第87話 紡ノ宮に注ぐ白い雨。俺が「裁きの主」と邂逅すること。
紡ノ宮に着いた俺を最初に出迎えたのは、真っ白なドレスに身を包んだ、背の高い女性だった。特別美しい顔立ちとは言えなかったが、スラリとしてスタイルが良く、容易には目を合わせられないような、高貴な雰囲気を纏った人だった。
彼女は神殿の門前で、静々と頭を下げた。
「お待ちしておりました。「勇者」ミナセ・コウ様。私は宮人長第3補佐、カスターシャ・リラ・ウルスラと申します。「蒼の主」より、「勇者」様を玉座の間へ案内するよう仰せつかっております。…………どうぞ、こちらへお越しください」
女性は舞のごとく優雅に身を翻すと、鶴みたいに音もなく歩み出した。よく見れば、ビックリするほど高いヒールを履いている。
俺は今までとは打って変わって、急に厳めしい顔になったクラウスを見やった。目つきがぐっと険しくなり、全身の毛がやや逆立っている。クラウスはチラッとだけ俺と目を合わせると、「はやく行け」とばかりに、後ろへ一歩下がった。
「君は来ないの?」
「私は、ここまでです」
クラウスの答えはすげない。俺は仕方なしに、女性の後を付いて神殿の中へと入って行った。
何でできているのかよくわからないが、「紡ノ宮」はとにかく真っ白で、大理石の聖堂のように荘厳だった。
天井が物凄く高く、見ていると訳も無く心細くなってくる。明かり取り用の細長い嵌め殺しの窓から、燦々と陽光が降り注いでいる様は、なるほど「白い雨」って感じがする。
女性は、キョロキョロと落ち着かない俺とは対照的に、相変わらず黙々と廊下を進んでいた。俺の方を一切、振り向かない。気のせいかもしれないが、どこか軽蔑されているような気配がある。
左右に置かれた竜の彫像が、ガーゴイルのようにじっと俺を見張っていた。
味はしないが、物凄く濃密な魔力が滞っている。身体の芯までズブリと染み入ってくるような、肉体も霊体も、余さず押し包まれるような、どうしようもなく強い力が空間中に満ちていた。息苦しくて堪らない。
俺は前を行く貴婦人に、勇気を出して尋ねた。
「あのー…………すみません、ちょっといいですか?」
カスターシャと名乗った女性は、眉一つ動かさずに振り返った。
「何か?」
「ここに満ちている魔力って、誰のものなのかなと思いまして。ご存知ですか?」
途端にカスターシャの目が大きく見開かれる。くすんだ空色の瞳が、一瞬にして蔑みに染まった。鋭い眼光が、侮蔑やら怒りやらで、さらに鮮烈に尖っていた。
「私を、からかっていらっしゃるのでしょうか?」
「え? い、いや、決してそんなことは」
「では、本気で…………お尋ねになっていらっしゃると?」
「はい。あの、何かマズイことでしたか?」
「…………いいえ」
カスターシャは液体窒素も凍てつく程の、圧倒的な冷気を全身から発し、言葉を継いだ。
「紡ノ宮は、「玉座の主」のまします神聖なお宮です。ですから、ここに満ちておりますお力は全て、「主」のお恵みでございます」
俺は無機質かつ超高圧的な眼差しに気圧され、ただの一言も発することが出来ずに、ひたすらに頷いた。
ヤバイ。どうやら、いきなり地雷を踏んだらしい。
カスターシャは何も言わずに踵を返し、また前を歩き始めた。俺は肩をこれでもかと縮め、迷い込んだ野良犬の如く、みすぼらしく後をついて行った。
廊下の突き当りにある、両開きの巨大な扉の前まで着くと、カスターシャは淡々と述べた。
「この扉の奥が、玉座の間となります。これより先は主の御前となりますので、私はこちらにて失礼いたします」
「あなたは入らないんですか?」
「主への拝謁は、「賢者」の称号をお持ちの方のみに許されております」
俺はもう一つ地雷を踏み抜いたことを察し、口を噤んだ。どうりで、俺を連れて来たがらなかったわけである。さっきの質問も、やはりとんでもないことだったようだ。
カスターシャは醜い子犬を放り捨てるように、一切振り変えることなく、しなやかに足を運んで去って行った。
俺は仰々しい装飾の施された、威圧感たっぷりの大扉の前で、しばし立ちすくんでいた。
さっさと入るべきなんだろうが、あんなにあからさまに、いきなり嫌悪をぶつけられるとつい躊躇ってしまう。オースタンを出てから、なまじ親切ばかり受けてきただけに結構堪えた。
無意味にぐずぐずしているうちに、背後から低い声がかかった。
「ミナセ殿。何をなさっているのです?」
「ヒッ!」
俺は意表を突かれ、みっともない悲鳴を上げて飛び退いた。
仰げば、そこには太い腕を偉そうに組んで立ちはだかるグラーゼイの姿があった。
「…………ッ」
俺は気まずいながらもすぐに気を取り直し、言い返した。
「別に…………これから、中に入ろうとしていただけです!」
「ほう。それにしては、随分と長いこと前に立っていらっしゃったようですが」
どこから見てたんだよ!
俺はこみ上げてくる苛立ちと恥ずかしさを噛み締め、続けた。
「それは…………警戒して、いたんです」
「ほう。…………何をです?」
「オースタンを出てから、何度となく襲撃を受けてます。あんまりここで言うことじゃないかもしれませんが…………その元凶が、この扉の内にいるんです。何かあるかもって、覚悟しとくに越したことはありません」
「フム、覚悟。どのように?」
「それは…………」
言い淀む俺に、グラーゼイは容赦無く言葉を被せた。
「ミナセ殿、どうぞご自身のお仕事に集中なさってください。この紡ノ宮の警護は、我が精鋭部隊が鋭意、間断なく務めております。扉の内には、「賢者」の称号をお持ちの教会騎士団団長・ヤドヴィガ殿もおられます。ミナセ殿が気を煩わす事由は、些かもございません」
「だけど…………」
だけど、実際その通りだろう。
俺だって、咄嗟に口走っただけで、そこまで本気で用心していたわけではなかった。リーザロットや他の人もたくさんいるのに、そうそう俺だけが危険に晒されるはずは無いと思っていた。
俺はおとなしく自分の負けを認め、息を吐いた。
「そうですね。…………お勤め、ご苦労様です」
「いいえ。この身は元より主に捧げしもの。常と変わりません」
「殊勝ですね。…………ところで、中には入らないんですか?」
俄かに、白銀の毛並みがざわめく。黄金色の目がギラリと重々しく光った。俺は心の中でほくそ笑みつつ、扉に手を掛けた。
「それでは、またいずれ。…………フレイアによろしく言っておいてください」
もうオオカミの面は見ない。俺は真っ直ぐに前を見て、扉を押し開けた。
ズラリと並んだ色とりどりの目に、一斉に俺が映る。椅子が円状に並べられており、もっとも扉に近い席以外は、全て埋め尽くされていた。
俺は思わず唾を飲んだ。
しかしそれよりも、正面に悠然とそびえ立つ、勇壮な竜の祭壇に心を奪われた。
水晶に似た竜の透明な目が、静かに光りながら俺を見下ろしていた。精巧に彫り込まれた翼と鱗が、確かな生命の息吹を俺に伝えてくる。竜の背後から差す真っ白な陽光が強く、深く胸を打つ。
透き通った濃厚な魔力が、たちまち大気中に満ち満ちた。少し冷えたそよ風が、俺の身体を気持ち良く吹き抜けていく。胸の底に潜む炎が…………「邪の芽」が、突然、何かに駆られたように危なっかしく騒ぎだす。
風が炎を撫でていく。決して弱くは無い風。だが、荒々しさなど微塵もない。大きな大きな、巨人の手のひらに包まれたような気分だった。
暗き炎の狂乱は瞬く間に鎮まっていった。
俺はほのかな冷たさを舌に感じながら、いつの間にか握りしめていた拳をそっと解いた。
我に返ると、急に場が現実的な色を帯び始めた。集中する視線に、唖然として黙っていると、俺から見て十時の方向に座っている少女が声を上げた。
「座るが良い、コウ。「裁きの主」は、貴様を認めた」
赤い、いつもよりも豪華なワンピースを身に纏ったツーちゃんは、俺が着席したのを見届けると、いつになく厳粛な口調で宣言した。
「さて、役者は揃った。
これより…………賢人会、そして奉告祭を始める」
俺は深呼吸をし、一座を見渡した。
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