第七話 ブランチ

 いつも通りの時間に目覚めた後で、今日が日曜日だと思うと、なんだか少し得したような気分になる。

 そう思うようになったのは、礼子のログハウスで過ごすことに慣れてきたからだろうと小熊は思った。ソファの上に広げたシュラフのジッパーを開けるのも、アパートで布団から体を起こすのと変わらない。

 まるで自分の部屋に居るような気持ちで居られる場所。それだけに用でも無い限り積極的に行こうとは思わないが、目覚めてすぐに部屋に中に置かれたカブが目に入るのは悪くない。


 小熊がシュラフの上に寝転がったまま、レンガ敷きのスペースで朝陽に照らされる二台のカブを眺めていたのは、夏の間は忌まわしかった日光がありがたいと思えるような季節になったから。

 もう一つは、カブを停めてある壁側とは正反対、中二階に朝からあまり見たくないものが転がっているから。

 手首に巻きっぱなしのカシオを見るまでもなく、日の光の傾きで、いつもより寝坊したことに気付いた小熊は、一つ溜め息をついてから逆方向を振り返った。

 ログハウスの中二階に置かれたベッドでは、礼子が無防備極まりない格好で眠りこけていた。

 

 ソファから体を起こした小熊は、礼子の部屋に何着か置きっぱなしにしている自分のパジャマと下着を脱ぎ捨て、シャワーを浴びてからデニム上下を身につける。

 ステレオでFMラジオを流す。夕べ受信に難のあるアンテナを小熊が簡易補修したが、夜間とは上空の電波層が異なる昼間でも受信に問題ないらしく、旧い映画サントラが良好な音質で流れている。

 気温が低くなってくると肌に触れる感触の冷たくなるデニムに抗うように台所仕事を始めた小熊は、朝食が出来るまでに礼子を叩き起こす方法を考えていたが、中二階までの折り畳み階段を登るのが面倒になったので、カブの停めてある隣に置かれた、作業テーブルとして使われている古い木製の事務机に歩み寄る。


 普段は礼子が、時々小熊がカブだけでなく色々なガラクタをいじるのに使っている樫材のテーブルに置かれた、礼子が最近遺品整理業者からタダ同然で手に入れたというオモチャを手に取った。

 冷たい金属の感触、木製の握り、回転弾倉と長い銃身。礼子のくだらないウンチクによればコルト・パイソンとかいう名前の金属製モデルガン。

 横に置かれた実弾そっくりの弾丸にキャップ火薬を詰めて銃に装填した小熊は、礼子の頭部に狙いを定めて引き金を絞った。

 隣人やご近所さんの居るアパートで鳴らしたらすぐに通報されそうな破裂音が五連続で響く。礼子は跳ね起きるのが見えた。まだ寝ぼけているらしく、枕元を必死であさって何か武器を探している。

 小熊はもしもこれが本物の銃だったらこれから好きなだけ眠って貰ってたところだと思いながら、重い金属音を発てるモデルガンをテーブルに置き、朝食の準備を続けた。

 

 寝起きののっそりとした動きで折り畳み階段を降りてきた礼子が叫ぶ。

「硝煙臭い!」

 寝坊した礼子への嫌がらせの積もりだったが、礼子はそれも悪くないといった感じで匂いを嗅ぎながら、バスルームへと消えた。

「一発、不発だった」

 小熊の言葉に礼子はシャワーを浴びながら返答する。 

「銃は上物だけど火薬がアホなのよ。店頭に二十年置きっぱなしだったらしいから」

 オモチャだからといって気楽なもんだと思った。もし実弾を発射する拳銃なら、止めの一発が不発なら礼子はひどく無様な最期を晒すことになる。


 バスルームから出た礼子がブルーグレイの作業着上下を身につけて席につくタイミングで、朝食が出来上がった。

 サンドイッチ二個とサラダ、コーヒー

 礼子が学校とログハウスの中間地点にある、商売になってるかどうかわからないドイツ風のパン屋でいつも買っている、ホールホイートと言われる全粒粉の食パンに、分厚く切ったボロニアソーセージとゴーダチーズ、みじん切りにしたタマネギとピクルスを挟んだサンドイッチと、レタスを手でちぎって洗い、スライスしたタマネギとトマトに、小熊が先週作って冷蔵庫に入れといたが、全然減ってない様子のレモン汁と醤油、菜種油、塩胡椒のドレッシングをかけたサラダ、パーコレーターで淹れたコーヒー。

 礼子は日本の食パンの二倍はある大きなサンドイッチにかぶりついている。小熊は洗面器ほどのサラダボウルから自分の分を山盛り取って食べ始めた。


 一つ目のサンドイッチをブラックコーヒーと共に早々に平らげた礼子が、二つ目に手を伸ばしながら言った。

「今日はどうするの?」

 サラダを食べ終えた小熊は、サンドイッチを片手に甘いコーヒーを一口飲んでから答える。

「朝食が終わったら、丹沢のあたりを走りに行く」

 礼子は片手でサンドイッチ、もう片方の手で食卓に置かれた、コルトのモデルガンを弄りながら言う。

「わたしはこれを磨いてから、乗鞍にでも行く積もり」

 小熊も礼子も、走る時間や行き先は違うけど、今日は一日中カブで走ることにしていた。

 二人に共通している、昼間に時間の制限なく走り回れる日曜日の最も多い過ごし方。それに今日は走りたい理由もあった。

 近づきつつある南アルプスの冬。厳寒期になれば山間部や標高の高い場所にある道路は、昼になっても融けぬ危険な凍結路になる。

 小熊と礼子がカブで自由に走り回れる日曜日は、たぶんあと数回しか残されていない。

 それが終われば、春を待ち続ける長く厳しい冬が始まる。

  

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