第11話 真相

 俺は軍馬を駆り、2騎の出雲兵を追尾していた。奴らは北を目指して逃げ延びようとしていた。

 等身大の麻袋に母アイラとキスミミを腸詰状に詰め、首の部分で袋口を綴じている。芋虫の様に首だけを外に出し、手足の動きを奪われていた。その大きな腸詰を鞍の後ろに結い、軍馬の首筋を手綱で叩いていた。

 出雲兵脱出のタイミングは、雑木林に隠れていた歩兵が大挙して正門に雪崩れ込もうとしていた最中だった。接近戦を避けよと命令されていた歩兵達の手には弓矢。徒党を組んで殺到する軍団に軍馬を突入する際、歩兵達が刀剣を鞘に納めていた事が幸いした。

 軍馬に斬り付ける兵士は1人も居らず、波退く様に、猪突してくる軍馬に道を開けた。歩兵達の殺意は宮邸内に向けられている。後ろを振り向いても後続の味方兵と向き合うばかりで、今さら軍馬2匹の後姿に弓を引こうとは誰も考えなかった。

 出雲兵は正門を抜けると参道を左に曲がり、畝傍山うねびやま東側の出口を目指した。邪馬台軍の攻め入って来た畝傍山南側の参道口を目指す愚かな真似はしない。

 離れの建屋に戻った俺は、自分の軍馬に跨るや否や、直ぐに追跡を始めた。乗馬訓練を積んでいない出雲兵にとって、腹這いにした母アイラとキスミミを後部に載せていては重心を取り難かったのだろう。最初こそ距離を開けられていたが、俺は荷無し馬の疾足を活かし、須恵器すえきで米が焚ける程の時間で追い付いた。

 俺は刀剣を振り翳し、前を走る軍馬に左から接近した。

 俺は出雲兵に併走し、右手で刀剣を振り回す。出雲兵は右手に握った太刀で応戦するが、左側に対峙する俺との勝負は如何にも分が悪い。加えて、騎乗戦に不慣れな出雲兵の太刀捌きは拙いものだった。

 残る出雲兵が俺に追いすがり、挟撃を掛けて来るかと警戒していたのだが、幸いにも近寄っては来なかった。自らの逃走を第一に考えて俺達を追い抜き、自分の僚兵を見殺しにしたのだ。

 逃げ去る僚兵の背中に悪態を吐いた出雲兵は、畦道から田圃の泥地に軍馬を駆け入らせた。速度が落ちるが、それは俺も同じ条件だ。軍馬の動きが緩慢になるので、斬撃戦を繰り広げるには出雲兵に有利と言えるだろう。だが、出雲兵は斬撃戦を挑んでは来なかった。

 俺が再び追い縋るまでの短い時間を使い、出雲兵は母アイラの身柄を結った麻縄を太刀で断ち切った。馬首を左に振り、その反動で母アイラを右側の田圃に振り落とす。

 俺の動きを封じる為に左に曲がったと言うよりも、俺の動線上に母アイラの身柄を落としたくないと配慮した気配を感じた俺は、出雲兵の背中に斬り付ける意欲を削がれた。

――母上は大丈夫か?

 母アイラの安全に注意を向けたのも事実である。手足の動きを封じられた母アイラは、水の張った田圃で窒息しかねなかった。

 俺は追跡を諦め、母アイラの元に馬首を巡らした。軍馬を降り、母アイラの上半身をかかえた。袋口の麻紐を切り、麻袋から救い出す。

「お体は? 大丈夫ですか?」

 俺の両腕に揺られる母アイラは、疲労困憊の態で「キスミミは?」と力無く呟いた。

――母上を放置してキスミミを追い求めるか・・・・・・?

 俺は悩んだが、母アイラを独り切りにする事は躊躇われた。それに、今から追いかけても、追い付けるとも思えなかった。

――母上を介抱するに、何処へ向かうのが最善か? 焼け落ちた天香久宮に向かったとしても、母上を休ませる事は叶わない。

 俺は、叔父ミケヌの助言を思い出し、纏向村落のツクミ姫を頼る事にした。


 纏向村落長オトシキは、睡眠中を叩き起こされたにも拘わらず、俺と母アイラを屋敷に上げた。煤で顔を黒くした俺と、泥水で全身を汚した母アイラの姿に動じた様子も無かった。邪馬台兵と出雲兵の合戦は数日前から続いており、心構えが出来ていたのかもしれない。

 母アイラを奥の部屋に案内し、下女にみの準備を命じた。

 その間、居間に通された俺は、オトシキ殿と対面していた。

「母アイラの世話をお頼みします。私は、これから、邪馬台軍に合流します」

「いや、待たれよ。邪馬台軍には配下の者を遣いに出します故、心配なさるな。

 それよりも、タギシミミ様とは、此の場で大事な話をしたく存じます」

「大事な話?」

「はい。タギシミミ様はアイラ姫から事の真相をお聞きになっていますか?」

「事の真相?」

「そうです」

 オトシキ殿は俺の顔をジっと見詰めていたが、戸惑うばかりの俺に溜息を吐いた。

「私の口から申し上げるのははばかられます。それに、私の口から聞かぬ方が良いでしょう・・・・・・」

 オトシキ殿の言わんとする内容について、皆目見当が付かなかった。

「アイラ姫の部屋にお連れしますので、直にお尋ねください。イワレ様の死の真相です」

「父上の死の真相?」

「左様。その上で、私の話を聞いて頂きとう存じます。

 まあ・・・・・・、私の話を聞くまでも無く、私の首をお刎ねになるかもしれませんが・・・・・・」

――オトシキ殿の首を刎ねる? どう言う事だ?

 不穏な事の成り行きに俺は胸騒ぎを覚えたが、状況を理解していない俺には、如何なる行動を採るべきなのか? 全く思案できなかった。優柔不断とのそしりを受けようが、まずは母アイラの話を聞くしか、俺に選択肢は無かった。


 俺は母アイラの休む部屋に案内された。洗濯された小袖に着替えた母アイラは依然として塞いでいる。キスミミが拉致されたのだから、無理も無かった。

 俺は、母アイラの背中に向かい、

「母上は父上の暗殺の真相を御存知なのですか?」

 と、静かに問うた。母アイラは何も答えない。

「オトシキ殿が、母上は事の真相を御存知だ、と申しておりました。

 橿原宮での別れ際、叔父ミケヌが私に「母上を恨むな」とも申しておりました。その時は意味が分かりませんでしたが、もしかして父上暗殺の真相と関係が有るのでしょうか?」

 俺から顔を背ける母アイラににじり寄り、俺は母の顔を覗き込んだ。

――今は母上の事を気遣ってはいられない。俺は事の真相を聞かねばならんのだ。

「教えてください。私は父上の殺された真相を知りたい!」

 母アイラの両目からは滂沱の涙が溢れ出た。滴が板床に幾つもの染みを作る。

「母上!」

 猶も強い口調で追及する俺に抗い切れず、母アイラが小さく漏らしていた嗚咽は次第に大きくなった。仕舞いには床に突っ伏して号泣し始めた。

 微風そよかぜが揺らす行灯あんどんの火が、俺の前身と母アイラの背中に怪しげな影を躍らせる。部屋には母の泣き声だけが流れている。

 その泣き声がシャクリ上げる声に変わり、母アイラが落ち着きを取り戻した頃。行灯の火が最期の輝きを放って燃え尽きた。芯からは細い白煙が天井に伸びて行く。

 部屋は夜の闇に同化した。中庭から部屋に差し込む月光の残照のみが、2人の陰を闇に浮かび上がらせている。

 その暗闇が母アイラの重い口を開かせたのかもしれない。ポツリポツリと譫言うわごとの様に、父上が暗殺された晩の出来事を俺に話し始めた。


 過去何年にも渡って、纏向村落長オトシキは、何かと口実を作ってはアイラ姫への接触を試みていた。最初は、自分の娘ツクミをイナヒと結婚させたいと、イワレへの口添えを頼む目的だった。

 イナヒと男女の仲だったアイラ姫は、自分達の関係を正す良い機会になるかもと淡い期待を抱きながら、イワレに申し出をつないだ。ところが、イナヒの意向を確認するまでもなく、イワレは拒絶する。

 娘ツクミとイナヒの政略結婚が御破算となった後も、オトシキは旬の食材を土産に天香久宮を訪ね続けた。一方的にオトシキが世間話を話すだけで、アイラ姫は相槌さえ満足に打たなかった。無表情に黙ったまま、オトシキの話に耳を傾けるだけだった。

 アイラ姫の拒絶しない態度を良い事に、オトシキは訪問を続けた。次第に、横暴なイスズ妃に対する愚痴をアイラ姫に吐露するようになった。今から考えるに、アイラ姫に胸襟を開くと見せ掛けた、オトシキの心理作戦の一環だったのだろう。

 イスズ妃の陰口を、アイラ姫も耳に心地良く感じていた。相槌なり返事を控えてはいたが、微かな賛同の意思が表情に浮かんでいたかもしれない。老練なオトシキはアイラ姫の鬱屈した心境を見抜いていたはずだ。

「アイラ姫。私達、纏向・宇陀・大和の村落長は、イワレ様がアイラ姫をないがしろにしている状況に義憤を感じております。先に娶った妻を正妻とするのは、奈良の地に暮らす庶民の常識。

 機会を見て、私からイワレ様に諫言申し上げたいと考えております。

 橿原宮で諫言致せば、イスズ妃の横槍が入るは必定。是非、独りでイワレ様が天香久宮をお訪ねになる夜に、私が談判する場を設けて頂きたい」

 或る日、オトシキがアイラ姫に申し入れた。この時ばかりは、アイラ姫も口を開いた。

「夫イワレが天香久宮を訪ねる目的は、私との逢瀬を楽しむ為。オトシキ殿と対面させても、「無粋だ」と無碍むげに断るだけに終わりましょう」

 オトシキの申し入れが魅惑的だった故に、アイラ姫も聞き流す事が出来なかった。

「心配ご無用。イワレ様には痺れ薬を飲んで頂きます」

「大丈夫なのですか? 毒ではないのですね?」

「はい。極めて効き目の弱い痺れ薬です。

 ただ、効き目が弱いだけに、使うにはコツが要ります。

 人肌の温かさで飲ませると手足まで痺れてしまうのですが、冷たい水や熱い白湯に混ぜると舌が痺れる程度に留まり、イワレ様は私の話を聞いてくれないでしょうな」

「どうすれば良いのです?」

「男の私からは申し上げ難いのですが・・・・・・」

 オトシキは困惑した風の演技をし、術中に嵌ったアイラ姫の心を更に絡め捕る。

「はっきり、おっしゃってください」

「男と女が同衾どうきんする時、男は女の裸体を舐め回すでしょう? 失礼ながら、イワレ様が必ず口に含む場所に痺れ薬を塗っておくのです。唇は駄目ですよ。先にアイラ姫が痺れてしまいますから」

 オトシキを目の前にして、アイラ姫はイワレとの情交を思い出した。恥じらう気持ちよりも、何かを決意する気持ちが表情に浮かぶ。

「ただ・・・・・・、もう一つ難題が有るのです」

 オトシキの発言で我に返ったアイラ姫は、「何です、それは?」と質問した。完全に心を謀事はかりごとに奪われていた。

「イワレ様を痺れさせた後、私がノコノコと登場しては警邏けいら兵の目に留まります。私の談判はイスズ妃に筒抜けとなってしまうでしょう。

 何か妙案は無いでしょうか?」

「警邏兵の人払いは、私に任せてください。考えが有ります。

 オトシキ殿は参道門の物陰に隠れていてください。夫イワレを痺れさせた後、私が迎えに参ります」

 腹を据えたアイラ姫が毅然と答えた。


 皆既日食の発生した日。オトシキがアイラ姫を訪ねた理由は、凶事の兆しを告げる為ではなく、くだんの痺れ薬を手渡す事にあった。

「この粉薬に水を差し、粘土の如き練薬にして、肌に薄く塗ってくだされ。練薬が乾いても、効き目に変わりは有りませんから」

 オトシキはアイラ姫に、三角形に薬包折りした熊笹を手渡した。

 一旦オトシキが辞去し、クズヒや賄い夫婦が寝静まった頃。アイラ姫は独りで参道を下りた。小袖の裾口を踏まぬよう、裾元を両手で摘み上げ、誰も居ない参道を鷺足さぎあしで進む。

 参道門に着くと、小袖の腰帯を解き、参道門の門柱の下の方に結んだ。イナヒが天香久宮を夜這いした際の目印だった。必ず独りで訪れるイナヒと違い、イワレは警邏兵を伴って訪れる。イナヒとアイラ姫の交接現場に第三者を招き入れない為の信号の様なものであった。

 但し、イワレが天香久宮を訪ねる日程は橿原宮で過ごす者には明らかであり、優先権はイワレに有る。これまでイワレとイナヒが接触事故を起こした事は皆無だった。

 寝所に戻ったアイラ姫は、オトシキから受け取った痺れ薬を左右の乳房に塗った。両の掌で両の乳房を揉み回し、指先で念入りに乳首を撫でた。イワレに抱かれる嬉しさに加え、自分を正妻に据え直してくれるかも・・・・・・と言う妄想に魅せられていた。

 囲炉裏の脇で待っていると、興奮したイワレが母屋の扉を乱暴に引き開けた。

「イナヒ! 今日は俺の番だぞ」

 怒鳴り声を上げ、上気させた顔で居間を眺め渡す。

「イナヒは来ていないのか?」

 少し冷静さを取り戻したイワレがアイラ姫に問う。アイラ姫は首を振り、誰も居ないと仕草で答えた。

「門柱に腰帯が巻かれていたが・・・・・・、いつイナヒは来たのだ?」

「数日前」

「忘れて行ったのか。間抜けな奴だ。

 だが、数日もの間、クズヒにも賄い夫婦にも見咎められなかったのか・・・・・・。誰も不審がっていなかったのか?」

「多分・・・・・・。私は何も聞いていませんが」

「そうか。しかし、賄い夫婦の奴等は参道門の掃除を怠っているみたいだな」

 怒りの矛先を何処に持って行こうかと迷っている風ではあったが、囲炉裏に座り込むと、イワレの憤懣も癒えていった。アイラ姫から木椀を受け取り、喉の渇きを潤す。

 しばしの間、イワレは酒を飲みながら、他愛も無い会話をアイラ姫と交わした。そして、2人して隣の寝所に移る。

 寝床の中でイワレはアイラ姫の衣装を脱がし、自分の衣装も脱ぎ捨てた。アイラ姫の唇を吸い、耳朶を舐め、首筋に舌を這わせた。

 アイラ姫は熱い吐息を漏らしながら、いつもより早く自分の恥部が濡れ出すのを感じていた。

 イワレがアイラ姫の乳首をかじる。口に含み、舌の先端で乳首を弄ぶ。乳首に満足した舌は次なる獲物を探し、乳房一面を舐め回す。

 イワレの舌が小刻みに震え始める。

 アイラ姫の裸体の上で、イワレが腕立てに身体を離した。見開いた目が充血していた。戸惑いの表情を浮かべ、口をパクパクと動かす。深く息を吸い込もうと深呼吸するも、空気が喉を通って行かない様子だった。

「イワレ?」

 流石さすがのアイラ姫もイワレの挙動が不自然だと思い始めた。イワレは左手で喉を掻き、右手を宙に浮かせ、必死に息を吸い込もうとしている。

「イワレっ! しっかりして! イワレっ!」

 半身を床に起こし、イワレの身体を擦るアイラ姫。動転して何度もイワレの名前を呼ぶ。

――痺れ薬のはずでしょ! 何か誤用が有ったのかしら? オトシキを急ぎ呼ばなくては!

 予期せぬ展開を前にして途方に暮れたアイラ姫は、全裸のまま、参道を駆け下りた。何度もオトシキを呼ぶが、声が掠れて意味を成さない。掠れ声は、全力で走る身体が酸素を求める喘ぎに変わった。

 参道門ではオトシキがたり顔で待ち構えていた。1人ではなく、配下の男を2人連れていた。

「オトシキ殿! イワレが大変なのです。様子が変なのです!」

 オトシキに裸体で取りすがるアイラ姫。

「アイラ姫。あれは、な。痺れ薬ではない。河豚ふぐの毒なのだ」

 オトシキは密かに浪速なにわ集落と通じていた。ニギハヤヒの妻に相談したら、一も二もなく河豚の毒を差し出した。仇討あだうちと言う共通の利害が2人を繋げていた。

「何ですって!」

「仮に痺れ薬を飲ませたとして、イワレが俺を許すと思うか? 俺を誅殺する口実に使うだけだろう。

 俺ははなから毒殺するつもりだったのよ。これで橿原宮の皇族連中は疑心暗鬼に陥り、自らいさかいを始めるであろう。

 そうそう。アイラ姫。今夜の事は口外無用だぞ。お前も共犯者だ。お前が白状すれば、イスズ妃はお前のみならず、タギシミミとキスミミをも殺してしまうだろうな」

 絶句するアイラ姫に向かい、オトシキは冷徹に言い放った。

 オトシキが「ほれっ」と合図すると、男達2人はアイラ姫の両脇を抑え、母屋の寝所まで連行した。イワレの遺骸を軍馬に載せ、イワレの衣服を回収した。飛鳥川のほとりに運ぶと、イワレの背中に犂歯すきばを深々と突き刺した。既に心臓は鼓動を止めていたので、血飛沫が上がる事も無い。刺し口からジワリと血が溢れ、周囲に血糊を固めていった。


 俺が母アイラの話を聞き終える頃には東の空が白み始めていた。足を引き摺るようにして居間に戻ると、オトシキ殿が寝ずに待っていた。

「この時刻なら改めて人払いする必要もありません。今少し、私と付き合って頂けますか?」

 俺は無言で頷いた。昨夜の合戦で死闘を繰り広げ、母アイラから衝撃の事実を聞かされ、徹夜明けと言うだけに留まらない疲労が俺から判断力と決断力を奪っていた。

「イスズ妃は浪速集落に落ち延びているそうです。追加の出雲兵も馳せ参じているとか・・・・・・」

「えっ?」

「イスズ妃が健在である事に驚きか? それとも、私が事情を知っている事に驚きか?」

 その両方が俺には驚きだった。眠気が吹き飛びそうに驚いたが、鈍った思考力は回復しない。俺はほうけた顔でオトシキ殿を見遣るだけだった。

「アイラ姫から聞いたのでしょう? 私が浪速集落と通じている事は簡単に想像が付くでしょう?」

 俺は素直に頷いた。

「さて、初めに言っておきますが、私にはイスズ妃の側に就くつもりが有りません。そして、浪速集落と何らかの同盟を結ぶつもりも有りません。奈良の地は奈良の庶民が治めるべきです」

「でも、浪速集落とは通じていると、御自身で白状されたではないですか?」

「それはイワレ様の暗殺に限っての事。私にとって、イワレ様は兄のかたきですから。

 でもね、イワレ様を暗殺してから、私の中で心境の変化が起こったのです」

「心境の変化?」

「はい。イワレ様を殺したからと言って、心の渇きが癒える事も無かったのです。兄が生き返るわけではないですから。それに、イワレ様だって、止むに止まれず・・・・・・。

 そんな事は頭では分かっていたのです。っくにね。ただ、心が納得していなかった。

 ところがね。イワレ様を殺したから納得できたか?――と言えば、別に何も・・・・・・。

 そこで、私は考えました。自分は何を望んでいるのだろう?――と。

 私の望みは、我が一族と奈良集落の繁栄なのです。その礎を築きたい」

 オトシキが口を噤む。何か言いたい事が有るか?――と、俺に確認したようだった。俺は何も言わなかった。

「私の心境は扨措さておき、貴方にとって、今や私は父の仇だ。此処で首を刎ねられようと文句を言えません。

 如何致しますか?」

 俺は無言のままだった。奮い立って、オトシキ殿に斬り掛かる気力も無かった。

「まあ、良くお考えになればよろしい。私は観念しております。逃げも隠れもしませんから。

 もう少し話ますぞ。貴方には考えて頂きたい事が他にも有るのです」

「他にも?」

「はい。先程、イスズ妃にくみするつもりは無いと申しました。イスズ妃の治世を認めないと言う意味です。

 では、誰が奈良集落を治めるのか? ・・・・・・それは貴方です」

「私?」

「そうです。イワレ様の長男なのですから。それが在るべき姿です。

 奈良の地で最大村落の長たる私が、貴方の後ろ盾となりましょう。その代わり、私の娘ツクミを娶って頂きたい」

「ツクミ姫?」

「はい。政略結婚だと考えてください。

 将来、貴方が他に相応しい女子おなごを見付けられた場合、その女子を正妻に迎えても結構です。

 失礼ながら、アイラ姫と同じ境遇です。その条件で構いません」

 あまりに多くの話を投げ掛けられ、何が何やら分からなかった。俺は放心状態だった。

「本日一日、ゆっくりとお考えください。十分に休み、その上で返事を聞かせて頂きたい。

 部屋を準備します。顔見世の意味も含め、ツクミを呼んで参りますので、暫くお待ちください」

 オトシキ殿は立ち上がり、奥へと姿を消した。


 ツクミ姫はタギシミミを離れの建屋に案内した。アイラ姫の休む母屋の一室とは反対側の軒先から渡り廊下で繋がっている。

 通された部屋の中には一組の布団。

「此処でお休みください」

 ツクミ姫は布団の脇で膝を折り、麻布一枚の掛布団を捲る。

「分かりました」

 タギシミミは茣蓙布団の上にストンと腰を降ろした。ツクミ姫は太腿の上で両手を揃え、控えたままだ。

「もう、お戻りになって構いませんよ」

「はい」

 返事をするも、ツクミ姫は立ち上がる素振りを見せない。

「未だ、何か?」

「父上から、タギシミミ様を労わるように申し付かっております。背中を揉みます故、衣装を脱いで横になって頂けますか?」

「その様な事・・・・・・。無用な御気遣いです。戻られて構いませんから」

「でも・・・・・・、戻れと言われましても・・・・・・」

「オトシキ殿に叱責されますか?」

「それも有りますけれど・・・・・・、此処は私の部屋でございます故」

「何!」

「先程まで此処で寝ておりました」

 タギシミミが慌てて茣蓙ござ布団を触ってみると、仄かに温かみを感じる。

「ですから、どうか私を居させてください」

 猶も戸惑うタギシミミを「さ、さっ」と促し、直垂ひたたれを脱がせる。持参したき桶に溜めた水に麻布を浸し、タギシミミの身体を拭き始めた。拭われた後に残る水分が肌の火照りを冷ます。タギシミミは人心地を取り戻す爽快感を楽しんだ。

「横になってください」

 タギシミミが腕枕に顎を載せ、腹這いに横たわると、ツクミ姫が長襦袢をハラリと脱いだ。長儒半じゅはんの下には何も着けておらず、一糸纏わぬ裸体となった。

「あっ!」と小声を上げるタギシミミの尻に跨ぐツクミ姫。タギシミミの背中に這わせた両手を肩まで撫で上がらせ、また腰まで撫で下ろす。何度も繰り返す内に、タギシミミの筋肉の張りが弛緩してくる。

 ツクミ姫はタギシミミの尻に股間を押し付けたままで反転し、両足を揉み始める。心地良さがタギシミミの全身を包んだ。

 タギシミミが快感に微睡まどろみ始めた時。

「今度は仰向けになってください」

 と、ツクミ姫に促された。

 指図された通りに仰向けになると、ツクミ姫は股間をタギシミミの肉棒に密着させ、覆い被さって自分の乳房をタギシミミの胸板に押し付ける。

「気の疲れを取るには、わだかまりを女子おなごの身体に放つのが早道。私を好きにしてくださいませ」

 ツクミ姫はタギシミミの唇を奪い、反論する暇を与えなかった。

 長い接吻の後でツクミ姫は、タギシミミの上半身を匍匐ほふくし、乳房を吸わせようとする。

――もしや?

 タギシミミは豊満な乳房の付け根を見ながら、頭の隅で鳴る警鐘に警戒心を掻き立てられた。

「ツクミ姫! ちょっと待ってください。私にも貴女の身体を拭わせてください。貴女の裸体を楽しんでみとうございます」

 一日で様々な極限状態に苛まれたタギシミミの頭に、ツクミ姫を追い出す考えは浮かばない。

 ツクミ姫の全身を隈無く麻布で拭い取って安堵すると、何度も交接を重ねた。


 深い眠りに落ち、いびきを掻くタギシミミ。不眠不休の一昼夜を過ごしたのだから、無理も無い。

 爆睡するタギシミミの横で、ツクミ姫はそっと上半身を起こした。タギシミミの寝顔を窺い、桶に手を伸ばす。

 茣蓙布団の下に手を差し込み、薬包折りした熊笹を抜き取る。乾燥後に粉砕した河豚の肝臓の粉末を左の掌に載せ、右手の指を桶の水に浸す。粉末に何滴もの水滴を垂らし、右の人差指で交ぜる。

 粉末を粘液状にねながら、ツクミ姫は父との会話を思い出していた。

「ツクミよ。イスズ妃との間で話は着いている。タギシミミを毒殺すれば、お前が腹に宿した赤児の生命は保障するそうだ。

 イスズ妃はミケヌを悪くは思っていないらしい。理由は分からんがな」

「本当に?」

「奈良集落は出雲集落との交易無しには立ち行かぬ。

 邪馬台城の兵士が駐屯するとしても、所詮は一時的な事だ。その後に邪馬台城と交易関係を結ぶとしても、遥か遠く離れた九州との交易では長続きしないだろう。

 それに、イスズ妃が窮地に陥っている今こそ、出雲勢に加勢すれば、纏向村落の発言力を強められるだろう」

 ツクミ姫は、ぬめりを帯びた人差指を、半開きにしたタギシミミの口に挿入した。タギシミミの鼻を摘まみ、大開おおびらきになった口に左の掌を宛がい、唇になすり付けた。

 西暦248年9月5日の此の日。日本各地で日の出直後に皆既日食が観測された。狭い日本列島において、2回の皆既日食が1年半と言う短い間隔で続く事は、天文学的にも極めて珍しい現象だった。

 ツクミ姫から「終わった」と聞いたオトシキは、浪速集落に早馬を走らせた。

 一連の騒動の黒幕として暗躍したオトシキであるが、神武天皇暗殺の真相が露呈した今となっては、イスズ妃に恭順の意を示すしか選択肢が残されていなかった。

 皇位継承問題の解決をいたずらに長引かせ、夜道でイナヒを襲わせて権力闘争の火に油を注いだまでは良かったが、イスズ妃がアイラ姫に口を割らせた途端に身動き出来なくなってしまったのだ。


 2日後。使者としてタケツチが単身で、天香久山に駐屯中の邪馬台軍を訪れた。

「タギシミミ様は亡くなられた。オトシキ殿の屋敷に向かい、真偽を確かめれば宜しい」

「何っ!」

 イノタチは絶句した。同席していたクズヒも押し黙った。

「イスズ妃は講和を望んでいる。タギシミミ様が亡くなった今、邪馬台軍が駐屯する意味も失われたはずだ。早々に引き揚げてもらいたい」

「アイラ姫とキスミミ様は?」

「アイラ姫はオトシキ殿の屋敷に居られる。キスミミ様の身柄は浪速集落で預かっている」

「お二人の処遇は?」

「アイラ姫には邪馬台城に帰って頂きたい。もう奈良集落に残る理由は有るまい?」

「キスミミ様は?」

「イスズ妃の願いはヌナカワミミ様の即位と安定。キスミミ様を放免すれば、捲土重来けんどちょうらいを期すかもしれん。だから、引き続きキスミミ様の身柄を預かる。人質と考えて貰いたい」


 タケツチ、イノタチ、クズヒの3人はオトシキの屋敷に赴き、アイラ姫と対面する。

 夫イワレを亡くした1年半後に長男タギシミミを喪い、次男キスミミは囚われの身だ。これまでにも増して目付きが虚ろになり、茫然自失としていた。廃人寸前の状態だった。

――もう、アイラ姫は邪馬台城に戻り、心の静養をすべきだ。限界だろう・・・・・・。

 アイラ姫の項垂うなだれた姿を眺めながら、かつては卑弥呼に仕えた侍女を、クズヒは憐れんだ。

「お願い、キスミミだけは私に返して・・・・・・。あの子はイワレの子ではないわ」

 最後の執念を弱々しい声音で吐き出すアイラ姫の言質げんちを、同席した者は皆、何かの聞き間違いか?――と訝った。クズヒがアイラ姫の元に擦り寄り、肩に手を当て、耳を近付ける。

「アイラ姫。何とおっしゃったのですか?」

「キスミミは、私とイナヒの子供です。皇位継承の可能性は無いはず。だから、私に返して」


 タケツチから報告を受けたイスズ妃は、最初、口をポカンと開けて惚けていた。キスミミが夫イワレの子供でない事実が腑に落ちると、「勝った、勝ったわ」と譫言うわごとを呟いた。

 そして、力強く立ち上がると、「あの女に私は勝ったんだわ!」と大声で宣言した。あざけりとも勝鬨かちどきの声とも判断しかねる狂喜染みた声音で笑い続けたと言う。


 イスズ妃は、オトシキの屋敷に宇陀・大和の村落長を呼び、一堂の前でアイラ姫に証言させた。

 夫イワレの子供でないと言う事実の公表と引き換えに、イスズ妃はキスミミをアイラ姫の元に戻した。邪馬台軍は、アイラ姫とキスミミを護る様にして九州へと引き揚げて行った。

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