第54話 孤独なディナーと、初めての解放感。俺が不当にせせら笑われること。

 結局、リーザロットはコック帽を被った人形と一緒に夕食を部屋へ持ってきた。コック帽なんてどこで覚えたのだろうと疑問に思ったが、あの部屋を作るような子なんだから、推して知るべしというべきか。

 彼女は少し寂しそうな微笑みを浮かべつつ、案外あっさりと自分の部屋へと戻って行った。


「今夜はもう遅いから、話はまた明日にしましょうね」


 俺がガッカリしたのは、もちろん言うまでもない。いや別に、元々何を期待していたわけでもないのだが。(嘘。実は「一緒に食べたい」と密かに夢見ていた。それ以上のことはともかく、食事を共にするぐらいであれば、何を耐える必要も無い)


 とにかく、そんなこんなで俺のメインディッシュは、マヌーのステーキだった。熟成された肉自体のコクと味わいもさることながら、個人的には、付け合せのジャガイモ(に、似た味の野菜)にも感動した。クリーミィで甘く、ほっくりとした素朴な食感。マッシュポテトにしてみたら、さらに美味いかもしれない。


 俺は物音一つしない部屋の中、一人黙々と箸(ナイフとフォーク)を進めていった。

 何だかようやく人心地ついたと落ち着く一方で、やけに物寂しくもあった。このところ、ずっと誰かしらが傍にいたせいか、独りきりであるということが妙に心細かった。ニート生活の中では感じたことのなかった心境だけど、できればあまり知りたくなかった気分だった。


 俺はパンを千切り、咀嚼しながら、タカシと分裂してみようかなどと考えさえした。誰か話し相手がいないと不安で、無駄にそわそわしてくる。このままでは眠れそうにない。

 マッシュルーム風味の温かいスープが腹に染みると、さらに人恋しくなった。


「…………とりあえず、風呂でも入るか」


 俺は独りで呟き、独りで頷いた。



 浴室の大きな桶には熱いお湯がたっぷりと溜められていて、俺はそれに肩までどっぷり浸かることができた。タカシは一応もう風呂に入った後らしかったが、心の底から、つまりは俺の方も含めて満足できたのは、今が初めてだった。

 俺は気分良く、長々と羽を伸ばしてから浴室を出た。もし水が貴重な土地だったら申し訳ないが、身体を洗うためにもふんだんにお湯を使わせてもらった。


 俺はあらかじめ用意されていた清潔なタオルを使い、それを放って、裸のままベッドに寝転がった。

 一度やってみたかったのだが、思いのほか解放感があって快感だった。目を瞑ると最高である。変な癖がついてしまうかもしれない。食事中は寂しさで滅入っていたものの、こんな心地ならば普通にぐっすりと朝まで眠れそうだった。


「オイ、起きろ」

「…………」


 ふいに枕元から聞こえた声に、俺は眉を顰めて瞼を開いた。

 …………やれやれ。確かに話相手が欲しいとは思っていたけれど、何もこんなタイミングでやって来ることはないじゃないか。


「ツーちゃん。…………せめて、ノックぐらいしてよ」


 俺は枕元に立つ少女にそう言った。

 赤いワンピースの少女――――実際は御年いくつだか知れない、大魔導師のツーちゃんは、例のごとく「フン」と勢いよく鼻息をつくと、思いきり俺を睨み付けて言った。


「生意気言うでない、阿呆めが。わざわざこの私が様子を見に来てやったのだぞ? 土下座して感謝すべきだ、本来は。

 まぁ、それはそうと貴様、また騒動を起こしたそうだな?」


 俺は起き上がり、口元を歪めるツーちゃんに肩を聳やかして見せた。


「まぁね。でも、早速問題を一つ、解決してきた」


 ツーちゃんはうんざりした顔で、何も答えずに、静かに視線を俺の下半身へ下ろした。その眼光に怯えた俺は張ったばかりの肩を縮込め、タオルを自分の元に引き寄せた。

 ツーちゃんは「フン」と薄ら笑いを浮かべて再度鼻息をつくと、何事もなかったかのごとく、話を再開した。


「確かに、ダークンのバカ息子に恩を売ったのは、中々に上出来であった。これで貴様の検査に使う薬品や器具が、好きなだけせしめられるというもの」

「検査? 何の?」


 尋ねる俺にツーちゃんは冷めた目を向け、両手を腰に当てて答えた。


「…………貴様が何を忘れたとしても、もう私は呆れまい。能天気さは時に美徳となる。少し馬鹿なワンダだと思えば、な。

 検査というのは、アレだ。トレンデで貴様がフレイアを救出しに行く際、私が貴様の内に感じた違和感についてのだ。いくら鈍い貴様でも、もう多少は勘付いておろう。貴様の中には何か邪悪なものが潜んでおる。…………これから仕事をさせるより前に、正体を把握しておきたいのだ」


 俺はツーちゃんの目を見て、そして思い出した。


「ああ…………「アレ」のことか」


 俺はつい先刻の戦いでも感じた、あの謎の熾火について思いを馳せた。

 熾火というのは、火蛇と一緒に戦って以来、俺の奥深くに燻り続けている禍々しい炎のことである。アレは、ここぞという場面で首をもたげては、俺の意識に侵入してきて、穏やかならぬ振る舞いを見せる。

 確かに、俺も早急にその正体を見極めたかった。


 ――――ああ、はやく蛇の娘が欲しい。はやく…………。


 今日、最後に奴が囁いた言葉も、心の端にずっと引っかかっていた。

 「蛇の娘」と聞いて、今の俺に浮かぶのは一人しかいない。そして俺はその一人を、絶対に傷つけたくなかった。


 俺はツーちゃんに、検査について尋ねた。


「わかった。そしたら、俺はどうしたらいいかな? 何かできること、ある?」


 ツーちゃんは「うむ」といかにも老人らしい所作で頷くと、こう話した。


「まずは、検査のためにいくつか特別な材料を仕入れねばならん。粗方の物は今日のうちに私が見繕ってきたのだが、貴様が選ばなくてはならぬ物もある。それゆえ、明日からは貴様にその作業を任せよう。市場に出て、私の指示した物を集めて来い。全てが揃い次第、検査に取りかかるとしよう」

「イエッサー」


 俺はおどけて敬礼して見せた。ツーちゃんは顰め面で、「うむ」ともう一度頷き、それから最後に言葉を付け足した。


「まぁ、とはいえ、如何に急いでも無い物は無いこともある。足元を見られて、粗悪品や偽物を掴まされても、かえって手間になろう。ゆえに、貴様は時間に囚われず、真に己に適う素材を選ぶことを第一の目標とせよ。

 …………どこの国でも言うだろう。急がば回れ、だ」


 俺は大きく頷き、再度敬礼した。ツーちゃんはそんな俺を鼻で笑うと、


「全く、何だそのジェスチャーは? とにかく、もう寝ろ。――――風邪を引かぬようにな」


 そう言い残して、霧のように霞んで消えてしまった。

 俺は試しに彼女が消えた跡を手で探ってみたが、やはりそこには種も仕掛けも見つからなかった。


 俺は深夜の静寂の中に残されてしばらくぼうっとしていたが、やがて我に返って明かりを吹き消した。

 優しい月明かりに包まれつつ、俺はびっくりするほど早く、深い眠りに落ちた。

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