第10話 手研耳の乱

 私とキスミミの2人は寝入り端を叩き起こされた。兵士の「火事です。御避難を!」との叫びに急き立てられ、離れの建屋から逃げ出した。

 母屋の屋根は灯台の篝火かがりびみたいな勢いで燃え上がっており、無数の火の粉を含んだ黒煙をモクモクと昇らせていた。何本かの柱の上端にも小さな炎が燃え移り始めていた。

 小袖の右袖を横顔に当てて、噴き付ける熱気を遮る。左脇を随伴するキスミミには、私自身の身体が熱波の防波堤となっているだろう。右の火炎側では先導する兵士が私の手を引いている。

 13歳になったキスミミの身長は、私と大して変らない。タギシミミが旅立って以降、めっきり大人びた。私の左肩に添えたキスミミの手からは、私を庇おうと奮起する意気込みが感じられた。

 火炎を遠巻きにして中庭の片隅を小走りに逃げ惑う最中、母屋の茅葺屋根が燃え落ちた。重量物が落下したと直ぐに分かる大音響がバシャーンと背後に轟く。一瞬の後、再びパチパチと茅のぜる音が聞こえ始めた。

 消火に勤しむ者は誰もおらず、十数人の兵士が周囲を走り回っている。「ささっ」と先を急がせる兵士の背中だけを見詰め、参道を駆け下りた。私達は2匹の在来馬に分乗させられ、手綱を引く兵士に導かれて橿原宮に避難した。

――イスズ妃が天香久宮の火事から私を救い出すなんて・・・・・・?

 気が動転していた私は、不思議に思いながらも、イスズ妃の奇行に感謝していた。自分の生命に未練は無いが、キスミミが無事で居てくれる事が何より嬉しい。

 だが、橿原宮に向かう道中を在来馬に揺られていると、不審に思う気持ちが頭をもたげてくる。

「イナヒ殿は?」

 兵士の背中に問い掛けるが、兵士は「知りません」としか答えない。一介の兵士に全体像が知らされるはずがない。兵士の反応が不自然とは言えない。

――でも、・・・・・・。

 私の心の中で、漠とした疑念が、強い疑惑に変化していった。

 橿原宮に到着すると、私達はキスミミが暮らしていた離れの建屋に案内された。2人分の布団が揃っている。ミケヌとキスミミの布団だった。

 立ち去り際の兵士に「ミケヌ殿は?」と問うと、「知りません」との答えだけが返ってきた。

――火事で焼け死ぬ処を助けたのだから、私達に危害を加えるつもりは無いのだろう。

 そう判断した私は、キスミミと並んで寝床に入った。キスミミは直ぐに寝息を立て始めたが、私はしばらく屋根裏を凝視していた。疲労困憊していたが、緊張と不安で落ち着かなかったのだ。それでも、深夜には瞼も重くなり、意識も薄れていった。

 翌朝、朝餉あさげを振る舞われた。客人として迎えるつもりは無いが、ぞんざいに扱うつもりも無いようだった。

 ところが、昼前の時分になって、事態は急変する。

 六尺棒を手にした2人の兵士が現れ、私達を中庭に連行する。中庭までは大人しく従ったので、乱暴な真似はされなかった。

 母屋の軒先に生える銀杏いちょうの大木の辺りまで来ると、待ち構えていた兵士が私からキスミミを引き離す。追いすがる私の身体を、交差した2本の六尺棒が押し止める。私の方に腕を伸ばし、「母さん!」と叫ぶキスミミの両脇を2人の兵士が掴み、銀杏の木まで引き摺って行く。

 無駄な抵抗だと知りながらも手足を暴れさせるキスミミ。兵士達はキスミミを銀杏の木に押し付け、麻縄で幾重にも巻き付けた。巻き付ける麻縄の数が増えるに従い、キスミミは行動の自由を奪われる。唯一つ自由にできる口を開き、「母さん!」と有らん限りの大声で連呼する。私には泣いて見詰める事しか出来なかった。

 キスミミの悲鳴を耳にしたイスズ妃が、見慣れた勝気の表情をして謁見広間に現れた。

「ミケヌを連れて来なさい」

 イスズ妃が命令する厳粛な声音に兵士の1人が反応し、何処かに立ち去る。

 叫び疲れたキスミミが静かになった頃。3人の兵士に追い立てられ、両足以外を雁字搦がんじがらめに麻縄で捕縛されたミケヌが現れた。

「ミケヌ!」「アイラ義姉さん!」

 芋虫の様に身動みじろぐミケヌに一瞥いちべつを呉れると、イスズ妃は大声で宣下した。

「ミケヌ! 貴方が放り出した犯人捜しを此処で再開してあげるわ。黙って見ていなさい」

 イスズ妃の言う事が私には理解できなかったが、宣下に続く兵士の所作に私の胸は張り裂けそうになった。竹の棍棒を手にした兵士がキスミミに近寄り、力任せに投打し始めたのだ。

 パシャーン! パシーン!

 投打する度に空気をつんざく打撃音が鳴り響く。恐怖に目を見開いたキスミミが「お母さん!」と泣き叫ぶ。先程までの悲鳴とは明らかに違う、救いを求める叫びだった。

「キスミミっ!」

 私は声の裏返った悲鳴を何度も上げた。私達の悲鳴を意に介する事も無く、兵士の投打は続く。

「アイラ! 夫イワレを殺したのは誰? 言いなさい!」

 イスズ妃が声を荒げる。猶も兵士の投打は続く。その度に上がる打撃音と悲鳴。

 愛する息子を虐待され続ける煉獄に、私は耐えられなかった。

「私よ! 私なの!」

 思わず大声で叫んでいた。

 1年以上も隠し続けた秘め事を叫び、六尺棒の十字に私は身を崩した。大粒の涙が次々に溢れ出る。

「だから、・・・・・・キスミミを放して遣って」

 脱力した私には、そう呟くのが精一杯だった。

 イスズ妃の勝ち誇った嘲笑が橿原宮に響いた。耳障りな程に私の耳朶じだを打っていたが、不快に思う気力も残っていなかった。キスミミに危害が加えられなければ、それで十分だった。

 イスズ妃はキスミミの解放を命じた。縄を解かれたキスミミが私の元に走り寄って来る。不思議とキスミミの身体に外傷は無く、打たれた場所の皮膚が赤くなっているだけだった。

――音に欺かれたのだ・・・・・・。

 裂目が幾つも入れられた竹の棍棒は、ほうきの様に細々と割けていたのだった。投打音を大きくする一方で、威力を無くす為の細工だった。遠目には気付けない。

 イスズ妃の尋問に対し、キスミミの無事に安堵した私は、堰を切られた秘め事の一部始終を語り始めた。


 俺は和歌山の海岸でクズヒ殿と合流した。クズヒ殿は竜門山地を南に抜け、紀ノ川沿いを西進して和歌山集落まで落ち延びていた。数日間、紀伊水道の海原に目を凝らし続け、俺達の到着を待っていたらしい。

 50隻の双胴船に分乗した邪馬台軍は、着岸するや否や、在来馬や軍馬を降ろし、武器や糧食の煮炊き道具を降ろした。和歌山集落に泊まって長旅の疲れを癒し、翌日には紀ノ川上流で宿営の陣を張った。

 朝日が昇ると同時に陣を手仕舞い、竜門山地を抜けて初瀬村落に入った。クズヒ殿の逃走路を逆になぞった事になる。

 武装を解いて村落に潜んでいた敗残の警邏けいら兵を呼び集め、焼け落ちた天香久宮の跡地に参集する。

 警邏兵の1人に案内され、叔父イナヒの骨と化した遺骸に対面した。遺族でもない自分達が埋葬すべきではないから――と、何日も放置した事を釈明する警邏兵に、俺は「気にするな」と返答した。骨壺を取り寄せ、手ずから拾った遺骨を納めていく。

「母アイラの所在は?」

 俺にとっての最大関心事だ。警邏兵は「橿原宮に捕えられています」と即答した。

 イスズ妃は母アイラと弟キスミミの身柄確保を喧伝していた。人質が居るので、無闇矢鱈むやみやたらに攻撃して来るな――と、俺達を牽制しているつもりだった。

「叔父ミケヌの所在は?」

 警邏兵は「分からない」と首を振った。少なくとも、天香久山で叔父ミケヌの遺体は発見されていなかった。

 俺はイノタチ殿と相談の上、天香久山の西側に陣を張った。西を向く参道口を守り固める意味も有るが、対峙する橿原宮に援軍の戦力を見せ付け、震え上がらせる心理戦を仕掛けたのだ。邪馬台城で鍛錬した出雲兵の意気を挫くのは難しくても、俄か傭兵の浪速人達を周章狼狽させる事は期待できる。

 小隊毎に散開した兵士達が畦道の方々で焚火を焚き、夕餉ゆうげを囲む頃。夏の太陽は沈み切っていない。

 俺とイノタチ殿、クズヒ殿、そして歩兵中隊長3人、騎兵隊長2人の計8人は、焼け落ちた母屋の礎石に腰を下ろし、握り飯と塩焼きした鶏肉を食べながらの軍議を開いた。

「タギシミミ殿。母君がご無事と分かった今、合戦の最優先事項は母君と弟君の救出ですね?」

 イノタチ殿からの確認に俺は首肯した。

「イスズ妃と2人の息子の始末は如何いかが致しますか? 殺すか否かと言う意味ですが・・・・・・」

 俺は自分の考えを反芻した。既に決めていたが、口にする前に再確認したのだ。

「イスズ妃は殺します。殺さないと、奈良村落から後顧の憂いを取り除く事が出来ません」

「子供達は?」

「彼らには罪が有りません。見逃してください」

「成長すれば、母親殺しのかたきと、貴方を襲って来るかもしれませんよ」

「構いません。可能性だけで殺すのは忍びないですから」

「分かりました。ところで、ミケヌ殿が無事だと良いのですが・・・・・・」

「私もそう願っています。叔父上も拉致されただけだと信じたい」

「本当に。私とミケヌ殿は邪馬台城で武稽古に勤しんだ仲なのでね」

「そうだったのですか」

 俺とイノタチ殿は黙り込み、パチパチと爆ぜる焚火を眺めた。

「明日の攻め口は如何するのですか?」

 クズヒ殿が軍議を仕切り直す。イノタチ殿の求めに応じ、俺は地面に橿原宮の見取り図を描いた。

「橿原宮は森に囲まれているのですか?」

「はい。山の中に在ります。ただ、奥まっている場所ですが、山の中腹に建つ天香久宮と違い、参道は上り坂ではありません。平坦です」

「参道の幅は? 天香久宮の参道を同じ様に、狭い?」

「いいえ。広いです。双胴船の長さと同じ位の広い道幅です。5騎の騎馬兵が並んで疾駆しても、何ら問題は無いでしょう」

「それを聞いて安心しました。ですが、参道の両脇には木々が生い茂っているのですね?」

「はい」

「弓兵に待ち伏せされて、左右から矢を撃たれたら、厳しいですな」

 イノタチ殿が2人の騎兵隊長の方を向く。騎兵隊長達は気難しい顔をして頷いた。

「明日は深入りを避けましょう。内情偵察を目的に小競り合いを仕掛ける程度に留めましょう」

「出陣する部隊は?」

「騎馬兵と歩兵を1個中隊ずつ。残りの兵士には此処に留まってもらいましょう」


 畝傍山うねびやま南東の緩斜面に建てられた橿原宮の周りには広葉樹を主体とした雑木林が広がっている。

 その雑木林を分断するように橿原宮の広い参道が貫いている。参道の一端は畝傍山の南端を抜け、深田池の脇を100mも進んで出入口に至る。もう一端は畝傍山の東側につながる。畝傍山の周囲には田圃が広がっている。

 橿原宮自体は奥まった場所に在るので、参道で三角形に分離された畝傍山の南東部の辺縁に1基の物見櫓が設置されている。物見櫓からは奈良盆地の大半を望め、北から東回りに南西方向まで視界250度程度を眺望できる。当然ながら、東に位置する天香久山に布陣する邪馬台軍も監視可能だ。

 畝傍山の北から西の側面から橿原宮を攻めるのは、雑木林を数百mも掻き分け、標高199mの山頂付近を抜ける事になるので、現実的な戦術とは言い難い。

 イノタチは、まず物見櫓を落とし、出雲兵の索敵能力を潰す事にした。

 騎兵50騎と歩兵60人を従えて出陣する。出兵の動きを察知した物見櫓の出雲兵が畝傍山に警鐘を轟かせた。灯光器よりも大きな銅鐸を櫓の屋根から吊り下げ、棍棒で打ち鳴らすのだ。薄い青銅の金属片がカンカンと甲高い音を立てる。

 物見櫓の手前50m程の位置に兵士を横一線に整列させるイノタチ。前列に歩兵、後列に騎兵。矢の射程圏外と弁えているが、念の為に歩兵には鉄板の盾に身を隠し、中腰で構えさせている。

 騎兵中隊長が弓矢に最も長けた騎兵3人に命じ、軍馬を物見櫓まで疾駆させる。2人を迂回させて左右から、遅れて1人が中央突破の構えで軍馬を走らせ始める。

 鞍から浮かせた腰で軍馬の揺れを緩衝させた騎兵は、両手を手綱から離し、弓を引く。物見櫓に立つ兵士は1人のみ。狙いを定めた3人の騎兵が概ね同時に弓を射た。2本の弓が突き刺さった出雲兵が物見櫓から落下する。雑木林からの反撃は無かった。

 イノタチは歩兵に前進を命じる。横一列の盾の壁が慎重に前進する。雑木林は無反応のままだった。

 物見櫓を中心に雑木林に向かって盾の半円陣を構築し、歩兵の1人に櫓を登らせる。

「中隊長! 櫓から下は何も見えません。木々の葉に隠れています」

 物見櫓の高さは僅かに10m弱。生い茂る広葉樹の高さと大差無い。物見櫓の目的は奈良盆地の平坦な農地を俯瞰する事であり、雑木林に囲まれた橿原宮を見下ろす事ではない。

――弓兵が潜んでいるか否かは、依然として不明か・・・・・・。

 参道が孤立させた雑木林は一辺が200mの直角二等辺三角形を形作っている。何人の伏兵が潜んでいるのか、全く予測が立たない。

――参道から騎馬兵を踏み込ませてみるか? 両側から出雲兵が矢を射ってくるかもしれぬが・・・・・・。

 イノタチは悩んだ末、畝傍山の東側から参道に騎兵を突入させる事を決断した。

「深入りはするなよ。今日の目的は索敵だ。敵の布陣を探る事に重きを置け」

 命じられた騎兵中隊長は、50騎の騎兵を従え、物見櫓から畝傍山の山麓沿いに東に回り、参道に突撃した。上半身を隠すように盾を掲げ、右手だけで手綱を握る。

 50m程も突撃すると、参道の至る処に築かれた防塁が行く手を阻んだ。参道の道幅は10m弱。防塁の大きさは縦1m強、横5m弱。参道の右、左、中央を交互に塞ぐ感じで幾重にも防塁が横たわっている。

 出雲兵は、田圃を掘り起こした泥土を麻布に詰め、それを積み上げて防塁と成していた。

「止まれぇ!」

 中隊長の命令で騎兵が軍馬の手綱を強く引く。急な停止命令にいななく軍馬達。

「第1小隊と第2小隊だけ此処に残り、残りは参道外に引き揚げよ!」

 先に進めなければ、道幅10m弱の参道に50騎の軍馬を屯させては身動きが出来ない。狙い撃ちされる危険性が高い。

 後退しようとした矢先、最前の防塁から1人の兵士が立ち上がり、槍を握った右手を大きく背後に振り被った。力強く腕を前に伸ばし、槍を投擲する。騎兵の1人に向けて放たれた槍が盾に当たり、鈍く短い打撃音を残して地面に落ちた。

「急げっ! 全員で撤退! 撤退するぞぉ!」

 防塁から2人目の兵士が立ち上がり、2本目の槍を投擲する。最後尾を走る軍馬の後脚大腿部に突き刺さる。

 大きな鳴声で嘶く軍馬が2本の前脚を上げ、仁王立ちとなる。振り落とされ、翻筋斗もんどり打って落馬する騎兵。騎兵は、尻餅を突いた状態で素早く盾を立て、腰から上の身体を防護する。盾のふちから覗き見するに、防塁に人影は無い。

 残りの騎兵は全て参道外に馳せ逃げた。参道口までは約50m。逃げ遅れた騎兵は、盾を構えたままに弓矢を広い、立ち上がった。再び盾越しに防塁を確認する。敵兵の姿が無い事に少しだけ安心し、盾を置いて弓矢を構える。

 投槍よりも弓矢の方が射程も長く、短時間で狙いを定められる。騎兵は弓矢を構えた状態で後退り、十分な距離を戻った所でクルリと反転した。肩から上半身の前面と後面に提げた薄鉄板の鎧を鳴らして、全力疾走した。


 翌日。イノタチは攻撃目標を変更して南の参道口を攻めた。騎兵の替りに10個の大八車を突入させる。1個小隊で二つの大八車を担当し、6人が大八車を押す。防弾の備えとして、大八車の荷台には盾を一つ置き、その上で薪と稲藁を焼いた。

 ガラガラと威勢の良い音を鳴らして車輪を回し、横一線に並んだ4台の大八車が参道口を突入していく。左側2台が最初の防塁に激突し、衝突の弾みで燃え盛る薪を載せた盾が防塁の向こうに滑り落ちる。

 ギャーっ!

 思わず悲鳴を上げて立ち上がる敵兵を、邪馬台兵が空になった荷台を踏み越え、大上段から振り下ろした刀剣で一刀両断にする。切り口から噴き出る鮮血の飛沫。

 後詰の邪馬台兵は弓を構えて左右の雑木林を警戒する。

 十秒程の遅れで、右側2台の大八車が第二の防塁に激突し、同じ要領で制圧した。参道出入口から20m程の進撃路を確保した事になる。

 周囲に向けて弓を構える歩兵の守られながら、無用となった大八車を斧で打ち割っていく。木切れを火にべ、火炎と白煙の勢いを強くする。

 朝方は、夜間の放射冷却効果を田圃に張った水が減殺する為、後背の竜門山地から平野部に風が吹く。その風に乗った白煙が参道の奥と周囲の雑木林の中に広がっていく。敵兵が咳込む声と共に後退する気配。

 3台目、4台目の大八車が、二つ目の防塁横を蛇行して、次なる標的に襲い掛かる。小一時間ほどで、参道南側に構築されていた九つの防塁を落とし、イノタチは橋頭堡を築き上げた。出雲軍の死者は18名。

「こいつら。浪速人の雑兵だな」

 敵兵の骸を足蹴に転がし、素性を検めていたイノタチが誰にとも無く呟く。

 邪馬台軍の歩兵は、麻縄で繋いだ厚さ数㎝、長さ50㎝程の木板を2枚、鎧として身に着けている。胸と腹、背中を守るために前面と後面に提げている。騎兵の装着する鉄板製の鎧に比べると強度は劣るが、徒歩で移動する兵士の疲労を考慮している。木製でも斬撃の一振り、二振りは凌げる。

 反面、防塁に潜んでいた兵士は鎧を装着していない。邪馬台城で鍛錬を受けた出雲兵の装備とは思えなかった。その替り、イノタチの見た事の無い槍が転がっていた。通常の穂先に加えてまさかりを具備した戦斧いくさおのであった。

――これを振り回されると、少し厄介だな・・・・・・。接近戦は極力避けると言う事か。

 戦闘経験の乏しい新兵を戦場に配置する場合、相手との間合いを詰める事に臆する事が多々あるので、射程の長い槍を持たせるのが常道であった。反面、槍が殺傷力を持つのは正面への刺突つきのみ。槍を振り回すのは、防衛的に相手の刀剣をぐ為であった。ところが、戦斧は左右に薙いでも殺傷力を持つ。

 イノタチは参道で三角形に分離された雑木林の陣地確保を優先した。

 天香久宮で待機する歩兵2個中隊を呼び寄せた。騎兵には初瀬村落からの稲藁輸送を命じる。稲刈り前なので稲藁そのものは殆ど無かったが、茣蓙や莚を供出させた。不足すれば、纏向まきむく村落にも供出を求める。

 確保した防塁で燃える焚火で着火した稲藁を雑木林の中に置いていく。

 落葉の季節は未だ先で、地面を覆うのは腐葉土と化した1年前の落ち葉。ジメジメと湿っているので、稲藁からの延焼は大して期待できない。それでも、くすぶった火が不完全燃焼時に特有な白煙を上げた。敵兵のいぶり出し作戦としては上々の発煙だった。

 雑木林の中で弓矢を構えた歩兵を横一列に展開し、風上から掃討作戦を展開する。見通しが悪く、敵兵を警戒した歩兵の歩みは遅かったが、太陽が西に大きく傾く頃には雑木林の飛び地の南半分を制圧した。敵兵からの反撃は無かった。

 夕暮れ時の早い刻限から交代で夕餉の準備に入らせ、兵士に腹拵はらごしらえさせる。夜の帳が落ち、朝とは異なる山向きの風が吹き始める頃。今度は参道の東側口から同様の作戦を展開する。昼間に着けた火を消化し、北風に乗った白煙に燻り出される敵兵を待ち伏せする。

 三々五々に雑木林を逃げ惑う敵兵を、闇夜に目を慣らせた邪馬台兵が個別に射殺していく。追加で33人の敵兵を射殺し、累計51人を排除した。邪馬台軍に死者は出ていない。

 夜半には雑木林の飛び地を完全掌握し、翌朝以降、出雲軍と邪馬台軍は参道を挟んで対峙する戦局となった。


 参道越しに橿原宮を眺めると、約30m先に正門が構えられている。正門を突破して宮邸内に入り込めば、混戦の最中で臨機応変な合戦を繰り広げるつもりであったが、参道から正門に至る20mが問題であった。

 左右に雑木林が生い茂り、弓矢を構えた迎撃兵が潜んでいる事は容易に想像が付く。

 イノタチは慎重に足場を築きながら攻城戦を仕掛ける作戦を採用した。具体的には、橿原宮と深田池に挟まれた雑木林に潜む伏兵を排除する。そうすれば、少なくとも左側面を気にせず、正門に突入する事が可能となる。

 翌朝、深田池湖畔の畦道に幾つもの焚火を焚き、白煙を山風に乗せて橿原宮へと吹き流した。参道に沿った木陰に弓兵を配置し、雑木林から転げ落ちる敵兵を殲滅する態勢を整える。残念ながら、餌食となった敵兵は数人に留まり、大半は橿原宮内部に遁走した様子だった。

 橿原宮の前面と右側面を掌握した状態で、夜を待つ。劣勢な出雲軍には疲労が溜まっているはずであったし、邪馬台軍の突入を警戒する出雲軍の集中力が途絶え気味となる夜襲を仕掛けるつもりだった。配下の兵士には交代で休息を取らせる。


 夜半。これまで出番の無かった騎兵2個中隊も高揚する戦意に武者震いする。右手に盾を持ち、逆手の左手に槍を握る。腰には騎兵用の長い刀剣を納めた鞘を提げ、背中には矢立てと弓を結び付けている。

 第一撃は橿原宮南側の雑木林から歩兵の放った火矢であった。先端に松脂を固めた火矢を何本も母屋に放つ。突き刺さった何本もの火矢から広がる炎が、杉皮葺すぎかわぶきの屋根を舌舐め擦りして成長していく。火矢は大垣のひさしにも放たれた。

 宮邸内で何人もの敵兵が右往左往し始める。邪馬台軍の襲撃を危惧した敵兵が組織立って消火活動に当たる事は叶わず、火炎は勢いを増していく。火勢に比例して混乱と喧噪も大きくなる。

 雑木林の中で銅鐸が打ち鳴らされた。物見櫓から移された銅鐸が出陣の合図だった。

「者共! 攻め込むぞ! 我に続けぇ!」

 大将タギシミミがときの声を上げる。副将イノタチが「進め!」と号令する。

 右手の盾で身を守り、左手に槍と手綱を握り、軍馬の横腹を強く蹴る。嘶きと共に駈歩かけあしで全力疾走し始める軍馬達。砂塵を巻き上げながら、102騎の軍馬が参道を駆け入る。

 雄叫び上げて軍馬を駆る騎兵達は、正門正面までの十数秒の後に左へ90度、馬首を巡らす。盾を掲げる位置を前面から右側面に移し、雑木林の伏兵に備える。20mの距離を一挙に駆け抜ける。

 正門を潜るや否や、惜しげも無く盾を投げ捨て、槍を右手に持ち替える。右手を上段に上げ、投擲体勢を取る。そして、遭遇する敵兵目指しては投げ差した。馬上から下に放たれた槍は、軍馬の駈歩に加速され、敵兵の背中から穂先を覗かせる。

 崩れ落ちる敵兵の脇を駆け抜け、今度は背中から弓矢を取ると、グルグルと宮邸内を駆け回りながら、次々に矢を放った。戦斧を振り翳した敵兵と接近戦を演じる事は無い。矢の射程圏内から一方的で確実な攻撃を繰り広げた。

 そんな騎兵群の中からタギシミミは単騎で離れ、かつて自分が住んだ離れの建屋に接近する。戸口で降馬し、荒々しく引戸を開ける。

「母上! キスミミ!」

 誰も居なかった。

 続いて、叔父イナヒの居住した建屋に走り寄った。誰何すいかの声を上げながら、引戸を勢い良く右に引く。

「タギシミミか・・・・・・」

 えた臭いの充満した土間には、麻縄で雁字搦がんじがらめに緊縛された叔父ミケヌが転がっていた。衰弱した声ではあったが、精気を失ってはいなかった。驚きと安堵の気持ちで溜息を漏らすタギシミミ。

「母上とキスミミは?」

 一瞬をも無駄にせず、ミケヌに絡んだ麻縄を断ち切る。手足を擦りながら立ち上がるミケヌが、殺気を帯びた目をしてタギシミミに答える。

「母屋に居るはずだ。救い出しに行くぞ」

 ミケヌが先頭となって母屋に向かう。途中、たおれた敵兵から刀剣を奪い、つかを握った右手の一振りで感触を確かめる。後に続くタギシミミ。

 中庭に面した縁側から母屋に上がり、謁見広間を閉ざしていた雨戸を2人して蹴破る。謁見広間では、タケツチと護衛兵2人、都合3人が刀剣を構えていた。

 ミケヌも刀剣を正面中段に構え直す。後背に立つタギシミミは背中から弓矢を取り出す。

「タギシミミよ。タケツチは射るなよ。俺がタケツチを成敗する」

 ミケヌの身体を障害物にしようと、タケツチ達3人が円弧を描いて移動する。但し、同時に3人がミケヌの陰に隠れる事は不可能。タギシミミは左に相対する敵兵に矢を射込んだ。短い絶叫を上げて倒れ込む敵兵。

「アイラ姫の身柄を抑えておけば、人質替りになると考えたが、甘かったな・・・・・・」

 思惑違いとなった展開を悔しがる風でもなく、タケツチが淡々と独白する。その間も正面中段の構えを崩さない。

「母上とキスミミは何処だっ?」

 タギシミミの怒鳴り声に不敵な笑みを浮かべ、「俺を斃してから、探せば良かろう」と憎まれ口を呟く。

 タギシミミが反時計回りに右へと動く。タケツチと護衛兵が左に動くが、矢を射られた警護兵のむくろを踏み越える為に足運びが揺れた。好機を逃さず、警護兵の顔面に狙いを定めるタギシミミ。

 弓矢の射線に観念した警護兵が、無抵抗に死ぬよりは――と、気勢を上げて踏み込んで来る。警護兵が刀剣を上段に振り上げた刹那、ミケヌが腰を落として剣先を左下に構え直し、逆袈裟さかげさに斬り上げた。警備兵の両腕が刀剣を握ったままの状態で宙を飛ぶ。

 放物線を描いて床に落ちた刀剣の鈍い輝きを横目で追い、残るタケツチ牽制の為に、タギシミミが左に身体を滑らせた、その時であった。

 母屋裏手の賄場まかないばから馬を駆け出させる喧噪。

「母上!」「キスミミ!」と叫ぶ耳慣れた声がタギシミミの耳朶じだを打った。目を泳がすタギシミミ。

「タギシミミ! 母上と弟を助け出せ。此処は俺独りで十分だ」

 ミケヌの声に呪縛を解かれ、弓矢を手に身を翻すタギシミミ。

「タギシミミ! 母上を恨むなよっ! そして、纏向のツクミを頼れっ!」

 ミケヌは背中越しに、タギシミミの後ろ姿へと怒鳴った。

「さてと・・・・・・、邪魔者は居なくなったが、助太刀無しで俺に敵うと自惚うぬぼれているのか?」

 タケツチが悪態を吐く。軽弾みな暴言の似合わない者ゆえ、ミケヌの冷静さを失わせようとする小細工かもしれなかった。

「イスズ妃は何処だ? 此処には居ないようだが・・・・・・?」

 ミケヌは冷静に敵方の状況把握に努める。双方とも正面中段の構えに戻り、警護兵2つの骸が打合いの支障とならぬ謁見広間中央まで移動する。

「昨夜の内に浪速集落に退避させておるよ。2人の御子息と共にな」

「幾ら寡黙な男とは言え、死を目前にすると饒舌になるようだな」

 ミケヌが軸足の右足を半歩だけ擦り進める。ミケヌの剣先がタケツチの刃先と重なり、小さな金属音を響かせる。

 ミケヌの構える刀剣は邪馬台軍の歩兵が使う両刃仕様。幾ら討ち合っても刃毀(はこぼ)れの生じない頑丈な作りであった。鍛冶職人が韓半島から仕入れた鉄餅を何度も金槌で叩き鍛えた物だった。

 片や、タケツチの太刀は片刃仕様。刀身は細く薄い。だからと言って、刃毀れし易いわけではなかった。踏鞴たたら製鉄で製錬した玉鋼たまはがねを鍛えた代物で、後の世には数々の名刀を輩出した日本刀の原型だった。

「抜かせ!」と応酬したタケツチが踏み込む。踏み込みしなに刀身を右から薙ぎ、ミケヌの剣先をはたこうと試みる。負けじとミケヌもつかを握る両手に力を籠め、タケツチの一撃を受け止める。

 ミケヌは28歳。監禁中に多少は体力を消耗させていたが、30歳代半ばのタケツチに力負けしない。ギリギリと噛み合うやいばの交差越しに睨み合う2人。

「兄上の仇。兄上は平和裏に事を治めようとしていたんだ。それを騙し討ちにしおって・・・・・・。

 お前だけは許さない」

「馬鹿を言え。俺はイスズ妃の命令に従ったまでだ。

 それに、兄上暗殺の下手人と言うなら、アイラ姫も同じだろう? アイラ姫は殺さずとも良いのか?」

「アイラ義姉さんは道具にされただけだ! イスズ妃とは違う」

「ほうっ? そのイスズ妃との交接を夜毎楽しんでいたようだが・・・・・・?」

 タケツチはミケヌを嘲笑う風に口角を引く。

「黙れっ!」

 ミケヌが刀剣に力を籠め、タケツチを押し離した。互いの間合いを保ち、再び対峙する2人。

「早めに決着を着けねば、俺も脱出のいとまを失うのでな・・・・・・」

 タケツチは右上段に太刀を構え直した。対するミケヌは逆袈裟に斬り上げる右下段の構えをする。先に動いたのはタケツチ。両者のやいばが一閃を放つ。

 タケツチは即座につかを返し、左下から斬り上げる。ミケヌも左上から斬り下ろす。またもや一閃が散る。

 タケツチは勢いの削がれた太刀を右に構え直し、左に薙ぐ。つかを返す暇の無かったミケヌは、裏刃でタケツチの一撃を刎ね返す。

 タケツチは引き戻した太刀を再び右に構え直し、立て続けに第二撃、第三撃と連続した打撃を打ち突ける。ミケヌは下向きだった刀剣を上向きに変え、刀剣を中段正面に構えて連打に耐える。

 ミケヌの返しを封じたタケツチが右下段から逆袈裟に斬り上げる。ミケヌは刀剣を軽く振り上げた後、斬り下げて応戦する。

 何度も討ち合う内に、タケツチよりもミケヌの方が先に肩で息をし始める。監禁生活の疲労もことながら、両者の振う刀身の重量差がボディーブローとして効き始めていた。

 タケツチの振う太刀の方が数百グラムだけ軽い。何度も縦横無尽に刀剣を振り続けていれば、ミケヌの腕に余計な疲労が溜まる。それを承知でタケツチは連打戦を挑んでいた。

 そして、ミケヌの返しが遅れた一瞬の隙を突き、タケツチは太刀を刺突しとつさせた。太刀の刃先がミケヌの鳩尾みぞおちにズブリと押し込まれる。

 止めを刺す事は二の次で、タケツチは飛び退き、ミケヌの間合いの外に後退あとずさる。ミケヌの刺し傷から血潮が噴き出す。両者とも正面中段の構えでグルグルと牽制し合う程に、ピュっ、ピュと血潮が噴き出す。出血と苦痛の為にミケヌの瞼が瞬き、瞳が焦点を結ばなくなる。

 ミケヌの体力消耗を最優先に、タケツチが威嚇の踏み込みを浅く繰り返す。重くなった刀剣を振り回して防戦するミケヌ。その動きが鮮血を撒き散らす事になった。

 何度目かの攻防の末、ミケヌが床に広がった血潮に足を滑らせた。タケツチが太刀を振り落とし、重心を崩したミケヌの右前腕を一刀両断に刎ね飛ばす。右肘の切断面から鮮血が噴き出す。鳩尾の傷とは比べ物にならない、噴水の如き勢いであった。

――勝負は着いた・・・・・・。対戦相手を苦しみの中に放置するのは、武人として忍びない。

 タケツチは、床に転がるミケヌの腕から刀剣を剥ぎ取ると、ミケヌの首の脇にひざまずき、斧の様に振り落とした。

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