第6話 死神

「ここがゴウゾの家なのか?」

ガムが言う。

「ああ、おそらく」

チギリが相槌を打った。


クジョウに着いたガム達。クジョウは人口二千人程の小さな町である。昨夜ガム達は、町に到着するなり、すぐに宿を取った。エウァから目が見えなくなったことを聞いたガムとチギリは動揺したが、意外なことに本人が一番落ち着いていた。姉と思われる人物を亡くし、目から光が失われ、最近のエウァの身には不幸が降りかかっている。

しかしエウァは言ったのだ。

「ガムとチギリがボクの目の代わりになってくれるから、不安はないよ」

と。

宿で一晩明かして翌日、ガム達三人はゴウゾの行き先を町人に聞いて回った。聞き込みにさほど時間はかからなかった。ゴウゾはどうやらクジョウでは有名人らしく、一人目で「ああ、あの人ね」との返答があった。

そして案内されてたどり着いたのが目の前の建物である。それを見て、ガムとチギリは驚きを隠せなかった。

木造二階建て。屋根は赤色。窓は一階と二階の正面にそれぞれ二つずつ。そこまでは何の変哲のない一般的な建物である。

ガム達が驚いたのは、家の前に、壁面を覆いつくさんばかりの数の時計が置かれていたことである。鳩時計や柱時計そして砂時計などの大小さまざまな時計があった。その時計はどれもばらばらの時間を指している。

その時計に埋もれる形で『マイスター時計工房』の看板が、一階の玄関の上部にあった。

「すぐに見つかるわけだ」

ガムがつぶやく。

「どんな家なの?」

エウァが口を開いた。彼女は現在目が見えなくなってしまったため、チギリが手を引いている。

「様々な時計が壁面を覆い尽くしています、エウァ殿」

「そういえば、コチコチって音が鳴ってるね」

手を耳に当て、時計の音を聞くエウァ。

「ゴウゾはよっぽど変わった人間だと見えるな。まあ、入ろうぜ」

ガムが玄関を開け、工房内に足を踏み入れる。チギリとエウァもそれに続いた。

「いらっしゃい」

工房内に入ったガム達を迎えたのは、金髪の少年だった。灰色のツナギを身につけ、ドライバーを手にしている。歳は十五~六歳といったところだ。

「何の用だい?」

ガムは店内を眺め、呆れるように感心した。店内にも所狭しと時計が溢れていたからだ。壁には壁掛け時計。修理台とおぼしき木製の机の上には腕時計や懐中時計が敷き詰められている。そのガムの様子を見た金髪の少年が言った。

「これらは全部修理を依頼された時計さ。おたくら、ウチに来るのは初めてだな?」

「ああ」

ガムは戸惑っていた。目の前の少年が、エウァに見せてもらったゴウゾの似顔絵と似ても似つかなかったからだ。ガムが少年に尋ねる。

「すまない、ひとつ尋ねたいんだが。ゴウゾっていう男は、ここにいるか?」

「それはおいらのじいさんだよ。じいさんになにか用かい?」

「ああ、ちょっと話したいことがあってね。在宅かな?」

「今呼ぶからちょっと待ってくれ」

言って、少年は工房の奥、ちらりと見える階段の上に向かって大声で言った。

「おい、ジジイ! ジジイに客だぞ!」

二階に向かって叫ぶ少年。そしてガム達の前に戻ってくる。

「今降りてくるから待っててくれ」

そしてしばらくして、階段を下りてくる人の足音が聞こえた。

そして足音の主が姿を現した。

白髪混じりの短髪に、見るものを威圧するような三白眼。口には爪楊枝をくわえている。そして身に纏っているのは緑色のツナギ。エウァが持っている似顔絵の人物は黒髪だったが、年月が過ぎていることを勘案すれば、目の前の老人がゴウゾに違いなかった。

老人はいきなり金髪の少年に拳骨を落とした。しゃがんでうずくまる少年。

「……ぅ~~~~! 何するんだよジジイ!」

「人前でジジイって言うなって言ってるだろ」

「ジジイはジジイだろうが!」

再び拳骨。

ぅ~~~~~~~~!」

再びうずくまる少年。

老人がガム達を見る。

「オレがゴウゾだよ。あんたらオレに何の用だ?」

「時計の修理を頼みたいんだが」

「わざわざオレにかい? オレは引退したんだ。そういうことはこのバカ孫のジャンに頼んでくれ」

金髪の少年はジャンというらしい。

「誰がバカ孫だ、クソジジイ」

ジャンに三度目の拳骨が振り下ろされた。

ジャンが三度うずくまった。もう悲鳴も出ないようだ。

「いや、この仕事はあんたに頼みたいんだ。……エウァ」

ガムはエウァに言って、エウァの懐にしまってある懐中時計を取り出させた。

エウァが懐中時計をガムに渡す。ガムがゴウゾに懐中時計を差し出すと、ゴウゾは眉をぴくりと上げた。

「……これは……」

懐中時計の蓋を開け、中身を観察するゴウゾ。しばらく無言で観察し続けた後、ガムに懐中時計を戻して言った。

「悪ぃが帰ってくれ。この時計はうちでは修理できねえ」

そのままゴウゾはきびすを返し、二階に戻ろうとする。

「おい、あんた!」

ガムがゴウゾを呼び止めたが、ゴウゾは二階に上ってしまった。

「……なんなんだ?」

ガムが困惑する。それはチギリとエウァも同様だった。そこに、頭を押さえながらジャンが立ち上がった。

「ジジイはああなっちまったら一日降りてこないぞ? あんたら何を持ってきたんだ?」

ガムはジャンに懐中時計を見せるのを一瞬躊躇したが、見ても分からないだろうと思って差し出してみた。ジャンが懐中時計を受け取り、ゴウゾと同様に蓋を開け、中をしばらく観察した。

「…………あんたら、グロピウスかよ」

ジャンがぼそりとつぶやく。

「……知ってるのか?」

ガムは少々驚いた。ジャンがガムに『懐中時計』を返す。

「知ってるも何も、『死神』じゃねえか。そりゃジジイが怒るわけだ」

「『死神』? 何のことだ」

「そのままの意味だよ」

ジャンは説明する気がないようだった。

「ところでオッサン。この懐中時計を修理したいんだろ?」

「俺はオッサン、じゃなくてガムだ」

オッサン、という言葉にガムは頬を引きつらせたが、何とか堪えた。

「その懐中時計を修理してもらうためにここに来た。しかしお前のじいさんが怒ってるんじゃ、なんとも前途多難になったもんだ」

「おいらが直してやろうか?」

ジャンが言った。

「……できるのか?」

ガムが不審そうにジャンに尋ねた。

「この時計をうちに持ってきたってことは、うちの素性も知ってるんだろ?」

ジャンが言う。エウァは知っていた。修復師の一族は、人間が製造した機構物を一目見ただけで、それがどのような部品・組み合わせで成り立っているかを瞬時に理解できる能力があるということを。

「さっき言ってたろ? ジジイは引退したって。引退する前にジジイの持ってる技術は、おいらが一通り受け継いでるんだ。修行中に何度拳骨を落とされたか、もう覚えてないけどな……」

頭をさするジャン。

「それに今、この工房を運営してるのはおいらだ。時計なら何でも直せるぜ?」

「エウァ、どうする?」

ガムがエウァに聞く。

「直してもらう前に、まず確認したいことがある」

それは懐中時計の修正を行うことで発生する大災害の真実のことだ。ロクシーがエウァに残した言葉。エウァはこう思っていた。何の意味もなくロクシーが、グロピウス家がおこなってきた冷酷な使命を伝えるはずがないと。きっとあの言葉には更に奥がある。

エウァは修復師の一族がその真実について何か知っているのではないかと思っていた。エウァはジャンに尋ねる。

「聞きたいことが……」

「時計の修復には条件がある」

ジャンがエウァの言葉を遮る。

「……条件?」

エウァが尋ねた。

「おいらだって、ただじゃ修理はしない」

「……相応の報酬は払わせてもらうよ?」

首を横に振ってジャンがエウァに言う。


「そんなものはいらない。あんた、おいらの彼女になってよ」


エウァの目が白黒する。ジャンの突然の告白に、エウァの思考が一瞬止まる。

「え、え、何を言ってるです? ふざけないでください」

「おいらは本気だぜ? あんたは可愛い。おいらのものになれ。エウァっていうのか?」

「き、急にそんなこと言われても。第一、今日初めて会ったのに」

「そんなことは関係ない。きっとこれは必然だ。おいらとエウァは引き合う運命だったんだ」

ジャンがエウァの手を取り、手の甲にくちづけした。

「さあ、これであんたはおいらの彼女だ。よろしくな、エウァ」

「……ぶ」

エウァが言う。

「ぶ?」

ジャンが聞き返す。

「無礼者っ! ボクを誰だと心得るっ! クロノス王国『時の番人』グロピウス家次期当主、エウァ・グロピウスだっ! そ、それを知っての狼藉かっ!」

「そんなことは知らねえよ。おいらはあんたが可愛いから彼女にしたいだけだ」

なおも悪びれずにジャンが言う。

「ガム! チギリ! こんなとこからは出て行くです!」

その身を翻し、工房から出て行こうとするエウァ。

「おいエウァ! むやみに動くな……」

ガムがエウァを制止しようとしたが、玄関扉に奇跡的にぶつかることなく、エウァは工房から出て行った。

「ちょっと待てよ、おい!」

「危険です、エウァ殿!」

ガムとチギリがエウァを追いかける。

「またいつでもどうぞー」

ジャンが手を振りながらガム達を見送った。


◆◆◆


「なんなのあの男! 信じられないよ!」

夕暮れ。宿泊している宿の一階の食堂で、エウァはパンを噛みちぎりながら怒っていた。その様子を見ながら、ガムはエールを、チギリは水を飲んでいた。三人は丸いテーブルを囲んで夕食を摂っている。ガム達の他にも五~六組の客が食事をしていた。

「少しでも早く何とかしないと、世界が大変なことになろうとしてるっていうのに……!

唇じゃないにしても、ちゅーされたことなんか一度もないのに……聞いてるガム? チギリ?」

エウァが一つ目のパンを食べ終わり、二つ目に手を伸ばす。そして彼女はパンをわしっ、と噛みちぎる。

「いきなりキスされるなんて、モテるんだな。エウァ」

「嬉しくないですっ! それにあんなのはキスとは認めないですっ! ノーカンです!」

「でもまんざらでもないんじゃないか?」

「何を言うですかっ! ボクは一生添い遂げる殿方にしか、この身は捧げないと決めてるです! それをあんな雑な作法で……!」

「あのジャンって奴、結構男前な顔してたぞ? 連れて歩きゃ、すれ違った奴が振り向くぜ?」

「ボクは、外見なんか気にしないです。男は心意気と優しさです」

ガムがチギリをちらりと見て、エウァをいぶかる。……ほんとに外見を気にしてないなら、なんでチギリを……。

「でも初対面でああいう行動に出るってことは、そんだけお前に魅力があるってことだと思うぞ?」

「……え、そ、そうですか? や、やだガム。こんな小娘相手に。からかわないで下さい……。オレンジジュース追加してくれる?」

ガムが店主にオレンジジュースを注文する。

「でもあのジャンって奴。軽い印象を受けるが、工房の経営を任されているからには腕は確かなんだろ」

ガムがエールをあおって言う。店主がオレンジジュースをエウァの前に運んだ。

「それにゴウゾ殿が怒ってしまった理由も気になります。修復師というのは、どういう一族なんですか、エウァ殿」

「ひゅうふふひほひひほふは」

「パンを飲み込んでから喋れ」

口にパンを含んだ状態で喋ろうとするエウァにガムが注意する。エウァは口いっぱいに頬張っていたパンをオレンジジュースで流し込んだ。

「……修復師の一族は代々ボクの一族と二人三脚でやってきた。ボク達が時計を守り、修復師が時計を直す。そうやって『時間のズレ』を修正してきたんだ。何千年も。それがここ百数十年で政治の腐敗が進んで、国王や貴族達は自らの富を増やすことに執心して、国民を顧みなくなった。そして『終末時計』のズレも重要視されなくなった。そんなおとぎ話に付き合っている暇はない、とばかりにね」

「でも、実際に『終末時計』のズレが進むと、世界は滅びるんでしょう?」

「滅びたことはないからわかんないけど、約二千年前の世界的な大洪水で人類はほぼ全滅の状態まで追い込まれたことがある。生き残ったのは数百人だったそうだよ。記録ではそのときの『終末時計』は一分前まで進んでいたらしい。

「うへえ。もし全滅してたら、今こうして飯を食うこともできなかったんだな」

テーブルの皿の上からハムを取って食べるガム。

「うん。それで今『終末時計』は五分前を指している。世界で大規模な戦争や、疫病が広範囲で流行っている状態だ」

「あまり猶予はありませんね……」

「そうなんだよ。それなのにあの金髪のがきんちょはボクをキズモノに……!」

こいつ耳年増だな、っていうかお前の方ががきんちょじゃねえか、とガムは思った。

「ジャンの条件、チギリはどう思うの?」

エウァがチギリに尋ねる。それを見てガムはまずいな、と思った。

「その、懐中時計の修復は最優先事項です。『時の番人』の一族ならば、その責務を全うすべきでしょう」

エウァが眉間にしわを寄せた。

「じゃあ、ボクにジャンの彼女になれっていうこと?」

「その、エウァ殿がジャンと付き合う、というのは……、その、僕はエウァ殿の恋愛に口を出すような権利はありませんし……」

ガムが自身の目を手で覆った。エウァが頬を膨らませ、見る見るうちに顔を赤くした。

「もういいよ! チギリのばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

がたん、とテーブルを両手で叩き、立ち上がるエウァ。食事をしている他の客の注目がガム達のテーブルに集まる。エウァは他の客のテーブルや椅子にぶつかりながら、階段をかけ上って行った。

「エウァ殿!? どうされたんですか!?」

「やれやれ……」

ガムがつぶやき、エールを飲み干した。


◆◆◆


エウァが席を立ってから半刻後。ガムとチギリは先程と同じテーブルで向き合っていた。先程、チギリを食堂に残し、二階の客室にこもったエウァをなだめようとしたガムだったが、エウァは自室に鍵をかけ出てこなくなってしまった。ガムが二杯目のエールをあおる。チギリの目の前にも同じものが置かれている。

「飲めよ、チギリ」

ガムがチギリに勧める。

「いや、まだ任務中だ。酩酊すると困る」

「いいから飲め」

ガムの口調に何かを感じ取ったのか、チギリは渋々といったふうに一口エールを飲んだ。

「……苦い」

「お前な、何でエウァが怒ったかわかるか?」

ガムがチギリに問う。

「……よっぽどジャンと付き合うのが嫌だったからか?」

「だからお前は朴念仁だと言われるんだ」

「なんだと?」

「いいか、よく聞け……。エウァはお前のことが好きなんだ」

「……なんだと?」

「やっぱり気付いてなかったか……」

呆れるガム。

「エウァ殿と僕は任務で一緒になっただけだ。互いに使命を果たすために旅をしてるんであって、そんな浮ついたことは……」

「本当にそう思うか? よく思い出してみろよ。エウァがお前に接している時の態度を」

「…………」

チギリは思い出していた。これまでの旅路での出来事を。エウァをおぶっているときの彼女の恥ずかしそうな態度。カイリンツメで、チギリがシンシアにキスされたときに拗ねていた彼女。ヤクシで体を抱きあげたときに、顔を赤らめて腕の中で暴れていた彼女。そして、かすかに思い出した、イーダが彼女に危害を加えようとしたときに『エウァを守り通す』と言ったこと。

「……そう言われれば心当たりが」

「遅えよ」

「……でもエウァ殿はまだ十二歳だぞ? 僕みたいな年上の男になんて興味を持つはずがないだろ」

「あの年頃の子供は同年代の男がガキに見えるんだ。男は男の友達同士でバカばっかやって遊んでるからな。俺達はそのころから騎士の予備隊として訓練してたから、あんまり知らなくても無理はなかったが。だが下町のがきんちょはそんなんばっかだ。カエルの尻の穴に藁を突っ込んで、そっから息を吹き込んで膨らませる遊びが流行ってる。そんな男に女がときめくもんか。だから女の子は落ち着いている大人の男に憧れるんだ」

「そういうものなのか?」

「そうじゃなくてもわかるだろ。エウァが俺に接するときの態度とお前に接するときの態度を見れば。俺には遠慮なく、友達みたいに接してくる。だがお前に話しかけるときはもじもじしてるぞ。あれは間違いなくお前に好意を持ってる」

「ガム……どうしたらいい? 僕は恋愛というのがよくわからない」

物心がついたころには、日々騎士としての訓練に明け暮れていたチギリだ。同じ時間を過ごしたガムに、その気持ちはよくわかっていた。違うのは、ガムは騎士を辞め、チギリは騎士であり続けていることだ。

「どうするも何も、お前はどうなんだ?」

「どうって、何が?」

「エウァを好きかどうかだよ」

「ええ!? す、好きかどうか?」

「お前、シンシアのことは好きだろ?」

「……綺麗な人だな、とは思う」

視線を泳がせるチギリ。

わかりやすいな、こいつ。とガムは思った。

「それと同じ気持ちをエウァに感じるかどうかだよ」

「それは……、エウァ殿は現在僕が護衛をすべき人だ。シンシア殿とは立場が違う」

「極端に言えば、エウァのことは子供の面倒を見るくらいにしか思ってないだろ?」

「それは乱暴すぎるが、まあ、極論すればそうなる。命は懸けるが」

「要するにエウァに対して恋愛感情はない、と」

しばらく沈黙するチギリ。

「……まあ、恋愛感情は、ない。だけど嫌いというわけじゃない」

「それは俺も同じだ。俺は人間としてあいつが好きだ。いつも前向きで表情がころころ変わって。自分が背負っているものの大きさ、そして重さを感じさせないように振舞ってるんだ。それに比べりゃ俺なんて小っさいもんだよ」

「僕も、エウァ殿のそういうところは好きだ。でも、それは恋愛感情じゃない。人間としての器だ」

「それは悪いことじゃねえよ」

ガムがエールを一口飲む。

「だけどな、お前がエウァに対して思わせぶりな行動をしてるから、エウァが勘違いしちまうんだよ」

「僕はエウァ殿が心配で……」

「無自覚だからよけい始末に負えないんだ」

「じゃあ、どうすれば」

「言えばいいんだよ。お前が思っていることを」

「思っていること?」

「別に、好きじゃない相手に好きって言え、と言ってるんじゃない。お前がエウァに対して思っていることを隠さず言えばいいんだよ」

「…………」

「とにかくこのままじゃ、懐中時計の修復なんぞままならん。最優先事項はお前とエウァとの間の溝をなくすことだ」

ガムがエールを飲み干し、席を立つ。

「ガム、どうしたんだ?」

「俺達の任務はエウァの護衛だ。しかしエウァは部屋に鍵をかけてこもったっきり出てこなくなっちまった。俺は部屋の扉を守るから、お前は窓側から敵が侵入しないように見張ってろ」

それはつまりチギリに一晩、宿の外で明かせということだ。

「なんで僕が外なんだ」

「こんな事態になったのはお前が無自覚なせいだ。俺が中、お前が外が妥当なとこだ。じゃあな」

言って、ガムは二階に行ってしまった。残されたチギリは再びエールを口にした。

「……苦い」


◆◆◆


翌朝。チギリは自分達が取っている部屋の様子を見るため、二階に上った。結局昨晩はずっとエウァがいる部屋の窓の下側で見張りをしていた。だが、正直エウァにどうやって自分の気持ちを伝えたらいいのか悶々と考えていたため、見張りどころではなかった。

部屋の前に着いたが、扉の前にいるはずのガムがいなかった。もしかすると、エウァは鍵を開けて、ガムだけ部屋の中に入れたのだろうか。チギリがドアノブに手をかけ、ひねる。そして扉を押すと、抵抗なく扉が開いた。やはりエウァは鍵を開けていたようだ。

中に入るチギリ。しかしそこには誰の姿もなかった。ガムとエウァの荷物もなくなっていた。チギリの荷物はそのままだった。

「?」

チギリはきょろきょろと部屋を見回した。窓側のベッドの横のテーブルに紙切れを見つける。そこにはガムの字で次のように書いてあった。

『エウァと時計工房に行く。チギリは来るな。』

「どういうことだ?」

時計修復に関してなんらかの解決策が見つかったのだろうか。しかしそれなら、『チギリは来るな』と言うのはおかしい。チギリはわけが分からなかった。何があったのか確かめるべく、チギリは身支度を整え、時計工房に向かった。


◆◆◆


「いらっしゃい……なんだ、あんたか」

時計工房を訪れたチギリを迎えるジャン。灰色のツナギに手にはドライバー。昨日と同じ出で立ちだ。そして宿の置き書き通り、エウァもそこにいた。しかし予想外だったのは、エウァもジャンと同じ灰色のツナギを着ていたことだ。

「エウァ殿……、どういうことです?」

チギリが困惑して聞く。

「エウァはおいらの彼女になったんだ。悪いね、金髪のあんちゃん」

ジャンが答える。

「エウァ殿、どういうことですか? 説明してください」

「何しに来たの?」

工房内の木製の椅子に座ったエウァが言った。

「何しに、って。今朝部屋に戻ったら二人の姿がなかったから、置き書きを見てここに着たんです」

「お客さんじゃないなら帰ってよ」

「そんな……僕はエウァ殿の護衛の任務が」

たじろぐチギリ。

「帰れって言ってるでしょ!!」

エウァが怒鳴る。無言で立ち尽くすチギリ。

「どうしたんだエウァ? 大声出して」

誰かが階段を下りて来る。そこにガムが姿を現した。

「げ、チギリ」

ガムもジャンと同様、灰色のツナギを身につけていた。

「ガム、一体これはどういう……」

チギリが言い終わる前に、ガムがチギリに駆け寄った。そしてエウァに聞こえないように小声で言った。

「来るなって書いてあったろ」

「そんなこと言われても、こっちはわけがわからないじゃないか。何をしてるんだ?」

「昨日明け方前に、エウァが部屋から出てきた。そんで俺に時計工房に連れて行けって言ったんだよ。『チギリには内緒で』って」

「ますますわからない。なんでだ?」

「お前が原因なのは間違いないが、俺にもエウァがなんのつもりでここに来たのかはわからん。ただわかるのはエウァが今までにないくらい怒ってるってことだ。だからチギリ、お前はしばらく来るな」

「でもそれじゃあ護衛の任務が……」

「俺がゴウゾの手伝いをするって条件で置いてもらってるから、ひとまずは俺に任せろ。エウァのほとぼりが冷めたら知らせる。それまでは宿で待機していてくれ」

「でも……」

食い下がるチギリ。

「ガム、何さぼってるの! キミはゴウゾの手伝いしなきゃなんでしょ?」

「ああ、悪い。すぐ戻る」

ガムがエウァに言う。

「……こんな有様だ。しばらくはお前がどんなに気持ちを伝えようとも取り付く島もない。今は帰ってくれ」

チギリはしばらくエウァを見つめていたが、

「……ああ。エウァ殿を頼む」

と言って工房を出て行った。その後ろ姿は心なしかうなだれていた。

ジャンがエウァに言う。

「あの金髪のあんちゃん。チギリ、だったっけ? 帰っちゃったぞ?」

「いいんだよ、あんな鈍感男は」

エウァが冷たく言い放った。ガムがエウァに言った。

「エウァ、俺は二階に戻るから何かあったら呼んでくれ」

「うん、しっかりね」

「それから、ジャン。そのお姫様をよろしく頼む」

「言われるまでもないよ。ガムこそ、ジジイに殴られないよう気をつけろよ」

ジャンに警告されるガム。

「ああ、お前のじいちゃんおっかねえからな」

ガムが二階に戻る。

工房の扉が開き、メガネをかけた年配の女性が入ってきた。ジャンが対応する。

「いらっしゃい。お、クレアばあちゃんじゃねえか。久しぶりだな。元気にしてたか?」

椅子を差し出すジャン。それに腰をかけるクレア。

「最近腰が痛くてね。雨の日がつらいね。……あれ、そのお嬢さんは新しい彼女かい?」

クレアがエウァを見て言った。

「ああ、エウァってんだ。可愛いだろ。人手が足りないから手伝ってもらってんだ」

「こんにちは、エウァちゃん」

「こんにちはです」

ぺこりと一礼するエウァ。

「ジャンはプレイボーイだから気をつけなさいよ? 三ヶ月前まで別の女がいたんだから」

「そうなの、ジャン?」

「あ、あれは向こうが『あなたみたいな油くさい男とはもう付き合えない』って言ってきたんだ。おいらは好きだったのに。っていうか、さらっと人の恥部をばらすなよ、クレアばあちゃん!」

「いえいえ、私はジャンのことが心配なのよ」

「どうだか。近所の茶飲み友達と、俺の噂で楽しんでんだろ?」

「あら、ばれちゃった?」

「そこは嘘ついてでも『心配してる』って言ってくれよ」

うふふ、と上品に笑うクレア。はぁー、とため息をつくジャン。

「ところで、今日は何の用だい? クレアばあちゃん」

クレアは持ってきた革の鞄から腕時計をひとつ取り出した。

「ちょっと時間が遅れてるのよね。調整をお願いするわ」

「お安い御用だ。十五分ばかし待っててくれ」

クレアから時計を受け取り、ジャンは作業台で時計を分解し始めた。

「エウァ、おいらが時計を直してる間、クレアばあちゃんの相手してくれよ」

時計を分解しながらジャンが言う。

「うん。わかった」

エウァがクレアの声がする方を向く。

「クレアはどこから来たの?」

「私はここから歩いて五分ほどのことに住んでるのよ。ゴウゾさんの代からこの時計工房にはお世話になっているの」

「そうなんだ。ボクはシンジニから来たんだ」

「まあ、遠いとこから来たんだね。ちょっとおいで、エウァちゃん可愛いから飴玉をあげるよ」

「ありがとうです」

エウァが立ち上がり、クレアのそばに行こうとするが、床の段差につまずいて転んでしまった。

「あらあら、大丈夫?」

「いたた……」

「クレアばあちゃん、そいつ目が見えないから、悪いんだけど手渡してもらっていいかな?」

ジャンが言った。

「あら、そうだったの? 若いのに大変ねえ」

クレアが椅子から腰を上げ、エウァの手を取る。

「無理しないで座ってなさい」

エウァはクレアに促され、座っていた椅子に腰掛けた。そしてクレアがエウァに飴玉を渡した。

「ありがとうです」

エウァが飴玉を受け取る。クレアも自分が座っていた椅子に腰をかけた。

「エウァちゃんは、ジャンが初めての相手なの?」

「うん。それに昨日会ったばかりなんだ」

「まあ、それは変な男に引っかかってしまったわね」

「ちょっと、ばあちゃん。変ってなんだよ」

「間違えたわ。大変な男に引っかかったわね」

「フォローになってないよばあちゃん……」

「うん。ジャンは変な男だよ」

エウァが言った。

「エウァ、お前もか」

「冗談だよ。あはは」

エウァはクレアにもらった飴玉の包みをはがし、飴玉を口に含んだ。甘酸っぱかった。


◆◆◆


時刻は正午すぎ。時計工房の二階。二階には一階と違い、作られてから数十年が経過した古い時計ばかりがあった。ガムはそのうちの一つ、壁に立てかけられた柱時計を持ち上げ、ゴウゾの前の作業台に下ろした。木製の柱時計は百年ほど昔のものだそうで、完全に針が止まっていた。

ゴウゾは昨日と同じ緑色のツナギを着用している。

ゴウゾがガムに言う。

「最近体力が落ちてきてな。重いもんを持つのは正直骨が折れるんだ。助かる」

「こんなんだったらいくらでも言ってくれよ」

「じゃあ、作業台の下の時計を部屋の端に寄せてくれ。後で下の階から時計を持ってくるから」

ゴウゾが作業台の右側の床を指差してガムに指示する。

「了解」

ガムが床に置かれている様々な時計を、部屋の端に運ぶ。

ゴウゾが柱時計を分解しながら言う。

「お前さん、ガムっつったか?」

「ああ、そうだが?」

「なんであの嬢ちゃんと一緒にいるんだ?」

「エウァのことか? 俺は傭兵をしてるんだ。そんでエウァに護衛の依頼を受けた。それだけさ」

「お前はあの一族のしてきたことを知ってるのか?」

グロピウス家がおこなってきたこと。『懐中時計』の修正。その裏で起こる大災害。そして失われる膨大な数の命。

「ああ、エウァに聞いた」

「それでも『懐中時計』を修理したいと思ったか?」

「俺は雇われの身だ。最終的にはエウァに従うさ。だが、修理によって発生する犠牲は認めない」

「じゃあ、どうするんだ?」

「時計は修理する。犠牲の出ない方法で。俺たちはその方法を探すためにここに来たんだ」

「それは不可能だ。修正を行えば犠牲は出る。歴史が証明してるんだ」

「だろうな。だけど、俺達は諦めていない。エウァには何か考えがある。俺はそいつに賭けようと思っている」

「ふん。何を思いつこうが、俺は引退した身だ。オレがあんた達にできることは何もねえ」

「ジャンができるんだろ? こんなこと聞くのは失礼だと思うが、あいつの腕はどうなんだ?」

「あのバカにはオレの技術を一通り叩き込んだ。『懐中時計』の修理なんざ朝飯前さ」

「じゃあ、ジャンに修理を頼んでも問題ないんだな?」

期待をするガムにゴウゾは否定の返事をした。

「いや、だめだ。ジャンには『懐中時計』の修理はさせん」


◆◆◆


「……寿命が短くなる?」

時計工房の一階。エウァがジャンに話しかけている。昼休みの時間のため、客はいない。ジャンはホットドッグをかじりつつ、修理を頼まれている別の客の腕時計をつついている。

「そ。おいらの一族は代々短命だったんだって」

「なんで?」

「エウァが持ってきた『懐中時計』の修理には生命エネルギーが必要なんだ。精霊の力が宿った宝石を媒介にして修理をする。その行程で修復師の生命エネルギーが『懐中時計』に注入される。だから修復師の寿命が短くなるんだ」

宝石を媒介にした生命エネルギーの流出。それはシンシアが行使する回復魔法と同じ原理だった。さらにジャンが続ける。

「おいらの一族全員が『懐中時計』の修理に携わっていたわけじゃない。中には大規模な戦争がなかった時代に生きたご先祖もいたからな。代々短命っていうのは言葉のあやだ。でも、修理に携わったご先祖は皆若くして死んでる。中には二十代で死んだのもいる」

「…………」

「だから、ジジイは誰も知られないよう飛び出した。一族の不条理な宿命から逃れるために」

「…………」

「だってそうだろう? この世界のズレを修正するために自分の寿命を削り、そして起こるのが大災害だ。こっちにとっちゃ迷惑でしかないんだ。だからおいらはジジイの判断は正しいと思ってる」

「でも、ジャンは『懐中時計』の修理をしてくれるって言ったよね?」

ジャンは頷く。

「それは本当だ。だけどおいらは一族の宿命とやらに従って修理をするんじゃない。おいらの一族はグロピウス家の下僕ってわけじゃないからな。修理するに値する人間が『懐中時計』の持ち主だったら修理してやろうって話だ」

「……、じゃあボクに彼女になれって言ったのは、修理するに値する人間かどうかを試験するためなの?」

ジャンは首を横に振った。

「いや、逆。先においらがあんたに惚れて、それからあんたが『懐中時計』の持ち主だってわかっただけだ」

「え……」

エウァは感じた。ジャンの言葉を聞いていると、胸のあたりが苦しくなる。どうしてこうも率直に『惚れた』などと言えるのだろうか。苦しいと同時に体中に熱が広がる。……チギリにもこれだけの積極性があれば。と思ってしまう。

「……チギリのばか」

エウァはジャンに聞こえないように小さくつぶやいた。


◆◆◆


「そんな因果があったのか……」

場所は戻って、時計工房の二階。ガムはゴウゾから修復師の一族が代々短命だという話を聞いた。

「遠いところ訪ねて来てもらって悪いが、『懐中時計』の修理はできねえ。もちろんオレはジャンにも修理をさせる気はねえ……本当に申し訳ないが」

言って、ゴウゾは作業台に手をついてガムに謝る。その行動にガムは困惑した。

「なんで謝るんだ? 誰だって寿命を削られるのなんて嫌なのは当然だ。もし俺が修復師でもまっぴらごめんだ」

ゴウゾが頭を上げる。

「……申し分けねえのは嬢ちゃんのことだ」

「エウァが? なんでだ?」

「嬢ちゃんは目が見えなくなったんだろ?」

今朝、ガムとエウァが時計工房を訪ねた時に、ゴウゾにはエウァの目が見えないということは説明している。

「……ああ」

「いつからだ?」

「一週間ほど前から徐々に。完全に見えなくなったのは昨日だ」

そうか、とゴウゾがつぶやく。

「あんたの一族の宿命とエウァの目が見えなくなったことと、なんか関係してるのか?」

「直接関係してるわけじゃねえんだが、嬢ちゃんの目を直せるとしたら、それは修復師だけだ」

「どういうことだ?」

「グロピウス家が『世界の心臓』と言われているのは知っているか?」

「ああ」

ガムはニャギに聞いた話を思い出した。

「グロピウス家は別名『機構部の一族』とも呼ばれている」

「『機構部の一族』?」

「そうだ。……ガムよ、例えば今修理しているこの柱時計。止まっているな」

「ああ」

頷くガム。

「この時計は機構部が壊れてしまったから止まったんだ。だが、壊れるじゃないにしても、機構部にちょっとした故障が生じてしまったらどうなると思う?」

ガムはちょっと考えて言った。

「そりゃ、時間がずれちまう」

ゴウゾは頷いた。

「機構部っていう時計の中心を成す部品が壊れちまえば、全体が狂う。そんで表面にある時計の針が本来の時間とずれる」

ガムはまさか、と思った。ゴウゾが続ける。

「世界の中心の時間が狂い始めている今、その影響が世界の表面で『懐中時計』を司っているグロピウス家、つまり嬢ちゃんの体に表れてるんだ」

「……!!」

ぼーん、と部屋の片隅にある振り子時計の音が鳴った。

「逆に言えば、世界の中心の時間が修正されれば、嬢ちゃんの目は見えるようになる可能性はある。だけどオレはさっき言った通り、修理に関わるつもりはねえ」

「……じゃあ、何で希望を持たせるようなことを言ったんだ?」

「……希望を絶つためだ。何も知らなければガム、お前は嬢ちゃんの目が治るまで当てのない旅を続けるつもりだろ。いち傭兵がそこまでやる必要はねえ」

「……少しだけでも修理できないのか?」

ガムがゴウゾに尋ねる。

「少しだけ?」

「身勝手を承知で言わせてもらう。『懐中時計』を全部とまではいかなくても少しだけ直す。そうすれば世界は少し落ち着いて、エウァの視力が戻って、あんたの寿命が削られる幅も少しで済むんじゃないか?」

「そんなのは問題を先延ばしにしてるだけだ。また近い将来同じ事態が起きる」

「……そうだな。今のは忘れてくれ」

ガムは部屋の隅に時計を寄せる作業を続ける。

「……怖いんだよ」

ゴウゾがぽつりと言った。

「怖い?」

ガムが聞き返す。

「『懐中時計』の修理によって大災害が起こり、その結果数十万、数百万の人間が犠牲になる。そんな大惨事に自分が手を下すことが怖いんだ。オレはガキの頃にその話を聞いて一週間眠れなかった」

「…………」

「世界の安定のため、という題目は立派さ。だが、一人の人間が背負えることじゃない。オレも、もちろん嬢ちゃんにもな」

ゴウゾの手が少し震えていた。

「ガム、手が止まってるぞ」

「ああ、すまない」

ガムは作業を続けた。


◆◆◆


時刻は夕暮れ。時計工房の一階。ジャンとエウァが一人の老人の男性を客に迎えていた。頭のはげ上がった、恰幅のいい人物だった。

年の頃は六十前後といったところだ。三人で話をしていた。男性客が言う。

「エウァちゃん。ジャンの時計屋としての腕はたいしたもんだ。そして外見もいい。ワシに似てな。がっはっは」

「ブラウンじいさん、自分で鏡を見てみろよ。きっとブルドッグが映ってるだろうよ」

「なんじゃとこのジャリガキ」

ブラウンは時計を修理しているジャンのこめかみに、左右それぞれの拳をぐりぐりと押し当てた。

「いてててて! ネジが飛ぶネジが!」

作業を妨害されうめくジャン。

「もっかい言ってみろ。何が映ってるって?」

「エルミック公爵似の美男子が映ってるよ!」

「よーしよし。そうじゃろそうじゃろ」

機嫌が戻るブラウン。ちなみにエルミック公爵とはクジョウの町を治める、若きイケメン領主だ。

「いててて……ブラウンじいさんの手はごついからよけいに痛いぜ」

「もと炭坑堀りをなめるなよ?」

両手を胸の前で握ったり開いたりするブラウン。その手の表面はタコだらけだった。

「ブラウンはずっとこの時計工房に通ってるの?」

エウァがブラウンに聞いた。

「ああ、ワシはゴウゾさんの代からずっと世話になっとる。今ジャンに直してもらっている時計はもう五十年使っとる。昔、別の時計屋でいくら直しても頻繁にずれるようになったから、捨てようと思ったことがある。そこで知り合いからゴウゾさんの工房を紹介してもらってな。直してもらったら息を吹き返したっちゅうわけじゃ」

「へえ~。ゴウゾってすごいんだね」

「ああ。おかげで新品の時計が売れんで、町の時計屋が泣いとるわ、がっはっは」

豪快に笑うブラウン。

「……しかし、ジャンも腕を上げたの。十年ほど前はゴウゾさんに拳骨食らってピィピィ泣いとったのに」

「エウァの前でおいらのみっともない話をしないでくれよ! ブラウンじいさんの時計のネジ一本抜くぞ?」

「ジャンよ……ゴウゾさんに言いつけるぞ?」

「ウソですちゃんと直します」

「それでいいそれでいい、がっはっは」

「あははは。ジャンって人気者だね」

エウァが笑う。

「じいさんやばあさんばっかからな。……ほい、完了っと」

ジャンは腕時計を持って、ブラウンに返した。

「おお、動いとる動いとる。たいしたもんじゃ」

「へへ、当たり前だろ」

「ほれ、修理代」

ブラウンがジャンにお金を渡す。

「ゴウゾさんは今日は留守か?」

「いや、二階にこもってる」

「そうか、じゃあ、ゴウゾさんによろしく言っておいてくれ。また来るよ」

「時計じゃなくて、ブラウンじいさんの心臓の方が先に止まるかもしれないけどな」

「なんじゃとジャリガキ!」

ふたたびこめかみをぐりぐりやられるジャン。

「これが炭坑堀の底力じゃあ!」

「ギブギブ、いててててて!」

やがてジャンは解放され、ブラウンは店を後にした。

「ブラウンじいさんめ、ちょっとからかうとすぐぐりぐりしやがって……あ~いて」

こめかみを押さえるジャン。

「でもほんと、ジャンって人気者だね。今日来たお客さん、ジャンと友達みたいだったよ?」

「みんな暇があればここに来るんだ。うちは喫茶店じゃないんだけどな」

「でも、みんなジャンを頼りにしてる」

「いや、おいらはジジイの名前で仕事をもらってるだけだ。ジジイならおいらが三十分かかる仕事を五分でやっちまう。早くジジイに追いつきたいんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、がんばらないとだね」

「まあな。それにおいらはこの町の人が好きなんだ。ブラウンじいさんみたいに乱暴な人もいるけど、みんな優しいから」

エウァは思っていた。ジャンの言うとおり、今日工房を訪れた人はみんないい人達だった。エウァの目が見えないことを知っても、差別するような人は一人もいなかった。それどころか、心配されるばかりだった。ずっとここにいたい、そんな気持ちにさせてくれる。エウァが心の中でつぶやく。

……チギリ、ボクのことほっとくと、ジャンのとこにに行っちゃうよ……?

「で、何があったんだ?」

作業代の上を片付けながら、ジャンがエウァに言う。

「何って、なにです?」

聞き返すエウァ。

「とぼけるなよ。あの金髪のあんちゃんと何かあったんだろ?」

どうやらジャンは感付いていたようだ。

「今日、仕事中にお前のこと見てたんだよ。客が来てるときは朗らかにしてるのに、客が帰ると急に寂しそうな顔してた」

「…………」

「昨日、うちを出て行ったあとに喧嘩でもしたんだろ? 色恋沙汰には鈍そうだもんな、金髪のあんちゃん。言ってみろよ、怒らないから」

「……あのですね……」

エウァは話した。チギリに対する自分の思いを。エウァがポポ山で腰を抜かした時におぶってくれて嬉かったこと。ヤクシで熱があると勘違いされたけど、心配してくれて嬉しかったこと。そしてクジョウに来る前に、森の中で敵に殺されそうになったとき「守り通す」と言われて嬉かったこと。

「……それなのに、プロポーズのようなその言葉を『よく覚えてない』って言うんだよ!? 信じられる?」

「でも、結果的には守ってくれたわけだ」

「……うん」

エウァの語気が急に弱くなる。

「正直に答えて欲しいんだけどさ」

「……なに?」

「お前チギリのこと、まだ好きだろ?」

「…………」

エウァは沈黙した。ジャンはそれを肯定と取った。

「……なんか腹立ってきた」

ジャンがつぶやく。

「ジャン、さっき怒らないって……」

ジャンがエウァの肩を両手で掴む。

「違う。おいらが怒ってるのはチギリに対してだ。エウァみたいないい子をないがしろにしてるのが気に食わない」

「ち、チギリはないがしろまではしてない」

「いや、同じことだ。そんだけエウァに思わせぶりな行動しといて、『自分は騎士だから』っていう理由で知らんぷりしてるのは甘えだ。エウァの思いに正面から答えないなんて許さん。行くぞエウァ」

エウァの手を掴み、彼女を立ち上がらせるジャン。

「行くって、どこに?」

「決まってんだろ。チギリのところだよ。白黒はっきりつけさせてやる。どこにいるんだ?」

「たぶん宿屋……でもまだジャンは仕事中じゃ……」

「今日はしまいだ。行くぞ」

そう言ってエウァを連れて工房の外に出ようとするジャン。

そのとき、工房の扉が外から勢いよく開かれた。扉に手を掛けようとしていたジャンは尻もちをついた。工房の中に二人組の男が押し入ってきた。床に倒れているジャンを尻目に、二人組のうちの一人がエウァを小脇に抱えた。

「なっ、なにするですかっ!」

エウァは状況がわからずうろたえる。

「うるせえ! おとなしくしてろ!」

エウァを抱えた方の男が、甲高い声で叫ぶ。男は下半身は革の長ズボン。そして上半身も革のベストという出で立ちだった。上にはベストの下に何も着込んでいないらしく、肩から先は青白い腕が伸びていた。頭に赤い目出し帽をかぶっているため、顔は分からなかった。ポケットから果物ナイフを取り出し、エウァに突きつける。

「何だお前ら! くそ、エウァを放せ!」

ジャンが叫ぶ。

「おいガキ! 喚くんじゃねえ! 金目のものを持って来い!」

二人組のうちのもう一人の男がジャンに言う。こちらはエウァを抱えている男と対照的な低い声だった。この男も赤い目出し帽の男と同じ装いだった。一点違うところがあるとすれば、目出し帽が青いことだ。

ジャンが青い目出し帽の男の足に飛びついた。

「何なんだお前らはっ! ジジイの工房を荒らすんじゃねぇっ!」

「うるせえクソガキっ!」

青い目出し帽の男が、足に絡みつくジャンの脇腹を蹴飛ばした。床を転がり、むせるジャン。

「何の騒ぎだ!」

工房の奥の階段から、一階の騒ぎを聞きつけたゴウゾが姿を現した。後ろにガムが続いている。

床に伏したジャンが、ゴウゾに向かって叫ぶ。

「来るなジジイ! こいつら強盗だ!」

「……なんだと? 命知らずな野郎どもだな」

両手の指の関節をボキボキと鳴らすゴウゾ。彼は早くも喧嘩腰だ。

「手ぇ出すなジジイ! エウァが人質に取られてる!」

「何?」

赤い目出し帽の男を見やるゴウゾ。彼の目に、赤い目出し帽の男の腕の中でもがいているエウァが映る。

「……卑怯モンが……」

ゴウゾが強盗を睨み付ける。。

「エウァ、じっとしてろ! 必ず助けてやる」

ガムがエウァに言う。そしてちら、と工房の扉の外を見た。

「うん、ガム。信じてるよ」

「うるせえって言ってんだろうが! さっさとこの店で一番高い時計を持ってきやがれ! そこのチビは時計と交換だ!」

青い目出し帽の男がゴウゾに包丁を向けた。

「……んだと? ここにあるのは全部客からの預かりもんだ。てめえらチンピラにくれてやるような時計はひとつもねえ」

「挑発すんなボケジジイ! エウァの命がかかってるんだぞ!」

あくまで退かないゴウゾに注意するジャン。

「……いいかチンピラども。ここにある時計はそれぞれが持ち主とともに、同じ時間を過ごしてきたやつだ。どれひとつとしておんなじものはねえ。だから、価値なんてどれにもあってないようなもんだ。決して金に換えられないもんばっかりなんだよ」

ゴウゾは一歩も引かない。

「うるせえ! 説教してんじゃねえよ!」

青い目出し帽の男がゴウゾの頬を拳で殴る。ゴウゾの体が弾かれ、後ろのガムが受け止めた。

「俺たちは明日食うものにも困ってるんだ! さっさと金目の物よこさねえと、あのガキの命はねえぞ!」

青い目出し帽の男の言葉で、赤い目出し帽の男がエウァに突きつけたナイフを彼女の首に食い込ませた。うっすらと血がにじみ始める。

「……う……」

エウァが苦しそうにうめいた。ジャンがゴウゾに言う。

「ジジイ! 刺激するんじゃねえよ! こいつら本気でエウァを殺す気だぞ!?」

先ほど殴られたゴウゾが、切れた口の端を拭う。

「喚くんじゃねえ、ジャン。誰も死なせやしねえよ」

言って、ゴウゾが自身のツナギの胸ポケットから一本の腕時計を取り出した。古びてはいるが、金色の本体、そして深い茶色の革のベルトを取り付けた時計だった。それを青い目出し帽の男に差し出す。

「持っていけ。しかるべきところで換金すりゃ一年は困らねえ」

その時計を見てジャンが言う。

「ジジイ! それはジジイが父親から貰った時計じゃねえか! そんな大切な物渡しちまっていいのかよ!」

「嬢ちゃんの命がかかってんだ。親父から貰ったモンであろうがたかが時計だ。……ほら、持って行け」

青い目出し帽の男が、ゴウゾが差し出した金の腕時計をひったくった。

「へへ。最初っから素直にそうすりゃいいんだよ」

青い目出し帽の男が金の腕時計を自身のポケットにねじ込んだ。ゴウゾが彼に言う。

「嬢ちゃんを放してもらおうか」

「あん? 何言ってんだ。俺らが逃げきるまで人質にするに決まってんだろうが。ここで解放してお前らに襲われたら元も子もねえ」

「そんなことはしない。見逃してやるから、さっさと嬢ちゃんを放してどこへでも行け」

「信じられるかっての。ガキは俺らが逃げきったら解放してやるよ。まあ、森か谷に放り捨ててそこで野垂れ死んじまっても知らねえけどな。へへへ」

「ひひひ、違いねえ」

下卑た笑いを浮かべる強盗達。

「その時はお前等の命がないものと思え」

ガムが強盗達に言った。

「ああ? 何だお前は」

青い目出し帽の男がガムに問う。

「俺はそのちびすけの傭兵だよ。訳あって一緒に旅をしている」

「その傭兵が何だってんだ」

「もちろん俺の仕事はちびすけの命を守るのが仕事だ。それが守れないとなっちゃ、契約違反だ」

「ざまあ見ろ、だな」

青い目出し帽の男の言葉に、ガムがため息をつく。

「……そのちびすけは歴史小説が好きでね。二百年ほど前の史実を元にした『忠義の私兵団』が特にお気に入りなんだ」

『…………?』

強盗達が不審げな表情をガムに向けた。

『忠義の私兵団』とは、次のような話だ。

善政で知られるオジシコウ地方の領主を、隣の地方のツラカの領主が訪問した際、そのもてなし方に難癖をつけた。それに腹を立てたオジシコウの領主がツラカの領主を剣で切りつけた。ツラカの領主の命に別状はなかったものの、その事件は国に知れることとなった。

地方の政治を与る身でありながら無用の騒乱を起こした罪で、オジシコウの領主は国に死刑を命じられた。

領主の処刑後、黙っていなかったのはオジシコウの領主の私兵団だった。普段から領主の世話になっていた私兵団の兵たちは国の処罰を不服とした。

私兵団の証言では、オジシコウの領主のもてなしには何の不備もなかった。以前からツラカの領主は、オジシコウの領地での小麦の生産の豊かさの秘密を探っていた。ツラカの領主はその秘密をオジシコウの領主に教えて貰おうと必死だったが、邪険に扱われ叶わなかった。

それを逆恨みしたツラカの領主が格で劣るオジシコウの領主をはめようとした、というのがオジシコウの領主の私兵団の意見である。

亡き領主の仇を討つため、オジシコウの私兵団は綿密に計画を立てた。そして二年の歳月をかけて、見事仇討ちを成し遂げたのだ。

蜂起を起こした私兵団の人間は国によって処刑命令が下された。しかし一般民衆からは、不当に処刑された領主の無念を晴らした私兵団としてもてはやされた。

『忠義の私兵団』は事件から二百年が過ぎた現在でも、同名の演劇が上演されるほど人気のある作品なのである。

「……それがどうしたってんだ」

青い目出し帽の男が言う。

「俺とちびすけの契約の中に条項があるんだよ。『万が一、自然現象以外で甲の生命が害された場合、乙は必ず甲の生命を害した者の生命を害すること』ってのが」

つまり、誰かの手によってエウァの命が奪われた場合、必ずその復讐をしなければならないということだ。

「俺は傭兵をやってるが、クロノス王国の元騎士だ。今でも内部には顔が利くから、犯罪者の指名手配は難なくできる。万が一のことがあれば、犯人はあっと言う間に国内を歩けなくなる」

「……何が言いたいんだ」

「こっちからは決して手出しはしない。だから、あんたらもここでそのちびすけを放した方が、互いに得なんじゃないかって思うんだが、どうだい?」

「信じられるか。お前もお前の話も。お前が元騎士だという証拠がどこにある?」

「やってみりゃ、わかるさ」

言って、ガムは左の腰から、小降りの剣を右手で鞘から引き抜いた。その剣を青い目出し帽の男にかざした。

「……その剣をしまえ、でなきゃ本当にガキの命はねえぞ?」

青い目出し帽の男もガムにナイフをかざす。ガムが彼に言う。

「俺はひねくれ者なんだ」

「……?」

「さっきのちびすけとの契約の条項、こうは捉えられないか? 『乙が必ず甲の復讐を果たすなら、甲の命が害されることを許諾する』って」

ガムが青い目出し帽の男を睨めつけたまま不適な笑みを浮かべた。

「……てめえ、自分が何言ってるがわかってんのか!」

青い目出し帽の男ではなく、ジャンが言った。

「ああ、わかってるさ。俺は騎士ではなくて傭兵だ。忠義なんかより報酬が大事なんだよ。俺はこれまでの旅路でけっこう稼がせてもらった。当分は食うに困らない。また次の仕事が入るまでは凌げるさ」

「エウァ! お前はこんな男を信用して雇ったっていうのか!?」

ジャンがエウァに叫んだ。

「……ガム……」

エウァがつぶやく。

「さて、強盗さんよ。どうする? 俺はあんたらがちびすけをここに置いて逃げるなら追いかけはしない。だが、ちびすけを人質として連れていくってんなら、この場であんたらを殺す。どっちが賢いと思う?」

ガムのプレッシャーに青い目出し帽の男が一歩下がる。

ガムが青い目出し帽の男に剣をかざしたまま、赤い目出し帽の男を振り向く。

「あんたはどうなんだ? ちびすけを放すのか? 放さないのか?」

「……く……!」

どうしていいのかわからず、赤い目出し帽の男の全身が強ばる。ナイフを押しつけているエウァの首から、一筋の血が流れていた。

「……うぅ」

エウァが再びうめいた。額には汗が浮かんでいる。ガムが強盗達に言う。

「……こういう時は迷ったら負けなんだ。なあ、チギリ?」

その直後。

工房の玄関の扉が爆発したように吹き飛んだ。その騒音に工房内の人間の視線が玄関に集まった。

玄関を突き破って現れたのはチギリだった。いつもの騎士の白鎧ではなく、茶色の木綿の上着に革のズボンといった軽装だ。

「待たせすぎだ、ガム」

「悪ぃ。手間取った」

ガムは青い目出し帽の男のナイフを取り上げ、組み伏せていた。間接をきめているため、男は身じろぎすらできなかった。チギリの突入の際に生じた強盗の隙を、ガムは逃さなかった。

「お、お前いつの間にっ!」

赤い目出し帽の男がたじろいだ。

「エウァを放せ」

チギリが赤い目出し帽の男に命令し、歩み寄る。

「ち、近寄るなっ! ガキがどうなってもいいのかっ!」

「聞こえないのか? エウァを今すぐ放せと言っているんだ」

赤い眼出し帽の男を睨み付けるチギリ。赤い目出し帽の男が恐怖でチギリに向かってナイフを突き出す。

「こ、これ以上近寄るなっ! 刺すぞっ!」

赤い目出し帽の男がチギリにぶんぶんとナイフを振り回す。しかしチギリはお構いなしに近寄っていく。

「今すぐその汚い手をエウァから放せと言ってるんだこの豚野郎がっ!!!」

チギリが全身で突っ込むように、赤い目出し帽の男の顔面を拳で殴り付けた。

男はエウァを放り出し、たまらず工房の壁まで吹き飛んだ。

その壁が衝撃で一部壊れてしまっていた。赤い眼出し帽の男は鼻血を噴き出し、完全に失神していた。

赤い眼出し帽の男を殴ったチギリは、鼻息荒く、肩で息をしていた。しばらくして、床で呆然としていたエウァに声をかけた。

「エウァ殿、大丈夫ですか?」

エウァが思わずチギリに抱きついた。

「……うん。大丈夫……。……チギリ、これは!?」

エウァがチギリの頬をさすると、エウァの手に赤いものがこびりついた。チギリの頬が一部切れ、血が流れている。チギリが赤い眼出し帽の男を殴ったとき、彼のナイフがチギリの頬をかすめていたのだ。

「……あぁ。こんなのかすり傷です。それよりエウァ殿、首から血が。ちょっと待っててください。……ゴウゾ殿、消毒薬と包帯はありますか?」

チギリがゴウゾに聞いた。

「ああ、ちょっと待ってろ」

言って、ゴウゾが作業机の下から救急箱を取り出した。消毒薬と包帯をチギリに渡す。

「しみますが、我慢してください」

チギリとエウァの顔が近づく。エウァはチギリの顔をみることはできないが、彼の息づかいをはっきりと感じていた。

「……うん」

チギリが消毒薬をエウァの首の傷に塗り込む。

「んっ……!」

薬がしみる痛みに、思わず声を上げるエウァ。そしてチギリが傷の上に包帯を巻く。最後に結び目をきゅっ、と作り包帯を留めた。その締め付けに、一瞬エウァが苦しそうに顔を歪めた。

「これで良し、と。一、二日もすれば傷はふさがるでしょう」

「ありがと、チギリ。……チギリは頬の傷……」

「こんなのは傷のうちに入りませんよ。唾をつけとけば治ります」

殊勝に笑ってみせるチギリ。

「チギリ、俺が舐めてやろうか?」

ガムがチギリに言う。

「いらん。自分でつける」

「まあ。チギリったらつれないのね」

「馬鹿言ってるんじゃない」

言ってチギリは頬の血を拭い、その手を舐めた。鉄のような味がした。


◆◆◆


二時間後。時計工房の中。ガム、チギリ、エウァ、ゴウゾ、ジャンの五人は強盗によって荒らされた作業場を片づけていた。と言っても、エウァは目が見えないため部屋の隅で椅子に座っているが。

騒ぎの後、ガム達は強盗を警官隊に突き出した。そして事情聴取を受けた。ゴウゾが一度強盗に奪われた金の腕時計は本人の手に戻った。文字盤を覆うガラスの一部にひびが入っていたが。

そして工房に戻ってきて、現在に至る。

しばらくして片付けが終わり、一同はジャンが淹れた珈琲を飲みながら休憩していた。

「ゴタゴタに巻き込んじまってすまなかったな」

ゴウゾがガム達に頭を下げる。

「エウァが無事だったんだから、気にしないでくれよ」

ガムが言った。その言葉にチギリが反応する。

「無事、ではないだろう。エウァ殿は首に傷を負ったんだ」

「まあ、そうだが。命に関わるような傷じゃないだろ?」

「一歩間違えれば危なかった。なんで君はそんなに雑なんだ? もっと慎重にやれないのか?」

「あんな緊急時に綿密な計画なんて立てられるかよ。相手にこっちの脅しが通じればいけるとは思っていたが」

「下手すれば強盗達を刺激してエウァ殿に危害が加わっていたかもしれない。君の交渉はいささか過激だ」

「けどよ、こっちがまごついてりゃ相手が調子に乗る。最初に押さえつけるのが必要なんだ」

「エウァ殿の命が世界の平和に関わっているのを忘れてるんじゃないのか? じゃなければあんな危険な橋を渡るはずがない」

「あの場に直面しなかったお前に、後からとやかく言われたくねえよ。俺は俺なりに最善を尽くしたつもりだ。その結果、多少傷は負ったがエウァは戻ってきた。強盗に襲われたにしちゃ上出来だろうが」

「……聞き捨てならないな」

二人の諍いが、場の空気を張りつめさせる。今度はガムとチギリが一触即発だった。

「おい……、あんたら……」

ジャンが仲裁しようとして、ガムが口を開いた。

「……チギリが、外にいるってわかってたから、いけると思ったんだ」

工房に強盗が乱入した直後、ガムはチギリが工房の玄関の外にいたことに気付いていた。そして強盗と交渉しながら、チギリを中に入れ、エウァを強盗から奪還するタイミングを計っていた。

「……君が僕に気付いていたのは僕もわかっていた。だが、やはり君のやり方は」

「俺一人では危なかった」

ガムがチギリの言葉を遮った。

「俺だけでは一人を押さえるので精一杯だ。だが、チギリならもう一人を押さえられると思った。だから危ない橋を渡ったんだ」

「……ガム」

急にチギリの威勢が弱くなる。

「……言い過ぎた、すまない」

「……いや、いいんだ。お前の言ってることは間違っちゃいないんだから」

互いを見交わし、微笑むガムとチギリ。

「と、いうか」

ガムがチギリに言う。

「誰かさんがエウァの機嫌を損ねなけりゃ、エウァがここで働くなんて言い出すことはなかったんだよ。それについてはどうなんだ、チギリ?」

ガムが不審げな目をチギリに向ける。

「そ、それは……」

「それについてはボクも聞きたいな」

エウァが言う。

「オイラにも聞かせろよ」

ジャンが同意する。

「…………」

チギリが沈黙する。

「黙ってても仕方ないぞ、チギリ。俺はお前を応援するから、正直に自分の気持ちをエウァに伝えろよ」

「……ああ、わかったよ」

チギリがエウァの前に移動し、向き合った。

「エウァ殿」

「なに?」

「あなたは、僕の契約主であり、僕はあなたをお守りする立場です。あなたは大切な人であり、敬意を持って接しているつもりです。ですが、それは騎士としての僕の思いなのです。僕は、現在のあなたのことを恋愛対象として見ることはできません」

「…………」

「ガムとも話したのですが、エウァ殿の僕に対する好意は年上の男への憧れから来ているのではないでしょうか。僕ではなくて、他の年上の男でもエウァ殿は同じような想いを抱くのではないでしょうか?」

「……そんなことないもん。だってガムにはそんな気持ちにはならないもん」

「ガムはあの通りがさつな男ですから」

「オイ」

ガムがチギリに突っ込む。エウァがチギリに言う。

「だって、チギリに触れられるとすごくドキドキするんだよ? 抱っこしてもらったときも、おでこに手を当てられたれたときも。こんなにドキドキするなんて、ボクは初めてだ。チギリが好き、以外に説明できないよ」

エウァが頬を赤らめる。

「……そうですか」

チギリが困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべる。

「では、時間をくれませんか?」

「時間?」

「ええ。エウァ殿が結婚できるようになるのは何歳からですか?」

「十六歳からだよ? 家のしきたりがあるから」

「その歳になってもまだ僕のことを好きでいてくれるならば、僕はあなたと結婚しましょう」


『…………………………………………………………へ?』


チギリの言葉にエウァとガムが呆気にとられる。

「い、いまなんて言ったのチギリ?」

「エウァ殿が結婚できる歳になっても僕を好きでいてくれるなら、そのときは結婚しましょう、と」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

「まじかお前チギリ!!」

エウァとガムが思わず叫ぶ。

エウァの頭は混乱のまっただ中に突き落とされた。

ボクはたしかにチギリのことが好きだからつきあってみたい小説や演劇で出てくるような恋愛がしてみたいでも結婚て結婚ってそれはまだ早くない?でも好き相手ならこの上なく幸せなことなんじゃ朝はおはようのキスをされたり夜はあのたくましい腕を枕にして眠りについたりあああああああああああああボクはいったい何を考えてええええええええええええええええええええええええええええええ!!

エウァの頬がますます紅潮する。

「僕だって男です。そんな長い間僕を想ってくれた女性を無下にはしません。責任は取るつもりです」

「チギリくん、いつの間にか大人になって……」

ガムがハンカチを取り出して、よよよ、と泣く真似をする。

「やめろ。鬱陶しい」

チギリがガムを諫める。チギリがエウァに向き直る。

「どうでしょう、エウァ殿?」

「ううううううう、うんうん! ボクは構わないよっていうか絶対にチギリを振り向かせてみせるし!」

エウァが何度も繰り返し首を縦に振る。

「では、これからもよろしくお願いします」

チギリが右手でエウァの右手を掴む。

「よよよよろしく、です」

エウァがチギリの手をぐっと握り返した。

その光景を見て、ジャンががっくりと肩を落としていた。それを見たガムがジャンの肩をぽん、と叩く。

「気を落とすなよ。女はエウァだけじゃねえって」

ジャンの肩がふるふると震え出す。ガムは「やばいな。そうとう重傷だぞ」と思った。

「気を落とす……? ふふ、ふふふふふふふ……。違うね」

「何?」

ジャンががばっ、と身を起こしガムに言った。

「エウァが結婚できる歳まで待つってことは、その間にエウァをおいらに振り向かせることもできるってことだ!」

ジャンの発言に呆然とするガム。ジャンがチギリを指さす。

「おいチギリ! うかうかしてるとおいらがエウァをさらうからな。油断するなよ!」

「それは恐いな。心してかかるよ」

「ちっ。余裕かよ。だがおいらがエウァを手に入れた後で、吠え面かいたって遅いからな!」

そのジャンの様子を見たゴウゾがなぜか「うんうん」と満足気に頷いていた。


◆◆◆


「ジャンとはやっぱり付き合えない。ごめん」

深々と頭を下げるエウァ。

「とんだかませ犬だよ、おいらは」

口をとがらせて言うジャン。

「ま、予想はついてたけどな」

「振り回す形になってしまい申し訳ない、ジャン」

チギリがジャンに頭を下げる。

「そう思うんなら……。チギリ、ちょっとこっちに来いよ」

ジャンがチギリを呼び寄せる。チギリがジャンとお互いにすぐ手が届くところまで近づく。

「なんだ?」

「落とし前」

「ぐうっ!」

ジャンの膝がチギリの腹に食い込んだ。腹を押さえ、その場にくず折れるチギリ。

「これはエウァの怒りだと思え」

「……はは、堪えるな……」

チギリがせき込みながら立ち上がる。

「ジャン、チギリに何したの!?」

「お灸を据えてやったんだよ。チギリがエウァのこと離さないように」

「チギリ、大丈夫なの?」

「……はい。腹よりも耳が痛いです」

「けっ。騎士様はかっこいいねぇ」

悪態をつくジャン。

「けどな、チギリ。おいらはエウァを諦めた訳じゃあない。一時撤退ってやつだ。チギリがぼやぼやしてると、おいらがエウァをかっさらっちまうからな」

「心しておくよ。僕はエウァを守る。騎士として、そして僕個人として」

「はっ。またかっこいいセリフをしゃべらせてしまった。なんでおいらはこんな損な役回りをっ」

おどけるジャンをエウァが慰める。

「そんなことない。ジャンはかっこいいよ」

「今はやめてくれ。惨めになるから……」

ジャンが手で顔を覆う。

「そんで、あんた達はどうするんだ?」

ジャンがガム達に尋ねる。

「どうするって何がだ?」

ガムが問い返す。

「『懐中時計』の修復だよ。最初に言っただろ。『エウァがおいらの彼女になるなら直してやる』って」

「ちょっと付き合ったから、ちょっとだけ直すってのはどうだ?」

ガムが即答した。

「どんな理屈だよ。だめに決まってんだろ」

断るジャンの頭にゴウゾの拳骨が落ちた。床でのたうち回るジャン。

「バカ野郎が。仮にも客にアホなこと言ってんじゃねえ」

呆れるゴウゾ。

「悪いが、オレは『懐中時計』の修理はやらん。そしてこのバカ孫にも修理はやらせん。どうか諦めてくれ」

頭を下げるゴウゾ。

「うん。『懐中時計』の修理は取り下げるよ」

エウァが言った。

「エウァ!?」

「エウァ殿!?」

ガムとチギリの二人が驚いて言う。

「お前、本気か? ここで修理してもらわなかったら、どうやって『懐中時計』を修理するんだよ」

「そうですよエウァ殿。『懐中時計』を修理するという任務が僕たちの使命です。これは国に対する反逆行為とも取られかねませんよ?」

「二人とも、ちょっと聞いてよ」

あわ立つガムとチギリをなだめるエウァ。

「ボクは今日一日、ここで店番をして思ったんだ。この工房、ゴウゾとジャンは町の人に愛されてるんだ、って。クレアはジャンを本当の孫のように可愛がって。ミーナはいつもお世話になってるからって、自分の畑で取れた野菜を持ってきて。ルリはなかなか休憩を取らないジャンに、片手でも食べやすいように、ホットドッグを差し入れて。ガイモンは腰を痛めてるゴウゾに湿布薬を持ってきて。ブラウンはゴウゾに直してもらった時計をずっと使って、今はジャンに直してもらってる。

ここに来るみんなは、ゴウゾとジャンが大好きなんだ。この工房は、ここになきゃ、ゴウゾが、ジャンがここにいなきゃいけないんだ。ずっと、ずっと。それをボク達の都合で壊したりなんかしたらいけない。だから、もういいんだ。ボクは別の方法を探すよ」

「エウァ……」

「エウァ殿……」

ガムとチギリがぽつりと言う。

「じゃあ、『懐中時計』の修復はしなくていいんだな?」

ジャンがエウァに聞いた。

「うん。やめるよ。ジャンもゴウゾも元気でね」

ぺこりと頭を下げるエウァ。ガムとチギリを連れて店を出ようとする彼女。

「…………ちょっと待てえ!」

ジャンがガム達を呼び止めた。

「なに? 何か忘れ物でもしてた?」

エウァが振り返り、ジャンに問う。

「このまま帰られたんじゃおいらのカッコがつかないだろうが!」

「…………?」

「修復してやるよ。『懐中時計』を」

「え……?」

「だから、おいらが『懐中時計』を修復してやるって言ってるんだ」

「……本当にいいの?」

「もちろんだ。時計の修復もやらない、女も奪われるってんじゃ、おいらの名折れだ。せめて本業だけでも全うさせてくれよ」

「ありがとう、ジャン」

エウァが再度ぺこりと頭を下げる。そこでゴウゾがジャンに詰め寄った。

「だめだ。ジャン、何考えてるんだ」

「何って、仕事だよ。修復師としての」

「お前、さんざん言っただろうが。修復師の家系で寿命が短い者が多いのは、『懐中時計』の修復に関わったからだと」

「ああ、知ってるさ」

「それに、『懐中時計』の修復の裏で大災害が発生する。それによって大勢の命が犠牲になるんだぞ?」

「ああ、それも知ってる。だけど、そんなものよりおいらはエウァの願いの方が大切だ。エウァの使命が『懐中時計』の修復だってんなら、おいらはそれを叶えてやりたい」

「だめだ。お前は何にも分かっちゃいない。ガキだから色ぼけてるだけだ」

「ああ、修復師の宿命だとか機構部の一族だとか難しいことはよくわかんねぇ。わかってるのはおいらがエウァのことを好きだってことだけだ。それが今のおいらの真実だ。惚れた女に命を懸ける……それのどこが悪いんだ!」

「お前……本気か」

「それにジジイ、おいらは知ってるんだぜ? ジジイの嫁さん、つまりおいらのばあちゃんを口説き落としたときにジジイ言った言葉……」

「何!? お前どこでそれを!?」

「親父が言ってたんだよ。親父はばあちゃんから聞いたって言ってたけどな」

「クラリスのやつ……、あれほど人には言うなって言っておいたのに……!」

どうやらゴウゾは若いときは相当熱い男だったようである。

「だからジジイ、やらせてくれ。寿命が短くなるったって、いつ戦争や事故で死ぬかはわからないんだ。だったらここでおいらの思いを遂げさせてくれよ!」

ゴウゾは顔を四苦八苦させてさんざん悩んで

「……ヘマすんじゃねえぞ」

と言った。

「ありがとう、ジジイ!」

ジャンの頭に拳骨が落ちた。

「人前でジジイはやめろっつってんだろうが」

少し照れたようにゴウゾが言う。そのゴウゾにエウァが声をかける。

「ゴウゾ。『懐中時計』を修復してもらう前に聞きたいことがあるんだ」

「なんだ?」

「過去に一度、マヤヒガシ戦争の前、五百年くらい人類に戦争の起こらなかった時期があった。そのとき、懐中時計の修復は行われていたの?」

「ああ、『奇跡の五百年』と呼ばれた時代だな。マヤガシヒ戦争の五百年前に時計の修復は行われた。実際に文献にも残ってる。なんでそんなことを聞くんだ?」

「そのときの修復はどういう修復の仕方だったの?」

「……そんときは確か、時計を『止めた』んだ」

やっぱり、とエウァは思った。

「それでマヤガシヒ戦争では未曾有の犠牲があったわけだ」

「どういうことだ、エウァ?」

ガムが問う。

「『懐中時計』を止めることで連動する『終末時計』も止まる。終末時計の針が進まなくなるから、世界のズレもそれ以上大きくはならない」

「いい手があるじゃねえか」

ガムの言葉にエウァは首を横に振った。

「世界は常に動き続けようとする。それを無理矢理押さえつけると、今度は反動で一気にズレが進んでしまうんだ。ゴムマリを両手でぎゅうっと押さえつければ押さえつけるほど、手を押し返そうとする力は強くなるでしょ? それと一緒だよ」

「反動で大きくなったズレが、そのまま被害の大きさにつながるのか」

頷くエウァ。

「だから、ボクは考えた。守りたいから。ボクが大切に思う人を。ボクが大切にしたい笑顔を。ボクが大切に思うみんなの気持ちを。大切な人が住むこの世界を。

だからジャン、聞いて。この方法で修理をお願いしたい」

エウァがジャンに『懐中時計』の修復の方法を告げた。


「……エウァ、お前……狂ってるのか……?」


エウァの修復方法を聞いたジャンは、血の気が引いた。ジャンだけではない。ガムも、チギリも、ゴウゾも絶句していた。

「……エウァ、本気で言ってるのか?」

「うん」

「エウァ殿……、それではまるで……」

「うん」

「……嬢ちゃん、……必ず後悔するぞ?」

「うん」

しかし、エウァの言葉は本気だった。

「……ダメだ!! おいらにはそんなことできない……!」

ジャンが体を震わせながら言う。

「ジャン、キミだけが頼りなんだ。お願いだよ」

「いくらエウァでもだめだ。……帰ってくれ」

「ジャン! 修理を引き受けてくれるって言ったのは嘘だったの!?」

「帰れって言ってるだろ!!」

ジャンは手に持っていたレンチを作業台に叩きつけた。木が砕ける音が工房に響き渡った。

「……頼むから、帰ってくれよ……」

先程とは打って変わって弱々しくつぶやくジャン。その表情は悲痛に満ちていた。

ゴウゾがエウァに言う。

「すまんが嬢ちゃん、今日は引き取ってくれ。ジャンはまだそんな決断をできるほど大人じゃない。嬢ちゃんならわかるだろ? 同じことを言われたとしたら、嬢ちゃんならできるか?」

「…………」

エウァは無言だった。

「エウァ、今日は帰ろう」

ガムがエウァに言う。

「失礼しました」

チギリがゴウゾに一礼した。

ガムとチギリがエウァを連れて工房を後にした。工房にはジャンとゴウゾの二人。

「……じいちゃん。おいらはどうすればいい……?」

「……お前の気持ちを大事にしろ。今日はもう休め」

ゴウゾがジャンの肩をぽん、と叩いた。


◆◆◆


翌日。ガム達三人が時計工房を訪れると、工房内が滅茶苦茶に荒らされていた。窓ガラスは破られ、工房に置いてあった修理中の時計が雑然と床に散らばっていた。

「ひどいな……。何があったんだ?」

チギリが工房の中を調べて回る。

「なに? どうなってるの?」

エウァがチギリに問う。

「工房がめちゃくちゃです。賊が押し入った後のようです」

「ええ!? なんで!?」

「分かりません。ですが強盗か何かで間違いないでしょう。値打ちのある時計があったのかもしれません。

「俺、二階を見てくるよ」

ガムが言った。

「ああ、気を付けろよ。まだ敵が潜んでるかもしれない」

「わかってるよ」

言って、二階に上がるガム。

「……う…………」

二階の部屋から誰かがうめく声が聞こえる。ガムはそっと部屋を覗いた。二階も荒らされたようで、乱暴に時計が散らかされていた。

「……だ、れだ……?」

声のする方向。ガムは作業台の下に人を見つけた。ゴウゾだった。

「ゴウゾ!」

ゴウゾに駆け寄るガム。ゴウゾを抱き起こす。額から血を流していた。

「ガムか……。お前らは無事か?」

「ああ。俺たちは何ともない。それより何があったんだ?」

「……昨晩、深夜にさしかかったころ。誰かが玄関を叩く音がした。もう寝床に入っていたから最初は放っておいた。だがずっと音が続くんで、変だと思ったから玄関を開けたんだ。そしたら黒ずくめの二人組が押し入って来て……」

「やられたのか?」

「……ああ。抵抗したんだがな。やつら並の賊じゃねえ。あっと言う間に組み伏されちまった。……年は取りたくねえな」

「そんだけ減らず口叩けりゃ大丈夫だ。……ところでジャンの姿が見えないが、どうした?」

「……ジャンは、連れて行かれた」

「誘拐、か?」

「これを見てくれ……」

ゴウゾが懐から白い封筒を取り出し、ガムに渡した。封筒の中には白い紙が畳まれて入っていた。

「……手紙?」

ガムが紙を開く。次のことが書いてあった。


ガキは預かった。返してほしくば、六月十日、日が落ちる前に『懐中時計』を持って地図に指定した屋敷まで来い。期限を過ぎた場合は人質の命はないものと思え。

逆針の徒


「……逆針の徒……」

ガムがつぶやく。

「……知っているのか?」

ゴウゾがガムに問う。

「王国に仇なす連中だ」

「なんだって、ジャンを」

「奴らのねらいは『懐中時計』だ。それを使って王国の転覆を目論んでいる」

「なんてこった……」

「すまない。俺たちのせいだ。連中にここをつけられていたんだ。そして『懐中時計』がジャンの手に渡ったと思ったんだろる。だからここに押し入ったんだ」

「謝らなくていい。起こっちまったもんはしかたねえ……。ガムよ、頼みがある」

ゴウゾが息苦しそうにしゃべる。

「言わなくても分かってる。ジャンを助けるんだろ?」

ゴウゾは無言で頷いた。

「必ず助ける。待っててくれ」

翌日、ガムはチギリ、エウァとともに指定の場所へ向かった。

そこで、彼らの信念が打ち砕かれることになる。


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