第二十話 椎の場所

 放課後の昼下がり、イートインカフェで窓からカブを眺めながらコーヒーを飲む。

 まるで現実の高校生より随分お金を持っているらしき美少女アニメやゲームのヒロインみたいな時間を過ごした小熊は、店内を見回した。

 一つの店内でドイツ風のパンを売るイギリス風のベーカリーとアメリカ風のダイナーが隣り合い、それに割り込むようにイタリア風のエスプレッソマシンが鎮座した店は、代わり映えのしない同席者よりは幾らか目を楽しませてくれた。

 コーヒーの供となるお喋りも、スーパーカブの防寒という問題がハンドルカバーで暫定的に解決されたことで、話すネタが無くなる。

 向かいに座る礼子が、サンドイッチを陳列する椎の父親に聞いた。

「こんなとこで店を開いて、商売になるんですか?」

 人が疑問に思っていても聞かないようにしていたことを単刀直入に聞くのが礼子のバカなところ。そこがいいところだと思ったことは、小熊の今までの記憶を掘り返した限り一度も無い。


 商品の雰囲気に合わせたドイツ風のオーバーオールを着た椎の父は、繁華街で時々見かける、仕事を終えて飲んでいるのになぜか仕事中みたいに疲れているサラリーマンみたいな顔をしている。

「商売は東京で会社勤めしていた時に充分したから」

 趣味に走りすぎた店内を見て妙に納得した。北杜市にはそういう都会から来た人が結構居て、学校からこのパン屋とは逆方向に行ったところにも、音楽演奏が自慢の欧風料理店があった。

 小熊と礼子がカフェスペースに居る間にも、客は時々やってきてサンドイッチやライ麦のパンを買っていく。そのたび椎は接客し、椎の父はレジに立っている。

 北杜のこの近辺は別荘地として開発されたが、それ以前から近隣の工場に勤める人などでそれなりに居住者は多く、別荘地にも短期滞在ではない定住者が結構居る。

 

 客が途切れた拍子に、椎の父はサラリーマン時代の日曜夕方を思わせる表情で言った。

「夏の別荘客を相手にパンを売って暮らせればそれでいいと思っていたんですが、まだ楽をさせてはくれないみたいです」

 椎が背伸びしながら言う。

「だからパパは早くわたしに店を譲ってくれればいいの。不味い黒パンなんてやめてピッツァとパニーニを売るんだから」

 椎の父の目元が緩んだ。自分のしたい事をして暮らす人生を始めた者の余裕をほんの少し窺わせる。

「イタリア野郎にパンの焼き方や味わいかたがわかるかってんだ」

「美味しい物を食べて人生を楽しみたい人はドイツのパンなんて食べませんよー」

 椎も負けてない。


 店番をしながら、最近貯金をはたいて買ったというリビルドと呼ばれる中古再生機械のエスプレッソマシンを磨いていた椎が、いつのまにか空になった小熊と礼子のカップを片付けながら言った。

「さぁタダ飲みのお客は帰って帰って、これから結構混むんだから」

 椎の父は店の奥にある調理場から、枕みたいに大きな黒いパンを持って来ながら言った。

「待ってくれ、お二人にはこれから私のプンパニッケルを試食してもらいたいんだ」

 椎はそれでも、小熊と礼子の腕を店から追い出そうとする。

 コーヒーをご馳走になったが一銭も払ってない、客かといえば客かどうかはわからない小熊は、言われた通りおいとましようとしたが、椎は何か理由があって帰って欲しい様子。礼子が意地悪な目をしながら居座る。

「いいから早く帰って!」と言って二人の腕を引く椎は、窓の外を見て膝をついた。


 低く重いエンジン音と共に、店の前に黄色いシボレーのトラックが停まる。中から出てきたのは、一人の女性。そのまま店内に入ってくる。 

 赤いチェックのワンピースに白いエプロンドレス、そして金髪。ミュージカルのアニーを思わせる姿、小熊にわかったのは、この店の半分をアメリカン・ダイナー調にした主だということ。 

 陽気に「ただいま!」という女性に、椎の父はサラリーマン的な愛想笑いではない笑顔を浮かべ、「おかえり」と言う。椎は北杜市のアニーを何とか小熊や礼子の視界から遮るべく、小柄な体で手をばたばたさせて無駄な努力をしていた。

「この子は小熊ちゃん。椎の友達」

 椎の父に紹介され、軽く頭を下げる小熊に、エプロンドレスの女性は、映画でしか見たことの無いようなスカートを持ち上げる挨拶をした。

「はじめまして!椎の母です。まさか娘が家に友達を連れてくる日が来るなんて驚いちゃった」

 小熊は落胆と羞恥でエスプレッソマシンにもたれかかっている椎の小さな体と、相応の童顔を見ながら、この子は母親似だと思った。

 

 恥ずかしいものを見られたくなかった椎の努力も空しく、小熊と礼子は椎の母に自慢のダイナーメニューをご馳走して貰うことになった。

 ホットサンドイッチとチェリーパイ、いずれも椎の父が作るドイツ風の素朴なパンとは異なるアメリカの味。椎の母はがカップが空になるとすぐに浅炒りのアメリカンコーヒーを注ぐ。

 小熊は椎の境遇に少し同情した。このドイツ的なものに憧れる父とアメリカ人になりたいらしき母、そしてイタリアのバリスタに憧れる娘の力関係が店に反映されている。

 ドイツのパンを売るベーカリーとアメリカンダイナーのカフェが、大西洋のようにキッチリと分けられた店内。夫婦が円満であることは、二人の折衷のようなイギリス風の売り場を見ればわかる。その中で椎の領土ともいうべきエスプレッソマシンは、ダイナーのカウンター端で肩身が狭そう。

 自分で買ったエスプレッソマシン前で一生懸命胸を張っている椎を見た小熊は、この小さな女の子が店内でどれだけ大きなものになれるのかを見物するためにも、時々この店に来るのは悪くないと思った。

 小熊と似たようなことを考えてたらしき礼子が、店に停められた椎の乗るイギリス製自転車のアレックス・モールトンを見ながら「まだまだね」と言った。

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