第42話 「リリシスの物語」と、サンラインの運命。俺がミントの良さに気付くこと。
次に出てきたお茶は、俺がこれまで見たことのない色をしていた。
俺がその透き通ったターコイズブルーに怯えて目を真ん丸にしていると、リーザロットからクスッと小さな笑みが漏れた。
「変わった色をしているでしょう? 私も最初に宮中で見た時、毒を注がれたかと思ったもの」
俺はその時、目の前の人の表情に柔らかい親しみを覚えた。上手くは言えないけれど、一旦席を立ってから戻って来た彼女は、さっきまでよりも明るく、あえて悪く言うなれば、軽薄そうに見えた。だが俺は、そんな彼女のごく普通な笑顔に、自分でも戸惑うほどに心を惹かれた。
俺には未だに、リーザロットという女性がよくわからなかった。
コロコロと雰囲気が変わって、気になるけど、ちょっと怖くて。女神様のようにきれいなのに、ともすると、ただの女の子みたいに繊細そうで、目が離せない。
俺は静やかな所作でお茶(毒薬?)を飲む彼女に、尋ねた。
「あの、リーザロット様は普段、ここで一人で暮らしているんですか? 「蒼の主」としての仕事…………具体的に、何をしているのかはまだよくわからないんですけど…………も、この屋敷でしているんでしょうか?」
聞きつつ俺は、おそるおそるカップの中の不気味な色の液体を口に含んだ。グラーゼイからの非難がましい視線にも、もう良い加減慣れてきた。マジで、オオカミみたいにしつこい野郎だ。
幸い毒薬ではなかったらしく、ミントティーのような清涼感と、岩清水に似た甘みが舌に触れた。ミントが大の苦手な俺でも、不思議とすんなり喉を通っていく。おいしいというより、非常に心地良い。疲れがスゥと彼方へ引いていった。
リーザロットは独り感心する俺を面白そうに眺めながら、質問に答えた。
「ええ、基本的には人形達と一緒に、一人で住んでいます。主としての務めは「
「「紡ノ宮」というのは?」
「都の郊外にある神殿です。王のまします、玉座があります」
「王、様」
「ええ。さっきも少し触れましたが、「裁きの主」です」
改めて「裁きの主」と聞いて、俺はもっと尋ねてみたくなったが、結局は黙った。おそらく結構複雑な話になるだろうし、いずれ、もっと適したタイミングが訪れると思った。
それよりも先に、俺は隣に座っているフレイアのことを話したかった。
「あの、それと、もし見当違いなことを話していたら申し訳ないのですが…………お話したいことがあって」
「何かしら?」
「俺、フレイアにはここに来るまでにたくさん世話になりました。本当に、何度も命を救ってもらって、ひどい怪我までさせてしまいました。…………だから、その、何が言いたいかというと、旅が遅れたのは俺のせいなんです。それを先に謝らせてください。そのことで彼女に責任がいかないよう、どうかお願いします」
「コウ様」
フレイアが呟き、目を大きくして俺を見た。そして半ば予想していた通り、リーザロットが答えるより前に、グラーゼイが低い声で俺に釘を刺してきた。
「お客人。そのことは蒼姫様に申し上げることではありません。フレイアの責は、我が騎士団内の預かりとなります。配慮は無用です」
俺は彼の方を向いて話した。
「わかりました。じゃあ、あなたにお願いします。俺は、この土地の決まりを尊重したいとは思っていますが、自分のせいで彼女が責められるのは、さすがに納得がいきません。とにかく俺に、謝らせてください」
グラーゼイは眉間を寄せると、あくまでも落ち着いた調子で続けた。
「ご自由に。しかし部下の賞罰は、あなたの謝罪とは別に、我々が彼女の事情を加味した上で判断します」
俺は自分が真顔になるのを感じた。露骨に喧嘩を売るようになってきた相手に対して、どう怒っていいのか判断しかねた。こんなに大人げないヤツ、アルバイトでだって滅多に見ない。
勢いづいたグラーゼイは今までにも増して居丈高に話を継いだ。
「そもそもの話です。迎えるべきお客人からの支援が全く得られぬことは、フレイアには百も承知であったはず。ゆえに時空移動の件は、彼女の認識と修練の不足としか言いようがありませんし、その上、「裁きの嵐」の招来については、我々の信仰上の問題となります。お客人が気遣いなさる理由は、どこにもないかと存じます」
俺はオオカミの金の目を睨み付け、抗った。
「確かに、俺には魔法は使えない。「全く」。だけど、できる手助けはあったはずですから」
「いいえ。あまりご自分に無理を課し過ぎぬよう。もしお客人の仰る通りでしたら、嵐が呼ばれることはなかったでしょう」
「…………。いずれにせよ、「裁きの嵐」とやらを呼ばざるを得ない状況を生んだのは俺ということになりますよね。それなら、あんまりやたらに話から締め出そうとしないでください。礼に適う適わない以前に、普通に失礼かと存じます」
横目に見えるフレイアは、可哀想なぐらいに蒼ざめていた。そりゃ、いきなりゲストと上司が自分のことで険悪になりだしたら、誰だってこういう顔にもなるだろう。彼女は何も言えないまま、ただおろおろとしていた。
結局、沈黙を破ってくれたのは、リーザロットだった。
「…………もう、よろしいかしら?」
俺とグラーゼイは主人の声を聞くなり、弾かれるようにしてお互いから視線を逸らし、すぐに彼女の方へと向き直った。
「申し訳ありません、蒼姫様」
「すみませんでした、リーザロット様」
「お客人への説明不足ゆえ、大変お見苦しいところをお見せいたしました」
「大人として、実に面目ない態度であったことを反省します。話が逸れてしまいましたし。…………続き、お願いします」
リーザロットは一度肩をすくめると、硬直しっぱなしのフレイアに微笑みかけた。
「賑やかですこと」
フレイアは何も答えずに、肩を縮込めた。
リーザロットは青茶のカップを静かに傾けてから、蒼い目をぴたりと俺に向けて、話を再開した。
「では――――始めましょうか。
次は、グレンズ・ドアによる時空の浸食と、逆流についてかしら。時空の扉のことはもう身に染みてご存じかと思いますけれど、逆流…………アブノーマルフローについては、どう?」
俺は竜の国でツーちゃんから長々と聞かされたことを思い出し、適当にまとめて答えた。
「一応、ツーちゃん…………でなくて、琥珀様から聞いています。普段の時空の扉とは違った開き方をした扉のせいで、他国の過去に繋がってしまったとか、何とか」
「正確には、過去「にも」ですな。同時空にも、扉は通じている」
俺とグラーゼイは顔を見合せ、即座に背けた。リーザロットは心持ち可笑しそうに口元を緩めると、「そうね」と頷いた。
「ご存知でしたら、今度の話はずっと簡単になります。琥珀の講義好きにも、たまには感謝しなくてはなりませんね。グラーゼイも的確な補足をありがとう。
そう――――時空の逆流によって、サンラインは今、ジューダムと、その過去と接続しています。ジューダムの側からすると、逆の事象となりますね。ジューダムからは、サンラインと、サンラインの過去へと繋がっています。
現象としては込み入っていますが、実のところ、私たちが対処すべき事態としてはそんなに複雑なことはありません。ざっくばらんに言って、相手国に大人しく侵略されるか、それとも先に侵略するか。あるいは、奇跡を信じて和平を結ぶか。そのどれかを選べば良いだけです。
かなり乱暴な言い方をしましたが、豊かな魔力を持つ国同士の話ですと、得てしてこうした事態に陥りがちです。どちらも狂気的なまでに感情的なお国柄ですので、やる時は、それはもう派手に喧嘩するんです。
侵略される理由も、侵略する理由も山ほどありますけれど、そのいちいちをここで挙げ連ねることはしません。サンライン国内でさえも、魔術師会や商会連合を始めとした、ありとあらゆる団体がそれぞれの思惑を抱いて動いています。ジューダムに侵攻することで、サンラインの過去へ辿り着きたい者もいれば、単にジューダムの魔力資源に興味がある者もいます。サンラインの現体系に不満があり、打開策としてジューダムを利用しようとしている者も少なくありません。三寵姫への不信も、その動きを後押しする十分な理由たり得ます。
そして私は、その中でも最も弱い立場…………和平を願う立場に、立っています」
リーザロットはティーカップを手に取り、何かに見入るみたいにその内を覗きこんだ。そこに何が見えるのか俺にはわからなかったけれど、見つめる彼女の瞳には、明らかに異様な揺らめきが湛えられていた。まるで深い大洋の胎内へ果てしなく沈んでいくような、圧倒的な、絶望…………?
俺は不安に耐え兼ね、言葉を挟んだ。
「ええと、俺にもちょっとわかってきました。リーザロット様は和平を願っているけれど、同じ三寵姫の「紅の主」さんが別の姿勢を取っていて、困っているってことですよね? 特に「紅の主」さんの後援をしている大魔法使いの、何だっけ、ヴェルグが、元々勢力が強いとは言えないリーザロット様が呼んだ俺すらも始末しようとするぐらいの超強硬派で、すっかり途方に暮れている、という感じ、ですよね?」
俺は全部言い切った後で、場にいる全員から鋭い視線を浴びていることに気付いた。あれ、何か履き違えていたのだろうか?
俺はいたたまれなくなって、止せばいいのに、さらに言葉を継いだ。
「それでー…………和平のためには、どうしても平和的に解決したければ、何か別の手段を講じる必要があって、それがきっと、「勇者」…………俺…………なんですよね? だからこそ、ヴェルグも襲ってきたし、琥珀様も、勇者とか、鍵とか、ちょろっと言っていた気がするし…………」
俺が喋り終えるなり、場はシンとなった。俺はもう話が続けられず、黙って薄ら笑いを浮かべ、誰かが引き継いでくれるのを待った。いつまでも冷めることのないお茶を飲んでいると、かえって気分が落ち着かなくなってきた。やはり、自分で「勇者」とか言うべきではなかったかもしれない。
リーザロットはしばらく何か考え込んでいた風であったが、やがてふんわりと微笑し、話し出した。
「ええ、あなたの仰る通りです。コウ君はとても賢いのね。実は、少し驚いてしまっていたの。私の話し方が悪くて、混乱させてしまっているのではと思っていたので」
「いえ、ちゃんと伝わっている…………と思います」
「ありがとう。それと、念のために言いますけれど、決して馬鹿にしていたわけではないのよ?」
「大丈夫です。わかっています」
「…………蒼姫様はお優しい方だ」
俺は横からの小言を聞き洩らさず、きっちりと相手を睨み付けた。灰色の獣はすまし顔でそっぽを向いた。
リーザロットは例によって取り合わず、片手の甲で鍵盤を撫でるような仕草をした。俺は今度も人形への合図かと思ったが、今回はそこに、一冊の本が、どこからともなくストンと出現した。
古びた革表紙のその本は、リーザロットの手の中で、ひとりでにしっとりとページを開いた。
「それは、何です?」
俺が尋ねると、リーザロットは本に落としていた目をチラと上げて答えた。
「これは「リリシスの物語」です。この国の歴史を綴った本なの。本というより、術と呼ぶ方が適切ですなのけれど」
「術?」
「ええ。最上級の魔導師にのみ扱える業ですが、記録術というものがあります。魔力の中に直接物語を書き込むという技です。それによって、魔術師ならば誰でも、どこでも物語が閲覧できるようになるのです」
「はぁ、便利ですね」
「オースタンでも似たようなことができると聞いていますよ。むしろ、オースタンでは記録を書き込むこともまた簡単だとか。ただ、魔力を媒介としない分、媒体の物質的限界によって、閲覧に制限ができてしまうということだそうですが」
「あー…………まぁ、もしパソコンとかスマホとかのことを言っているのであれば、そうですね。確かに、何か機械がないと何もできない。っていうか、オースタンではほとんどの事が、物が無いと始まらないですけど。でも、そうだな。記憶を保存できる期間についてだったら、今はおよそ十分な時間の保存ができますよ。劣化もほぼしないし。その点では、便利かも」
「そうでしょう。オースタンの技術には、いつも本当に感心させられます。けれど、あなたが生まれる遥か前のことや、亡くなったずっと先のことについてはどうですか? 例えば、三千年前の記録がオースタンに残っていますか? あるいは数百万年後に、今の時代の記録を残すことはできそうですか?」
「うーん。未来のことはともかく、あんまり昔のことは知る術がないですね、残念ながら」
「「リリシスの物語」は、そうした時間の縛りとは無縁の記録なのです。ここにはサンライン…………時によっては、そう呼称されないこともありますが…………の過去や未来が、永遠に、変わることなく綴られています」
リーザロットはページを繰り、目当ての箇所を発見すると、机の真ん中に開いて見せた。
「ご覧ください」
リーザロットが指差した先には、俺の知らない文字が5×5の配列で並べられていた。25文字を一段落として、いくつかの段落がページ一杯に連綿と連なっており、挿絵の類はなかった。
同じ形の文字が規則的に現れる辺りからして、おそらく詩のような文章が書かれているのだろう。文字はアルファベットとよく似ていたが、漢字じみた表意性もほんのりと漂わせていた。
俺はぼんやりと文字面を眺めた後、解説を求めてリーザロットを見やった。
「「リリシスの物語」は「過去伝承」、「未来伝承」の章に分けられています。現在の出来事はそのどちらかの内に必ず書き込まれているとされ、現在の状況と物語の内容とを踏まえて、どこに位置するかを判断します」
「ん? でも、過去から順番に並んでいるのなら、現在のことを見つけ出すのはそんなに難しいことじゃないのでは?」
俺の問いに、リーザロットは首を振って答えた。
「そういった直線的な解釈は、一つの段落の中だけで成り立ちます。「過去伝承」、「未来伝承」というタイトルがややこしさを呼ぶ所以だと思うのですが、実は、「リリシスの物語」には、いつから、どこから見ての「過去」、もしくは「未来」なのかが記されていないのです。
吟遊詩人リリシスは数多の魂を持つ、永遠の旅人です。私たちの時間の捉え方では、物語の構成を完全に紐解くことはできないのでしょう。…………もし、もっと興味があれば、琥珀に聞けば喜んで教えてくれると思います。…………半年ぐらい。
そういうわけで、私たちが物語を読む時は、「過去伝承」「未来伝承」という名称に囚われてはなりません。例え今までの歴史の多くが「過去伝承」の内に見出されてきたとしても、視野を狭めては、今を見失ってしまうことになりかねません。
…………それで、ここから「未来伝承」が始まるのですが」
俺はリーザロットの熱っぽい語り口に耳を傾けながら、何となく気配を感じて、フレイアを振り返った。彼女は妙に気迫の込もった眼差しで、ひたと俺を見つめていた。
フレイアは俺と目が合うなり、いきなり頬を火照らせて俯いた。俺はその時ふいに、フレイアが俺と会ったばかりの時、「伝承の勇者」がどうとか話していたことを思い出した。
――――「そこで、君は助けを求めて俺の世界にやって来た」
――――「そうです。伝承では、オースタンの勇者が夜を終わらせる、と詠われていましたので」
――――「ともかく君は、はるばる旅した末に俺を勇者として選んでくれたというわけだ」
俺は遠い昔みたいに思える出来事を密かに懐かしみつつ、どうしてあの時(今もだが)フレイアが赤くなっていたのか不思議に思った。まぁ、彼女のことだから大した理由はないのかもしれないけれど、後で暇ができたら尋ねてみようか…………。
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