第十話 保険

 小熊ののお目当ての品は、首尾よく教務課で借りることが出来た。

 リアカー

 小熊の記憶では、あまり使われることなく倉庫に置きっぱなしになっていた、学校備品のリアカーは真新しいアルミ製で、軽く点検してみたところタイヤの空気圧も軸受けの回転も異常無し。 

 人力よりも強い応力がかかるハンドルの取り付け部分もチェックしたが、それも問題ない様子。

 小熊はリアカーを引いて校舎の裏手に回る。空荷のリアカーも、それほど体格も大きくない女子高生の小熊には少し重い。やっぱり自分はまだ手助けが必要な身だと自覚しながら駐輪場に向かうと、いかなる時も小熊を助力してくれる者が到着を待っていた。

 スーパーカブ。今日はいつもより頼もしく見える。小熊がリアカーを下ろして一息つくと、カブほどでないにしろ、困った時の頭数程度にはなる奴がやってきた。


 礼子が自分のハンターカブを、タイヤを鳴らしながら小熊の横に停める。小熊がリアカーを借りているうちに自宅まで往復した礼子のハンターカブ後部荷台からは、いつも装着されている郵政業務用ボックスが外されていた。

 替って取り付けられていたのは、小熊がクラスメイトの窮地に手を貸そうと思うきっかけとなったツール。

 街で見かけるカブの装備品として、とても見慣れたもの。

 定食屋や中華料理店で見かけるようなアルミのおかもちを、ゴムで覆われた三つのダンパーで吊った、出前機と呼ばれる物。 

 スーパーカブはこの出前機によって宅配業務にも広く使用され、カブの装備品の中でも最高傑作と名高い出前機は、必ずしもバイクの達人とは限らない出前持ちが客先まで急ぐカブの後部で、ソバやラーメンのツユをこぼさず、具材の盛り合わせを崩すことなく荷物を保持する。


 明日のバール・カフェで使われる食器類を運ぶ予定だった車が使えない状況。急場しのぎで原付や自転車に積んで運んでも、時間有限の中であまり仰々しいパッキングの出来ない食器を、割らずに運ぶことはほぼ不可能。それを可能とするのが、カブの出前機だった。

 小熊は自分のスーパーカブの後部ボックスから工具を出し、出前機を取り外し始める。礼子はリアカーを見て、自分がこの世のどんなバイクよりカッコいいと思っているハンターカブと見比べ、少しイヤそうな顔をしたが、リアカーのハンドルとハンターカブの荷台を、リアカーと共に借りてきたロープで結びつけ始めた。


 業務用のエスプレッソマシーンのような大型の荷物や、カフェ制服等の嵩張る荷物は、リアカーで運び、割れ物は出前機で運ぶ、そうなれば、どっちのカブが何を分担すべきかは明白だった。

 一一〇ccでパワー、トルク共に勝る礼子のハンターカブがリアカーを引き、礼子よりバイク乗りとしてのキャリアは短いが、荷物を揺らさぬ丁寧な走りでは一枚上手な小熊のスーパーカブが出前機を受け持つ。

 礼子はハンターカブにリアカーを括り付ける作業を終えた。最初はカッコ悪いと渋っていたが、赤い車体にメッキのパーツが目立つハンターカブと、アルミの地肌が鈍い光沢を放つリアカーの組み合わせを見て、まんざらでもない様子。ハンターカブとリアカー、どちらも使い手の使途に対する実用性を一分の無駄もなく追求した物特有の造形美を宿すもの。  

 小熊が最近知り、驚かされたのは、このカブにリアカーを縛り付けて引くという形式が、道路交通法上何ら問題が無いということで、今より少し前にはそんなふうに屋台や農機具、街のゴミなどを運ぶカブの姿をよく見かけたという。

 

 小熊も自分のカブの後部スチールボックスを外し、出前機を取り付ける作業が終わった。こっちは普段から銀行員か何かのような没個性的なカブが、街でよく見かける出前カブになって更に地味さと匿名性が増した。他者に比べ何かが劣った地味ではなく、このカブになら仕事を任せ、委ねられるという安心感を与える地味。

 小熊は礼子のハンターカブとリアカーの固定を点検した。礼子も出前機とスーパーカブの取り付けを見ている。出来る限り互いの作業をチェックする、一緒にカブの整備をしていて自然とそうするようになった。

 一人だけの独善的な目では見落としがちなミスも、二人の視点があれば見つけ出すことが出来る。


 簡単すぎる作業ゆえ特に異常は見当たらない。小熊は自分のスーパーカブに妙に馴染んでいる出前機のオカモチを叩きながら、礼子に聞いた。

「持って来てる?」

 黒板に書き出された品目をスマホで撮った画像を見て、運ぶべき荷物のリストを再確認していた礼子が、オカモチを指差した。

「その中」

 小熊がオカモチを開けると、中には礼子が山小屋から持ってきたパーコレーターが入っていた。最初に買った物と、それが大きすぎてわざわざ買いなおした物。それからパーコレーターに必要となる粗挽きのコーヒーミル。

 心配して様子を見にきたクラスの学園祭実行委員の生徒に、小熊は二つのパーコレーターとコーヒーミルを押し付ける。

「帰るまでに使い方を覚えておいて」


 これから小熊と礼子は、バール・カフェに必要となる品々を甲府まで取りに行く。学校に戻ったらすぐにクラスの学園祭参加生徒が総出で準備を進め、今日中に教室のカフェを完成させる。 

 それもこれから先の各行程が全て順調に進めばの話。どこかで躓けば、そのままドミノ倒しのように以後の作業が全て駄目になる。

 小熊がスーパーカブに触れるようになってから学んだ最も大事なことは、何かの行動を起こす時には常に保険を用意すること。 

 もしも何らかのトラブルが発生した時、予備案が必要だと言ったのは小熊で、イタリアン・バールを開店できなかった時は、このパーコレーターを使ってアーリーアメリカン風のサルーンカフェを開くという案を思いついたのは礼子。


 コーヒーは学校が学園祭のため一括で仕入れた物が使える。パーコレーターさえあれば、後は店員のジーンズとデニムシャツにカウボーイブーツとハット、ギンガムチェックのテーブルクロスに木目の衝立、サルーン必須のスイングドアからテキサス共和国の国旗まで、演劇部で揃えられることは礼子が確認した。

 何でそんな事を礼子が知っているのかと思ったが、去年の演劇部で若草物語の芝居をした時に、礼子が小道具としてウインチェスター・ライフルを貸し出したことがあったらしい。

 フードメニューに関しても近くのスーパーでポーク&ビーンズの缶詰と出来合いのアップルパイでも買い占めれば何とかなるだろう。生徒の中にもメキシカン・チリなら作れるという子が居た。

 礼子としてはイタリアン・バールよりそっちのほうが好みのようで、男子の大半は礼子に同調したが、女子が総出でバール・カフェのほうがいいと言ったので、そっちの案を第一案。アーリーアメリカン・サルーンを第二の予備案ということで意見が纏められた。

 準備は整った。あとは小熊と礼子の走りに学園祭の成功がかかっている。

 出前機のみで身軽な小熊が先行し、その後ろからリアカーを引いた礼子のハンターカブが続く。

 小熊が一瞬見たバックミラーには、両手にパーコレーターを持った学園祭実行委員の生徒が、祈るように二台のカブを見つめる姿が映っていた。

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