第53話 蒼姫様の告白と、裁きの主の罪と罰。俺がリーザロットに弄ばれること。
館に戻った時、俺たちは全員リーザロットの部屋に集められていた。
いつの間にかぐったり萎れている薬屋と、それを肩で支えている俺。タリスカは膝をついて頭を下げていた。俺達と向かい合うリーザロットは、ちょうど何らかの詠唱を終えたところであったらしく、蒼い瞳を冬空のシリウスのごとく、鋭く麗しく冴え渡らせていた。
俺は急に脱力してしまった薬屋を訝しみ、彼の顔をおずおず覗きこんだ。薬屋は口をだらしなく開け、ぐっすりと眠りこけていた。微かな鼾が、一定のリズムで俺の身体に響いてくる。重たいこと、この上無かった。
「コウ君、ありがとう。あんまり騒がしいようだったから、ちょっとお休みしてもらっているの。…………もう降ろして大丈夫よ」
俺は言われた通り、ぞんざいに薬屋を床に転がした。薬屋は何やらムニャムニャと寝言を喋っていたが、やがてまた元気に鼾を立て始めた。俺に言われたくはないだろうが、散々騒動を起こしておいてまぁ、呑気なものだ。
リーザロットが視線で促すと、タリスカはおもむろに立ち上がって、例の卵が入った小瓶を取り出し、浮かない顔つき…………というより、憔悴しきった面持ちのリーザロットに手渡した。
タリスカは落ち着いた声音で言い添えた。
「盗品の人形の核は見つからなかった。恐らくはヤツの肉体と共にあるのだろうが、霊体であることにも気づかぬ様子であった故、肉体の捜索は困難と判断した」
「そう…………ありがとう」
リーザロットは小瓶を傍らの机に置いて静かに返事をすると、俺の足元に転がっている薬屋を冷たく見下ろして呟いた。
「愚かな人」
俺は気持ちよさそうに眠る薬屋を見、それからまたリーザロットを見つめた。彼女の酷薄極まりない表情に、俺は本当に彼女が薬屋の死を悲しんでいたのかと、改めてタカシに問い質したくなった。リーザロットの瞳は底知れない深みと混沌に揺れて、あたかも夜の海が、その一点に凝縮されて封じ込められてしまったかのようだった。静かな凶暴さが秘められている、凍えた危険な眼差しだ。
「コウ君」
見透かされたようなタイミングで呼びかけられて、俺はギョッとした。
「あっ、ハイ」
俺はぎこちなく応じ、彼女の顔を改めて見た。もう凍えた目はしていなかったけれど、リーザロットは俺のことを、何もかも見通していたようだった。
「まずは、この人を助けに行ってくれてありがとう。信じられないかもしれないけれど…………私、本当にずっとこの人のことが気掛かりだったの。口ではああ言いましたが、本音としては、どんな形でもいいから、決着が欲しかった」
リーザロットは微かに口の端を緩ませると、物憂げな眼差しをじんわりと滲ませて話し続けた。
「その人は毎晩、私を呪っていたわ。もちろん、本職の術師でない彼の呪いなど、ものの数ではありませんでしたが、それでも気が滅入ることには変わりませんでした。…………一方向に向けられた強い気は、それだけでもう、術のようなものなのです。そういったものに、あまり好んで当たりたくはありません」
リーザロットはやや目を細め、なぜか己の手のひらをじっと見つめた。
「取るに足らない憎しみも、積もり積もれば自ずから息づきます。憎しみの対象など最早必要無く、恨みそのものが恨みを生み、育み始めるようになると、憎しみが元の人格を飲み込むまでに、そう時間はかかりません」
リーザロットはゆっくりと開いた手を握り、俺を見やった。
「でもね」
彼女の顔にうっすらと笑みが浮かんだ。
「私にとっては、彼がそうなってくれた方が、嬉しかったかもしれない」
リーザロットがもう一度手を開いた時、そこにはいつの間にか、キラキラと光る薄桃色の宝石が一粒、乗っかっていた。小さな、愛らしい丸っこい石で、ダイヤモンドみたいに透き通っていた。
リーザロットは手の上でその宝石をころころと弄び、独りごつように話を継いでいった。
「その方が、罪悪感が無くなるんです。それに、ようやく私にも理解できるようになったと、安心もできます。生のままの彼では見え辛かったことが、感覚で分かるようになるので」
「…………感覚?」
俺が繰り返すと、リーザロットは急に宝石を垂直に宙へほうって答えた。
「魔力の感触と同じです」
リーザロットが落ちてきた宝石をキャッチした途端、宝石は桜色の細かな花びらに変わって舞い散った。花びらはひらひらと床に降り、たちまちリーザロットの足元を華やかに染めた。
俺が見惚れて呆気にとられていると、リーザロットは俺の傍にゆっくりと歩み寄ってきて言った。
「失礼」
リーザロットは俺の目の前で握っていた手を開くと、中に残っていた花びらを一枚そっと指で摘まんで、俺の唇に押し当てた。
「――――!?」
俺の心臓がドクンと大きく高鳴った。緊張して口もきけないでいると、リーザロットは甘味のある声で、俺の耳元にそっと囁きかけてきた。
「コウ君、わかる?」
「えっと…………何が、です?」
「魔力の、通う感じ」
俺はごくりと唾を飲んだ。首筋からリーザロットの体温が伝わってきて、そして何より、女の子らしい柔らかい香りが絶えず鼻腔を通り抜けていくせいで、それどころではなかった。
俺は戸惑い、リーザロットの顔を改めて見つめ直した。くっきりとした目鼻立ちの中でも特に際立つ、好奇心の強そうな海の目が、真っ直ぐに俺を射ていた。俺はもう、どうしようもなく、黙って彼女を見つめ返す他なかった。
まごついている俺に、リーザロットは静々と語った。
「私は…………あなたが愛おしい。その思いが、より純粋な形へと変わって、魔力の海に溶けていく。その広がる波紋をなぞって、私はこうして、魔術を編むの」
俺はリーザロットの瞳に、ふと優しげな光が差し込むのを見た。ともするとリーザロットの内側にそのまま溶け込んでしまえそうな、不思議な引力がそこに宿っていた。
彼女の蒼い水面は、今は静かに凪いで、月光に似た澄んだ光ばかりを、さざ波にちらつかせていた。
俺は彼女の瞳に深く深く魅入りながら、確かに、彼女の奥に扉の存在を感じた。隙間風が抜ける程度の微かな流れだったけれど、彼女の力がつつと俺の身体に通ってくるのがわかった。とろとろとした、蜜のように甘い魔力が、ゆっくりと喉の奥へと垂れていく。
彼女が俺の唇から花びらを離すと同時に、扉は煙のように消えた。残ったのは花の香に似た、リーザロットの清潔な匂いだけだった。
リーザロットはほんの少し、はにかんだ笑顔を見せると、そのまま話を再開した。
「今のが、私のあなたへの気持ちです。無事に伝えられて良かったわ。
…………そこの彼はね、こういう交流が大嫌いで、私の術を片っ端から拒んだの。だから、どんな術も届かなかった。私は彼を救うことができなかったの。
ですから…………霊体だけでも、助け出してきてくれたコウ君には本当に感謝しているんです」
俺は鼾を盛大に轟かせている薬屋を見下ろし、溜息を吐いた。
「まぁ、偶然だよ。タリスカがいてくれたからこそだったし」
リーザロットは左右に首を振ると、言葉の代わりに俺の手を取った。彼女の両手のひらから伝わってくる熱っぽい気持ちに、俺は思わず顔を俯けた。リーザロットは、ある意味ではキスよりもハグよりも厄介な、生粋のオースタン人には少々慣れ難いコミュニケーションを好むようだった。リーザロットから滔々と通ってくる親愛の情に、俺はもう立っているだけで眩暈がした。
「あの…………ちょっと、これは」
しどろもどろに訴えかけると、リーザロットはさらに強く俺の手を握り締めてきた。
「!!」
思わず俺が顔を上げると、リーザロットは止めに言葉で追い打ちをかけた。
「コウ君。私、あなたが好きです。あなたが、とても強い人だと知っているんです。…………どうか、ちゃんと受け止めて欲しいわ」
「――――…………好き、って」
俺が勘違いするような意味ではないとわかっているとはいえ、どうしても意識がぐらついた。リーザロットの眼差しは一切俺からぶれず、俺には混じり気のない彼女が、何だかすごく危なっかしく、魅惑的だった。
あまりの気恥ずかしさから俺は、苦し紛れに話題を逸らした。
「えっと…………リーザロット、様。その、この人、これから、どうするんですか? なんか、「訴えてやる」とか言ってたけど…………」
リーザロットは俺の視線の先をつと見やると、やっと俺の手を解放してくれた。俺はまだ火照る額から吹く汗を一度袖で拭ってから、さらに尋ねた。
「でも、話を聞く限りじゃその薬屋さんの方にも、問題がありますよね?」
リーザロットは思案顔で頷くと、さもつまらなさそうに話し始めた。
「ええ。しかし、訴訟を起こすのは彼の当然の権利ですから。それは仕方のないことでしょう。ただ…………」
リーザロットは机の上の小瓶に目を移した。
「歪みの卵が見つかった以上は、もう彼が思うようには事は運ばないと思います。盗品は見つからずとも、彼の罪は明白です。
裁きの主は、サンラインの絶対の審判者です。断罪は、彼だけに許されています」
「はぁ」
例によって俺は、いまいち意味が飲み込めないままに点頭した。
「裁きの主」というのはどうも、この国では信仰の対象であるのと同時に、制度の中に深く食い込んだ存在であるらしい。俺には実感しにくいことだが、段々と慣れていくしかないのだろう。まぁ、あえて悪いことをしない限りは、俺には関係無いとは思うが…………。
リーザロットは薬屋を見つめ、話し続けた。
「いずれにせよ、彼を今ここで責め立てるようなことはしません。今度はちゃんと、決して壊せない強力な護衛を付けて家へ送ります」
言うとリーザロットはタリスカへと目をやった。(タリスカは俺が遊ばれている間も、ずっと黙って立っていた)
「そっか」
俺は多少安心して薬屋を見やった。正直、リーザロットの機嫌が最悪な場合にも同じ措置が取られるのかは気になるところではあったが、とりあえずは平和的に一件落着して良かった。
俺はぐぅぐぅと泣き騒ぐ腹をこっそり慰めつつ、リーザロットとタリスカが交わしている会話に耳を傾けた。
「ところで、ねぇ、タリスカ」
「何だ?」
「罪の烙印を押された者は、それ自体が苦しみとなり、罰となると教会では教えますが」
「フム」
「実際のところ、どうなのですか? 私にはあなたが、永劫の自責の苦悩の中にいるとは思えないのだけれど」
タリスカは片手で下顎骨を撫で、リーザロットを見てさっぱりと答えた。
「絶対の答えは無い。永劫とは、まこと果てし無きもの。衰えぬ業火に身を焦がす自我と、尽きぬ炎に当たり、確たる安寧を得る自我が分かたれぬ存在であることは、姫も承知のはず。苦悩は古傷にも似た、唯一、生きた傷であるゆえ」
リーザロットはふいと視線を俺に移すと、滑らかな黒髪をさりげなく揺らして小首を傾げた。
「ううん。難しい、ね?」
俺が困ってタリスカを仰ぐと、タリスカは小さく肩をすくめた。
俺の腹の虫がついに堪り兼ねて、一際大きく鳴いたのは丁度その時だった。折悪しく目を覚ました薬屋が、寝ぼけまなこで俺を見上げて唐突に言った。
「ああ、タカシ君、私も空腹です! 何か適当に取って来なさい。ああ、蒼姫、食事代は賠償金からまけておきます。感謝するように」
俺は先程までの話について、考える気も起きなくなった。何と言うか、特に言うべきことも見つからないというか。リーザロットが魔女らしく指を一振りすると、薬屋はすぐにまた居眠りを始めた。
「タリスカ。悪いけれど…………よろしくお願いしますね」
心から済まなそうに言うリーザロットに、タリスカは軽々と薬屋を担ぎ上げながら返事した。
「承知した」
去り際にタリスカは、こちらを振り返って述べた。
「勇者よ、精進せよ。…………耐えるのだ」
俺は彼に頭を下げ、「ハイ」と短く答えた。
何に耐えるかって?
思うに、リーザロットとか、次々と襲い来る世界の物事とか、やっぱり、リーザロットについてだろう。リーザロットの主張の激しい胸元に目が行かないようにするだけでも、俺にはかなりの苦行だった。ましてや、あんな密着したコミュニケーションばかり取られていたのでは、この先堪ったものではない。
リーザロットは俺の気も知らず、慕わしげな笑顔と共に言った。
「ああ、そうだわ! さっきのコウ君のお腹の音で思い出したのだけど、コウ君の夕食を厨房に取って置いてあるんです。後で、私が部屋に持って行きますね!」
こんな風にはしゃがれたら、君が来なくてもいいんじゃないか、とはとても言えない。
この子は自分が女の子だって(あるいは、俺が男だって)ちゃんとわかっているのだろうか? それとも、知っていてこうなのか?
俺は否定しようのない快楽を伴う苦悩に、内心で頭を抱えた。
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