第3話 過去からの刺客

真っ赤に燃えている。揺らめく炎の前に一人の男。遠い記憶の底に息づくかつての惨劇。男は一日だって忘れたことはなかった。刃を向ける相手が違おうとも、男にとっては一向に構いはしなかった。恨みをぶつける誰かを、少しでも惨劇に関係のある誰かを、自分が味わった絶望に叩き落とさなければ気が済まなかった。男は笑った。それは暗く、乾ききった、決して届かぬ自身の過去へ向けた笑いだった。


◆◆◆


「どうか、孫を助けてくだされ!」

老人がガム達に頭を下げている。老人は名をデンゼルといった。白髪の、口の周りにひげを蓄えた中肉中背の老人だ。

ガム達がいるのはカイリンツメから三十キロメートル程北上したマヤタキという寒村だ。かつては薬草の産地として有名だったが、ここ十年ほど薬草が出回っている様子はなかった。村に入ったガム達は、小さな宿を訪れ寝床を確保した。部屋に荷物を置き、ゴウゾの行き先を探そうと仕度をしていたら、村長だというデンゼルがガム達の部屋を訪れたのである。

デンゼルがガム達に依頼があるというので、話を聞くためにデンゼルの家に移動した。ガム達が家に入れてもらうと、土間の上に木製のベッドが四台置かれ、そのうち二台に二人の人間が横たわっていた。

大人の男と、男の子。

大人の男は働き盛りの三十代前半くらいの歳。黒の短髪で全体的に筋肉質だが、腕の筋肉が特についているようだ。傷を負っているのか、全身の至るところに包帯が巻かれている。彼は今は眠っているようだった。

男の子の方は十歳に満たない程だ。服を着ていない部分、つまり腕や顔が異常にやせ細っている。呼吸も小さく、顔色も青白い。明らかに正常な状態ではなかった。意識があるかどうかも怪しい。

「これは、わしの息子のルマンドと孫のドッポですじゃ」

デンゼルが言う。

「これは、もしかして……」

男の子を見てチギリが何かに気付いた。

「そう。ドッポは風土病にかかっておる」

「風土病?」

エウァが聞き返す。

「この村の独特の病気でな。全身の筋肉が弱って、徐々に衰弱し、動けなくなって死んでしまうんじゃ。ここ何十年もこの病気にかかる者はおらなんだが、なぜわしの孫に限って……」

「じいさんよ。この村は確か、病気に効く薬草が数多く取れる地域じゃなかったか?」

ガムがデンゼルに問う。

「かつては、な。この村の北側にあるポポ山で、わしら村人は薬草の栽培をしておった。山の気候でしか育たん貴重な薬草もあったでな。一時は王国や都市部にも卸しておった。しかし、十数年前から山に山賊が住み着いてしまったのじゃ」

「山賊、ですか?」

チギリが問う。

「そうじゃ。やつらは山を根城にし、薬草を栽培している村人を襲うようになった。何の訓練もしていないわしらには対抗する術がなかった。そのまま薬草の栽培は打ち切りになった。今でも村の近くでは何種類かの薬草は育てておるがの」

「お孫さんの病気は、それらの薬草は効かなかったのですか?」

「もちろん全て試した。じゃが、症状の進行を遅らせることはできても、根本的に治るものはない。本当に必要なのは、かつてポポ山の山頂で栽培していたハルヨモギだけじゃ……」

「でも栽培は十数年前に打ち切ったんだろ? まだあるのか?」

ガムが問う。

「わからん。だがハルヨモギは生命力が強いから、おそらく自生しておる。それを取りに行こうと、ルマンドを含め村の若い衆が四人、山頂を目指したんじゃが、途中で山賊に襲われたのじゃ。皆、幸い命は取り留めたものの、ルマンドのように大怪我を負ってしまった。わしらにはもう、どうすることもできんのじゃ」

「そこに俺らが現れたってわけか」

「そうじゃ。失礼じゃとは思ったが、宿屋の店主から話を聞いたのでな。王国の騎士の鎧を着けた男が泊まりに来ていると。神の思し召しじゃと思い、飛び出してきたのじゃ。ガム、チギリ、エウァと言ったか。どうか頼む。わしの孫を助けてくだされ!」

三人に頭を下げるデンゼル。

「もちろんです。僕達がなんとかします」

返答するチギリ。

「ありがとうございますじゃ! 十分な礼はできませんが、できるだけ用意させてもらいますじゃ」

チギリの手を掴みとるデンゼル。

「おい、チギリ」

ガムがチギリをデンゼルから引き離し、デンゼルに聞こえないように言う。

「お前、今の雇い主はエウァだぞ? 先ずはエウァの意向を聞かなきゃ、お前が勝手に決めたらダメだろ」

そこで初めて気付いたようにチギリ。

「あ、すまない。つい……」

「気持ちはわかるが、俺に謝ったってしょうがねえだろ……。エウァ、ちょっといいか?」

ガムがエウァを呼ぶ。

「なに?」

エウァがガムを見上げながら言う。

「こいつ、今突っ走って依頼を受けちまったけど、どうなんだ? 俺らの雇い主はお前だ。お前が決めないと俺らは動けない。この依頼受けるのか?」

「もちろん、受けるよ」

エウァの答えに迷いはなかった。

「目の前で困ってる人をほっとけない。ボクたちの目的は懐中時計の修復だけど、それだけやればいいってわけじゃない。目の前で苦しんでる人を救えない人が、世界を救うなんてことはできない」

「なら、いいんだな?」

エウァに確認するガム。

「けど、こういう場合勝手な判断はして欲しくないな。ボクはキミ達の安全も守らなくちゃならない。もしキミ達が命を危険に晒すような怪我でも負えば、本来の目的は達成できなくなる。分かった? チギリ?」

「はい、申し訳ありません」

エウァに頭を下げるチギリ。

「分かってくれればいいんだ。ボクは、キミ達には無事でいて欲しい」

キミ達には。ガムはエウァの言葉に何か引っかかりを覚えた。何が、どうという具体的なことは分からないが、一種の諦めにも似た感情が混じっているような。

「ところで、ガム。キミはいいの?」

「ん、何がだ?」

思考中だったため、ガムは反応が一瞬遅れた。

「この依頼だよ。ガムは何も言ってないでしょ? ガムの気持ちはどうなの?」

ガムは数秒考えてから

「俺は、もちろんやるぜ」

と言った。その答えにエウァは訝しげな顔をした。

「ガム、何か隠してる?」

「いや、別に。傭兵は依頼主の命令に従うだけさ」

「そうなの? それならいいんだけど」

次にエウァはチギリに言った。

「チギリ、おじいちゃんに依頼の件の詳細を聞いてくれる?」

「はい。わかりました」

言って、チギリがデンゼルに問う。

「デンゼルさん。薬草や山賊に付いての詳細をお聞きしたいのですが」

「それはの……」

デンゼルの語った内容は次のようなものだった。

山賊はかしらを含めて三~四人。ポポ山の中腹を根城にし、刃物で武装している。

薬草のハルヨモギの形は普通のヨモギと同じ。葉の先端に向かうに連れ、緑色から黄色に変色しているという。

「ハルヨモギはまだ生えているかどうかはわからん。空振りに終わるかもしれん。じゃが、お主等だけが希望なのじゃ。どうか、孫のためによろしく頼みますじゃ」

頭を下げるデンゼル。

「ええ、任せてください」

チギリが一礼する。

「ところで、おじいちゃん」

「なんじゃ?」

エウァがデンゼルに問う。エウァは法衣の下からゴウゾの似顔絵が描かれた紙を取り出した。

「この人知らない? どうやら三年前くらいにこの村に来たらしいんだけど」

デンゼルは似顔絵をしばらく眺めていたが

「ううむ。わしには心当たりがないのう。村の他の者が覚えておるかもしれんから、当たってみよう」

と言った。

「よろしくお願いするです」

ぺこりと一礼するエウァ。

そしてチギリ、ガム、エウァはデンゼルの家を後にした。


◆◆◆


先頭にチギリ、真ん中にエウァ、後ろにガムの順で三人はポポ山を登っている。かろうじて残っている登山道を頼りに、うっそうと生い茂る草や木を鉈で払いながら進む。地面は岩盤がむき出しになっていたり、泥でぬかるんだりしており、歩きにくいことこの上ない。

山といっても標高五百メートルほどなので、山頂まで行って戻ってくるのに半日もあれば十分だろう。

デンゼルの家を後にした後、宿屋に戻り身支度を整えた。そのままの格好で山登りをするのは過酷なため、宿屋の主人に登山用の装備を貸してもらった。どうやらデンゼルが宿屋の主人に話をつけてくれたらしい。

そのため、三人はいつもの服装の上に毛皮の上着を羽織り、登山用の底の厚い靴を履いている。慣れない靴で歩きにくかったが、普段の靴のまま登山するよりは遙かにましだった。

「ねえ、ガム」

エウァが後ろのガムに話しかける。

「なんだ?」

「やっぱ、さっきのこと気になるんだ」

「さっき?」

「ボクがガムに、依頼を受けることに対してガムの気持ちはどうなの、って聞いたでしょ?」

「ああ」

「ガムは、ちょっと考えてたじゃない。だから、いくらボクの命令でも、依頼を受けたくなかったんじゃないかなって思って」

「ああ、あれか」

「イヤだったら、言ってくれていいんだよ? 無理強いすればきっとどこかで亀裂が生じる。それは、ボク達の任務に決して発生してはいけないんだ」

「依頼されれば仕事はこなす、例え多少不本意な内容だってな。それは傭兵として当然だ。だがこの依頼が不本意ってわけじゃない。ただ、昔のことを思い出しちまってな」

「昔のこと?」

「ああ、つまんねえ話さ。お前に言うようなことでもない」

「よければ話してよ、ガム」

「本当につまんねえ話だが、退屈しのぎくらいにゃなるか……。あれは俺がまだ王国の騎士をやってたころだ……」

八年前。

ガムとチギリは王国の騎士として様々な訓練を日課としていた。基礎的な体力作り、剣術、馬術、山越え、水中訓練、鎧などの重装備を着けたままの長距離移動や夜間移動。そして成長するに従い、小競り合いが起こっている国境付近での戦闘、会議のために外国へ移動する大臣の護衛など実戦を含むものも増えた。そして六年前。騎士としての経験を積み重ね、自信も付いてきたころに、王からある命令が騎士団に下った。それは疫病に冒された村の救済だった。

当然、ガムとチギリも駆り出された。村人を救出するために師団が組まれ、医療物資を積んだ馬車が率いられ、行軍が始まった。だが、ガムとチギリは奇妙に思った。

「衛生兵が普段と変わらない数しかいなかったんだよ」

不審に思いながらも、ガムとチギリは村へと進んだ。

村に着いたとき、ひどい土砂降りだった。ガムとチギリが見た光景はまさに地獄絵図だった。村人はほとんど全員、赤ん坊から老人までが病に冒されていた。村医はとっくに死に、残りの村人はただただ己の死を待つだけだった。

「村人は俺たちに『助けてくれ』ってすがってきたよ。だから俺は言ったんだ。すぐに助けてやるって」

ガムとチギリは隊長からの命令を待った。村人に医療物資を与える、という。

しかし、隊長から下った命令は。


村人を皆殺しにしろ。


というものだった。

ガムとチギリは耳を疑った。隊長は、今、なんと言った?

俺たちは病気で苦しむ村人を救いに来たんじゃないのか?

だからガムとチギリは隊長に聞き返した。だが、隊長が言った命令は間違いではなかった。

隊長の号令とともに、殺戮が始まった。騎士が、病気で動けない村人を次々と殺し始めた。手にした剣で、村人の心臓を、頭を、首を、刺し貫いた。

「騎士は厳しい訓練を乗り越えてきたからな。そりゃあ手際が良かったよ。何の訓練も受けてない人間なんざ、赤ん坊と一緒だよ」

次々と倒れる村人。彼らの悲鳴は雨にかき消された。流れる血液を雨が流した。

「俺か? そりゃあ、殺したさ。いち騎士の俺が隊長に逆らえる訳がない。覚えているのは最初の一人、二人、三人までだ。後は『心臓を刺す』っていう単純な作業に成り代わったよ」

一時間ほどでその村の人間はほぼ全滅した。生き残っていたのは、奇跡的に病気を免れた子供が数人だった。

「やっと終わった、って思った。とても、とても長く感じたよ。ひょっとして長い夢でも見てるんじゃないかと思った。だがまだ終わりじゃなかったんだ」

病気にかからなかった子供たち。結局はその子供たちも殺された。ガムは隊長に詰め寄った。病気にかかってない子供まで殺す必要があったのかと。生き残ってこの村を再興させることだってできるじゃないかと。

「でもな、話の次元が違った。俺は村人を、軍は国の将来のことを考えてたんだ」

軍は、生き残りの子供がこの件で王国に恨みを持って、仇をなす危険性を排除したかった。だから殺すよう命令した。

「最初の方に言った、医療物資を積んだ馬車を覚えてるか? それに積んであったのは医療物資じゃなかった。何だと思う?」

エウァは何も言わなかった。

「燃料さ。軍は村を丸ごと焼いた。村人の遺体と同時に村を燃やしたのさ」

軍は疫病に冒された村を地図から消した。疫病は放っておけば広がる。そうなる前に病巣を排除した。疫病が国全体が広がる前に。

「作戦から帰還した騎士は、半数は顔つきが変わってたよ。俺は、まあ、そこまで深刻じゃなかった。大人や老人ばかり手に掛けたからかな。子供を手に掛けた奴の方がひどかった。ぜんぜん酒を飲めなかったやつが溺れるように酒を飲むようになっちまった」

その作戦のあと、ガムは騎士を辞めた。

「限界だったよ。俺は人を守りたいから騎士になったのに、人を、それも助けを求めてる人を殺したんだ。もう騎士の資格はないと思った。だから今は傭兵をして、主に護衛任務をこなしてる」

一通り語ったところで、ガムはため息をついた。

「……」

エウァには返す言葉もなかった。同情などできない。自分はまだガムの半分ほどしか生きていない人間だ。何を言ったところで空虚な言葉にしかならないだろう。

「つまるところ俺は、人殺しなんだよ。騎士をやめて、日々をふらふら生きているだけのつまんねえ男だ」

エウァがしばらく無言で進む。

「お前は、初めて俺に会ったときに言ってくれたよな。俺には『足りない何かを埋めてくれるものを持っている』って。あれは嬉しかったよ」

言いながら、へらへらと笑うガム。

「……じゃあなんで、悲しそうな顔をしてるですか?」

ガムの方を振り向いてエウァが言う。

「え?」

「ガムは、今にも泣きそうな顔をしてるです」

ガムは気付いていなかった。表面はへらへらと笑っているが、その目は笑っていなかった。彼は遠い記憶を見つめ、後悔し、悲しみをたたえていた。

「……ふん、お前みたいなちびすけに何がわかるってんだ」

「わからないですよ。ガムとはまだ会ったばかりです」

「なら、見透かしたようなことを言うな。癇に障る」

ふい、とエウァから顔を逸らすガム。エウァは手に持った鉈を放り投げ、ガムに抱きついた。背が低いため、ガムの腹に顔をうずめる格好となった。その様子に気付いたチギリが足を止め、二人を振り返る。

「……でも、ボクはガムを信じてるです。ガムが過去に人を殺してようが、関係ないです……。ボクにはガムが必要です……! だから、ボクと一緒にいてください。一人で遠くに行っちゃ嫌です……」

エウァの声が涙ににじんでいる。その様子を見かねたチギリが二人に歩み寄る。

「つまらない話でエウァ殿を泣かすなよ、ガム」

「あ、いや、これは……」

「だいたい子供に向かって『癇に障る』はないだろう。どこまで大人げないんだ君は」

「いや、つい本音が出たっていうか、気を遣う余裕がなかったんだ」

「だから君はいつまでたっても子供なんだ」

ガムがエウァの頭にそっと手を乗せる。

「あ~、すまん、エウァ。俺が言い過ぎた。だから泣くな、ほら。戻ったらうまいもん食おう」

「道中のお金出すのは結局ボクです……」

「じゃあ、俺の給金から出すから」

必死にエウァをなだめるガム。そのとき。

ガム達の進行方向からがさがさ、と茂みが揺れる音がした。そして、三人の男が現れた。山道が狭いため、彼らは縦に並んでいた。

先頭のモヒカン頭の男が言った。三人の男は全員袖のない毛皮の上着を身につけ、大振りの剣を手にしていた。

「うまいもん食うのは無事戻れたら、な」

言って、剣の刃を舐める。

「兄貴、久々の獲物ですぜ」

二番目の、丸坊主の男が言った。

「金持ってそうな匂いがしますぜ。さっさとやっちまいましょう」

三番目の、頭頂部ははげているが、その周りから長髪を後頭部へと垂らしている男が言った。

チギリが手にしていた鉈を腰のホルスターに収め、代わりにレイピアを抜いた。そしてレイピアを先頭の男に突き出す。

「お前等がここを根城にしている山賊か?」

「それを知ってどうするっていうんだ?」

先頭のモヒカンの男が聞き返す。

「山賊ならば、退いてもらおう」

「おめえ馬鹿なのか? 退けと言われて素直に退くわきゃねえだろ? ……ところでおめえ、王国の騎士か?」

チギリの鎧を見てモヒカン頭が言う。

「だったらどうかするのか?」

「へっ、お高くとまりやがって。いけすかねえ。命が惜しけりゃ身ぐるみ置いてけっての」

「悪党が言うことはだいたい同じだな」

「なんだと? この金髪野郎!」

丸坊主の男が言う。チギリのこめかみが一度ひくついた。

「兄貴を馬鹿にすんな、この金髪野郎!」

頭頂部だけ坊主頭の男が言う。チギリのこめかみが再びひくついた。

「金髪野郎って……。それは僕の見た目そのままじゃないか。ボキャブラリーは増やした方が頭悪く見られなくて特だよ?」

チギリのこめかみがぴくぴくと動く。

チギリの背後で彼らのやりとりを聞いていたガムがやれやれ、という顔をしていた。

「チギリ、何だってお前はちんぴらを相手にするとそんな高圧的になるんだ? わざわざ怒らせるなよ」

そこでエウァがガムに言った。

「ガム、鼻水ついた」

ガムの服からエウァの鼻に半透明の吊り橋が架けられていた。

「おわっ。なにやってんだエウァ。ちょっと待ってろ。いま適当な葉っぱを……」

「葉っぱは痛そうだからやだ。ボクの鞄にハンカチが入っているから取ってよ」

「へいへい。お言葉のままに、お姫様」

エウァのリュックをがさごそと探るガム。ハンカチらしき布を取り出そうとしていると

「コラァ、てめぇ! 俺たちを無視してんじゃねぇ! 喧嘩売ってんのか!?」

と、モヒカン男が怒鳴った。

「お前等はこれから身ぐるみはがされんだからよ。もっと俺たちにおののけよ! 馬鹿にされて黙ってる俺たちじゃねえぞ?」

「最初っからしゃべり倒してるだろうが、あんたらは」

ガムがエウァの鼻にハンカチを当てながら言う。エウァはちーーん、と勢い良く鼻をかんだ。

「それに十分だから」

「ああん? 何が十分だって?」

「あんたらの相手、そこの金髪野郎だけで十分だから」

チギリを指さすガム。

「てめぇ! 俺たちを本気で馬鹿に」

回転式拳銃リボルバー

山賊たちはチギリの一撃で後方に吹っ飛んだ。先頭のモヒカン男を吹き飛ばしたので、残りの二人も巻き添えを食って吹っ飛んだ。そして吹っ飛んで先の斜面をごろごろと転げ落ちていった。

「ありがと、ガム」

鼻をかみ終えたエウァ。

「チギリはな、『金髪野郎』って言われるとキレるんだ。覚えとけ」

「うん」

ハンカチをエウァのリュックに戻すガム。チギリはレイピアを鞘に収めた。そして再び鉈を取り出す。その顔は心なしかすっきりしているようだった。

「さあ、先を急ごう」

「ああ、頼りになるぜ相棒」

ガム達は再び登山を開始した。


◆◆◆


二時間後。ガム達はあれから山賊の追撃がないまま九合目を歩いていた。

「まさか、さっきので全員ってわけじゃないよな」

ガムがつぶやく。

「そうだね。デンゼルさんの情報が昔のものであれば、山賊の人数が減っていてもおかしくないけど」

「ルマンドは木こりをしてるって言ってたな。あんな屈強そうな男がさっきみたいな山賊にやられるっていうのも考えづらい。やっぱもっと強い奴がいるんだろう」

「いるとしたら、かしらだね」

「ああ、間違いない」

「後ろから襲撃される可能性の方が高い、注意してくれよ、ガム」

チギリがガムに注意を促す。

「任せとけ」

「山頂までもう少しだ。がんばろう」

鉈で茂みを払うチギリ。

「あの、チギリ」

エウァがチギリの背中に声をかける。

「なんですか?」

「チギリは、なんで騎士を続けてるの?」

先ほどのガムの話の続きだな、とチギリは察した。

「人を守りたいからですよ。その点は僕とガムは同じです」

「ひどい作戦に参加して、つらい目に遭ったのに続けている理由はなんなの?」

この少女は物怖じせずにぶつかってくるな、とチギリは思った。

「騎士団を内部から変えるためですよ。……僕もあの作戦で何の罪もない人々を殺しました。なぜ、あんな作戦が実行されたのか。なぜ、国民を守るべき騎士が国民を殺しているのか。作戦終了後、悩みました」

「……」

「もう二度とあんな非道な作戦が実行されてはいけない。だから、僕は騎士団の長に登り詰めることを決意しました。王国内での存在感が強まり、権力を持つことができれば、僕が発言することで少しでも国を変えられると思ったんです」

「それまでに、またむごい目に遭うとしても?」

「ええ、登り詰めるまで止まるつもりはありません」

「チギリは、泣かないんだね」

「……涙は他人に付け入る隙を与えますから」

「でも、たまには泣いていいんだよ? 我慢してると、人間らしさがどこかにいっちゃうから」

「はは、エウァ殿にはかないませんね。では、もしも悲しくなったら、エウァ殿の胸を借りますよ」

「……チギリのえっち」

顔を赤らめるエウァ。

「セクハラだぞー、チギリ」

茶々を入れるガム。

「ええ!? 今のはそういう意味じゃない!」

「……でも、チギリならいいですよ……?」

「え、いや、じょ、冗談ですよ。本気にしないでください、エウァ殿」

チギリのばか。エウァが小さくつぶやいた。

「何か言いましたか? さあ、もうすぐ山頂です。先を急ぎましょう」

ぶんぶんと鉈を振り回して茂みを払い、歩を進める。

そして山頂に辿り着く三人。

彼らは目の前の光景に絶句した。

山頂は真っ赤な炎に包まれていた。

「なんだ……これは」

チギリがうめく。

「これじゃ薬草が……」

ごうごうと揺らめく炎の前に一人の男。パーマがかった長髪。左目には眼帯。頭には赤いバンダナを巻いている。男は袖のない毛皮のジャケットを羽織っていた。

「よぉ、遅かったじゃねえか」

眼帯の男が言った。

「お前は、誰だ?」

チギリが問う。

「山賊さ。名をモゴという。まあ、お前らが覚えても仕方ねえけどな。お前らはここで死ぬんだから」

「戯れ言を……! この火事はお前の仕業か?」

「そうだ。俺がやった。お前らが来たって聞いてな。会っただろう? 途中で俺の子分に」

どうやらあの三人は崖から転げ落ちたものの、生きていたらしい。

「ああ。だが、だからってなんで放火した?」

ガムがモゴに問う。

「薬草を燃やすためだよ。かかっ」

高笑いするモゴ。

「なぜ、薬草を燃やす?」

「ついこないだも薬草を取りに来た村の奴がいたからよ。村で風土病にかかってる奴がいるのはわかってた。まあ、身ぐるみはいで追い返してやったけどな。かかっ。

まあ、それは余興だ……。本題はこっからだ。さっき子分に聞いてみりゃあ、王国の騎士が登ってくるっていうじゃねえか。薬草を燃やしたのはそれが理由さ」

ガム達はモゴが何を言っているのかわからなかった。

「俺の故郷の町はな……、三十年前に騎士団に滅ぼされたんだよ」

「!!」

炎がばちん、と弾ける。

「謎の伝染病が町に蔓延してな。治療法はなかった。あっというまに騎士が押し寄せて、町人は皆殺しにされた。病気であっても、なくても、大人でも、子供でも。……俺は川に飛び込んで命からがら逃げ出したよ。そっからの生活は悲惨なものさ。何度飢え死に、凍死しそうになったか。数えたらキリがねえ。だから俺は、俺の故郷を、家族を皆殺しにした騎士に」


復讐がしてえんだ!


モゴが空に向かって高笑いをした。

「金髪のあんちゃんよ。アンタが欲しいのはハルヨモギだろ? それは山頂にしか生えてない。アンタが薬草を手に入れられなけりゃ、村で病気にかかってる奴は助からない。そうすりゃ騎士の信頼はがた落ちだ。俺はな、騎士をぶっ潰したいんだよ!」

モゴの言葉にチギリは動けなくなっていた。クロノス王国の騎士が過去に犯した過ちが、今亡霊となって襲いかかって来ているのだ。

「チギリ、しっかりしろ! 過去は過去だ。今、お前がするべきことを考えろ!」

ガムがチギリに檄を飛ばす。

「チギリ。お前は生き残ってるハルヨモギを探せ。俺はあいつの相手をする。エウァはチギリのそばから離れるな!」

それだけ言って、ガムはモゴに向かって飛び出した。

チギリはまだ呆然としている。その背中が、エウァのリュックで殴られる。

どんっ、という音がし、チギリが前方によろめいた。

「チギリ、しっかりして! キミがハルヨモギを見つければ、ドッポが助かるんだよ! 行くよ!」

「は、はい!」

チギリが我に返り、渦巻く炎を避け、ハルヨモギを探し始める。だが、それらしい草は皆焼けていて、灰と化していた。

「くそっ、くそっ」

悪態をつくチギリ。

「焦っちゃダメ、チギリ! 絶対に生き残ってるから」

「……ええ。必ず、必ず見つけましょう」

エウァの叱咤にチギリが平静を取り戻す。

「向こうは火の手が弱いようです。移動しましょう」

チギリとエウァはガム達から離れる方向、山頂の外側に向かって探索を続ける。


◆◆◆


ガムが腰にした長剣を抜き、モゴと対峙する。モゴは腰のホルスターから、通常のものより一回り大きい鉈を取り出した。そしてにやにやしながらガムに言う。

「ウニ頭。お前は何者なんだ?」

「傭兵さ。そんでもって王国の元騎士だ」

「なんだと?」

モゴの表情からにやけ顔が消える。

「そのツラじゃ、よっぽど騎士が憎いと見えるな」

「当たり前だ。騎士と名乗る奴は皆殺しにしてきた」

「そりゃあ剣呑だな。ちょっと昔話をしようか……。俺の村はな、昔戦争に巻き込まれて無くなったんだ。運悪く敵対する両国の進軍ルートの近くだったからな」

「なんだよ。じゃあ、お前の村も国軍の犠牲になったようなもんじゃねえか。なんで騎士なんかやってたんだ」

「そりゃ、俺みたいな目に遭う奴を生み出さないためだ。まあ、いろいろあって国軍には愛想を尽かしちまったがな」

「そうかい。そんな話をしてオレの同情を誘おうってのか?」

「いや、そんな安っぽい話じゃない。これから殺し合うってのに、お互いの素性も知らないんじゃ、そんなのはただの殺戮だ。

俺はお前の過去を知った。ならお前は俺の過去を知る権利がある。これで対等だろ?」

モゴが肩をすくめる。

「は、オレが言うのもなんだが、酔狂なこって。で、もう話すことはないか?」

「ああ、こんだけ知ってもらえば十分だ」

モゴが鉈を構える。

「オレは騎士を葬りたい」

ガムが長剣を構える。

「俺は薬草を持ち帰るためにお前を倒す」

二人の体が弾けるように、互いに向かって飛び出した。鉈と長剣がぶつかり、せめぎ合う。

普通の剣であれば、胴の分厚いガムの長剣がぶつかるだけでへし折られてしまう。だが、モゴのもつ鉈はガムの長剣と同様に厚い胴をしているため、ガムの攻撃を受けきった。

一閃、二閃、三閃。両者の間に火花が散る。

そこでガムは目にした。モゴの左肩に刺青が入っているのを。これは、カイリンツメの執行官と同じ模様……?

モゴが後ろに飛びすさり、距離を取る。そしてすぐさまガムの右手に回り込み、鉈を振り降ろす。それを剣で受けるガム。鉈が上から下、下から上、右から左、左から右と絶え間無く振るわれる。モゴの動きはまるで野生の獣のようだった。型にはまらない、故に次の動きが読みづらかった。しかしガムも負けていない。モゴの斬撃を受け、いなしていた。

モゴが再び飛びすさり、距離を取る。それを見逃さず、ガムが攻撃を仕掛ける。しかし長剣を何度か振るったものの、モゴはその攻撃を全てかわした。なんという身の軽さだろうか。ガムは斬撃の直後に突きを、モゴの胸に向かって繰り出す。体の中心を狙う、よけづらいその攻撃をモゴは鉈の胴で受け、ガムの剣を弾き返した。

騎士を皆殺しにしてきたというのは伊達ではないようだ。

鉈を構えながらモゴが言う。

「お前、いい腕してんじゃねえか。どうだ、傭兵なんぞやめてオレと一緒に山賊やらないか?」

「今よりたくさん報酬が出るなら考えないこともないぜ?」

「報酬なんぞはねえ。強いて言えば自由だけが報酬さ」

「残念。俺は金が出ねえと動かねえよ」

「交渉決裂だな」

「ああ、残念だよ」

モゴが攻撃を仕掛ける、先ほどより激しい斬撃がガムを襲う。そのうち何発かがガムの体をかすめ、腕や足に切り傷を作った。ガムが反撃をし、下段からモゴの体めがけて切り上げる。その攻撃を受けたモゴの鉈が弾かれ、宙を舞う。たまらず後方に身を退くモゴ。追撃をかけるガム。

地を駆けるガムの体が突然地面に呑まれた。

「うっ!」

たまらずうめくガム。ガムは落とし穴に嵌っていた。相当な深さがあるようだ。ガムは底に落ちないように、両足を穴の側面に突っ張らせていた。

「恨むなよぉ? こちとら山賊だ。殺し合いに卑怯もくそもねえ。生き残った奴が勝ちだ。かかっ」

先程落とした鉈を拾い上げ、モゴがガムの頭を割ろうと襲い掛かる。

直後、モゴの腹を長剣が貫いた。

勢いで後ろに吹き飛ぶモゴ。そのまま地面に尻餅をついた。

「な、んだ、こりゃ……!」

長剣が突き立った自分の腹を、信じられないように見るモゴ。

「お前、自分の剣を……」

「ああ、その通りだ」

ガムは落とし穴から体を上げ、抜け出した。

ガムは落とし穴にはまった状態から、襲い掛かるモゴに向かって自分の剣を投げたのだ。王国式の剣術が体に染み付いた騎士なら、剣を投げようなどとは思わない。戦闘中に武器がなくなるのは死に直結するからだ。そしてモゴは騎士を数多く相手にしてきた。騎士に対する戦闘パターンが体に染み付いていたはずだ。一応ルールの存在する戦争という中の戦闘に慣れた騎士は得てして奇襲に弱い。モゴはその弱点を突き、騎士に対して勝利を収めてきた。きっと、ガムのような騎士上がりの傭兵を相手にしたのは初めてだったのだろう。

対して、ガムの強みは常人離れした膂力にある。彼にかかれば石ころでさえも相手の内臓を破壊する武器になりえるのだ。モゴにとっては完全に盲点を突かれた形だった。

「……ちきしょう……。卑怯卑劣のオレが、裏をかかれるとはな。……悔しいぜ」

「俺に喧嘩ふっかけてきた奴は大体そう言うよ。悪いけどな」

「はん……。だが、後悔はしてねえぜ? オレは騎士を、殺して、殺して、殺しまくった。それが、今日で終わったってだけだ……うっ!」

モゴが腹に突き立った長剣を抜き、放り投げた。傷口から鮮血が吹き出る。

「ああ、もう休め」

モゴを見下ろしてガム。

「……唯一救いなのは、今のあんたが騎士じゃないってことだ……よっ」

腹を押さえながらゆらりと立ち上がるモゴ。脚の踏ん張りが利かないのか、ふらふらしてうなだれている。青ざめた顔でガムを見上げて言った。

「あんたらがあの小娘の言ってた『抑止力』ってやつなのか……。オレにはよくわからん……ただのチンピラまがいと、ひょろい金髪と、メスガキじゃねえか……」

ふらついた足取りで、ガムに背を向け、燃え盛る炎へ向かうモゴ。

抑止力? 何の話だ?

ガムにはモゴの言っていることが何のことか分からなかった。

「おい、何する気だ?」

ガムがモゴの背中に声をかける。

「はん。オレはあんたなんかに殺されやしねえ。……それと、あんたからはオレと似た匂いを感じるよ」


人殺しの匂いをな。


「……だからきっと、行き先は俺と同じ地獄さ。……先に行ってるぜ、かかっ」

炎に足を踏み入れるモゴ。

「待てっ!」

ガムが叫んだ直後、炎の中から大振りの鉈が飛んできた。かろうじてかわすガム。

炎の中から、高笑いがポポ山の頂上に響き渡った。

ガムはしばらくの間、呆然とその光景を眺めていた。

「ガム! 奴はどうした?」

背中からチギリの声。振り向くガム。チギリの横にはエウァがいた。

「ああ、死んだよ。そこで」

背後の炎を指差すガム。

「薬草は?」

ガムがチギリに問う。

「ああ、なんとか生き残ってた」

エウァの手に、根元から先端に向かって緑から黄色にグラデーションしたぎざぎざの葉っぱが数枚握られていた。デンゼルの言っていた、ハルヨモギの特徴と一致している。きっとこれで間違いないだろう。

「急いで山を降りよう。山賊の追撃があるかもしれない」

チギリが促し、三人は下山を始めた。既に日が傾き始めていた。

下山を始めて半刻程。岩肌がむき出しになった、人一人がやっと通れる程の狭い山道。一方は山肌、反対側は崖という険しい道が続く。転落すれば致命傷は免れないため、慎重に、できるだけ早く歩く。先頭を歩くチギリが急に足を止めた。エウァとガムも同じく足を止める。

「どうした、チギリ? 急ぐんだろ?」

「ガム、道が崩れてる」

「何だと?」

チギリの前方。岩肌がむき出しの、道として通っている平らな部分が途切れていた。こちらから向こう岸まで五メートルほどの距離が空いている。

「来るときは崩れてなかったぞ。なんでだ?」

「たぶん、途中襲ってきた山賊の仕業だろう。この急いでるときに……!」

チギリが歯噛みする。

「迷ってる暇はない。ガム、エウァ殿を頼む」

言って、チギリは装備を脱ぎ始めた。エウァが思わず目を覆った。

鎧、登山靴、すね当て、レイピア、靴下……。チギリはほぼ下着だけの姿になった。

「お前、まさか」

「そうだ、迂回している余裕はない。すまないがガムとエウァ殿は後ろに下がってくれ」

ガムとエウァが十メートル程後退する。チギリもそれについて行く。そして、チギリは下山する方向へ走り始めた。チギリがやろうとしているのは、命がけの走り幅跳びだ。

「チギリ、無茶です!」

エウァが制止するも、チギリは止まらない。岩肌むき出しの地面を駆け、こちら側の崖のぎりぎりの位置で踏み切った。チギリの体が宙を舞う。綺麗な放物線を描いて、向こう側の崖に着地した。着地の衝撃で前方に転げた後、止まった。体のあちこちに擦り傷ができていた。チギリが起き上がり、向こう側の崖の淵に立った。

「ガム! エウァ殿をこっちへ!」

「ったく、そういうことかよ。先に言えっての」

チギリの作戦はこうだ。三人の中で一番脚力のあるチギリが崖を跳び越し待機。次に一番腕力のあるガムが、こちら側からあちら側の崖にエウァを投げてチギリがキャッチする。そして最後にガムがチギリと同じ要領でジャンプする。

「え、ガム。もしかしてですけど、ボクを投げるですか?」

「察しがいいな。その通りだ」

「で、でもボク人に投げられた経験なんてないです」

「まあ、九割九分そんな経験したやつはいねえよ。それともお前は向こうまでジャンプできるのか?」

「できないですよ。ですが、その、心の準備が」

「向こうでチギリが受け止めてくれるぞ?」

「そ、それなら」

「いいのかよ」

もじもじと顔を赤らめるエウァに呆れるガム。

「大丈夫だ。お前、言ったよな。俺を信じるって。だから任せろ」

エウァが無言で頷く。ガムとエウァが崖のぎりぎり手前に移動する。それを見たガムが、大きな砲丸を抱えるように、両手でエウァを肩の上まで持ち上げた。

「きゃ! どこ触ってるですか! もっと優しく扱ってください」

「口閉じてないと舌かむぞ……せぇ、の!」

ガムがエウァを放り投げた。

ひゃあああああああ………という悲鳴が響いた。

エウァはちょうどチギリが構えた位置に落下し、チギリがエウァを受け止めた。

「大丈夫ですか? エウァ殿?」

「………………ぁぃ」

エウァの顔は青ざめ、体が固まっていた。どうやらチギリに抱きとめられている感触を感じる余裕はなさそうだった。

チギリはエウァを地面に降ろした。そしてガムが投げてくる鎧等の装備を次々に受け取る。

そしてガムも装備を外し、外した装備をチギリに投げ、受け取ってもらった。

「行くぞー!」

「ああ、気をつけろ!」

ガムがチギリと同じように助走を付け、崖から踏み切った。ガムの体が宙を舞い、反対側の崖の縁に着地する。その縁の岩盤が、着地の衝撃で崩れた。

「おわっ!」

バランスを崩し、崖から落ちていくガム。その手をチギリが掴んだ。

「早く、上って来い……! 長くはたない……!」

ガムはまだ崩れていない壁面に足をかけ、チギリの手を掴んで崖を這い上がった。

「し、死ぬかと思った……」

肩で息をするガム。

「ガム、踏切が手前過ぎだ……。案外怖がりなんだね」

「う、うっせ。こんなとこで走り幅跳びなんてやったことねえんだ。多少は目をつむれ」

二人は装備を再び装着した。そしてチギリが言う。

「さあ、行きましょう……って。エウァ殿、どうしたんです?」

エウァは山道に座ったままだった。

「……てない」

小声でエウァがつぶやく。

「え? なんて言ったんですか?」

「……ぁてない」

小声でエウァがつぶやく。

「すいません、もう少し大きな声で……」

「立てないのっ!」

エウァが涙目で言った。

「さっきから立とう立とうとしてるのに立てないの! ……うぅ」

「お前、腰が抜けちゃったのか? 普段しっかりしてるように見えてもこういうとこは子供なんだな」

ガムが言う。

「ばかっ。ガムのばかっ。ボクだって好きでこうなったんじゃないですっ」

「ははっ、悪い悪い。チギリ、エウァをおぶってやれ。俺が先頭を行く」

「ああ」

チギリがエウァをおんぶする。

「これでいいか? エウァ?」

ガムがにやにやしながらエウァに言う。

「し、知らないですっ! ふんっ!」

顔を赤らめるエウァ。三人は再び下山を始めた。彼らが山を降りたころには、すっかり夜になっていた。


◆◆◆


三日後。

「なんとお礼を言ったらよいのか……!」

デンゼルがガム達に頭を下げる。ガム達三人は、デンゼルの家を訪れていた。三日前、ガム達は下山してすぐにデンゼルの家に行き、採取したハルヨモギを渡した。デンゼルはハルヨモギを煎じ、孫のドッポに与えた。それから三日経ち、ドッポの容態は小康状態へと落ち着いた。今はベッドの上で眠っている。青白かった顔に、多少赤みが差していた。

「おれからも礼を言う。息子の命を救ってくれて感謝の言葉もねえ」

ドッポの父、ルマンドがガム達に一礼する。体の包帯が痛々しいが、立って歩けるようになったようだ。

「お前さん達、怪我してるじゃねえか。途中、山賊に襲われたのか?」

ガム、チギリ、エウァの体にところどころ絆創膏が貼られていたり、包帯が巻かれているのを見て、ルマンドが言う。

「ああ。でも、たいしたことはない」

ガムが答える。

「それで、山賊はどうしたんだ?」

「死んだよ。おそらく頭に当たる、眼帯のモゴって奴が。他の奴は逃げた。どこに行ったかはわからない」

「そうか……。申し訳ねえ。おれ達の村のごたごたにあんたらを巻き込んじまって」

「いや、もう済んだことだ。気にしないでくれ」

ガムがルマンドに言った。

「でも、良かったな親父。これでまた薬草の栽培の目処が立つぜ? 山賊は、かしら以外の奴らはたいしたことはない」

ルマンドがデンゼルに言う。

「ああ。またこの村も活気を取り戻すだろうよ」

エウァがデンゼルに聞く。

「ねえ。デンゼルおじいちゃん」

「なんじゃ? エウァちゃん」

「こないだ聞いた、似顔絵の人を見たって人はいた?」

「おお、その話か。宿屋の店主が覚えておったぞ。三年ほど前、宿屋の前で行き倒れているのを、店主が見つけて休ませたらしい」

「行き先はわかる?」

「ヤクシの町に向かうと言っていたそうじゃ」

ヤクシ。マヤタキから東へ進んだ場所にある町だ。

「おぬしら、その男を追ってヤクシへ行くのかい? ならば気を付けなされ。最近野盗が現れ、治安が悪化していると聞いておる」

「うん、わかった」

「そうじゃ、約束していた礼を渡さんとな。ちょっと待ってておくれ」

デンゼルが部屋の隅にある、引き出しが格子状に並んでいる薬棚の一つを開けた。中身を取り出し、持って来る。それをエウァに手渡した。一包みの薄黄色い紙だった。

「マヤタキの秘伝の薬じゃ。服用すれば止まった心臓も復活する代物じゃ。マヤタキは木こりが多いでな。山で動物に襲われたり、崖から落ちた時のために作った薬じゃ。うちにはこれしか残っておらんが、受け取ってくれ。おぬしらの旅の無事を祈ってな」

「ありがとう。おじいちゃん」

エウァがぺこりと一礼する。

「……じいちゃん。じいちゃん」

小さな声がした。声のする方を見ると、ベッドで寝ていたドッポが目を覚ましていた。

「おお、ドッポ。気が付いたか」

ドッポに駆け寄るデンゼルとルマンド。

「……じいちゃん、あの人たち、誰?」

ガム達を見てドッポが言う。

「お前の命の恩人じゃ。山頂まで薬草を取りに行ってくれたんじゃ」

「そうなの?」

「ああ。お前も礼を言うんじゃ」

「ありがとう。おっちゃんにおねえちゃん」

「おっちゃん!? 俺か? それともこっちの金髪が?」

ドッポに言われ、自分とチギリを交互に指差すガム。

「金髪って言うな。それにどう見てもおっちゃんは君のことだろう、ガム」

「おねえちゃん、なんて。ボク、下に兄弟がいないから、ほんとにお姉ちゃんになったみたいで嬉しいよ」

エウァは頬に両手を当ててもじもじしている。ガムがドッポの寝ているベッドに近寄り、しゃがむ。

「ドッポ、おっちゃんじゃなくて、お兄ちゃんだろ~?」

言って、ドッポの頭をわしわしと撫でる。

「おっちゃんはおっちゃんだろ?」

再びドッポが言う。

「最近のガキは口の利き方がなってないな」

ガムはドッポを撫でる力を強めた。

「やめろよ、ガム。大人げないぞ」

チギリがガムの肩をつかみ、制止する。だがガムはドッポの頭を掴む力を緩めなかった。

「いたたた! やめろ! 金髪のおっちゃんの言う通りだぞ!」

ドッポがたまらず悲鳴を上げた。

「ガム、もっとやれ」

ドッポの言葉に反応したチギリから無慈悲な命令が下った。

「大人気ないのはどっちだ」

冷めた声でガム。

「ははは、わんぱくな孫で申し訳ない。そのへんにしてやってくれませんかな、ガムさん」

デンゼルが言う。

「ああ、すまない。でも、元気を取り戻したようで良かった」

「何を言います。ガムさん達のおかげじゃ」

ガムは再度、優しくドッポを撫でる。本当に良かった。小さな命をひとつ救うことができた。だが、これで自分がやったことの罪が消えるわけではない。きっと一生背負っていかなければならないだろう。だから、目の前で苦しんでいる者に手を差し伸べよう。一人でも多くの者を助けるために。

しかし、ガムの頭からはモゴの言葉が離れなかった


あんたからはオレと同じ匂いを感じるよ。人殺しの匂いをな。


ガムは思った。ああ。確かに俺は人殺しだ。だが、より多くの命を救おう。それが、生き残った俺の使命だ。

ガム達はデンゼルの家を後にした。次に目指すのはマヤタキから東に位置するヤクシ。そしてガム達はそこで知る。自分の宿命、そして世界の真実を。


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