第6話 フレイアの失敗その①。時空酔いの俺が青い木の根元で眠りこけること。

 フレイアはその真紅の瞳を物思わしげに瞬かせ、周囲の様子をしげしげと見渡していた。俺は不安やら吐き気やらで半ば意識を失いかけながらも、その面立ちの凛々しさに素直に感心していた。彼女と同じ年頃の女の子があんな表情をするのを、俺は未だかつて見たことがない。女の子はあんな切り詰めた顔をしないものだと、勝手に思い込んでいた。


 時空を抜けた影響によって衰弱しきっていた俺は、なるべく直射日光を避けて休ませてもらっていた。草原に点在する樹が良いシェルターになった。青い葉をつけた(本当に、トルコ石みたいな青色だった)樹の根元で、俺はぐったりと幹に背を預けて、呼吸以外の運動は極力行わないよう気を静めていた。


 時空の移動はとにかく壮絶であった。

 アップ、ダウン、回転、振動、急な加減速。

 およそ遊園地のアトラクションで再現されている全ての運動の要素が、飛んだ瞬間に、一挙に身に襲いかかってきた。それが体感時間で言えば、小一時間も続いたろうか。フレイアが主張するにはせいぜい3分ほどであったという話だが、俺にはとても信じられなかった。


 フレイア曰く、もし俺が意識を保ち続けていなかったならば、俺はずっとあの渦をさまようことになっていたそうだ。詠唱を間違えなかったことも褒められた。あの伝言ゲームにしくじっていたなら、やはり同じ結果が待っていたという。

 俺はその話を聞いて「へぇ」なんて軽く聞き流すふりをしつつも、内心は全く穏やかではいられなかった。夢であったとしても、永遠に続く嵐の船酔いなどもっての他だ。


 ともあれ、掠れた視界に映るフレイアの背姿は、気のせいか元の世界にいたときよりも若干大きくなっているように見えた。水晶の草原の草が大体俺の足首を覆うぐらいの高さで、そこから彼女の膝が完全に見えていることを考えれば、今は40センチよりちょっと大きいぐらいか。

 だが俺は、その理由は追求しなかった。別にいきなり等身大になったというわけでもなし、俺の大きさから見れば、どうせ大差ない変化だ。


 フレイアはひとしきり辺りを歩いて回った後、小走りでこちらへ戻ってきた。彼女は驚くほど身のこなしが軽く、木の枝や岩といったの途中の障害物などは何の苦もなく乗り越えてきた。

 俺はそろそろまともに呂律が回るようになった頃かなと見計らって、彼女に話しかけた。


「おかえり。どうだった?」

「それが」


 フレイアは失恋した乙女もかくやとばかりの沈痛な所作で目を伏せた。

 俺は嫌な予感がスバリ的中したことをほぼ確信しつつ、それでも一縷の望みにかけて、というより、避けられぬ現実を受け入れんが為に、重ねて尋ねた。


「無事、到着できたみたい?」


 フレイアは俺の問いにおもむろに首を振ると、苦悶の表情を浮かべた。


「申し訳ありません。…………すべて、私の至らぬがためです」


 俺は「知ってた」という言葉と一緒に意識を昇天させた。オレンジと白の優しい光が俺をふんわりと包み込み、ああ、もう朝か、ようやく眠りから覚めるのかと感じたのも束の間、案外意識はすぐにその場へと引き戻されてしまったが、その一瞬のトリップは、俺にある崇高な思想をもたらした。つまり、こうしたハプニングも旅の醍醐味であるという、プラス思考。

 俺は半目でフレイアを見つめてこう言った。


「仕方がないよ。魔法は専門外だったんだろう? 気にしないで」


 フレイアは項垂れていた頭をさらに深く下げると、消え入りそうな声で答えた。


「優しいお言葉、痛み入ります。次こそは必ず成功させますので、どうかもう少し、あともう一回だけ、辛抱をお願いします」


 俺はこくりとお地蔵様のように頷き、目をさらに細めた。(地蔵が頷くかと聞かれれば、笠地蔵のイメージを参考にしていただければ問題ない)

 フレイアはやや寂しそうに微笑んで見せると、次は出来る限り安定した扉を見つけたいからと言って、俺にこのまま休んでいるようにと言った。俺は提案を大人しく受け入れ、しばらく眠らせてもらうことにした。


 夢の中で眠る?

 それとも本当にこれは現実で、俺はやっと本物の眠りに就こうとしているのか?

 どうあれ脳が休めるということは本当に喜ばしかった。


 おやすみなさい、俺。

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