第八話 変化

 月曜日の始まりは先週の同じ曜日よりも少し気温が下がり、いよいよ制服の上に着るジャケットが必須となってきた。

 手にはカブを買った時にオマケで貰った牛革のワークグローブ、足にはローファーが指定されているが守らなくとも特に何も言われないので、ケッズのハイカットスニーカー。これで今のところ不自由は無いが、そのうち防寒対策が必要になるんだろう。

 そう思いながらカブを校舎裏手の駐輪場に停めると、少し遅れて礼子がハンターカブでやってきた。 

 礼子も制服の上にフライトジャケットを着ている以外は、夏の間とさほど変わらない格好だった。

 パラディウムの布製アウトドアシューズに、礼子がカブのみならずあらゆる機械を操縦する上で最良のグローブだと言っている、滑り止めのボツボツがついた軍手。

 礼子が十二双セットをカブの満タン程度の金額で買ったという滑り止め軍手は、小熊も一組貰ったが、操作のしやすさは認めるけどあまりにも無防備な感じがしたので、夏の猛暑の日に数回使ったきり。


 タイミングを合わせる気は無かったが、今日も礼子と揃って登校することになってしまった。

 小熊が自分のカブ後部のスチールボックスから通学用の帆布ディパックを取り出し、ヘルメットとグローブを入れていると、同じく後部の郵政業務用ボックスにオフロードバイク用のヘルメットを放り入れていた礼子が、自分の軍手を見て言った。

「そろそろ変えなきゃいけないかな」

 礼子が毎日使い、指先に穴の開いた軍手を一瞥した小熊は、夏の間は少し暑苦しいと思っていた自分の革グローブを見ながら呟く。

「変えなきゃいけないなら、替えればいい」

 小熊がヘンに背を押してしまったらしく、物欲の誘惑に取り付かれた礼子は、小熊と並んで教室に行くまで、こんなグローブがいい、あんなグローブが欲しいと自分の欲求を垂れ流していた。


 季節が変わり、身につける物が変わっても代わり映えのしなかった教室にも、変化ともいえる出来事が起きていた。 

 小熊も礼子も意識していなかったが、この学校の文化祭が近いらしい。

 クラス単位での参加が決められているが、実質上は自由参加で、クラスの中でも学園祭のために動いているのは半分程度、残り半分は何もしていない。小熊と礼子は後者の側だった。

 部活で忙しい生徒や、特に何もしていないが学園祭にも参加する気の無い生徒。去年までの小熊もそうだったが、今年は少し違う。

 学園祭以外にも、学校やクラスで行われているイベントやレクリエーションはあったが、小熊はそれらの活動にも参加しなかった。

 今の小熊には、スーパーカブという存在がイベントやレクリエーションを与えてくれる。今もこれからやってくる冬本番に備えた防寒対策を行わなくてはいけない。それは必要に迫られた事であり、楽しみでもある。

 

 授業が終わり、文化祭で役割を与えられた生徒が忙しく動き回っている。小熊のクラスの出し物は模擬店。バールといわれるイタリアンカフェを出店するらしい。

 当日に備えて準備を進めている文化祭実行係が、クラスの皆に声をかけている。教室に飾りつけをする材料を作るのに人手が必要だという。不参加組も参加組の中に居る同じグループの友達から誘われたりして、何人か手伝いを申し出ている。

 クラスの中で友達と呼べる人間が居ないため、特にお誘いの声も無い小熊が、さっさと帰り支度をしていると、礼子に声をかけられた。

「どうする?」

 礼子が顎をしゃくった先には、クラスの何人かが協力してバール・カフェの準備をしている姿。まだ頭数が足りないらしい。


 小熊は何も言わず、礼子の手に触れた。今朝、軍手だけでは寒いと言っていた手。

「これが先」

 礼子も手の防寒という切迫した問題を思い出したらしく、席を立って自分のショルダーバッグを手に取った。賑やかに作業とお喋りを始めているクラスメイトに軽く挨拶し、小熊の手を引いて教室を出る。

 並んで歩きながら、小熊は礼子に話しかける。

「どこに行く?」

 一度飛び出した教室を何度か振り返っていた礼子が答えた。

「甲府の中古屋を回る」

「私も行く。探す物がある」


 何か後ろめたさを感じていたらしき礼子の足取りが軽くなった。小熊を先導するように早歩きする。

 礼子もわかったのかもしれない。冬は否応なしに近づいてきていて、今はお店屋さんゴッコなどをしている暇は無いことを。

 今、変化をさせるべきはクラスの皆との関係という、明白な形や価値の見えない物ではなく、現実の脅威として迫っている寒さ。それは礼子も今朝、自分の掌で感じたはず。

 早足で学校を出ようとする礼子に特についていくでもなく、変わらない速さで歩いていた小熊は、教室前の廊下を曲がり昇降口へと向かう前に、後ろを振り向いた。

 教室に留まり、まだ帰ろうとしない人たちの喧騒が微かに聞こえる。

 早く自分のカブのエンジン音が聞きたくなった小熊は、昇降口へと急いだ。

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