第10話 行くぜ、逆鱗狩り。ただし26歳ニートの体力は、すでに限界に近かったこと。

 フレイアは俺を先導しながら、正面にそびえる建物群を指差した。


「あれが黒蛾竜の巣です。出産期を迎えた竜があの中に籠っています」


 俺は目を細めて示された彼方を見つつ


「へぇぇ」


と気の抜けた声を漏らした。


 相変わらず空には竜の姿はなく、雲の動きだけ眺めていれば、平穏そのものであった。フレイアらの言うオースタンの人間であったなら、この天気から先のような突風が吹くとは、まず考えないだろう。


 俺はサクサクと透明な草を踏みしめて歩いて行った。そこらを跳ね回っている小さな生き物は落ち着きがなく、俺も段々くすぐったさに慣れてきた。

 少し前を行くフレイアは、常に小走りだった。


「もう少しゆっくり歩こうか? その、ずっと走っていたら疲れちゃうだろう」


 途中で俺は、フレイアに何度かそう話し掛けたのだが、その度に彼女は首を振ってこう答えた。


「いいえ。これも鍛錬になりますから」


 鍛錬!

 およそ日常生活では聞かないその言葉に、俺は閉口した。頭が上がらないと言えばいいのか、こんな状況で呆れ果てるというか、どちらとも言い難い心境だった。


 俺はバテる気配すらないフレイアに付いて、なるべくゆっくり歩きながら、ふと気になっていたことを口にした。


「そう言えば、フレイアはどうして俺の言葉がわかるの?」


 そう、これまでずっと夢だと思って聞き流してきたのだが、頭の片隅ではずっと疑問だった。

 フレイアも、ツーちゃんも、ごく自然に俺と会話をしているけれど、まさか日本語を練習してきたわけではないだろうし、どうしてこんなにあっさりとコミュニケーションが取れるのか。


「それは魔術によるものです」


 フレイアは片手を俺に開いて見せ、あっさりと答えた。


「主に作っていただいた、この指輪が術の媒介となっています。この指輪を付けている限り、私はいかなる土地の、いかなる種族とも会話が可能になります」


 俺はフレイアが掲げた右手の人差し指にはまっている、小さな真鍮の指輪を眺め、また


「へぇぇ」


と間延びした相槌を打った。


「ちょっと怖いけれど、便利な指輪だね」


 俺の感想を受けて、フレイアは言った。


「はい、私も心底そう思います。何でも、大元となった太古の遺物では、動物や魔物とすら、会話ができたそうです。…………すごい効果です」


 フレイアは、日差しを浴びて金色に輝く指輪を見やり、続けた。


「正直に申しますと、本当に自分の言葉がコウ様に伝わるものか不安でした。普段の他世界との交流には、もっと簡易な術が込められた装具を使いますので、このように大掛かりな術の恩恵を受けるのは、私も初めてだったのです」

「異文化交流かぁ。やっぱり、自分の世界から離れている程難しくなるものなの?」

 

 俺が聞くとフレイアは小さく首を捻り、落ち着いた口ぶりで答えた。


「そのようです。その上、使用者が私のような未熟な者ですと、さらに効果が不安定となってしまうそうです」

「でも、ばっちり伝わっているよ」

「それを聞けば、主も喜ばれることでしょう。もちろん、私も大変嬉しく思います」


 俺は振り返ったフレイアの爽やかな表情に、本日何度目とも知れず照れてしまった。



 竜の巣に近付くにつれて、甲高い声が聞こえるようになってきた。聞き慣れない鳴き声ではあったものの、俺にはすぐに、それが黒蛾竜の鳴き声だとわかった。

 というよりむしろ、子供を守ろうとする母親の叫び声だとわかったと言う方が正確だった。


 フレイアは初めてこの世界にやって来た時と同じ目で周囲を警戒し、ここから先は極力足音を忍ばせるよう俺に告げた。俺には動物を欺くレベルの忍び足などもちろん不可能であったが、一応やるだけのことはやってみると頷いた。


 依然カサカサと草を踏む音がはっきりと野原に響く中、フレイアは凛々しい面持ちで正面を見据えていた。


 すでに竜の巣まであとほんの数百メートルという距離まで近付いて来ていた。俺は白っぽい土で固められた眼前の大きな建物に圧倒され、気が付けば自ずから息を潜めていた。


 竜の巣は、塚というよりかは、ビルに似ていた。遠目には窓に見えた穴はどうも区切られた小部屋であったらしく、時折、そこから竜が部屋を出入りしている様子が窺えた。


 竜は大体、頭から尾まで全長2、3メートルといったところだった。広い翼のせいで空ではやけに巨大に見えたものだが、羽を畳んでいる姿を見るとそれほどでもないと感じられた。


 そして竜は、実のところ、ワイバーンであった。彼らは高いところからグライダーのように滑り降りては、再び空をくるくると舞い上がる。見た目よりも軽いのか、あるいは彼らにしか掴めない、秘密の風でも吹いているのかもしれない。


 ぼうっとしているうちに、俺の足下で様子を確かめていたフレイアが俺を呼んだ。

 応じて俺が見下ろすと、フレイアはほぼ唇の動きだけで囁いた。


「あの裏手に巣の裂け目があります。そこから中に入りましょう」

「わかった」


 俺は俄かに緊張し始めていたが、見栄を切った手前、あくまでも冷静に厳かに答えた。フレイアは良くも悪くも、そんな俺の心持ちにはとんと気付かぬようで、ぐんぐんと俺の前を進んで行った。巣付近で多少ペースを緩めたとはいえ、恐ろしいことに、彼女は息ひとつ切らしていなかった。


 俺は丈の伸びてきた草の間をおずおずと、ガサガサと掻き分けて歩み、ようやくフレイアが言っていた裂け目に辿り着いた。フレイアは何やら神妙な、緊張したような面持ちでこちらを見守っていた。

 彼女は俺が着くなり、勇ましい笑みを浮かべた。


「さぁ、参りましょう。逆鱗狩りです」


 若い、力強い声が、わぁんと俺の頭蓋に響いた。

 俺は正直、かなり疲れていたが、とてもそんなことは言い出せなかった。大抵年齢より若く見られる俺ではあったが、体力の方は断じてそうとは言えなかった。しかし、フレイアの紅い澄んだ瞳に魅入られると、どうしても弱音が吐けなくなった。


 男の意地とか、大人の見栄とか、主人公としてのプライドだとか、色々と理由の言い表しようはあるだろう。だが事の本質は、雰囲気に押し流されたに過ぎない。


 ともあれ俺はいまいち乗り切れないまま、フレイアについて、人ひとりがやっと通り抜けられるような岩の割れ目へと足を踏み入れた。


 暗い、鍾乳洞の中じみた巣の内部は、意外なことに、ホッとするほど温かだった。どんな仕組みになっているのかはわからないが、ほんのりと熱を持った空気が循環しているらしい。


 透明な生き物はいつの間にか、一匹残らず俺の足元を離れていた。

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