第4話 悪魔の引き算

マヤタキから東に進むこと数日。厳しい岩盤地帯を抜け、ガム、チギリ、エウァの三人はヤクシの町の手前まで来ていた。天気は晴れ。比較的整備された街道。時間は正午過ぎ。道の両脇には草原が広がっている。もう半日も歩けば到着するだろう。とはいえ、彼らは五日間も歩きっぱなしなだった。傭兵のガムと騎士のチギリは行軍に慣れっこだったが、子供であるエウァには堪えるようで、

「ガム、チギリ、足がくたくただよ。ちょっと休もう」

と街道の脇にぺたん、と座り込んでしまった。それを見てガムが言う。

「日が暮れないうちに町に入らないと危険だぞ? おぶってやろうか?」

「コドモ扱いしないで」

頬を膨らませてエウァが言う。

「じゃあ、立って歩け。甘えるな。動けない兵はいらん」

「軍人扱いしないで」

「どうしろってんだ」

やれやれ、とガムが言う。

「まあ、いいじゃないかガム。ヤクシまではもう少しなんだし、ここらで休憩しても大丈夫だろ。それに君も疲れてるんじゃないか?」

チギリが言う。

「ああ、実は。さすがにこれだけ歩き通すのは久しぶりなんでな」

三人は街道の脇に腰を下ろし、しばらく休憩することにした。

チギリが荷物を入れている革のリュックから水筒やビスケットを取り出し、ガムとエウァに配る。

ビスケットを頬張るエウァの顔が緩む。

「ああ、ビスケットってこんなに美味しかったんだね……」

「大げさだな」

「疲れてるからかな。普段より甘く感じるんだよ。それにね、みんなで食べるからおいしいんだよ?」

「そうか? 俺が騎士だった頃、師団で行軍中に皆でビスケットを食べたが、野郎ばっかりでなんの感慨も覚えなかったぞ」

「あれには補給以外何の目的もないし、味は二の次三の次だったんだ。本当にまずいビスケットだったんだよ、ガム」

チギリがガムに突っ込みを入れる。

「ガムにはデリカシーがないです……」

「ああ、そんなものは野良犬に食われちまった……。ところで、エウァ」

「なに、ガム?」

「こういうマークに見覚えはないか?」

言って、ガムは懐から紙切れを取り出し、エウァに見せた。チギリもそれを覗き込む。

紙に書かれていたのは、カイリンツメの執行官の腕、そして山賊のモゴの左肩に描かれていた模様だった。円の中に矢印が二本。矢印は円を垂直に等分するように縦に並び、互いに頭をくっつけている。

「なんなんだ? これは」

チギリはガムに問う。

「カイリンツメの執行官と、山賊の頭(かしら)の体に彫られてた刺青だ。どっちも一緒だったから妙に思ってな。どうだエウァ?」

エウァが神妙な面持ちになって答えた。

「……これは『逆針の徒』のシンボルだよ」

『ぎゃくしんのと?』

ガムとチギリが聞き返す。

「うん。『逆らう』に『針』に信徒の『徒』で『逆針の徒』。てっとり早く言うと、王国の体制を転覆させようとしてる人たちの集まりのこと。国の中枢ではよく話題に上ってる。国の要人に危害が加えられたりしてるんだよ。ここ近年は被害件数が増加してる」

「王国の体制を転覆?」

ガムがさらに聞き返す。

「要人暗殺や誘拐。それに行軍中の国王軍への奇襲なんかにも逆針の徒が関わってる」

「ちょっと、おかしくねえか?」

「何が?」

「モゴの奴は騎士を目の仇にしてたからわかる。しかしカイリンツメの執行官はどうなんだ? 教会の人間は体制側だろ?」

「そういえばそうだね。矛盾してる。その場合、一番考えられるのは内通者ってことかな」

「逆針の徒の人間が教会に潜り込んでるってことか」

「推測だけどね。内部から体制を崩すなんてのはよくある話だからね」

「でも、なんだか一貫性がないですね」

チギリが言う。

「執行官に山賊。生業としていることに共通点がないですよ」

「だったら、それ以外に共通点があるんじゃねえの?」

ガムが言う。

「それ以外って言ったら、例えば何だい? ガム」

ガムは数秒考えたあと。

「……人を殺すことを意にも介さない、とか」

「……それは極論だな。エウァ殿はどう思われます?」

あごに手を当てるエウァ。うーん、と唸っている。

「情報が少なすぎてなんともだね。だけど、聞いた話だと彼らは一人一人が人並み外れた力を持ってるらしい。要人を護衛してた騎士が何人もやられてるからね。もし敵対したら用心するにこしたことはないよ」

「ようじん、だけにか?」

ガムが言う。数秒後、自分のセリフを思い出してエウァは赤くなった。

「ち、違うもんっ。ぜ、ぜんぜんダジャレとか言うつもりじゃなかったもんっ!」

「さすがグロピウス家の次期当主。ダジャレも嗜んでるんだな」

「ちがうちがうぅぅ! 偶然だからっ!」

必死の形相でぽかぽかとガムを叩くエウァ。そしてチギリがエウァに言った。

「エウァ殿。僕は、面白かったですよ?」

「チギリのばかーーーーーっ!!」

「ぐふぅっ!」

チギリにエウァの飛び蹴りが炸裂した。背中から倒れるチギリ。

「ばかばか! みんな嫌い!」

頬を膨らましてそっぽを向くエウァ。

「からかって悪かったよ、エウァ。ごめんな」

言いながら、ガムが逆針の徒のシンボルが描かれた紙切れを懐にしまう。

そのとき、遠くから地響きがした。

「なんだ?」

辺りを見渡し、警戒する三人。すると、街道から遠く離れた位置に、数十頭の馬の群れが出現した。それぞれの馬には人が乗っていた。

「エウァ、チギリ。身を隠せ」

三人は近くの岩の陰に身を潜め、様子を伺った。馬の進む方向は、ガム達が向かう方向と同じだった。

「ん……? 女?」

ガムが先頭を行く馬に乗っている人間を観察する。遠くてはっきりとは見えないが、どうやら女のようだ。髪は銀髪、身には革鎧を纏(まと)い、背に弓矢を担いでいた。

「……おねえちゃん……?」

ガムと同様に先頭の人間を見たエウァがつぶやいた。


◆◆◆


ガム達がヤクシの町に到着した頃には夕方になっていた。空が赤い。

ヤクシは人口千人ほどの町だ。そのヤクシの町は人々が騒がしくあちこちを行き来していた。ところどころの民家や店舗が荒らされ、無数に破損の後が見られる。地面にはおびただしい数の馬の蹄の跡。怪我人が大勢出たらしく、病院の外には治療待ちの人間が布の上に寝かされていた。

ガムは、喧騒に包まれた中で、復旧の指揮を執っている男に声をかけた。黒の短髪に短い顎ひげ。身長は百八十センチメートル程。精悍な顔つきをした四十代半ばの男だ。

「何だ? お前達は? 見かけない顔だな」

「ああ。俺達はある人物を探して旅をしている。そこでちょっと尋ねたいんだが」

「見ての通り今忙しい。後にしてくれ」

「誰かに襲われたのか?」

「……よそ者にゃ関係ねえ」

「町に来る途中に、数十頭の馬がここに向かって行くのを見た。それで気になってな。余計なこと聞いて悪かったよ」

「待て、それは本当か?」

男がガムに聞き返す。

「ああ。間違いない」

「それなら、こちらからも聞きたいことがある。悪いんだが、そこの建物で待っててくれないか? 自警団の詰め所だ。ひと段落したらおれも行こう」

ガム達はその男の言葉に従い、木造の平屋の建物に入った。


◆◆◆


一時間後。男は自警団の詰め所に戻ってきた。室内は広く、三十人ほどが入る余裕があるが、数個のランプが灯されているだけで薄暗い。ガム達は木製の椅子に座っていた。男はガム達の正面の椅子に座った。

「悪い。待たせたな、怪我人の収容に時間がかかっちまった」

男は名をジョウエイと言った。自警団の団長を務めている。部屋にはジョウエイの他に数人の団員がいた。

「いや。こちらこそ大変なときにすまない。俺はガム。傭兵だ。そんでこっちの金髪がチギリ。騎士だ。そんでこのちっこいのがエウァ。俺達の雇い主だ。人探しをするってんで、俺達が護衛をしてる」

自己紹介をするガム。

「変わった組み合わせだな……。まあいい」

「それで、聞きたいことっていうのは?」

ガムが促す。

「あんたが見たっていう馬達が来た方角だ。どっから来た?」

「それを聞いてどうするんだ?」

「話をつけに行くんだよ。あんたも見ただろ? この町の有様を。毎度毎度野盗に襲われたんじゃたまらんからな」

「街道沿いの方から来たよ。でも団長さんよ。毎度毎度襲われるって言ってたけど、これまで居場所がわかんなかったのか?」

「この町の外れを拠点にしてるのはわかってるんだが、あいつらは遊牧民のように頻繁に拠点を変えるんだ。団員を偵察に出すと、どういうわけかあいつら、察するらしく空振りだ。だが、今回はあんたらが偶然にも見た。こっちから偵察に行ってないから拠点を突き止められる可能性が高い。翌朝には出動する」

「話つけに行くっても、略奪をするような連中が話を聞くのか? 返り討ちにあっちまうのがオチだぞ?」

「よそ者がこれ以上口出しするんじゃねえ。この町にはこの町の事情っていうのがあるんだ」

凄みをきかせるジョウエイ。

「そこまで言うんだったら聞かねえよ。俺達にゃ確かに関係ない話だ」

「ジョウエイさん! 甘いですよ!」

そこに、部屋の奥に座っていた一人の団員がジョウエイに詰め寄った。

「なんだ、トマサ」

トマサと呼ばれたのは、気の弱そうな顔立ちをした、中肉中背の男だ。

「やつらが話し合いに応じるわけがありません。こちらから仕掛けて打ち倒すべきです!」トマサは少々ヒステリックになっているようだ。

「またその話か。ダメだ。こないだの話し合いで決めたことは覆さん。おとなしく待機してろ」

「でも……ぼくの妻は……!」

「くどい! 冷静でいられないなら家に戻れ。頭を冷やして来い」

ジョウエイに諌められ、すごすごと引き下がるトマサ。彼は元いた場所に戻った。

「見苦しいところを見せてしまって申し訳ない。で、あんたの聞きたいことっていうのは?」

ジョウエイがガムに尋ねる。

「エウァ、似顔絵を出してくれ」

「…………」

エウァは虚空を見つめて動かなかった。

「エウァ殿?」

チギリがエウァに呼びかける。

「……ん? 何、チギリ?」

「似顔絵を」

「……あ、ああ、ごめんよ。今出すよ」

白い法衣の下から、ゴウゾの似顔絵を出すエウァ。ジョウエイに差し出し、尋ねる。

「この人を知らないかな? 三年前くらいにここを訪れたって聞いたんだけど」

ジョウエイはしばらく考えたが、心当たりはないようだった。

「見たことないな。だが、他の町人が知ってるかもしれないから、聞いておく。この似顔絵、預からせてもらっていいか嬢ちゃん?」

「嬢ちゃん、じゃなくてエウァだよ?」

「そうか。預からせてもらうぞ、エウァちゃん?」

「いいよ。こちらこそよろしくお願いするです」

椅子から立ち上がり、ぺこりと一礼するエウァ。そしてジョウエイが三人に言った。

「どうせあんたらは今日は泊まりだろ? 宿屋まで案内しよう」

「ああ、助かる」

ガムは答えて、三人はジョウエイと共に詰め所を後にした。

トマサは部屋の奥から、ジョウエイの後姿をずっと睨んでいた。


◆◆◆


ジョウエイに案内され、ガム達が宿を取ってから二時間経った頃。一人外出していたガムが宿の一室、チギリとエウァがいるとこに戻ってきた。ガムが出かけている間、エウァはずっと無言だった。チギリが話しかけても上の空で、生返事をするだけだった。

宿は木造の二階建て。一部屋に四台のベッドが設えられていた。ガムは酒を飲んできたのか、顔が赤かった。

「ただいま、と」

ガムが自分のベッドの上に座り、靴を脱ぐ。

「お前らまだ起きてたのか?」

「ガム、どこに行ってたんだ? まあ、大体想像はつくけど……」

非難したような目で、自分のベッドに腰掛けた状態でチギリがガムに言う。

「酒場だよ。最近めっきり飲んでなかったからな」

ちなみにチギリは下戸なのでほとんど酒は飲まない。

「チギリ、言っとくけどこれはエウァとの契約の範囲内だぞ? なあ、エウァ」

「うん、問題ないよ。ガムとはそういう約束だからね」

ベッドの上でころん、と仰向けに寝転んでいたエウァが体を起こす。

「そうかもしれないけど……君ってばほんとに緊張感がないよね」

まだ不満そうなチギリ。

「まあ、そう言うなよ。気になってた情報を聞いてきたんだからよ」

「情報?」

「ああ。ジョウエイが言ってただろ? 野盗と対話で決着をつけるって。よく考えりゃ妙な話じゃねえか。野盗なんてのはどこだろうと、一般人からすれば野の獣と同じような扱いをするのが常だ。だがジョウエイは『対話で決着をつける』と言った。なんか違和感を覚えないか?」

「言われてみれば、そうだね」

「この町に現れる野盗ってのは、どうやら元はここの町人らしい」

「なんだって?」

驚くチギリ。

「十年ほど前から、この地域をひどい干ばつが襲ったらしい。農作物が収穫できなくなって、町人に十分な食料が行き渡らなくなった。それでも最初の一~二年は備蓄していた食料を配給したり、近隣の町から食料を買い付けしたりでどうにか凌いだ。だが長続きはしなかった。やがて食料は底を尽き、町人は飢えの危機に晒された。そこで、どうしたと思う?」

ガムがチギリに問う。

「いや、わからない」

「町人が、一部の町人を町から追放したんだ」

「まさか、そんな馬鹿な話があるのか……!」

チギリが戦慄する。

「町人の中から、素行の悪い者、障害を抱えた者、働けない老人達。そういう人間を町から追放したんだ」

「…………」

「そんで、追い出されたやつらが野盗に成り下がり、この町から食べ物、飲み物、服なんかを略奪しているらしい。まあ、自業自得っていえば自業自得だ」

「だから、団長は対話で決着をつけると言っていたのか」

「ああ、負い目があるんだろうな。おそらく町人の追放を決めたのはジョウエイではないだろうが」

「でも、今は農作物は順調に育ってるんだろう? ならば町人と野盗で争う必要はもうないんじゃないか?」

「そうはいかないだろ。町を追い出された方からすれば裏切られ、捨てられたも同然だ。お互いの間には大きな溝がある」

「やはり無理があるか……」

「ああ。仮に俺が追い出された側になったとしても、許せないな。……でも、ひとつ妙な話を聞いたんだよ」

「変な話?」

「ああ。四年ほど前から、野盗の略奪行為がおとなしくなったって言うんだ」

「どういうことだ?」

「四年より前、町は略奪に来た野盗に見境なく食料なんかを大量に奪われ、人も殺されていたそうだ。だが四年前からこっち、一定の量の食料などが奪われるだけになった。死者は出なくなったそうだ」

「それは妙な話だな」

チギリは不可解そうな顔をしている。

「だろ? 野盗に秩序らしきものが生まれたのか、それとも人を殺すことの無意味さに気づいたのか……。俺にもよくわからん」

ガムがベッドに仰向けに倒れる。

「……四年前」

エウァが小さくつぶやいた。

「ん? なんか言ったか、エウァ」

「四年前。ボクのお姉ちゃんが家出した」

「家出? お前、姉がいたのか?」

ベッドから体を起こし、ガムがエウァに問う。

「うん。お姉ちゃんの名前はクロエっていうんだ。とっても優しくてね、大好きだったよ」

エウァには四歳上の姉がいた。彼女はグロピウス家の次期当主として父親に厳しく躾けられた。才色兼備、という言葉がよく似合っていた。そして妹であるエウァに対する面倒見も良かった。

数年前、エウァが通っていた学校で、エウァはいじめに遭っていた。浮世離れした言動をしていたため、クラスメートからからかわれていたのだ。エウァの机が心無い落書きで汚され、靴をドブに捨てられ、毎日泣かされていた。

それを知ったクロエが、エウァに言ったのだ。

グロピウス家の人間は強くあらねばならない、踏みにじられた誇りを取り返せ。エウァは可愛いんだから、笑いなさいと。

それからエウァは学校を休学し、クロエに毎日しごかれた。ありていにいえば、武術を叩き込まれたのである。

「つらかったよ。クラスでいじめられるより、お姉ちゃんのしごきの方がきつかったからね」

今度はクロエによる鍛錬で、エウァは毎日泣いていた。だが、三ヶ月も経つとエウァは泣くのをやめた。武術を覚えるのが楽しくなってきた。そしてなにより、クロエといる時間が愛おしく感じられてきたのだ。休学してから半年後、エウァは復学した。エウァの机の上には花の活けられた花瓶が置かれていた。エウァに対するいじめは終わっていなかったのだ。だが、エウァは泣かなかった。

その代わり、クラスメート全員をどつきまわした。エウァの机に花瓶を置いた本人も、共犯者も、それを眺めていた傍観者も全員だ。

「なんだか、考える前に体が動いちゃったんだよ」

騒ぎを目撃した隣のクラスの子供は『教室に嵐が吹き荒れているようだった』と証言した。

エウァにどつかれたクラスメートは、エウァの反撃を恐れてか、皆泣き寝入りしたという。それ以降エウァに手を出すクラスメートはいなくなった。その一方、学校を卒業するまでエウァには友達ができなかった。

「しょうがないよね。それだけのことをやっちゃったんだから」

それでもエウァは寂しくなかった。クロエがいたから。クロエは次期当主としての勉学に励みながら、その合間にエウァに勉強を教えていた。そして、エウァが問題を解くと「よく頑張ったね」と褒めた。クロエはエウァの姉であり、先生であり、一番の理解者だった。エウァはずっとクロエと一緒にいたいと思っていた。クロエと一緒なら自分は幸せだ、と思っていた。

「でも、それも四年前までだったよ。お姉ちゃんは急にボクに対して冷たく当たるようになったんだ」

クロエは変わった。エウァが勉強で間違った解答をすれば罵るようになった。食事のときに、テーブルマナーがなっていなければきつく叱るようになった。また、エウァが話しかけても無視するようになった。エウァは問うた。自分のことが嫌いになったのか、と。それに対してクロエは何も答えなかった。そして、クロエは自宅である屋敷の中にいても、エウァとほとんど顔を合わせることをしなくなった。

「わけがわからなかったよ。あの優しいお姉ちゃんに何があったのか。でも、ボクは泣かなかったよ。泣くことは、ボクを鍛えてくれたお姉ちゃんに対する裏切りだと思ったから」

そして四年前のある日。クロエは家を出て行った。そして帰ってくることはなかった。エウァは父に問うた。どうしてクロエは家を飛び出したのか。父なら何か知っているのではないかと。

だが、父の返事はこともなげだった。

クロエのことは忘れろ。グロピウス家次期当主はお前だ。

その日から、エウァはグロピウス家の次期当主としての必要な勉学、教養を叩きこまれるようになったのだ。エウァは必死になって勉強した。グロピウス家の歴史を知ることで、姉が出て行ってしまった原因を何かつかめるかも知れないと思ったから。少しでも、姉の背中に追いつきたかったから。

「今もその、お前の姉ちゃんの居場所はわかんないのか?」

ガムがエウァに問う。

「うん。わからない。この旅で少しでも情報が得られればって思ってたんだ」

「思ってた? 思ってる、ではなくてですか?」

チギリが問う。

「うん。昼間、お姉ちゃんに似た人を見つけた」

「それって、まさか」

「うん。ここに来る途中、野盗の人たちが馬に乗ってここに向かってたでしょ? その先頭にいた人だよ」

先頭を走っていた銀髪の女。ガムとチギリは確かに目撃していた。遠くだったので顔つきまでは分からなかったが。

「だからガム、チギリ、お願いがあるんだ。ボクを野盗たちのアジトに連れて行って欲しい」

『…………』

ガムとチギリは無言だった。

「このことははっきり言って任務とは関係ない。しかもキミ達の身を危険に晒すだけだ。でも、ボクはどうしても確かめたいんだ。お姉ちゃんが何で家を出て行ったのかを」

「エウァ殿。宿に着いてから何も喋らなかったのは、もしかしてずっとそれを溜め込んでいたのですか?」

「……うん」

頷くエウァ。

「ジョウエイと話してるときも様子がおかしかったのはそのせいか」

「……うん」

頷くエウァ。

「水臭いじゃねえか、エウァ」

「水臭いですよ、エウァ殿」

ガムとチギリが同時に言った。

「お前は俺の雇い主だ。言ってくれりゃなんでもやるぜ?」

「そんな大事なこと、もっと早く言ってくださいよ。それは、任務よりも大事なことなんじゃないですか?」

「……いいの?」

おずおずと尋ねるエウァ。

「当たり前だ」

「当たり前です」

再び同時に答える二人。エウァの顔がぱっ、と明るくなる。エウァはベッドからジャンプして、チギリの体に抱きついた。

「ありがと、チギリ!」

そして次にチギリのベッドからジャンプし、ガムの体に抱きついた。

「ありがと、ガム!」

「離れろ暑苦しい」

「何言ってるですか。こんな可愛い女の子に抱きつかれるなんてそうそうないですよ?」

「俺はガキには興味ないんだ。抱きつくなら俺の分はチギリに抱きついてやれ」

チギリを指差すガム。

「や、チギリは、あの、恥ずかしいです」

言って顔を赤らめるエウァ。

「お前、そういうとこは消極的だよな」

「何を言ってるんだ? ガム」

分かっていない様子のチギリ。

「なんでもねえよ」

お前はそんなだから彼女ができないんだ、とチギリに聞こえないようにガムは小声でつぶやいた。

「なにぶつぶつ言ってるんだ? 仕度して出るぞ」

「まだ夜中だぞ? もう行くのか?」

「団長が言ってただろ。翌朝には出動するって。自警団が野盗のアジトに出向けば逃げられる可能性がある。多少危険だが、夜のうちに移動しよう」

「でも、貸し馬屋はもう閉店してるぞ?」

「それなんだが……、徒歩で行こう」

「本気か? なんでだ?」

今日半日かけて歩いた距離を歩いて戻ろうとチギリは言っているのだ。

「これは推測だが、野盗はおそらく馬が走るときの蹄の音を察知して、自警団から逃げ続けてるんだ。それを避けるためにも徒歩が最善だ」

「うわ~、マジかよ。酒飲むんじゃなかった」

頭を抱えるガム。

「ちなみに何杯飲んだんだい?」

「エールを十杯」

「普段の君の酒量の半分くらいじゃないか。いけるいける」

「他人事だと思いやがって」

「だって、君はエウァ殿と契約してるんだろ? おそらく『雇い主の命令を遵守する』しかし『それ以外で空いた時間での飲酒の権利を有す』と。じゃあ、逆に言えば『酒は飲んでも雇い主の命令は聞く』ってことじゃないか?」

「うわー、嫌なやつ。改めて知ったけどお前性格悪いな!」

「ほら、早く仕度しなよ。自警団が来る前に行かなきゃなんないんだから」

言って、チギリはてきぱきと準備を進める。

「ガム、さっさと出撃の準備をしなさい~!」

エウァがガムの膝の上に座ったまま、ガムの鼻先を指で指した。

「はいはい、分かりましたよ。雇い主の命令は絶対ですよ」

ガムはエウァをベッドに下ろし、装備を整えた。


◆◆◆


夜明け前、ガム達三人は野盗のアジトの目の前に着いていた。チギリの読み通り、馬で来なかったことが功を奏したようだ。街道を戻る途中で、金銭の略奪をしようとしてきたチンピラが二人現れたが、ガムとチギリが一蹴した。

アジトといっても簡易型のテントが数十張立っているだけで、野営という様子だった。各テントのそばに立てられた柵に、馬が二~三頭ずつ繋がれていた。

「さて、どのテントにいるんだろうな。しらみ潰しに探すわけにもいかんし……」

ガムが野盗の陣地に忍び込む。

「誰だ!?」

突然、横から声がした。頭にターバンを巻き、手にはナイフを持っている。歳の頃は二十代後半といったところだ。野盗の一人だろう。夜間の見張りをしているようだ。

「貴様ら、どこから来た?」

「旅の者なんだが、あんたらの仲間の一人に会いに来た。銀髪の女がここにいると思うんだが……」

「怪しいやつだな。今すぐ帰れ。さもなくば斬って捨てるぞ!」

「危害を加えるつもりはない。ただ会って話がしたいんだが……」

「黙れ黙れ! 信用できるか! 帰らないようなら腕力に打ってでるまでっ!」

ターバンの男がガムに飛び掛ってきた。

それを、チギリが横合いから野盗の腕を掴み、逆手にしてナイフを落とさせる。そのままチギリが野盗の後ろに回り込み、レイピアで野盗の喉を軽く突いた。うっすらと血がにじみ出る。

「危害は加えないと約束する。案内してもらえるか?」

チギリが野盗のレイピアを持っていない方の手で野盗の腕を締め上げる。苦しそうにうめく野盗。

「ぐっ、貴様ら……ロクシー様に何の用だ……」

「ロクシー? クロエじゃなくてか?」

ガムが問う。

「銀髪の女でこのアジトにいるのはロクシー様だけだ……」

「まあいい。案内してくれるな? 怪しい動きをすればすぐさま切り捨てる。忘れるな」

チギリがレイピアの先を、更に野盗の皮膚に食い込ませる。野盗の首から一筋の血が滴った。

「……わかった……。案内する……」

「物分りが良くて助かるよ」

チギリがレイピアを鞘に収める。

ターバンの男がアジトのほぼ中心に位置するテントにガム達を案内した。

「ちょっと待ってろ」

言って、ターバンの男がテントの入り口の布越しに声をかける。おそらく中にいるロクシーとやらを呼び出しているのだろう。そしてターバンの男がガム達の元に戻ってきた。

「入っていいぞ。ただし一人だけだ。そして武器の携帯を禁ずる」

ガムは思った。ロクシーの安全の確保とこちらの見張りを兼ねて、か。だが、こちらもターバンの男を見張り、仲間を呼ばれる危険を回避できるな。奴らが別の方法でテントから仲間に連絡を取ることができなければ、だが。ちとこちらに不利だな。……だが、もともと危ない橋だ。これくらいのリスクは覚悟の上、だ。

「ボクが行くよ」

エウァが言った。

「一人で大丈夫か?」

ガムが言う。

「確認できるのはボクだけだ。それに、もし危険なことがあれば、合図するよ。ガムとチギリなら、助けてくれるって信じてるから」

エウァの言葉に、ガムとチギリが無言で頷く。エウァはターバンの男にぺこりと一礼した。

「ケガさせてしまってごめんなさいです」

「……ああ」

ターバンの男はぶっきらぼうに答えた。

「じゃあ、行ってくる」

エウァはテントの中に姿を消した。


◆◆◆


布でできたテントの中。広さは二~三人が入れるほど。一つのランプに照らされた薄暗い空間。その真ん中に、銀髪のツインテールの女が鎮座していた。勝ち気そうなつり目

に、左頬に十字傷の跡がある。歳の頃は十代半ば。部屋着なのだろうか、昼間見た革鎧ではなく、白い麻の服をまとっていた。野盗の頭目というが、どこか品格が漂っている。

お姉ちゃんに間違いない、とエウァは確信していた。

「クロエお姉ちゃん、だよね」

数秒の沈黙。銀髪の女から返ってきた答えは、エウァの期待するものではなかった。

「何を言っている? 私には姉妹などいない。私の名前はロクシーだ」

声も、エウァの記憶する姉のものと同じだった。

「何で嘘つくの? ボクだよ。エウァだよ。忘れちゃったの?」

「だからお前など知らないと言っている。人違いだったなら、帰れ」

ロクシーは取り合おうとしなかった。

「……どうしてだよ。黙って勝手にどこかに行っちゃって。やっと見つけたと思ったら知らんぷりして……! ボクがどれだけお姉ちゃんのことを考えてきたと思ってるんだよ……!」

「…………」

「ボクは! お姉ちゃんに追いつこうと必死で勉強してきた。勉強は苦手だけど、勉強すればお姉ちゃんが何を見てきたのかがわかると思って頑張ったんだ。何回へこたれたかわからない……。すごく苦しかったし、つらかった。でも、お姉ちゃんが『グロピウス家の者は強くあらねばならない』って言ってくれたから。ボクはここまで来ることができたんだ」

エウァは胸元に手を突っ込んで、グロピウス家の紋章を象ったペンダントを取り出し、ロクシーに突きつけた。

「何も言わずにグロピウス家の当主の座をボクに押しつけて、いくらなんでも無責任じゃないか!」

目を血走らせ、肩で息をするエウァ。

「……お前、『時の番人』の家の人間か」

「しらばっくれないでよ」

「じゃあ、今まで『時の番人』が何をしてきたか知っているのか?」

「……世界の危機を知らせる『終末時計』に連動する『懐中時計』の修復。いわば、世界の平和を保つための使命の実行だ」

「では、世界の平和とはなんだ?」

「世界から戦争、病気、貧困、飢餓を取り去った、誰もが安心して暮らせる状態のことだ」

「ご立派。では、例えば戦争はどうやってなくす?」

「国同士が話し合い、相互理解を深め、お互いの立場に立って考え抜くことだ」

「では、起こってしまった戦争はどうやって止める?」

「対話を積み重ねて、お互いに妥協点を決め、被害を最小限に抑える」

「題目は立派。だが、違う」

「……?」

「戦争は強制的に終わらせるんだ。人ならざる者の手によって」

「……どういうこと?」


◆◆◆


「じゃあロクシーが頭(かしら)になってから、余分な略奪はしなくなったのか?」

ガムがターバンの男に聞いた。ターバンの男は名をジェジと言った。野盗のグループの中でロクシーの補佐をやっているという。

「ああ、『盗るのは必要な分だけ。絶対に人は殺さない』という掟を作ったんだ」

「ふぅん。しっかりしてるんだな」

「ロクシー様は先代の頭(かしら)の右腕だった。四年前のある日、どこからともなくふらっと現れて、この盗賊団に入ったんだ。ロクシー様の頭の回転の速さと腕っ節の良さを先代の頭(かしら)が気に入ってな。あっというまに中心的存在になったよ」

自分のことのように、嬉しそうに話すジェジ。

「でも、新入りが頭(かしら)になったんじゃ、不満も出たんじゃないのか?」

チギリがジェジに問う。

「そりゃ、気に入らない奴もいたさ。でも、ロクシー様はそんな奴にこそじっくり、膝を交えるように話をした。そんで、ついにはロクシー様に折れちまうんだ。そんで、さっき言った略奪の仕方を提案した。この盗賊団の奴は皆もともとヤクシの人間だ。同郷の奴を傷つけるのに、心の底では抵抗感があったと思う。オレも含めて。ロクシー様は、そんなオレたちの心を汲んでくれたんだろう。あっという間に、ロクシー様は皆の心の支えになったんだ」

「君は、ヤクシに戻りたくないのか?」

「できれば、戻りてえよ。だけど、こっちだって理不尽に町を追い出されたんだ。落とし前はつけなきゃなんねえ」

「落とし前というと?」

「そりゃ、生活の保証だよ。住むところ、仕事。これがなきゃ、生きてけねえ」

ガムは思った。案外うまくいくかもしれないな、と。野盗たちはヤクシに戻りたいと思っている。そして自警団の方は対話で解決する準備がある。あとは、互いのリーダーがうまく話をまとめられるかどうかだろう。


◆◆◆


エウァは困惑していた。ロクシーがつらつらと語り出す。

「紀元前二八〇年、ガモワカ戦争。ジョウク軍二五万対リカワホ軍三〇万。大洪水によりジョウク軍の軍隊が壊滅。リカワホ軍の勝利。時歴二九八年、クタラカ戦争。マラスカ軍一二〇万対ボンセン軍百万。大地震によりマラスカ軍の軍隊が壊滅。ボンセン軍の勝利。時歴七九九年、マヤガヒシ戦争。ギンオ軍五八八万対ジョウイチ軍五五五万。ギンオ軍に謎の疫病が蔓延し、ギンオ軍が壊滅。ジョウイチ軍の勝利。時歴九八〇年、クロッカ戦争。マタチルマ軍二五〇万対ズデミ軍二八〇万。戦争中に大竜巻が発生し、両軍とも壊滅。両国とも衰退の一途を辿った。時歴一三四八年、ジョニィ戦争。ワラチマカ軍三四万対ジョゴウ軍六二万。近隣の火山の大噴火でワラチマカ軍が壊滅。ジョゴウ軍の勝利。そして時歴一六七八年、クロノス王国軍五〇万対イケオ軍四五万。地中からの毒ガスの発生によりイケオ軍が壊滅。クロノス王国は勝利した。そして現在の繁栄がある……。『時の番人』なら、これが何を意味しているかわかるな?」

エウァの顔が青ざめる。

「……全部、懐中時計の修復が行われた年号と一致する……まさか」

「そうだ。戦争が終結したから『終末時計』の針が戻るんじゃない。『終末時計』に連動する『懐中時計』を修復するから戦争が終結されるんだ。天変地異によって、どちらかが強制的に大敗させられる。そして敗北した国は勝利した国に併呑されるんだ。そして今でも世界で大規模な戦争は続いている」

「じゃあ、疫病や貧困、飢餓をなくすのは……」

「言わなくてもわかるだろう。基本的には同じだ」

疫病にかかった患者が救われるのではなく、疫病にかかった患者が全員死ねば、疫病は無くなる。

貧困、飢餓に苦しんでいる人は、貧困の果てに飢えて死んでしまえば、貧困、飢餓は無くなる。地図から、世界から消える。

「そんな……! グロピウス家がやってきたことって……!」

「殺戮だ」

「……!」

「しかも何十万、何百万というな」

「……嘘だ、そんな……」

「しかも自分の手は汚さない。殺人犯の方が、まだましに思えてくるよ」

「……嘘だ……。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ!!!」

「『懐中時計』の修復という行為は、世界を『平和』にするシステムだ。世界から負の要素を排除する。実に簡単な引き算だと思わないか?」

「……………………嘘だ……」

「信じる信じないはお前の自由だよ。私はお前とは無関係だ。戯れ言だと思って聞き流せばいい」

それは聞き流すには重すぎる言葉だ。エウァは世界平和のために務めることが、グロピウス家の使命と信じてやってきた。

だがエウァは心の中で叫んだ。

何十万、何百万の人間を犠牲にすることで得られる平和っていったい何なんだ!?

「お前は、私の言ったことが仮に真実だったとして、それを背負って生きていけるのか?」

「………………」

エウァは何も言えなかった。

「話はそれだけか? ならばもう、帰れ。お前は、連れを危険に晒してまで得るものがあったのか?」

「………………」

そのとき、テントが外側から開かれた。ジェジだった。

「お頭(かしら)、敵襲です。ヤクシの町の奴らです」

「全員に迎撃体制を取らせろ。私も出る。陣地の前線に横列で待機。私が合図するまでは攻撃するな」

「了解。ところで、こいつらはどうします?」

ジェジがガム達の扱いを尋ねる。

「見張りを二人付けて前線から遠ざけておけ」

「了解。……おい、来るんだガキ」

ジェジがエウァの法衣の襟を掴み、テントから連れ出そうとする。自警団を出迎えるため服を着替えようと、エウァに背中を向け服を脱ぎ始めるロクシー。

「…………!」

エウァはその背中に見覚えのあるマークを認めた。……あれは逆針の徒の……?

しかし、矢印が内向きに頭を合わせず、どちらも上向きに並んでいる。

ジェジに掴まれたまま、エウァがロクシーに尋ねた。

「……ねえ。あなたは、ボクのお姉ちゃんですか……?」

「…………私はロクシー。盗賊だ」

エウァはジェジにテントから連れ出された。


◆◆◆


野盗がアジトを構える草原。時刻は早朝。野盗達とヤクシの自警団が対峙してる。それぞれ横一列に馬を並べ、騎手は弓矢を携えている。野盗の方が五十騎ほど、自警団の方が三十騎ほどである。そして野盗の中心に革鎧に着替えたロクシー、自警団の先頭にジョウエイが立っていた。ガム、チギリ、エウァの三人は、野盗の二人に見張られる形で、前線から少し離れたテントの陰で成り行きを見守っていた。

ジョウエイがロクシーに言う。

「今日は話し合いに来た。危害を加える気はない」

「どうだか。ならその身につけている武器を捨てなよ」

ロクシーは警戒を解かない。

「わかった。武器を捨てよう」

「ジョウエイさん、本気ですか?」

ジョウエイの隣に位置していた、副官らしき男性がジョウエイに確認する。

「大丈夫だ。殺すつもりなら略奪に来たときにとっくに殺してるはずだ」

ジョウエイが団員に弓矢を捨てるように号令を出す。弓矢を手放す団員。

「これでいいか?」

ジョウエイがロクシーに問う。

「いいだろう。それで、話というのは?」

「ヤクシの町に、これ以上危害を加えないでほしい」

「それは無理な相談だ。こちらだって飢えて死ぬわけにはいかない。必要な物資は略奪させてもらう」

「もちろん、無条件ではない。こちらには、君達を受け入れる準備がある」

「受け入れる準備というのは?」

「住居と、仕事だ」

「私たち全員分があるのか?」

「住居は今日のこの話がまとまれば急遽着工する。仕事は、現在農地を新規開拓中だ。人手が必要なんだ。これは、町長の誓約書だ」

言って、ジョウエイは懐から羊皮紙を取り出した。ロクシーに近寄り、羊皮紙を手渡す。

「確認してくれ」

「いいだろう」

ロクシーは羊皮紙に書かれた内容を確認した。先程ジョウエイが申し出た条件が、漏れずに記載されている。町長の印鑑も本物だった。

「どうやら本物のようだな」

「もちろんだ。……それで、この条件を飲んでくれるか?」

ロクシーは首を横に振った。

「いや、私たちが町に戻ったとしてもしばらくは生活に困るだろう。私たち全員に三ヶ月分の生活費を用意してくれるなら、条件を飲もう」

「……わかった。町長に掛け合うことを約束しよう」

「必ずだぞ」

ロクシーは思った。やっと、報われる時が来た。この盗賊団に入って四年。はっきり言って、ここの人間は家族のようなものだ。行くあてのなかった私を拾って、可愛がって、そして頼りにしてくれた。私はみんなの期待に応えて、恩返しがしたかった。ようやく、ようやくみんなが町に戻れる時が来たんだ……。ロクシーは数瞬、感慨に耽っていた。

直後。

ロクシーの体に小さな衝撃。ロクシーは次の瞬間、自分の目を疑った。胸に矢が突き立っていた。

「……え?」

何が起きたのかわからなかった。矢尻の向こうを見ると、自警団の一人が弓を構えていた。

気弱そうな顔の中肉中背の男、トマサだった。息を荒げ、今にも泣きそうな顔をしていた。

「お前らが……、お前らが僕から妻を奪ったんだ……!」

ジョウエイが振り返り、トマサに駆け寄り、顔を殴り付けた。地面に転がるトマサ。

「ば……っかやろう!! なんてことしてくれたんだお前は!」

殴られた顔を押さえながら、うわずった声でトマサが言う。

「……だって、おかしいじゃないですか……。何の罪もない妻が殺されて、妻を殺した盗賊どもがのうのうと町で暮らすようになるなんて……!」

「……だが、過去は過去だ! 受け入れなきゃならないんだよ!」

「僕にはそんなの無理です! なんで、一緒に殺してくれなかったんですか! なんで、僕だけ生きてるんですか!」

トマサの言葉は支離滅裂だった。

「まずいことになった……」

ジョウエイがつぶやいた。

野盗たちも突然のことに全員が動揺していた。

地に伏したロクシーを、ジェジが仰向けに抱き起こしている。ロクシーの近くにいた野盗の数人も彼女に駆け寄った。

「お頭(かしら)! しっかりしてください!」

ジェジが必死に呼びかける。

「あ……ジェジ……? ……みんなは……平気……?」

ロクシーが熱に浮かされたようにつぶやく。その瞳はうつろだった。

「こんなときに何言ってるんですか! 自分の心配をしてください!」

「はは……、わたし……だめだな……。みんな、わたしに良くしてくれたのに……、わたしはぜんぜん……お返しができないや……」

「そんなことないです! お頭(かしら)は、荒みきってたオレたち全員に希望を、人間らしい心をくれました! これからも生きて、今度はおれたちに恩返しさせてください!」

「……もう、むりだよ……。たすからない……。でも、こんなふうに、みんながいるなら、わたし、こわくないや……」

「そんなこと言わないで下さい! きっと、きっと助かります。こんな矢、すぐに引き抜いてあげますから!」

ジェジがロクシーに刺さった矢を掴む。

「やめろ! 心臓が破裂するぞ!」

駆けつけたガムがジェジを制止した。チギリ、エウァも駆けつけた。

「お姉ちゃんっ!!!」

エウァがロクシーに抱きついた。

「お姉ちゃん! しっかりして! そうだ、薬があるんだよ! これを飲めば心臓だって……!」

マヤタキでデンゼルにもらった薬をリュックから取り出すエウァ。その手をチギリが掴んだ。

「……無駄です。エウァ殿。それは強心剤のようなものです。彼女は心臓を貫かれている。……もう、助かりません」

チギリの冷徹な言葉に、エウァは抵抗した。

「手を離してよチギリ! やってみなきゃわかんないじゃんかっ! 離せ、離せよバカっ!」

「エウァ殿……」


ぱんっ


乾いた音があたりに響いた。ガムが平手でエウァの頬を打ったのだ。

「喚くなエウァ。俺たちは何十人もの人の死を見てきた。だからわかる。もうロクシーは助からん。だったら、ロクシーの最期の言葉を聞いてやれ」

「…………」

黙り込むエウァ。

「……おまえ、まだいたのか……」

ロクシーが今にも消えそうな声でエウァに言う。

「……みっともないとこ、見られたな……。……なんだ、そんなに顔をゆがめて……? 笑えよ……かわいいんだから……」

エウァの脳裏に姉の言葉が蘇る。エウァは可愛いんだから笑いなよ、と。

「お姉ちゃん……、死んじゃ、やだよ……」

ロクシーがゆっくりと、エウァの頬をなでた。

「……だから、わたしはおまえのおねえちゃんじゃない……って、いってるだろ……。わたしは……おまえが……だいきらいだ……。でも、……おまえは…………いきろ……!」

ふっ、とロクシーの体の力が抜け、エウァの頬に添えられていた手が地面に落ちた。彼女の目から光がすぅー、と消えていった。

「お姉ちゃん……? お姉ちゃん!」

ゆさゆさとロクシーの体を揺さぶるエウァ。しかし、二度とロクシーが動くことはなかった。

「う、わ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

エウァが天に向かって、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

ジェジがゆらりと立ち上がる。

「ちくしょう……あいつらよくもおかしらを……! 許さねえ! ぶっ殺してやる!」

ジェジが手にした短剣を天に掲げた。

「みんな! おかしらの弔い合戦だ! 自警団の奴ら全員ぶっ殺せ!」

野盗たちの雄叫びが大地に響く。自警団もそれに応じ、弓矢を手に取り、迎撃体勢を取る。

両者の緊張は最高まで高まっていた。そこにエウァがふらふらと、両者の間に割って入った。

「あのバカ、何考えてんだ!」

「ガム、追いかけよう!」

二人は立ち上がり、エウァめがけて駆けだした。

「もう……やめて」

エウァが言った。

「もう……いやだよ」

エウァが言った。


もう、人が死ぬのなんて見たくないんだッ!!!


「……戦いを、やめてよ……! みんな、故郷に帰りたいんだ……。みんな、帰りを待っている人がいるんだ……。だから、もうやめようよ……。もう、おうちに帰ろうよ……」

エウァが野盗たちに向かって言った。

「……ジェジ……。ロクシーが望んでいたことは、なに? こうやって、戦うこと? そして皆が血を流すこと……?」

「…………!」

ジェジは自身の唇を噛み破りながらも、必死に怒りを抑えていた。

「違うでしょ……? お願い、どうかみんなの怒りを鎮めて……」

そしてエウァが自警団に向かって言った。

「……ジョウエイ、争っちゃだめだ。ここで戦えば、ヤクシの人たちはずっとばらばらのままだよ……。そんなの、キミ達だって本当は望んでない……」

そして、草原の彼方に叫ぶ。

「戦いをやめてよ!!!」

エウァが叫んだ直後に、すさまじい衝撃音が戦場に響いた。野盗と自警団の全員に動揺が走る。

ガムがエウァのそばにあった大岩を長剣で砕き、チギリがエウァのそばに立っていた樹木をレイピアで倒壊させていた。土煙が晴れ、エウァの姿が現れた。

ガムが長剣を、チギリがレイピアをそれぞれ構えた。

「戦闘を始めようってんなら」

「僕たちがまとめて引き受けましょう」

砕かれた大岩と倒された樹木を見て、野盗も自警団も意気消沈していた。自警団の一人が武器を放り捨てた。すると、野盗の一人が武器を放り捨てる。そして、両者は次々と武器を放り捨て、互いに引き上げていった。

ガムとチギリが、地面に手をつき、俯いたエウァの肩を叩いた。

「さあ、エウァ」

「僕たちも帰りましょう」

エウァは顔を上げ、

「………………………………うん」

とだけつぶやいた。

エウァがロクシーの背中に認めたマークについて、エウァは何も喋ることはなかった。


◆◆◆


戦闘から三日後。ヤクシの町は落ち着きを取り戻しつつあった。ガムとチギリは宿屋の部屋にいた。

天気は雨。宿の客室にはガムとチギリの二人だけ。ガムが口を開く。

「ジョウエイに聞いたんだが、トマサの妻は、ロクシーが野盗の仲間になる前、野盗の襲撃で殺されていたそうだ」

「それでトマサは、対話で決着をつけるという自警団の意向を無視して矢を放ったのか」

「そしてそれはロクシーの命を奪った。そのはずみで野盗たちは暴走しそうになったが、エウァが体を張って止めた。……まったく、あの小さな体のどこにあんな度胸があるんだか。感服するぜ」

チギリがふと疑問を口にする。

「そういえば、ロクシーは本当にエウァ殿の姉なんだろうか?」

「エウァが『間違いない』って言ったんだ。そんなら本当なんだろ」

ガムとチギリは、先日のエウァとロクシーとのやりとりをエウァから聞いていた。ガムも疑問を口にする。

「ところで、なぜロクシーは頑なにエウァの姉であることを認めようとしなかったんだ?」

「推測だけど……、無関係を装うことでエウァ殿を守ろうとしたんじゃないかな」

「守る?」

チギリが頷く。

「グロピウス家は有史以前から続く名門だ。家の人間が盗賊団の人間、しかも頭目だということが知れたらメンツは丸潰れだ。そしてその影響全てが次期当主であるエウァ殿に降りかかる。ロクシーはそれを避けるために無関係を装ったんだろう」

「エウァの姉ちゃんは、最後までエウァの姉ちゃんだったってことか」

あくまで推測だけどね、とチギリ。

「ところでチギリ、今後どうするつもりなんだ?」

「どうするって、何がだい?」

「この任務のことだよ」

懐中時計の修復。それは、人々に多大な犠牲を強いるシステム。世界から負の要素を強制的に排除するカラクリ。

「……僕は、全体の安定のために何百万の人の命を犠牲にすることを認める訳にはいかない。そんなことで実現される平和はまやかしだ。そんなことで手に入れられる幸せは偽物だ」

「じゃあ、どうするんだ?」

「場合によっては、エウァ殿を止めるつもりだ」

「それは、エウァを殺してでもってことか?」

「…………」

チギリは返答しない。

「やっぱお前はまじめだな。まあ、そこがいいとこなんだが」

「そういう君はどうするつもりだい?」

チギリがガムに問う。

「俺は傭兵だ。エウァの意向に従うさ。もともとそういう契約だからな」

「僕と、敵対するとしてもか?」

「ああ。そのつもりだ」

二人の間の空気が硬くなる。

しばらくにらみ合ったあと、ガムが肩をすくめた。

「……だが、たぶんそうはならねえ」

「……どういうことだい?」

「ロクシーがエウァに言ったことが真実とは限らねえってことだ。戦争の勝敗を決した大災害が本当の本当に偶然かもしれないし、疫病の根絶にしたって最終的に村を全滅させるという作戦を決めたのは人間だ。そこに懐中時計の修復が関与したって証拠はどこにもないんだ。うがった見方をすれば、グロピウス家、ひいては国が単に権威を保つためにこじつけた可能性だってある」

「……そんな大それた嘘ってあるかい?」

呆れたように言うチギリ。二人の間の空気が元に戻った。

「子供がよくやるだろ? 一度嘘をついて後に引けなくなって、その嘘を隠すために更に嘘をつくってことが」

「それと同じことを国がやってると?」

「あるいは、な。……というより、人間がそんな時計ごときに踊らされているなんて癪じゃねえか」

「確かに……。僕たちは自分の意志で生きている」

「きっと犠牲を出さずに進む道だってあるはずだ」

「そうだね。それを探せばいいだけの話だ」

二人が不敵に微笑んだ。

「ところで、エウァはどこに行ったんだ?」

ガムがチギリに問う。

「君が寝ている間に出かけたよ」

「ついて行かなかったのか?」

「もちろん護衛を申し出たさ。だけど『一人にしてほしい』って何度も言われてね」

「そうか……」

ガムとチギリの間にしばらく沈黙が降りた。

「それでも、心配だな。迎えに行こう、チギリ」

「……そうだね」

言って、ガムとチギリは宿を出た。


◆◆◆


降りしきる雨。エウァは雨に打たれながら、町の共同墓地にいた。墓地の隅に立てられた木の十字架。その根本に人の頭ほどの大きさの、丸っこい石が置かれていた。石には『ROXY 1712~1728』と掘られている。元野盗たちによって作られた小さな墓だった。石の前には野に咲いていた花が供えられているが、雨で水浸しになっていた。

「………………お姉ちゃん……」

エウァがつぶやく。しかしその声は雨の音にかき消される。エウァはずぶ濡れだった。しかしそんなことには気付かないかのように、じっとロクシーが眠る墓の前に佇んでいた。

「お姉ちゃんはなんで出て行っちゃったの……? お姉ちゃんが言ったことは本当なの……? だとしたら、ボクは何のために旅をしてるの……?」

答えの出ない質問が口から漏れる。

「これからボクは、誰を追いかければいいの……?」

エウァの前にはもう、姉の背中はない。エウァの目標だったものは、エウァに何も答えないまま去ってしまった。

「……ボクは……ボクは…………ボクは…………ボクは………………………………………………………………」

「風邪引くぞ」

エウァを打つ雨が途絶えた。エウァが後ろを振り向くと、ガムがエウァに傘を差しだしていた。チギリも傘を差し、ガムの隣にいた。

「………………ガム、どうして……?」

青白い顔でつぶやくエウァ。

「どうして、ってお前が一人で出かけたっていうから、心配になって」

ガムが言い終わらないうちに、エウァはガムの手から傘をはたき落とした。そしてがばっ、とガムの胸倉に掴みかかった。

「どうしてお姉ちゃんは死ななきゃならなかったんだっ!!!!」

目を見開き、ガムに食ってかかるエウァ。

「どうしてあんなに優しいお姉ちゃんが死ななきゃならなかったんだっ! ボクに優しくしてくれて、いつだってボクの味方でいてくれてっ! ボクが困って、苦しんでいるときに助けてくれた! 父様よりもボクのことを理解してくれた! なんでボクの大好きな人が死ななきゃならないんだっ! 理不尽じゃんか! そんなの理不尽じゃんかあっ!」

「おい、エウァ」

なおもエウァは止まらない。

「ボクはお姉ちゃんが生きてさえいれば幸せだったっ! 世の中には死んだっていいような奴がいくらでもいるじゃないかっ! 殺人犯や強盗犯、腐った為政者に私服を肥やす教皇に悪法を敷く国王! ボクをいじめた学校のやつだってそうだ! いくらでもいるじゃんかあっ!!」

「エウァ殿……」

チギリが困惑したようにつぶやく。

「……ボクは………! ボクは……もう一度お姉ちゃんに……」


よく頑張ったね、って褒めてもらいたかったッ!!!


その言葉をはずみに、エウァの目から大粒の涙が溢れ出す。宿で暗殺者に襲われようと、崖でガムに放り投げられようと、目の前で大切な人を失おうと決して、彼女は泣かなかった。

エウァはガムを掴んでいた手を離し、顔をぐしゃぐしゃにし、人前をはばからずにしゃくりあげる。

子供らしい、本当に子供らしい泣き声が雨の中に響いた。

「ガムは、チギリは大人なんでしょ!? ボクより頭がいいんでしょ!? だったら答えてよ!! なんでお姉ちゃんは死ななきゃなんなかったんだっ!!」

ガムがエウァに言う。

「……エウァ。人は死ぬ。そこには優しさも、冷たさも、善も悪も関係ない。戦争や事故、病気で人は死ぬ。俺から言わせればお前はまだマシだ。さよならを言う時間がないことなんてザラだからな」

それは昔、ガムとチギリもかつて通った道だった。

「だけど……! だけど……! そんなの納得いかないよ……!」

「エウァ、よく思い出せ。ロクシーは最期にお前になんて言った?」

ロクシーはエウァに言った。お前は生きろと。

「お前の姉ちゃんが残したものは何だ?」

「お姉ちゃんが、残したもの……?」

「ああ」

野盗はヤクシの町に受け入れられることになった。それは、ロクシーが野盗の信頼を得て、野盗をまとめあげ、ヤクシの自警団と和解交渉を行ったからだ。だから野盗は故郷に帰ることができた。

エウァの姉はエウァをいじめから救ってくれた。勉強を教えてくれた。一緒に遊んでくれた。雷が怖くて眠れない夜は添い寝をしてくれた。安らぎをくれた。

「…………お姉ちゃん…………」

「お前の姉ちゃんは決して無駄に死んだわけじゃない。お前の姉ちゃんは誰かに何かを与えていたはずだ。エウァ、お前はそれを決して忘れちゃいけない。生きている限り、お前が姉ちゃんの思いを、残したものを大事にしなきゃならないんだ」

「…………お姉ちゃんが、残したもの……」

「お前が、お前の姉ちゃんの死を無意味にしてはいけない。わかったか?」

「………………………………うん」

エウァが小さく頷いた。

「宿に戻ろう」

ガムがずぶ濡れのエウァを背負い、三人は宿に戻る。


◆◆◆


翌朝。ガム達の部屋。ガムが目覚めると、部屋の中にエウァの姿はなかった。チギリは就寝中だった。

昨日、エウァを宿に連れ帰ったあと、エウァは一日中ベッドで寝ていた。ガムとチギリは食事を勧めたがエウァは一口も食べなかった。

「あいつ、また……」

ガムは木綿の半袖シャツと長ズボンという軽装に着替え、ブーツを履いてエウァを探しに宿を出た。雨は上がり、朝日が差していた。

共同墓地を目指そうとしたガムだが、エウァは宿屋のすぐ外にいた。太陽の方を向いて背伸びをしている。いつもの法衣は洗濯して部屋で乾かしているため、白のワンピースという簡素な格好だった。肩口で揃えられた銀髪が朝日にきらきらと反射する。

「こんなとこで何してるんだ、エウァ?」

ガムが声をかけると、エウァが振り向いた。

「おはようです、ガム」

エウァが微笑み、ガムに挨拶する。昨日泣きはらしていたためか、目が若干充血していた。

「ああ、おはよう。もう、起きて大丈夫なのか?」

えへへ、とエウァがはにかむ。

「昨日は取り乱して、ごめんなさいです。だいぶ落ち着きました……。ガムのおかげです」

「まあ、あんだけのことがあったんだ。俺のことは気にすんなよ」

「ガムは、優しいですね」

「ん? ああ、お前は俺の雇い主だからな。これも仕事のうちだよ」

「もう、素直じゃないですね」

ぷくぅ、と頬を膨らませるエウァ。

「でも、ありがとうです」

「ああ」

宿の扉が開く。中からガムと同じく半袖に長ズボンをはいたチギリが出てきた。見た目は軽装だが、腰にはレイピアを下げている。

「エウァ殿。こんなところにいたんですか。もう、いいんですか?」

「おはよう、チギリ。もう大丈夫だよ」

「本当ですか?」

言ってエウァの額に手を当てるチギリ。思いも寄らなかったチギリの行動にエウァが赤面する。

「ほら、熱がありますよ。傘も差さずに長時間雨に打たれてたから。まだ寝てなきゃダメですよ」

「ち、ちがうちがう、これは、チギリが触ってるからっ」

「なに言ってるんです? そうじゃなくてもここ数日歩きっぱなしだったから疲れが溜まってるんですよ。ほら、部屋に戻って休んでください」

チギリがエウァを抱き上げた。いわゆる『お姫様だっこ』というやつだった。エウァがますます赤面する。

「大丈夫って言ってるでしょ離せばかっ!」

チギリの頬を平手で打つエウァ。思わぬ攻撃にチギリはエウァを尻から地面に落としてしまった。座ったまま尻を押さえて痛がるエウァ。

「す、すいませんエウァ殿! 殴られるとは思わなかったので……」

「……いた~~~~……チギリのばかぁ……!」

恨めしい目でチギリを睨むエウァ。にやにやしながらガムが言った。

「チギリ、お前とんでもないことするのな。……色んな意味で」

「ぼ、僕はエウァ殿の体が心配で……」

「俺はそのうちお前が刺されないか心配だよ」

「どういう意味だ?」

「わかんねえならいいよムッツリスケベ」

「なんだと? 聞き捨てならないな」

つかつかとガムに詰め寄るチギリ。

「はいはい、もう、チギリもガムも喧嘩しないで」

エウァが仲裁に入る。

「申し訳ありません、つい熱くなってしまって……」

「ボクは本当に大丈夫だから……。でもチギリの気持ちは嬉しかったよ、ありがとう」

にっこり微笑むエウァ。

「ところで、これからのことなんだけど。二人とも聞いてくれる?」

任務のこれから。ガムとチギリはエウァの話に耳を傾ける。

「ボクがお姉ちゃんから聞いた『懐中時計』の修復内容について、キミたちはどう思う?」

「それが真実ならとんでもない虐殺行為だ。認めるわけにはいかない。だが、俺は傭兵としてお前に雇われた。だからお前の意向に従うつもりだ」

ガムが答えた。

「……僕も、懐中時計の修復によって発生する犠牲を認めるわけにはいきません。仮にそれが真実だとするなら、エウァ殿を止めます。僕は騎士ですが、それは僕の正義とするところに反します」

チギリが答えた。

「そう、よくわかったよ」

「お前は、どうするつもりなんだ?」

ガムがエウァに問う。

「ボクは、旅を続けるよ」

エウァの言葉に、チギリが緊張する。

「……では、エウァ殿は懐中時計の修復による犠牲に目をつむると?」

「ううん。違うよ」

チギリの問いに首を振るエウァ。

「懐中時計の修復によって起こる人々の甚大な犠牲。そんなものは認めない。そんなもので得られる平和は、平和とはいわない」

「では、旅を続けるというのはどういうことですか?」

「お姉ちゃんの言っていたことは本当だと思う。だけど、それが真実だっていう証拠はどこにもない。戦争中に偶然大災害が起こったって可能性はなきにしもあらずだ。それに、ちょっと引っかかることがある」

「引っかかること?」

ガムがエウァに問う。

「うん。歴史上記録が残ってるだけで、懐中時計の修復は十八回行われている。だけどその周期はバラバラだ。中には五百年も修復が行われなかった場合もあるんだ。皮肉だけど人間の歴史上、そんな長期間戦争が起こらないなんておかしい。そこにきっと懐中時計の修復に頼らない平和の実現の方法があったと思うんだ。ボクはそれを確かめるために旅を続けたい」

「では、懐中時計の修復は……」

「修復するかどうかは現時点では決められない。だから、修復師に会って確認する必要がある。彼らは懐中時計の修復に関する真実を知ってるはずだから」

エウァが首から下げた懐中時計を、ワンピースの胸元から取り出してガムとチギリに見せる。針がコチコチと時を刻んでいる。

「二人とも、これからもボクについて来てくれる?」

「もちろんだ」

「もちろんです」

ガムとチギリが頷く。

「おーい、あんたら」

通りの向こう側からガム達を呼ぶ声。自警団のジョイエイがやってきた。早朝にも関わらず皮鎧を来ている。どうやら巡回をしているようだった。

「おはようさん。ちょっといいか?」

ジョウエイが懐から紙切れを取り出す。ゴウゾの似顔絵が描かれた紙だ。

「この男なんだが、団員の一人のザミが知ってたぞ。だいたい三年前、マヤタキからの街道で行き倒れているのを見つけたそうだ。何日も食べてない様子だったから、干し肉やパンと水を与えたそうだ。その礼に、ザミは壊れてた腕時計を直してもらったそうだ」

エウァがジョウエイに問う。

「どこに行ったかってわかる?」

「ああ、クジョウに行くって言っていたそうだ」

「ありがとうです」

ジョウエイにぺこりと一礼するエウァ。

すると、ジョウエイがばつが悪そうに後ろ頭を掻いた。

「その、悪かった。あんたらをこの町のごたごたに巻きこんで、命の危険に晒してしまって。この通りだ。許してくれ」

エウァ達に深く頭を下げるジョウエイ。

「や、やめてくださいですジョウエイ。ボクたちこそ勝手にアジトに行ったのですから」

それに、一時危険に陥った原因はトマサの暴走だ。しかし、それを言ったところでこのジョウエイという男は団員の行動にひどく責任を感じてしまうだろう。

「こうして無事だったですから、どうか顔を上げてくださいです」

エウァの言葉にジョウエイが顔を上げる。

「それでも面目ねえ。おれにできることがあれば言ってくれよな。なんでもやるからよ」

この男は何かさせないといつまでも責任を感じたままになりそうだった。だからエウァは提案した。

「そういえばボク、お腹空いたからおいしいご飯を出してくれる店に連れてってよ」

「なんだ? そんなのでいいのか?」

ジョウエイは拍子抜けしたようだった。

「それともうひとつ。ジェジを連れてきてほしいんだ。できるかな?」

「ジェジ? ああ、あいつは喧嘩っ早いが話はできる奴だ。でもなんでだ?」

不審そうに聞くジョウエイ。

「話を、聞きたいんだ。おね…………ロクシーがどんな人だったのかを」

ジョウエイは、エウァがなぜそんなことを言うのか不思議に思ったが、はっとした。改めてエウァを観察する。

ロクシーと同じ銀髪、顔つき。目元はロクシーの釣り目とは違い、目尻が緩く下がったぱっちりした目だ。しかし、エウァが纏うどこか品格のある雰囲気は、ロクシーのそれとそっくりだった。もしかしたらロクシーの妹かもしれんな、と思った。だが、ジョウエイは何も問わなかった。

「……ああ。わかった。任せておけ。必ず連れて来よう」

ジョウエイの案内で、エウァ達はこの町一番の料理を出す店に案内された。

余談だが、ジョウエイがロクシーとエウァについて感じたことを口にすることは生涯なかった。

またガム、そしてチギリはこのときまだ気付いていなかった。終末時計の進行により、エウァの体に異変が起こりつつあることを。

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