寄り連中は、もううんざりするほど見慣れた顔でしょうが、まぁ、居間の飾りだとでも思って、今しばらくはご辛抱ください。

 はて、さて…………。総司教を任されるようになって、もう幾度目とも知れない奉告祭なのですが、ここだけの話、今日ほど楽しみに紡ノ宮に足を運んだことはありませんでした。というのも、今回は大変珍しいお客さんが来てくれていると聞いておりまして。

 …………ねぇ、「勇者」さん」


 急に話をふられて、俺はギョッとして肩を縮込めた。

 対する総司教はニコニコ笑顔のまま、俺を真っ直ぐに見つめながら、和やかに話し継いだ。


「ホッホ、そう固くならずに。私は、ただのじじいです。魔術も剣も、なーんにも使えませんからな。ホッホ。

 それはさておき、のう、「勇者」さん。はるばるオースタンからいらっしゃったそうですが、どうですか? サンラインは。元気に過ごせていますか? ご飯は、おいしいですか?」

「あ…………は、はい。元気です。ご飯も、いつも、とってもおいしいです」

「ホッホ、それは何より。若者は、元気が一番」


 総司教は満面の笑みで何度か頷くと、ゆったりとした調子で話を続けた。


「「勇者」さん。すでにご存知かもしれませんが、実は、サンラインは今、とても大変なことになっています。サンラインという国は、これまでにも何度もピンチに陥ってきたのですが、今回は特に危ない。

 オースタンでは滅多に見られませんでしょうが、この頃は大きくて真っ黒な魚が、しょっちゅう海から上がってくるんですね。…………ジューダムという国の人が、わざとここへ迷い込ませているんです」


 穏やかな話しぶりだが、話はかなりシリアスである。俺は身を乗り出して耳を傾けた。

 総司教はそんな俺の姿をぽつんと青い瞳に映しつつ、淡々と、しかし慈愛を込めて語っていった。


「この、黒い魚というのはですね、魔海の、深ーい深ーいところから泳いでくる、魔物です。寂しいだとか、悲しいだとか、愛しいだとか…………生きていれば必ず命が抱く、大切な気持ちが湧いてくる源泉のような場所で、気持ちの双子のごとく生まれてくる生き物です。

 色んな気持ちの、片割れの生き物ですからね。この魚は、私たち人間の気持ちのありようによって、冬の嵐のようにも、夏の凪のようにもなります。ちょうど、魔術が良いものとか、悪いものとか割り切れないみたいに、この魚も、必ずしも悪い子になるというわけではないんですね。

 …………ですが、さっきも言ったように、今はとっても世界の色が悪い。魚達は、あんまりにもたくさんの、つらい、苦しい気持ちを飲み込んでしまいました。あの子らは餓えた獣のように命を襲い、食べてしまうようになったんです」


 総司教はしょんぼりと眉を落とし、さらに言葉を紡いでいった。


「そう…………。「勇者」さんがそんな顔をするように、これは非常に可哀想な話です。

 人の気持ちは、ままならないものです。一人でいる時の気持ちと、みんなで集まった時の気持ちがかけ離れていることなど、ちっとも珍しくもありません。一度、負の気持ちが坂道を転がり始めたら、もう誰にも止めることができません。

 …………そのうち、ジューダムの人たち自身も、サンラインへやって来ることでしょう。山ほどの武器と、憎しみと、哀しみを携えて、同じように、海ほどの武器と、憎しみと、哀しみを拠り所にした、サンラインの人たちと戦うために」


 総司教は涙の零れるような、慎ましやかな瞬きを一回、した。


「「勇者」さん。先程、「玉座の主」と対面するあなたを見て…………私は思いました。

 あなたはとても弱い人だ。脆く、儚く…………そして、この場の誰よりも強く、主の恵みを望んでおられる。

 あなたの魂は、偽ることができない。それこそ、このサンラインでは危ういぐらいに、まっさらだ。

 「勇者」さん。じじいは、あなたのような人が好きですぞ。あなたにはきっと、豊かで、良い恵みがありましょう。

 初めましての挨拶には、ちょっとばかり長くなってしまいましたが、じじいはあなたの活躍を心から期待しております。どうか、そのままの素直なあなたで、頑張ってくだされな」

「は、はい。…………ありがとう、ございます」


 俺は萎縮しながら、頭を下げた。なんだかよくわからないが、応援してもらえたことは素直に嬉しかった。

 ツーちゃんはいつもの呆れ顔で、いくらかくだけた調子で言葉を投げた。


「パトリック。話が長いぞ」

「ホッホ、職業病です」

「まったく、説法は教会の中だけにせよ…………と、思ったが、ここが総本山だったな。これだから坊主は、食えん」

「ホッホ。百年分、喋った気分ですじゃ」


 ツーちゃんはキッと俺を睨むと、はしゃぎ過ぎた子犬を叱るように念話をぶつけてきた。


(まったく。…………コウ、念を押すが、くれぐれも余計なことは喋るなよ? 「いつも、とってもおいしいです」。あんな馬鹿みたいな面をもう一度見せたら、タダじゃおかないぞ!)


 俺は小さく肩をすくめ、服従の意を示した。同じ年寄りでも、こちらはずいぶんと荒々しいものだ。


 総司教が腰を下ろすのと入れ替わりに、次の男が立った。今度は目に深い隈のある、死体のような顔色の男で、明らかに気候に合わない、分厚いラシャの深緑色のローブをキッチリ首まで留めていた。

 彼は囁くような、低い声で話した。


「わたくしは霊ノ宮が大宮司、ロドリゴ・アウフ・カンタータです。「賢者」たる皆様方に拝謁賜り、恐悦至極に存じます」


 俺はすこぶる体調が悪そうな男の顔を眺めながら、「霊ノ宮」と聞いて、ふと昨日の晩にタリスカが言っていたことを思い出した。


 ――――…………かねてより警戒していた例の呪術師は、東方の神殿跡に葬った。

 ――――霊ノ宮の者であった。


 背筋に寒気が走る。「呪術師」なんて聞いてしまったせいもあるだろうが、実際、大宮司の男の眼差しには、今までの人間よりも遥かに濃い、殺気じみた気迫がこもっているように見えた。


 大宮司はおもむろにリーザロットの方を向くと、ぞっとする程丁寧な、抑揚の無い語り口で言った。


「蒼姫様。昨晩は、宮の者がとんだ非礼をつかまつりました。全てはわたくしの監督不行き届き故。深く陳謝いたします。…………かの骸の騎士殿にも、ぜひお詫びを申し上げたいのですが、彼は今、どちらにおられますでしょうか?」


 一座の視線が集まる中、リーザロットは穏やかに答えた。


「タリスカは、今は蒼の間に控えてくれています。ですが、お詫びなどは結構です。彼もまた呪いを宿す身。同じく呪われた者を手にかけた苦しみは、察するに余りあります。…………今はただ、亡くなった方のご冥福をお祈りいたしましょう」


 大宮司の暗い緑色の瞳が、妖しく揺らぐ。

 俺は舌をザラリと撫でる、刺々しい魔力の感触に身を震わせた。固くて苦い、不穏な力の滞りを頭の上に感じる。

 大宮司は骨張った顔に、ふ、と亡霊じみた笑みを浮かべると、


「承知いたしました」


とだけ呟き、微かに会釈して席に着いた。


 俺は腕中に広がった鳥肌を撫で、こっそりと長い息を吐いた。どうやら無意識のうちに、自分でも信じられないぐらいに気を張っていたようだった。額から、とんでもない量の冷や汗が噴き出している。


(コウ、どうした? 平気か?)


 ツーちゃんの呼びかけに、俺はあくまでも表面上は何事も無かった風を装って答えた。


(大丈夫。でも…………何だかすごく、重たい扉の気配がする)

(扉だと?)

(俺の上にある。あの大宮司の魔力を感じた途端に、一気にのしかかってきた。ツーちゃんは感じないの?)

(いや…………それは恐らく、魔術ではなく…………。だが、わかった。心に留め置こう)


 魔術じゃない? じゃあ、何?

 俺は汗を拭いつつ、リーザロットを見やった。彼女は心配そうにこちらを見返すと、ほんのちょっぴりとだけ、気遣うように眉を寄せた。

 俺は強がって真顔に戻り、次の話者へと目を向けた。


 今はそんな場合じゃないかもだけど、ここでもお姫様におんぶにだっこじゃ、あまりに格好がつかない。

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