第40話 「蒼の主」の屋敷へ。俺が異国の街を歩くこと。

 教会の敷地を出てすぐの通りには、賑やかな市場が広がっていた。俺は目を丸くして、所狭しと並ぶ出店と行き交う人々を眺めた。


 人々の多くは、俺やフレイアと同じ、人間の形をしていた。中にはどこか雰囲気が異なるような者も歩いてはいたが、よく映画や漫画で見るような、露骨にエルフだ、ドワーフだ、といった感じの人は見かけなかった。せいぜい人種の違い程度の面立ちの差しか無いようだ。


 ただ、今俺の前を行くオオカミ男と同じような、頭だけ動物の姿をした獣人とは、たくさん擦れ違った。

 虎のような者から、鷹のような者まで、本当に色々な奴がいた。彼らは例外なく男性で(少なくとも、そのような見なりだった)、誰もが必ず何らかの武器を携えていた。剣や弓が主流であったが、槍や、中にはブーメランのようなものを背負っている人もいた。


 俺はすれ違う人々からの好奇の視線にチクチクと刺されつつ(多分、俺の服(ジャージ)が珍しいのだろう)、通りを進んで行った。


 食料品を売る店や、衣料や反物を扱う店。鍋だの食器だのを所狭しと並べた小道具店に、物騒な武器屋。店は本当に何でも揃っていた。中には何を売る店なのか、そもそも店なのかどうかすらも見当がつかないなんてこともあり、俺は是非立ち止まってそれらをじっくり観察してみたかったけれど、オオカミ男がずんずん進んで行ってしまうせいで、ちっとも見ることができなかった。


 俺は半歩後ろからついてくるフレイアを振り返ってみた。フレイアは小首を傾げて俺を見返し、俺はそれに、片手を上げて「何でもないよ」と応じた。一応、元気そうで安心した。

 だが、安らいだのも束の間、オオカミ男が俺に声を掛けてきた。


「お客人」


 俺は慌ててオオカミ男の背を振り返ったが、彼はチラともこちらを見ず、黙々と歩き続けながら言葉を継いだ。


「はぐれやすい場所です。よそ見は控えて頂きたい。それとも、部下がいたずらに気を散らすような真似をいたしましたか?」

「いや、それは、ないですけど…………」


 俺はたじろぎつつ、思い切って話を続けた。


「あのう」

「何ですか?」

「もし、失礼でしたらあれなんですが、あなたは…………あなたも、魔術師なんですか? その姿は、もしかして、魔法で…………?」


 オオカミ男は振り返ってゆっくりと目を細めると、


「いいえ、私は戦士です」


と答え、冷ややかに続けた。


「とは言え、お察しの通り、この姿は魔術によるものです。サンラインに魔術の心得のない戦士はおりません。男子たるもの、「獣人変化」の一つも覚えておらぬなど…………」

「グラーゼイ様!」


 フレイアの声に遮られて、オオカミ男のグラーゼイは口を噤んだ。フレイアは珍しく、眉をキッと吊り上げていた。


「僭越ながら、今のは少々お言葉が過ぎるかと存じます」


 フレイアはグラーゼイを睨み、言葉を切った。グラーゼイはしばらく俺を(フレイアではなく、なぜか俺を)見つめていたが、やがて厳かに口を開いた。


「失礼した」


 俺は何も答えず、決まりの悪い空気の中でわずかに顎を引いた。フレイアはグラーゼイが正面へ向き直った後に、泣き出しそうな顔で俺に頭を下げた。

 俺はその顔を見て、はっきりと悟った。

 俺は、このオオカミ野郎が大嫌いだ。


 俺たちは無言のまま、市場を抜けて市街地を歩いて行った。街並みは建物の淡い色合いと相まって、明るく美しかったが、俺たちを包む雰囲気はそれと相反して、暗く、霜みたいに冷え込んでいた。



 やがて通りの奥に、青い屋根の大きな屋敷が見えてきた。新緑に囲われたその屋敷は街の中で、そこだけ海の底に沈んでいるかのような、圧倒的な静寂に浸されていた。


 どこかで、似た場所を見たことがあったような…………?

 俺は道端から屋敷を見上げつつ、デジャヴを味わった。

 グラーゼイは屋敷の巨大な門の前にまで来ると、そこで初めてきちんと足を止め、こちらを振り返った。


「ここが「蒼の主」の館です」


 それから彼はフレイアに目を留め、重々しく告げた。


「お前はここまでだ。帰って、次の仕事に備えなさい」


 フレイアは何か言いたげであったが、グラーゼイは彼女が何か言うより先に畳みかけた。


「警護はもう必要ない。蒼姫様へのお客人の紹介は私が引き継ごう」

「ですが」

「お前でなければ出来ぬことがあるのか? ないだろう」


 俺は目一杯の不安を込めてフレイアを見た。

 実際、彼女と離れて「蒼の主」とやらに会うのは恐ろしかった。名前と屋敷の雰囲気からして、きっと氷の女王のごとき冷酷な人物が出てくるに違いない。ほぼ全く事情が把握できていない中で、気心の知れた人間がいなくなってしまうのは心許なかった。


 フレイアは深紅の眼差しを俺に注ぎ、言葉を探して煮詰まっていた。俺はもう正直に本音を吐こうと思ったが、グラーゼイはその前に、すでに門の守衛に呼びかけていた。


「開けてくれ。「勇者」殿が到着した」


 守衛は、くるみ割り人形のような出で立ちをした、おそらく人ではない何かだった。或いは本当に人形なのかもしれない。

 守衛はグラーゼイの合図に応じ、およそ人ひとりの力では動かし得ない鉄の門を、実にきびきびとした動作で押し始めた。

 門が、地面をゴリゴリと削りながら開いていく。


「長くは開けていられません。行きますよ」


 俺は一人歩き出すグラーゼイに、思い切って申し出た。


「あの! 俺、フレイアにも一緒に来てもらいたいです。自分一人で、ここに来るまでのことを説明できる自信が無いので。お願いします!」

「コウ様」


 フレイアの口元が綻ぶのを横目に見て俺はホッとした。グラーゼイは忌々しげに首だけで振り向くと、フレイアにとも、俺にともなく、ぶっきらぼうに手招きをした。

 俺はフレイアと一緒に、小走りで門を駆け抜けた。

 俺達が通過するや否や、門は地響きを立てて、再びその口を閉ざした。守衛が何事も無かったかの如く、静かに持ち場に戻っていく。



 外からは木々に囲われてよく見えなかったのだが、 敷地の中はちょっとした城のように入り組んでいた。


 衛兵たちは皆、先の守衛と同じくるみ割り人形だった。彼らは絵の具で描かれたような、カラフルな目でじっと正面を睨みつけたきり、ぴくりとも動かずに立ち尽くしていた。グラーゼイの指示が無ければ、一切身動きしない。


 所々に植わった花や樹だけが、ひっそりと命の炎を燃やしている。しかし、そんな光景は、意外にも不気味ではなかった。

 まるで小奇麗なドールハウスの中を探検しているような気分である。よく見れば、くるみ割り人形たちも一体ずつ微妙に異なった顔をしていて、親近感が湧いた。


 そうして歩き続けて、ようやく辿り着いた先の屋敷は、まさに宮殿だった。

 俺はグラーゼイについて屋内に入り、思わず感嘆の声を漏らした。


「おーぉ…………」


 見たこともないようなサイズのシャンデリアが、天井からどっしりとぶら下がっていた。偉い人の住む場所だって、一発でわかる迫力。

 俺は「落ちてきたら死ぬな」なんてアホなことを考えつつ、二階だか三階だかへと続く豪華な階段を昇っていった。


 いくつもの豪奢な調度が飾られた空間をずんずんと通り抜けていく。廊下なんだか、部屋なんだか、さっぱり見分けがつかない。


 グラーゼイは相変わらずむっつりと黙り込んでおり、フレイアもまた口をきかなかった。屋敷はどこまで行っても、シンと静まり返っている。

 歩きながら、フレイアはそんな屋敷から目を逸らすかのごとく、ずっと寂しそうな目を窓の外に向けていた。俺は何か声を掛けたかったけれど、また意地悪なオオカミに怒られそうなので自重して、気遣う視線を送るだけに留めた。フレイアは俺に気付くと、少しだけ笑顔になった。


 そんなこんなの後に、グラーゼイがとある部屋の前で立ち止まった。

 彼はゴツゴツとした人間の手で2回、部屋の戸を叩くと、よく通る声で名乗った。


「蒼姫様、グラーゼイです。オースタンからのお客人を連れて参りました」


 一拍間を置いて、大人しい女性の声が返ってくる。


「…………どうぞ」


 その声には、聞き覚えがあった。


「失礼します」


 グラーゼイが戸を開けると、正面の椅子に女性が腰を掛けて、何か書き物をしているのが見えた。

 女性は顔を上げ、黒く豊かな髪を自然な動作で掻き上げると、蒼く、海のような星空を思わせるその瞳を静かに瞬かせて、俺を見つめた。


 俺は唖然とし、つい彼女の名をこぼした。


「リーザロット…………!!!」


 フレイアとグラーゼイが同時に俺を見やる。

 リーザロットは形の良い唇を、そっと開いた。

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