風船のお味噌汁

積田 夕

風船のお味噌汁


7月28日は父の命日だ。

4年前のこの日、日付が変わる一時間前に訃報を受けた。

とうとうこの日が来た、と思いながら、真夜中の中央道を飛ばしたのを憶えている。


父は私が物心つくころから、ずっと単身赴任だった。

月に一度会えるか会えないかだった父親との思い出は数少ない。

父が定年退職して家に戻ると同時に、私は大学進学で地元を離れた。

なので、父と一緒に暮らしたのは、大学から地元に戻って結婚するまでの1年半のみだ。


私の中での父との記憶は、いつも同じ場面だ。


結婚式を間近に控えたある日の夕食。

いつものように白米に味噌汁、おかずと、ありふれた食卓。

味噌汁の具は、なめこと豆腐だった。

父は味噌汁の椀を覗き込みながら、しみじみと言った。


「オマエが小さい頃は、これを『風船のお味噌汁』って言ってたなあ」


母がクスリと笑って、そうだったねと呟く。


途端に、私は切なくなってしまった。

何故だろう、あの時ほど「親」というものを感じたことは無い。

小さい頃から一緒に過ごした時間が短かった父にとって、

こんな些細な一言が、私との思い出のひとつだったのだ。


自分には、そんなことを言った記憶は無い。

しかし、きっと父は「なめこの味噌汁」を見るたびに、幼かった頃の私を思い出していたのだろう。

もうすぐ家を離れて、新しい家族を作る娘を目の前に、

嬉しいような、しかし寂しくてたまらない気持ちだったに違いない。


自分が「親」になって、改めてあの時の父の言葉を振り返る。

我が子の無邪気な言葉は、時に鮮烈な輝きを放つことを知った。

そしてそれは、時間が経つにつれて、ますます光度を増していくことも。


「思い出」


それは何だか特別なものを想像してしまいがちだが、

きっと日常のひとつひとつが、未来には大切な記憶となっていく。


もうこの世では会えなくなってしまった父だが、

今も耳の奥には、こもったような丸みを帯びた声が聴こえる。


自分の中で大切な人は、ずっと生き続けていく。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風船のお味噌汁 積田 夕 @taro1999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ