第6話 追放、西への一路

 稲刈り作業が一段落し、神武天皇陵の造営普請ふしんが本格化した。人々は豊穣の秋に満足し、普請を通じ追加で手にする籾米に期待を膨らませていた。

 平穏な気分で冬を迎えようとする周囲とは異なり、橿原宮かしはらのみやに集う皇族の間ではギスギスと殺気立った雰囲気が流れていた。

「夫イワレが殺されてから、稲穂が実る程の時間が経ちました。まだ犯人を探し当てないのですか?」

「済みません、イスズ義姉さん」

「最初から言っている通り、私はタギシミミを疑っております」

 謁見広間に集う皇族は3人のみ。タギシミミも成人男子ながら、此処には呼ばれていない。

 ――イスズ妃は、犯人捜しと称して、第一の後継者たるタギシミミを葬りたいだけだろう?

 犯人捜しが暗礁に乗り上げている責任を感じているミケヌは口答えしないが、思惑を剥き出しにするイスズ妃に対して内心では毒吐いていた。

「イスズ義姉さんが疑うのは勝手ですが、殺したあかしが無ければ、タギシミミを責める事は出来ませんよ」

「疑わしい人間を吟味していくと、タギシミミだけが残るのです」

「ほうっ。是非ともイスズ義姉さんの推理を聞かせてもらいたものですね。犯人捜しの参考にしますので」

「夫イナヒを殺して得する者は、座視していれば皇位継承を逃す者。該当するのは、貴方達2人とタギシミミだけです」

「お言葉ですが、イスズ義姉さんだって、自分の息子ヌナカワミミに皇位を継承させたいのでしょう?」

「勿論です。今更、貴方達に隠し立てしても詮無いですからね。正直に白状しましょう」

「ほらっ」

「でも、私は犯人ではありません。ヌナカワミミに皇位を継承させる最善策は、ヌナカワミミが成長するまで夫イナヒに後ろ盾となってもらう事です。息子が幼い時分に先立たれては、皇位継承を危うくするだけです」

 イスズ妃の反論には筋が通っている。

「最初は貴方達2人を疑いました。夫イワレが生きている限り、弟である貴方達は皇位を継承できない。

 でも、ミケヌは犯人ではないでしょう。犯人がミケヌならば、イナヒも暗殺しなければ、自分に順番が回って来ない。暗殺を二件も重ねるのは非現実的です」

「それはどうも。イスズ義姉さんに疑われていないと知り、今夜から枕を高くして寝られます。

 ところで、イナヒ兄さんへの疑いは晴れたのですか?」

「イナヒが犯人ならば、夫イワレが人払いなどしないはずです。警邏けいら兵の前でイナヒと会っても、何ら不自然ではありません。人前で会えば、不審に思われる相手が犯人です」

「タギシミミなら不審がられると・・・・・・?」

「確かにタギシミミと会うだけならば、何ら問題は有りません。橿原宮で何度も擦れ違っているのですから」

「イスズ義姉さんの推理も期待外れですね」

「問題は場所なのです。天香久宮あまのかぐのみやと言う場所が問題なのです」

「何故?」

「天香久宮には他に誰が居ますか?」

「そりゃあ、アイラ義姉さんです。彼女の屋敷ですから。兄上もアイラ義姉さんを訪ねて行ったのですから」

 ミケヌの最後の台詞せりふに、イスズ妃は一瞬だけ口元を歪ませた。

「夫イワレとタギシミミ、あの女の3人が一緒に居る現場を警邏兵に見られると、警邏兵の口から私の耳に入るだろう。夫イワレは、そう考えたはずです」

「イスズ義姉さんの耳に入ると、何故、まずいのですか?」

 ミケヌは意地悪でイスズ妃に質問した。激高したイスズ妃がイワレに詰め寄り、夫婦喧嘩が始まる事は目に見えている。ミケヌの質問にイスズ妃は渋面を作った。今にも憤怒の表情に変わりそうである。

「まあ、答えて頂かなくても予想は付きますが、イスズ義姉さんの推理には無理が有りますね。

 百歩譲って、イスズ義姉さんとの喧嘩を嫌がった兄上が、警邏兵を下がらせたとしましょう。

 何故、タギシミミは兄上を殺さなくてはならないのです?」

「殺すつもりは無かったでしょう。脅すだけに留めるつもりだったのでは?」

「何を脅すのです?」

「私を遠ざけろ。あの女とりを戻せ。そう脅したかったのでは?」

「夜陰に乗じて脅さなくても・・・・・・、橿原宮で談判すれば済むと思いますが?」

「橿原宮には私が居ます。夫イワレとタギシミミが口論していれば、私が直ぐに咎め立てしますからね」

「兄上とタギシミミの2人は、今でも竜門岳に登っているのでしょう? 山頂で話し合えば、イスズ義姉さんの邪魔も入らない。落ち着いて話し合えますよ」

「あの女と天香久宮で話し込んでいる内に、思い立ったのでは?」

「拝聴に値しませんね。都合良く、凶器とした犂歯すきばも天香久宮に有った?」

 ミケヌは溜息を吐き、両の掌を上にして肩をすくめた。

「全ての辻褄つじつまは巧くつながらなくとも、絶対にタギシミミが犯人です!」

 冷静な論理は消え、感情論だけでタギシミミを陥れようと主張するイスズ妃。呆れ顔で聞き流すミケヌに業を煮やし、今度は「だったら、あの女が犯人よ!」と叫び出す。

「犂歯を深々と背中に刺す事は、女の手には余ります。それに、兄上が警邏兵を下がらせた理由が、何処かに飛んでしまっている。

 好い加減にしてくださいよ。イスズ義姉さんの妄想で掻き回すのは、止めてください」

 それまでイナヒは黙して語らず、ミケヌとイスズ妃の不毛な遣り取りに距離を置いていた。

 ところが、イスズ妃も黙り込んだ頃合いを見計らい、イナヒが重い口を開いたのだ。

「義姉上。ミケヌ。まま、犯人捜しを続けていても詮無いのではないか? あれから新たな事件も起きていないし、犯人が暗殺を重ねる可能性は低いと思う」

 突然イナヒが言い出した指摘に、ミケヌもイスズ妃も面食らってしまった。無言でイナヒの顔を注視し、続く言葉を待っている。

「俺もタギシミミが犯人だとは思わん。一方で、兄上暗殺のケリは付ける必要がある。

 そこで、だ。タギシミミを遠島えんとう処分にしては?」

「遠島?」

「そうだ。表立っては遠島と言わぬ。単なる武者修行だ。

 タイシミミも18歳だ。神武東征に従った時の兄上や俺のよわいを上回っている。外の世界を見聞すべきよわいだろう。

 追われる身となるタギシミミには気の毒だが、イスズ妃に有らぬ疑いを掛けられて過ごす生活もまた、針のむしろに座る心境だろう」

「何処に追い遣るのですか?」

「邪馬台城だ。ミケヌ同様、余熱ほとぼりが冷めるまでの間、邪馬台城で研鑽を積ませるのだ」

「まあ、イスズ義姉さんの出身地である出雲集落には行きたくないでしょうからね。

 アイラ義姉さんとキスミミも一緒ですか?」

「いや、タギシミミだけだ。アイラ姫を返せば、邪馬台城から盟約破棄を疑われかねない」

「私はタギシミミの遠島に賛成よ。本音は、あの女にも消えて貰いたいけど、イナヒに譲歩するわ。

 ところで、余熱が冷めるまでとは、具体的にいつまでなの?」

「明言は出来ん。兎に角、奈良集落が落ち着くまでだ」

「そんな事を言っていたら、貴方が実質的に皇位を継いじゃうんじゃないの?」

「俺は天皇には就かない。これからも家庭は持たん。だから、自分の子供に跡目を継がせる野心も抱かぬ。

 各村落長を集め、俺は代行者に過ぎぬと宣言する。そして、二代目に相応しい継承者を話し合う。

 継承者が決まるまで天皇の座は空位とし、今の体制で政事まつりごとを執り行う。

 どうだ?」

「万が一、仕来しきたりに拘る村落長が第一子のタギシミミを推し始めたら?」

「奈良集落に居ないのだ。二代目の候補者とは成り得ぬ」

「分かったわ。要は、村落長の支持を集めれば良いのね」


 その晩。俺は叔父イナヒに呼ばれ、いつもとは違う離れの建屋で夕餉を共にした。

「タギシミミよ」

「はい」

「今夜、二人切りで夕餉を囲む理由は、な。お前に伝えたい事が有るからだ。

 ・・・・・・お前には邪馬台城に行ってもらいたい」

 要請ではなく、命令なのだと言う事は、俺にも理解できた。叔父イナヒとさしで向き合う時、打ち解けた雰囲気になった事は今までに無かったが、いつにも増して今宵は緊張感が漂っていた。

 自分にとって良くない話が切り出されるはずだと心の準備をしていたものの、生まれ故郷を離れる事までは想像していなかった。

「兄上は16歳、俺は11歳の時、神武東征に出発した。引き換え、お前は18歳。旅を経験するには遅すぎるくらいだ」

「旅? 旅なのですか?」

 俺の質問には答えず、叔父イナヒは盃に湛えた酒に口を付ける。そして、竹筒を傾けると、再び盃を満たした。

「タギシミミよ。お前と酒を酌み交わした事は無かったが、一杯、どうだ?」

 叔父イナヒの伸ばした手から盃を恭しく受け取ると、俺は両手で捧げ持った盃を一気飲みした。

 ゲホっ、ゲホっ。

 白湯を飲む木椀に比べ、盃は極めて浅い。大した酒量ではないのだが、初めて飲む酒に緊張し、甘味の奥に感じる痺れの感覚に喉がむせた。

「成人した男ならば、酒も覚えないとな。一人前とは言えないぞ」

 盃を返そうとした俺を、叔父イナヒは軽く手を挙げて制止し、自分は木椀に並々と竹筒から酒を注いだ。竹筒を床に置く事も無く、俺の二杯目の盃を満たす。

「もしかして、お前。女も知らんのだろうな」

 口を付けた二杯目の酒を、俺は思わず吹いた。盃から飛沫が飛ぶ。俺の初心な反応に叔父イナヒが陽気な笑い声を上げた。

「心配するな。誰もがミケヌの様に経験豊富なわけではない。俺だって、遅かったのだ。酒も女も、邪馬台城で覚えれば良い」

 俺は「初体験は何歳の時か?」とは尋ねなかった。寧ろ、叔父イナヒが女と交接した経験を持つ事に驚いた。冷静に考えれば、30歳の叔父イナヒが童貞のはずがないのだが、女を引き込んだ姿を俺は見た事が無かった。

「酒も女もミケヌ並みに覚えた頃。立派な男に成長して、奈良集落に戻って来るが良い。何年掛かるかは、お前次第だ」

 俺は小声で「はい」と受諾の返事をした。

「出発までの間な。天香久宮の義姉上と過ごすが良い。長い別れになるだろうからな。

 それに、兄上が亡くなってから月が7回も満ち欠けしたのに、義姉上は塞ぎ込んだままだ。お前が共に過ごせば、気分も晴れるだろう。

 そうだな、弟のキスミミも連れて行くが良い。親子3人、水入らずで過ごすが良いだろう」


 その夜。俺とキスミミは並んだ布団に入り、天井裏を眺めながら、就寝前の雑談に興じた。叔父ミケヌは叔父イナヒの住居棟を訪れており、俺達の住居棟には兄弟2人しか居ない。

「兄ちゃん。邪馬台城って、どんな処だろうね。

 煉瓦で作った高い壁で囲まれていて、城の中では大勢の人が暮らしているんだってね。ミケヌ叔父さんに教えて貰ったんだ」

「そうらしいな」

「僕、兄ちゃんが羨ましいや」

「お前だって、直ぐに邪馬台城まで旅をするさ」

 キスミミは12歳。成人すれば直ぐに、イスズ妃が追い出しを図るだろう。

「本当?」

「ああ。本当だ。3年も経てば、邪馬台城に来るだろう」

「そうしたら、また兄ちゃんに会えるね。3年かあ。

 でも、3年も経ったら、僕と兄ちゃんは入れ替わりになるかもね。兄ちゃんだって、奈良集落に帰ってくるでしょう?

 それに、母さんが寂しがるよね。2人共、橿原宮よりもずっと離れた邪馬台城に居たら」

「そうだな。キスミミ。

 俺が邪馬台城に行っている間、母さんの事を頼んだぞ」

「うん。任せておいて。母さんを大事にする」

――奈良集落から俺が居なくなる事で、母さんを厭うイスズ妃の態度が和らげば良いのに・・・・・・。

 母アイラが落ち着いて暮らせる事だけを、俺は密かに願っていた。


 叔父イナヒの住居棟では、行灯を灯した囲炉裏に向かい、2人の叔父達が相談していた。

「ミケヌよ。纏向まきむく宇陀うだ・大和の村落長を抱き込むには、如何どうしたら良いと思う?」

 兄イナヒに呼ばれた時から相談事を予想していたミケヌだったが、妙案は浮かばない。今も目を閉じ、腕組みをしている。

「なあ、ミケヌよ。俺は思うのだがな・・・・・・。

 ままでは出雲集落に飲み込まれてしまうだろう? 奈良集落は。

 邪馬台城との関係を強固とし、出雲集落を牽制せねば、奈良集落は独立を保てないのではなかろうか?」

「確かに・・・・・・。あのイスズ妃は奈良集落を息子に渡す事しか考えていませんね。出雲出身のイスズ妃にとって、出雲集落も奈良集落も違いは無いのでしょう。

 ですが・・・・・・、今更、如何どうやって邪馬台城との関係を強化しますか? タギシミミを赴かせた処で、状況は大して変わらないと思いますよ」

「ウム。兄上の跡目をキスミミに継がせるのだ。そして、イスズ妃を追い出し、アイラ姫を天皇の母親として位置付ける」

「まあ、奈良村落と邪馬台城との関係強化を、イスズ妃は邪魔立てするでしょうからね」

「俺は葛城と初瀬の権利を持っている。後は、纏向・宇陀・大和の一つが同意すれば、俺達の勝ちだ」

「そう上手く行きますかねえ。イスズ妃の事だ。葛城と初瀬の権利は無効だと騒ぐでしょう。

 キスミミを推すイナヒ兄さんは立派な利害関係者ですよ。纏向・宇陀・大和の残り二つの村落も、釈然としないでしょうから、イスズ妃に同調するでしょう。

 纏向・宇陀・大和の内、二つは懐柔しないと・・・・・・。さて、如何どうするか?」

 腕組みをしたまま、再び考えに耽るミケヌ。黙想するミケヌの顔を見ていたイナヒが、一つの提案を口にした。

「纏向村落長の娘を娶るつもりは無いか?」

 藪から棒の発言に、ミケヌは目を開けた。

――そんな好都合に政略結婚が成立するのか?

 ミケヌの顔に浮かんだ疑問の表情に、イナヒは「是」との意味に頷き、仔細を語り始めた。

 纏向村落長オトシキには20歳代の半ばを目前とした娘が居る。名前をツクミと言う。とつぎ遅れた理由は、長らく三輪山の祭事に加わる巫女だったので、処女を守る必要が有ったからだ。

 オトシキの親族で次なる巫女候補と目されていた女性が成長した今、ツクミ姫は巫女を退き、オトシキの屋敷で無為むいに過ごしている。ところが、ツクミ姫と年齢の吊り合う男は既に妻を娶っており、平たく言えば、適齢期を逃してあぶれていたのだ。

 オトシキにとっては大事な愛娘。これまで「イナヒの嫁にしてくれ」とイワレに何度も申し入れていたが、イワレは頑として首を縦に振らなかった。

 そう言う経緯なので、イナヒに替わって、ミケヌに娶れと提案したのだ。

「ですが・・・・・・、兄さん。兄さんが娶れば良いではないですか? 元々、兄さんの縁談話だったのでしょう?」

 ミケヌの逆提案に対し、イナヒは首を横に振った。

「俺は結婚しないと宣言した身だ」

「私とイスズ妃の前で、でしょ? 幾らでも前言を翻せると思いますが?」

「俺が娶れば、纏向村落長までもが利害関係者になってしまう」

「私が娶っても同じでしょう?」

「娶るのではない。婿入りするのだ。お前が皇族を外れれば、何ら問題は無い」

「そんなものですかねえ。兄さんが婿入りしても構わないような気がしますが・・・・・・。

 もしかして、醜女しこめなのでは? 醜女は嫌ですよ」

「心配無用。絶世の美女だ。お前が抱いた女の中でも一番の美人だろう。まずは見合いをしてみろ」

 たぶらかされていないかと疑念を捨て切れないミケヌだったが、纏向村落長の屋敷を訪問する事を約束し、次の話題に移った。

「奈良村落の人々が出雲集落との関係を断ち切れない理由は、交易に尽きる。鉄器、酒・味噌、陶器、こんな処だろう。

 この内、出雲集落が製法を秘匿する酒と味噌は代替が効かぬが、鉄器と陶器は邪馬台城からだって供給できるだろう?」

「鉄器は可能でしょう。ですが、陶器は考え難いですねえ」

「何故? 邪馬台人は陶器を使わないのか?」

「勿論、使っています。ですが、陶器は嵩張るでしょう? しかも割れ易い。

 邪馬台城から山を越えて別府集落に至り、其処から双胴船で浪速なにわ集落に移動し、最後は在来馬で奈良集落まで運ぶでしょう? 2回は荷物を積み替える必要が有る。きっと割れます」

「そうか・・・・・・。陶器は駄目か」

 今度はイナヒが腕組みをして考え込んだ。暫く熟慮した挙句、イナヒが懲りずに提案する。

一層いっその事。邪馬台城から陶器師ときしを奈良集落に招聘しょうへいしては如何どうかな?

 奈良集落にだって、陶器の材料とする粘土の採掘場が何処かで見付かるだろう?

 最悪、粘土が見つからなくても、だ。邪馬台城から粘土を持ち込む事で、陶器を自製できる」

 ミケヌはイナヒの提案を吟味してみた。

――成就すれば良案だ。奈良村落の周辺では陶器を自製できておらず、特産品として交易できる。

「分かりました。タギシミミを案内するクズヒ殿に陶器師の件を頼んでおきましょう」

 土師器はじき須恵器すえきの製造には粘土が不可欠である。九州ならば、熊本県天草下島から有田焼の材料が供給されている。出雲周辺でも粘土の産出地は多い。だからこそ、地元粘土を活かした陶芸が盛んなのだ。

 弥生時代に各地で製造された陶器の材料は、井戸掘りの副産物として手にした粘土である。粘土層が地表近くに横たわる地形は意外と少ない。陶器製造の為に深い井戸を掘るのは、本末転倒であった。

 近畿地方について言及すると、陶芸用粘土の産出地として有名な場所は、奈良盆地北端から東に伸びる信楽しがらき山地周辺である。信楽山地の南側には伊賀焼の、北側には信楽焼の窯元が群集している。

 数百万年前の太古の時代、琵琶湖は現状よりも遥かに大きく、地質学的には古琵琶湖と呼ぶ。古琵琶湖は南方の信楽山地付近まで湖水を湛え、地表近くに湖成層が広がる。粘土状の地層は、水捌けが悪く、農作業には適さない。だからこそ、地元民は伊賀忍者や甲賀忍者として生計を立てたのだ。

 信楽山地とは目と鼻の先に広がる大和村落には、陶器を大量生産できる素地が有った。但し、額を摺り寄せて相談中のイナヒとミケヌの2人は、その事実を知らない。全ては、邪馬台城の陶器師が探索を進めた結果として判明する事実であった。

 考古学的に三大古窯として有名な場所は、大阪府堺市周辺の陶邑すえむら窯跡群ようしぐん、愛知県名古屋市周辺の猿投さなげ窯跡群ようしぐん、福岡県大野城市周辺の牛頸うしくび窯跡群ようしぐんである。

 奈良集落が大和朝廷の政治の中心として栄えるに連れ、付加価値の低い陶業が大和村落から生駒山地の海側に移り、陶邑窯跡群を形成して行ったものと考えられる。


 邪馬台国への出立を命じられてから、俺とキスミミは、両手の指の数ほどの晩を母アイラと過ごした。中庭の片隅に自生した女郎花おみなえしが晩夏から黄色い花房を次々に開花させ、最後の一塊が散り落ちる様を親子3人で眺めるのが日課だった。

 今は、クズヒ殿と共に、和歌山を出帆した双胴船の船上に立っている。

 九州に戻る双胴船の船腹には瀬戸内各地の特産品が満載されていた。目に付く品物は塩と魚醤ぎょしょうを入れた須恵器の壺である。九州を出発する際には各地の稲場に貯蔵する籾米を満載していたそうだ。稲刈りを終えた時期には見慣れた光景らしい。

 初めて海を見た俺は、瀬戸内の海の広大さに瞠目した。神武東征の折、父イワレが中継地点と定めた淡路島を通り過ぎると、西の水平線が延々と続く。陸地が南北から瀬戸内を挟んでいるが、西には何も見えず、まま、根の国へと落ちて行くのでは?――と、少しだけ恐怖に駆られる。

 恥ずかしながら、事の真偽をクズヒ殿に尋ねると、「大丈夫。いずれ九州の陸地が見えてきますから」と一笑に付されてしまった。

 クズヒ殿には道中、色々と教わった。

 乗船している双胴船は日向集落の愛宕と言う村落で建造され、愛宕屋敷には祖父母のウガヤとタマヨリ妃が住んでいた、と。父イワレが神武東征に出帆した場所でもあった、と。

 瀬戸内を巡航している双胴船は他に何隻も有り、各地を交易して回っている、と。大半の交易地には稲場いなばが設けられ、交易ネットワークは曽祖父ニニギの義弟ナムジが構築して回ったのだ、と。

 瀬戸内の海運業に従事している者は、殆どが日向集落の出身者らしい。

 夜になると、空には満天の星空が広がる。聞こえる音は、穏やかな波が舷側を優しく撫でる音のみ。俺は船底に横たわり、仰向けに腕枕をして煌めく星々を飽きもせず、夜更けまで眺めていた。

 毎晩、母アイラを想う。寂しいのではない。心配なのだ。

 天香久宮で過ごす間、母アイラは弱々しく微笑む事は有っても、朗らかな表情を一度も浮かべなかった。何処か憂いの漂う表情を崩さなかった。

 目の下に隈が差し、頬も痩せていた。髪はほつれ、白髪も増えたように感じる。

 ――健やかに、体調を崩さずに過ごして欲しい・・・・・・。


 邪馬台城に登城した日。俺は卑弥呼様の住まう宮殿で歓待を受けた。夕餉には、卑弥呼様だけでなく、オモイカネ様やミカヅチ様も同席した。

「長旅で疲れたでしょう? 今日はタンと食べなさい。そして、ゆっくり休むのですよ」

 卑弥呼様の一声で饗宴が始まる。

 饗宴では専らオモイカネ様が邪馬台城の概要を説明してくれた。本当は俺の口から奈良集落の現況を聞きたかったのだろうが、初日なので、俺への質問を控えたようだった。

 食事を摂りながら聞くオモイカネ様の話は、竜門岳の山頂で聞いた父イワレの武勇談に次ぐ面白さだった。あまりの面白さに箸を動かす手が疎かになる。

 食事を口に運ぶ手の動きが鈍ると、ミカヅチ様が頻りと酒を勧めてくる。「慣れていないので」と何度も断るが、「そう言わずに」と強引に勧めてくる。はなから対等に飲もうと言う気が無く、ミカヅチ様が手酌で飲む時は大きな木椀。俺に竹筒で酌をする時は底の浅い小皿だった。

 小さな盃でも何杯も飲み干していれば、酔いが回ってくる。顔を赤らめ、瞼の重くなった俺の顔付きを認めると、「この辺で今日は止めておきましょう。続きは明日」と卑弥呼様が終宴を宣言した。

 実は、宮殿を辞去した後で、俺は生涯忘れられぬ経験をする展開となる。

 オモイカネ様とミカヅチ様に左右からかかえられた俺は、千鳥足で住居棟まで歩いて行った。

 住居棟は高さ5m強の長方形をした建物で、煉瓦積みで四方の壁を建て、長辺の壁を繋ぐ様に杉板を渡して屋根としている。屋根全体をセメントで薄く塗り、漆喰で上塗りする事で雨漏りを防いでいる。建屋の中は小部屋に区画されず、体育館の様な大空間が広がっている。

 杉板を張った床には、200人程度の男女が思い思いの姿勢で雑魚寝していた。

「今日からタギシミミは、この住居棟で寝泊まりするのだ」

 城内には無数の住居棟が立ち並んでおり、住居棟毎に住民の様相が異なる。俺の案内された住居棟は若い成人男女が寝泊まりする住居棟だった。

 出入口に架かった短い梯子を登り、杉板の高床に上がり込む。窓には雨戸がめられ、建屋内の奥は真っ暗である。月光の差し込む出入口の辺りだけが明るい。

「お~い! 聞いてくれ。この男が新入りだ!」

 ミカヅチ様が奥に向かって大声を上げる。暗闇の中でうごめいていた住民達の黒い影が動きを止める。

「タギシミミと言う。奈良集落から訪れた若い男だ」

 大入りの観客を前にした舞台に立たされ、顔見世している状況に緊張し、俺の酔いは一瞬で醒めた。

「お前のよわいは幾つだ?」

 俺の耳元でミカヅチ様が尋ねる。俺は小声で「18です」と答えた。

「女を抱いた経験は有るのか?」

 再度、俺の耳元でミカヅチ様が尋ねる。俺は赤面した。赤面した顔が月光の影に隠れていれば良いが――と思いながら、かぶりを振った。

「タギシミミのよわいは18歳だ! それに童貞だぞ!」

 ミカヅチ様が大声を張り上げた。場内のあちこちから、クスクスと小さな笑い声が聞こえる。

――何て無遠慮な男なんだ。大声で紹介する内容ではないはずだぞ。・・・・・・恥ずかしい。

 奈良集落の常識に基づき、俺は少し反発した。反発すると同時に、赤面した顔を俯かせた。

「タギシミミの童貞を奪いたい女は居ないか? 奪いたい奴は、こっちに出て来てくれ!」

 ミカヅチ様の呼び掛けに、躊躇ためらい勝ちに三つの人影が立つ。先陣に続けとばかり、幾つもの人影がスックと立ち上がる。そして、人混みを縫うようにして出入口周辺に集まって来た。

「何だ。凄い人気だなあ」

 感嘆したオモイカネ様が呟く。俺の目の前には20人以上の女性が立ち並び、俺から数mの距離で半陣を形作っている。

 はっきりと月光が闇に浮かび上がらせる女達の姿は膝下部分だけ。膝より上は薄暗くしか見えない。それでも、全裸状態だと判別できた。月光が大きな乳房には山陰を作り、全裸である事を強調していた。首から上は黒い影としか見えない。

「見ての通り、皆、裸だ。俺達も脱ぐから、お前も直垂ひたたれを脱げ! この時間に服を着ていては、却って失礼に当たるからな」

 ミカヅチ様とオモイカネ様が躊躇無く、俺の両隣で絹地の直垂を脱ぎ始める。呆気に取られて棒立ちになった俺を、ふんどし姿で小突き、「早く」と催促する。

 俺は女達に背を向け、熊皮の半纏はんてんを脱ぎ、麻地の上着を脱いだ。腰紐を緩め、尻の突き出た前屈みの姿勢で袴から足を抜く。女達の押し殺した笑い声が背後に流れている。

 俺は褌一つになった姿で振り向いた。意味も無く、両手で股間を隠す。

「おい! 褌も取ってしまえ! お前の肉柱にくばしらを見せないと、女共も判断できんだろう?」

 たじろぐ俺に呆れ、ミカヅチ様が強引に褌を剥ぎ取る。女達の小さな嬌声が一斉に響く。場内の奥は無音のままだが、珍しい出し物に興味津々で注目している雰囲気が漂う。

「おお。立派、立派。もう準備も整っているな」

 俺の股間を陽気に品評すると、女達に向かい「辞退する者は?」と質問した。立ち去る女は居ない。

「困ったなあ。これだけの人数を相手に出来ないしなあ・・・・・・」

 ミカヅチ様が頭を掻きながら嘆息していると、何処からかオモイカネ様が藁束わらたばを持って来た。

「クジ引きしかないだろう。お前達、1本ずつ摘まんでくれ」

 オモイカネ様が女達の半陣を回り、1本ずつ抜き取らせて行く。

「よし! 俺の前に集まってくれ。お前達の藁の中間を俺が握り、の藁が誰か、タギシミミに知られぬようにするから。お前は座れ。お前も横に座れ。お前は中腰だ。お前は後ろから手だけ伸ばせ」

 オモイカネ様の指示で、女体の壁が出来る。

「ほらっ! タギシミミも近寄れ。そして、好きな藁を引け」

 俺がギクシャクと前身すると、20人以上の女達が揃って俺を注視する。

 最初の藁を引くと、1人の女がニンマリと笑みを浮かべた。女体の壁から抜け出て、俺の脇に立ち、左腕に手を絡める。

「念の為、あと4本引いておけ。5人も居れば、出し切るだろう」

 オモイカネ様の指示に従い、俺は都合5人の女を選んだ。5人の女に取り囲まれ、背中を押され、腕を引かれて、場内の一画に連行された。別れたオモイカネ様とミカヅチ様の行動を見届ける精神的余裕は全くなかった。

 俺は床板の上で仰向けに寝かされた。背中に当たる床板は、不思議と暖かかった。後日、聞いた話では、住居棟の脇に併設された賄場まかないばかまどの暖気を床下に這わせているそうだ。

 最初の女が俺の股間の上に跨り、腰を曲げて乳房を押し付けてきた。俺の耳朶みみたぶを軽くかじる。

「俺、初めてだから・・・・・・、如何どうやって良いか」

「分からない? 大丈夫。私が先導して上げるから。

 心配だったら、周りを見て御覧なさい。お手本は幾つも有るから」

 女に言われて周囲を見回すと、直ぐ近くで何組もの男女が交接を再開していた。幾つもの喘ぎ声が耳に入る。俺は無我夢中だった。

「あれっ! もう出ちゃったの?」

 俺は下半身を貫く未体験の感覚に身体を強張こわばらせ、女が素頓狂すっとんきょうな声を上げた。

一つ柱ひとつばしらは仕方無いわよ。長持ちするのは二つ柱ふたつばしらから。ほらっ! 私と交代しなさい」

 俺の意向は完全に無視され、2番目の女が抱き付いてきた。

「私、後ろから突いて欲しいのよね」

 俺の耳元で囁くと、馬の真似をして四つん這いになり、尻を向けてくる。

 結局、女達の求めるがままに、俺は様々な体位で奉仕した。何とか5人の女を相手に遣り終えると、最初の女が「遣り直しよ。私は満足していないんだから」と言って俺の腹に跨ってきた。安眠できたのは明け方の僅かな時間だけだった。

 交接を経験した初日、俺の中で叔父ミケヌは、羨望の対象から称賛の対象に変化した。

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