第十三話 水色

 小熊と礼子が水色のカップでコーヒーを飲む横で、バリスタ姿の同級生は二台のカブを見つめながら言った。

「原付って、凄いんですね」

 小熊は早く飲み切ってカップを返却しようと思ったが、カプチーノは一息に飲むには勿体無いような味がした。きっと自分が猫舌なせいだと思いながら、甘いホイップクリームの乗ったほろ苦いコーヒーを、そのバランスを壊さぬよう口に含む。

「凄いと思ったことはない」

 小熊がしたことは、機械をその用途の範囲で正しく操作しただけ。目の前のカプチーノもそうだった。きっとこのコーヒーは、小熊と礼子がカブで運んできたエスプレッソマシーンを、手順を間違うことなく使ったことで生み出されたんだろう。


 西部劇で長旅をしてきた男がウイスキーにありつくように、エスプレッソを喉に放り込んだ礼子も答える。

「凄いのはカブよ、しいちゃん」

 そこで小熊はこの同級生の名前を初めて知った。バールの制服にネームプレートが付いている、恵庭 椎。

 今後自分と係わることの無さそうな人間の名前。すぐに忘れるだろうと思った。

 背は女子の中背くらいの小熊よりだいぶ低い百四十cmそこそこで、寸詰まりな制服の裾と袖を折り返している。礼子ほどでないが長い髪は太陽の光を受けると蒼みがかった色になる。肌はプリンター用紙のように白い。

 この子に似合うのはカブではなく、小熊と礼子が持っている昔のウェッジウッドを模写したような水色のカップだろう。ロータス製スポーツカーの標準色に、ウェッジウッドブルーという塗料があったことを思い出した。

 

 椎という、水色の似合う女の子は、小熊のカブに指先で触れながら言う。

「わたしも乗ってみたいな、でも原付なんて無理。自転車にも乗れないから」

 エスプレッソを飲んでいた礼子がむせて咳き込む。小熊はカプチーノを飲みながら笑い出しそうになった。礼子がつい最近まで自転車に乗れず、小熊の特訓でやっと人並みに乗れるようになったことを知っているのかと思った。

 とりあえず、小熊は今までカブに乗った経験で知ったことだけは教えてあげた

「無理だと思ったことはやらないほうがいい」

 バイクは怖がりながら乗ると、向こうも乗り手を怖がってシートから放り出したりする。乗りたい、走りたいと思って乗らないと走ってくれないように出来ている。

 椎という少女の体格や細い腕、全身から受ける淡い水色の印象で、小熊は彼女をバイクに乗らない側の人間だと決め付けた。

 

 エスプレッソの濃いカフェインのせいかい、少し顔を赤らめた礼子は、まだ中身が半分ほど残ったカップを見せながら言った。

「後で教室まで返しに行くから、しいちゃんは早くカウンターに戻ったほうがいいわよ」

 そこで自分の文化祭での役割を思い出したらしき椎は、お盆を抱えたまま、もう一度お辞儀をしてから踵を返した。

 教室へと足を進める前に、椎は振り返ってスーパーカブをチラっと見た。

 カブに乗っている自分を想像したのか、椎は駐輪場の支柱にぶつかりながら走り去った。 

 あれじゃカブで公道に出ても三日と経たずに転倒し二度と乗らなくなるだろう。そう思いながら小熊はカプチーノの底に残った溶けかけの砂糖を味わった。

「甘いな」


 コーヒーを飲み終わった小熊は、礼子が持っていた空っぽのカップをひったくった。

「調べ物、しといて」

 思いがけず文化祭に巻き込まれてしまったことで先送りになったカブの冬支度。今日も帰りにバイク用品店やリサイクルショップ、あるいはネットの中を回らなくてはいけない。

 小熊がまだ持っていないスマホを取り出した礼子が、任せろと言わんばかりの態度で親指を立てる。小熊はカップを返しに行った。水色のカップを空に翳す。青の濃い晩秋の空より淡い、過ぎ去って早々に懐かしくなる夏空のような色。

 イタリアン・バール風に模様替えした教室に戻った小熊が、誰か手近な同級生にカップを返そうとした時、教室奥のカウンターで、さっきコーヒーを届けに着た椎の姿を見つけた。

 カウンターからやっと顔だけ出るくらいの小さな女の子は、バール・カフェ内でご本尊か何かのような存在感を発揮しているステンレス製のエスプレッソマシーンを、てきぱきと使いこなしていた。

 礼子から聞いた話では手作りパン屋の娘とのことだが、店のイートインか何かで、カフェ什器の扱いには慣れているのかもしれない。

 淡く儚い水色の印象だった彼女が、少し大きく見える。カブには乗れない側の人間だという自分の見立ては、間違っていたのかもしれないと思いながら、小熊は色味は薄くとも日差し激しい夏空の色の少女に、同じ色をしたカップを返しに行った。

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