第4話

誰を愛してる?


―――――


 憎悪と言うのは、それ自体が行動の理由になってしまう。


 『誰かを攻撃するのは何故か?』と問われれば、様々な理由を述べることも出来るが、ずっと観ているとちぐはぐになっていくのがわかる。全ては憎悪に行き着く。


 問い : 何故こんなことをするんですか?

 答え : お前が憎いからだ。


 これで個人の中では完結してしまう。これは人間の力の一部であるようだ。


 そして、その逆も出来る。


 私達は、これを体で理解することが出来たのだろう。その一部を。どこかで。


 彼は気付いたから、私に教えることが出来なかった。これは自らが体得するより他は無い。自らの闘争の果てに見えるもの。それぞれが見えるものは違う。だから、私は彼と共に生きたい。


 今、わかっていることだけど、一度この手の『力』、なんらかの『気付き』を知ると、その制御を持ち主に委ねることになる。だから、立ち止まることは出来ない。立ち止まると、私達は何かをおかしく感じてしまう。それはすなわち、自らへの冒涜に繋がる。


 徐々にわかってきた。世界に残る様々な物語の意味。そして、何故それが残っているのかも。


 誇大妄想と捉えられるだろうが、今ならわかる。世界に溢れる書物、そして、それを飲み込むテクノロジーの数々、それを扱う人の心と規範。それらは全て私の為にあった。そしてあなたの為にある。


―――――

さる異端の哲学者は、葡萄が食いたくなると、まず口を開けてからそこに持っていったそうだ。つまり、葡萄は食うべきもの。口は開けるべきものというわけだ。

―――――


 被害妄想という言葉は、所謂『認知症』の人々に顕著だと聞く。私はその場面に直接遭遇したことは無い。無いはずだ。


 配偶者の事を忘れてしまった人がいるとする。配偶者は様々な『証拠』を見せて証明する。すると言われるのが『偽造しただろう』というものだ。


 外側から見れば酷い状況だ。だが、もしも私が『認知症』であったなら、どうだろうか?


 ある時突然、自分の手帳に書いた覚えのないものが書かれていたらどうだろう?


 そのくらいなら、自分で書いたことを忘れた、と取るだろう。だが、『書く』という行為をどうにか行えるようになり、書き留めるものが増えてくると、書いた覚えのないものが相当溢れているのに気づく。時々、それを見て微笑むこともある。そのまま想像の世界に行ってしまう事もある。だが、もしも恐怖と共に現れたらどうだろう?


 人にとって、『忘れること』は大切な機能なのではないだろうか?


 もしも『認知症』というものが、覚えていることがあまりにも辛いために発現している機能だとしたら?


 これは自分で表現しても恐ろしいことだ。いつものガミガミの幻影も襲ってくる。だが、記しておくのも私のための手段かもしれないのだ。


 一つのヒントは『先進国』が『発展途上国』にしている扱いとその影響だ。


 次に描くのは私が想像する一例である。


 『先進国』は『発展途上国』に援助をする。すると『発展途上国』は援助を前提に国を動かしていく。援助の量が過剰だと、自らの力で国を動かすことを放棄し始めてしまう。援助の量が減らされると抗議するようになる。援助の量をもっと増やせとも言う。しだいにそれだけをするようになる。


 さて、全体を観るとわかりやすい。では、我々の身近ではどうだろうか?


 この構図が当てはまる場面はないだろうか?


 念の為に言っておくが、私も人々の援助無くしては生きられない。だから、これらの行為を全否定は出来ない。出来る立場になったとしてもしたくない。


 誰かの助けによってのみ生きて来た人が居たとしよう。


 食事を与えられ、着る者も与えられ、仕事も与えられた。


 それだけをやって生きて来た。


 自分で何かをしていい。自分の思いで何かをやってもいい。そんな経験をしたことが無かった。


 誰かに食事を準備してもらわないと、食べることが出来ない。自分で用意して欲しいと言う事も出来ない。そうなると、どうするだろう? 相手から動いてくれるのを待つことになるのでは? いつまでも相手が動かないと、どうするだろう? 自分の方を向いてもらえるように動くのではないか? 咳ばらいをしたり、何かを軽く叩いたり。


 もしも、それで助けてもらえたらどうなるだろう?


 徐々にそれのみを強化していくのではないか?


 何も思い出せないほどに『忘れる』ことに繋がりはしないだろうか?



 私は、どうにも自分もこの流れの一部になっている気がして恐ろしいのだ。


 私は、同じものを見つける。

 私は、違いが見出せないときもある。


 出来るだけ残しておくことも方法の一つかもしれない。

 彼もずっと悩んでいるのかもしれない。


 『大国』へのテロが多発するとしよう。何故、テロという行為に向かうのだろうか? 『大国』は自分達に脅威になりそうな勢力には攻撃ではなく予防を測るようになったのではないか? それによってさらに抑圧された者達が出した答えがテロではないのか? いかに隙を突くか、のみを必死に考えた。それ故の結果だ。予防によって、奪われたものは多いのだろう。それを使って悪事を働く者も多かっただろう。憎しみを煽る者達も多かっただろう。私は、何処に位置するだろうか?


 私は、物語を表すならすごく明るい話を書きたいと思っていた。とことん笑えて、馬鹿馬鹿しくて、ハッピーエンドで終わるもの。でも、それだけではダメだと気付いた。何故そう思うのかは正直なところわからない。何故かダメだと思ってしまう。


 私が、あの男と共に仕事をすることは、誰かの道標になるかもしれない。それを記すこと、残すことは私の過ちとして記録され誰かが正す道標になるかもしれない。そう思えば、やれるだけやれるような気がする。無責任だけどね。


 だから、外を歩く時は出来るだけ明るい顔をするよ。最近胸の辺りがちょっと妙な感じになることが多いんだ。きっと、自分の中の辛さと向き合う体力がついたんだと思う。それもしっかりやりたい。


 私は色々な世界のヒーロー達を仲間にして生きている。だけど、歴史の中の人々とも仲間に……友達になれた気がするんだ。


 時々目にすることがある。『声を聞いた』という表現。


 私は何かに属することは出来ていないけど、その辺を拠り所にしている。どこかで巡り合えるといいな。


(続くかも)

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Quantum of Outcry 風祭繍 @rise_and_dive

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