第十九話 カフェ

 椎の父と握手を交わした小熊は、チロル風のパン屋には若干不似合いなダイナー風のカフェスペースに落ち着く。

 毎朝サンドイッチを買っていて顔見知りの礼子は、軽く手を挙げる挨拶をしながら、ポケットから取り出したクーポンを指先に挟んで見せる。

「今日はタダでコーヒーを飲みにきたんですけど」

 椎の父はパン屋の店主というより、客先のサラリーマンを思わせる笑顔を見せながら答える。

「私のコーヒーを是非ご馳走させてください。娘が全然美味しいと言ってくれないので」

 制服のブレザーを脱ぎ、バリスタ風のウエストエプロンを身につけた椎が、カフェスペースに置かれたエスプレッソマシンのスイッチを入れながら言う。

「礼子ちゃんと小熊ちゃんには、わたしのコーヒーを飲んでもらいます。パパのお湯割りみたいなアメリカンコーヒーはいりませーん」

 愛想のいい応対も世間話も苦手な小熊は、椎から貰ったクーポンを差し出しながら言った。

「両方で。わたしと礼子で別のを貰ってシェアすればいい」

 椎の父がまた笑う。さっきと同じ笑い方。顧客の要求に対して自社の利益と折り合った案が出た時の顔。やっぱり自営業っぽくない。


 間もなく、小熊の前に湯気のたつコーヒーが満たされたマグカップが置かれた。カフェスペースの調度品に合った、アメリカの洗剤メーカー大手Tideのカラフルなプリントが入っている。

 礼子には椎がエスプレッソの入った水色のカップを差し出した。教室では目立たない印象の椎も、胸の前にトレイを抱えている姿はバリスタの見習い程度には見える。脱サラの雰囲気が抜け切っていない父親より幾らか様になっているかもしれない。

 小熊は礼を言ってコーヒーに口をつける。色は小熊の知るファミレスやファストフード、あるいは礼子がパーコレーターで淹れたコーヒーより薄いけど、香ばしく口当たりが良く、コーヒーは甘くして飲む小熊にも、ブラックのままで飲める。

 礼子にもマグカップを差し出して一口飲ませたが、自分の淹れたコーヒーとの違いに「何がいけないのかな~?」と首を捻っている。

 小熊も礼子のエスプレッソを飲んだ。小熊には少し苦い。


 椎はカフェの、椎の父親はパン屋の仕事を始めた様子なので、小熊は窓の外を見ながらコーヒーを啜る。

 客用の駐車場横に設けられたバイク用のスペースには、小熊のカブと礼子のカブが並んで停まっている。 

 小熊も礼子も、他のバイクより盗難リスクの高いカブのために、出先でお茶を飲む時には出来るだけ店内から見える位置にカブを停め。カブが見える席につくようにしていたが、こうして窓越しに自分のカブを見ることに、実用的な目的だけでない楽しみを覚えていた。

 礼子が言うには、日本でも国外でもオートバイ文化の中でカフェというものは必須で、カフェのコーヒーやお茶はバイク乗りにとって飲む暖房で疲労回復薬で、興奮剤でもあるらしい。

 カフェレーサーという言葉が生まれるくらい、バイクとカフェは密接な関係を持つというが、小熊は今日のようにタダでコーヒーにありつく機会でも無い限り、家でも作れるコーヒーでガソリン満タン一回分くらいの金を取るカフェというものには縁が無さそうだと思った。

 それは普段の話で、ちょっと贅沢をしたい時や出先で疲れ、体を暖める一杯がどうしてもほしくなった時に関しては、その限りでも無い。

 

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