第十四話 中央市
一杯のコーヒーで活力を得たような気分になった小熊と礼子は、二台のカブを連ねて甲州街道を甲府方面へと走った。
甲府昭和のインターで南に折れて少し走った先に、二人の目的地がある。
小熊も礼子も具体的な行き先が無い時に、とりあえず向かう場所。
自宅から約二十五km。ここまで来るのがちょっとした冒険だったのはいつの事だったか、逆に遠出した帰りに家の近くまで着た目印になったのはいつからだったのか。
そんな事を考えながら、二人は甲府市の南、中央市の中古バイク用品店に到着した。
小熊がカブを買ってから、この店に何度来たかはわからない、礼子もわからないと言っていたが、小熊よりずっと多いのは間違いない。ここに来る目的はバイク部品だけではない。
おそらく山梨で最も大きい中古バイク用品店。その向かいには大手古書店系のリサイクルショップがある。こっちも県内最大の規模。そして交差点を挟んだ向こう側には、やはり広大なホームセンター。
まるでバイクを趣味とする人間のために誂えたような配置。ファッションブランドのショップや飲食店、デパートの集まったアウトレットモールより、小熊と礼子はこっちに縁が深かった。
バイクに必要な物以外の買い物をしたい時には、ここからカブで五分ほどの範囲にショッピングセンターやカー用品店、作業衣料店もある。
向かい合う三店舗のどれか一箇所にカブを停めれば、歩いて各店を回れるが、小熊はバイク用品店の駐輪場に停めることが多かった。三店舗の中で最も駐輪場が広く、何より周囲に同類の人間が多い。
その日も平日の昼間で比較的空いている駐輪場には、もう国内のどのメーカーも製造していない2ストロークの原付レーサーレプリカが停まっている。
ヴィンテージバイクと言うには傷だらけの、今も現役で峠を走っているバイクだとすぐわかる原付レーサーの横では、バイクのオーナーらしき、革ツナギの上にトレーナーを着た少年がキャブレターを分解し、燃料調節用ジェットを交換していた。
店で買って早速取り付けているのか、小熊と礼子は彼の邪魔をしないように、離れた場所にカブを停めた。
小熊はカブのシートに座ったままヘルメットを脱ぐ。とりあえずここで何かを買うのか、それとも登山や探検のベースキャンプのように、この場所を中継地にどこか別の行き先へと向かうのか決めなくてはいけない。
「どうする?」
礼子はオフロードタイプのヘルメットを被ったまま、スマホを取り出しながら返答した。
「どうしよう」
結局のところ、今日も具体的に何を買えばいいのか思い浮かばない。カブの冬支度といっても、今日はまだ昼間だということもあって暖かく、これから寒くなったら、どこに何が必要になるのかがわからない。
普段ならそういう時、とりあえず店舗の集中しているこの場所に来て、コーヒーでも飲みながらどうするか決めている。結局何も決まらず、ただお喋りだけして帰ることもあったが、それはそれで楽しかった。
しかし今日はカブで散歩とウィンドウショッピングを楽しみに来たわけじゃない。冬に向けた準備という目的があって、これから寒さが本格化することを考えたら、そう悠長にしてはいられない。
小熊は自分の赤いライディングジャケットを摘んだ。今のところこれで不自由は無い。礼子のフライトジャケットも買った値段に相応の仕事はしている様子。
正直、寒いかといわれれば特に寒くは無い。そう思いながら礼子を見た。スマホでの調べ物がうまくいかない様子。
礼子はまたスワイプ操作に失敗したらしく、手を握ったり開いたりしている。そこで気付いた。礼子の手がかじかんでいる。小熊は革製のワークグローブなので特に寒さは感じなかったが、礼子が夏からずっと使っているのは滑り止め軍手。
小熊は礼子のスマホを取り上げ、軍手を引っこ抜いた。手に触れるとやはり冷たい。
「まずはこれを何とかする」
小熊の言葉を聞いた礼子は、彼女が季節を問わず最良のライディンググローブだと思っている滑り止め軍手を眺めていたが、少し口惜しそうに言った。
「そうするわ」
小熊と礼子はヘルメットを後部ボックスにしまい、カブをワイヤーでロックして、とりあえず目の前のバイク用品店に行くことにした。
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