終章
終
「……圭介。ほら圭介」
不機嫌そうなそんな声で、高橋はさざ波のように穏やかな世界から舞い戻ってきた。どうやら居眠りをしてしまったようである。
「もう着替えなきゃいけない時間だから、早く支度をしなさい」
眉を寄せながら高橋を立たせる女性は、高橋の母親である。彼女は黒い和服で身を固めている。いつになく綺麗な化粧を施しているが、眉間に深く刻まれたしわがそれを台無しにしていた。
そして彼女の化粧を台無しにしている要因が自分にあると気付き、高橋はようやく時計を確認した。
「おお」
高橋は声を挙げ、慌てて腰を起こした。確か写真撮影まであと一〇分。係員が呼びに来るはずであったが、忘れられているようだ。
「ほら、今日の主役なんだからちゃんとしなさい」
そんな母親の小言を背中で聞きながら、高橋は衣装室へと入っていった。
彼女の言う通り、今日は高橋が主役なのである。
高橋の結婚式である。
坂本との戦闘から一年半が経過した。高橋の取り巻く環境には大小様々な変化があり、ようやく収束してきたように思えた。
他に方法はなかったのか。もう少しうまく事を運ぶことは出来なかったのか。そう自問自答する日々も、遠い昔のように思える。ともかく今は先を見るしかないと思えるくらいには高橋も回復することが出来た。
そして夏の暑さの盛りが一段落して山が紅く染まりだした九月の下旬に、高橋は結婚式を迎えることとなったのである。
高橋は衣装室に駆け込んだ五分後にはタキシード姿になっていた。男の着替えは大した手間ではない。
「あー、やっぱりちゃんとした服を着るとそれなりに見えるね」
先ほどは眉間に深くしわを刻んでいた母親も、息子のハレの姿に表情を緩ませていた。同じくタキシード姿の父親も、高橋の姿をしばらく眺めた後に「うむ」とうなずいていた。
それからしばらく高橋家での個人的な撮影会を行っている最中に、衣装室の方から花嫁が見えた。
「あら、まあ」
純白のドレス姿のその花嫁に、母親はさらに表情を緩めた。
「本当に綺麗ねえ。圭介、あんたいいお嫁さんもらったねえ」
母親が一人うなずく中、高橋もドレス姿の女性を正面から見た。
いつもは気が強くはっきりと物言う彼女も、今日は淑やかに努めている。恥ずかしそうに頬を染める彼女の姿に、高橋は確かに綺麗だと思った。
「本当に綺麗だな。ゆかり」
「……改まってなによ。試着で散々見たじゃない」
ゆかりはあまりの恥ずかしさで淑やかさを忘れてしまったようだった。いつもの調子に高橋は苦笑した。
「さ、もうすぐ写真撮影があるから……あ、どうも」
母親は後からやってきたゆかりの両親に頭を下げながら、その場を仕切って皆を先導していった。牽引役をやらせたら高橋の母親の右に出る者はいない。
写真撮影が滞りなく終了し、ゆかりとともに受付に顔を出すと、受付を頼んでいる若林が笑顔を見せてきた。
「高橋さん見違えるようですね。いつものヨレたスーツとは大違いですね」
「うるさいな。それより出席者はどんな感じ?」
「ええと、こちら側はあと佐々木マネージャーだけですね。……ところでこの人はいいんですよね?」
若林は出席者名簿の中の「坂本祐司」の名前を指差した。その他の佐々木以外の名前の横にはチェックが入っているが、坂本の横にはチェックがない。
ゆかりと高橋はお互いを見合わせ、小さく苦笑した。そんな二人の様子に、若林は「まずいことを聞いてしまったか」という顔をしていた。
「坂本は、来たらカウントしてもらいたいけど、時間まで待って来なければそれでいいよ」
高橋の指示に、若林は「了解です」とだけ応えた。祝いの席、余計な事は詮索しないつもりのようだ。
坂本は失踪した事になっている。それはゆかりも歩美も由紀も同じ認識だ。そして折しもそれが高橋達が仲直りするきっかけとなったのだ。
戦闘終了後、ゆかりと話し合いの場を持つときには、既に坂本の捜索願いが歩美の手によって出されていた。当然のように高橋とゆかりの耳にもその情報が入り、一緒に捜索を手伝い、歩美達を支える内に、自然と元の関係に戻ることが出来たのである。
今回の結婚式も、「万が一どこかで聞いて駆けつけてくれることを期待して」ということで、一応席は用意することになったのだ。
もちろん坂本はもうこの世にいないので、来ることはありえないのだが。
「それにしても新婦側の人達は皆さん綺麗ですねえ。目移りしちゃうな」
若林が一瞬流れた重い空気を払拭するかのように、努めて明るい声を挙げた。そんな細かな気遣いは若林の良いところである。
「そんなこと言うと彼女さんが泣くわよ?」
「今自分フリーですよ。もう一年以上彼女いなくて困ってるんですよ。誰か紹介してくださいよ」
「え? そうなの?」
ゆかりが意外そうな声を挙げた。若林はあの後彼女ときちんと向き合い、結果別れたのである。その報告を聞いたとき、高橋は申し訳なく思った。自分の助言がなければ交際が続いていたのかもしれないのだ。
しかし若林は笑っていた。結局あの時もう終わっていたんですよ。高橋さんのおかげで吹っ切れることが出来ました。だからいいんです。その時若林はそう言って高橋に礼をした。そしてそれからずっと独り身の生活をしているようだ。
「若林くんカッコいいから彼女すぐ出来そうなのにね。まあ、今日の出席者は大体お手付きだから、ちゃんと確認してからアタックしてね。あとみんな私に似て気が強いから、覚悟してね」
「えー、それはまいったなあ」
若林が困ったように頭を掻き、三人は声を挙げて笑った。
それからしばらく受付会場を回った。いろんな人に呼び止められて冷やかしを受けてゆく。二人は何となく歩美に声を掛けようと捜したが、まだ来ていないようだった。どこかで坂本を待っているのかもしれない。
結局歩美達は受付終了ギリギリにやってきたため、大した話しが出来なかった。
受付が終わり、坂本以外の出席者全員の確認が終わると、結婚式が始まる。高橋達はチャペルの神前式を選択し、結婚式会場の中にある教会で執り行われることになる。
「……緊張してきたな」
高橋は教会の舞台袖で待機しながら、小さく息を吐いた。既に中には家族を含めて出席者が待機している。これからすぐに係員の合図で中に入らなければならないのだ。
「あんたが緊張してどうするのよ。ほら、私を見習いなさい」
緊張のカケラも感じさせない顔でゆかりがそう言った。この緊張感のなさはどこから来ているのだろう。高橋は遺伝ではないかと思うが、少なくとも父親からではないことは、彼女の隣で緊張した面持ちをしている彼女の父親を見ても解る。一瞬ゆかりの父親と目が合い、何となく会釈をした。
「ま、リラックスしなよ。まだまだ先は長いんだしさ」
ゆかりのそんな声と同時ぐらいに係員に呼ばれた。もうすぐ新郎の入場のようだ。
係員の指示に従い、高橋はヴァージンロードをゆっくりと歩いて行った。リハーサル通り、背筋を伸ばしてゆっくりと歩くことが出来たような気がした。
神父の元で足を止め、ゆかりと彼の父親が入ってくるのを待つ。「新婦入場」の発声の後にゆかり達が歩いてきた。彼女はやはり緊張など微塵も見せずに自信に溢れた顔をしていた。
父親からゆかりの手を受け取り、二人で神父の前に立った。
ふと見上げると、神父の背後で十字架架かっているのが見えた。その十字架は壁から光りを照らしているためか、キラキラと輝いて見えた。
なぜかそこに坂本の顔が浮かんで見えた。十字架の中の坂本は満面の笑みを浮かべていて、不意に泣けてきた。
「圭介さん。感動するにはまだ早いですよ?」
神父がフランクな口調でそう言って、一瞬和やかな空気が流れた。皆、高橋が感動して泣いていると思ったのだろう。高橋は「すみません」と涙を拭った。
再び十字架を見たが、坂本の顔はどこかに消えてしまった。
それから式は粛々と進んだ。高橋は促されるままに、リハーサル通りに動いた。どうしても先ほど見た坂本の顔が頭から離れず、気づいたら宣誓書への署名を済ませ、式は終わりを向かえていた。
ゆかりと共に教会から退場し、皆が退場するのを待った。次はフラワーシャワーである。出席者が皆外に出たのを見計らって、二人も彼らが待つ教会外へと足を向けた。
外は綺麗に晴れ渡っている。道の両端に出席者が待ち構えている。二人が一歩歩き出すと、皆からの祝福の言葉と共にフラワーシャワーを受けた。
「あれ? 加奈子ちゃん!」
列の最後に加奈子がいた。彼女の顔を見るなり、ゆかりが大きな声を挙げた。
「ここは自由に入れるようでしたので、来ました」
「ありがとう! すっごい嬉しいわ」
ゆかりは大振りに喜んで彼女に抱きついた。
戦闘が終わり、ゆかりと仲直りをした後に、加奈子を紹介した。加奈子は大学でしているようなよそ行きの顔ではなく、素の無表情の彼女でゆかりに接してきた。
しかし社交的なゆかりはそんな彼女を気にすることなく接し、いつの間にか二人は仲良くなっていた。ゆかりは加奈子を随分と気に入っているようである。ゆかり曰く、「ものすごいいい素材を持ってるのに生かしきれていない」らしい。ゆかりの目下の目標は、「加奈子ちゃんを笑わせること」だ。
そして加奈子もそんな風にいつも気にかけるゆかりに悪い気はしていないようで、無表情ながらも彼女の誘いには決して断ることはなかった。
そしてもう一つ、変化があった。
「ゆかりさん。その綺麗な方は誰ですか?」
若林がネクタイを締め直しながら近づいてきた。
「この娘、加奈子ちゃんって言うのよ。かわいいでしょ。今フリーだから、若林君いいんじゃない?」
加奈子は若林に小さく黙礼をした。あれから彼女は、以前カラオケ店で見たボーイフレンドと別れたようだった。理由を訊いたが「別に」としか答えてくれなかった。彼女なりに思うべき事があったようだ。
「えーマジっすか。こんなに綺麗なのに。立候補しちゃおうかな」
「いいけど、佐藤さんの娘さんだぞ」
高橋のそんな横槍に、最初は意味が解らなかった若林だったが、上司である佐々木が「おお加奈子ちゃん。大きくなったな」と近づいて来るのを見て、ようやく「佐藤さん」が誰なのか解ったようだった。
「……マジで佐藤さんの娘さんですか。なんというか……お母さんに似てよかったですね」
若林の必死のフォローに、高橋と佐々木は声を挙げて笑った。
と、そこで係員に促された。まだやるべき事は残っている。あまりここで時間を割いている余裕はないようである。
高橋達が加奈子に礼をすると、彼女も小さく頭を下げて返してきた。
場所を結婚式会場の大広間に移し、結婚披露宴が始まった。いくつかのお決まりのイベントをこなし、宴は中盤にさしかかった。
ゆかりは二回目の衣装替えで席を外しており、高砂には高橋一人が残された。とはいえ高橋の元には高橋側の会社関連、親戚縁者が止めどなく酌に来て身動きが取れない状態にあった。
「…………」
高橋は佐々木の酌を受けながら、歩美達の席に目を向けた。彼女は由紀と、新たに産まれた祐一と共に新婦側友人の席にいる。歩美の左隣の席は空席になっている。坂本のために用意された席だ。
高橋は佐々木の話を早めに切り上げ、次の酌が来ないうちに席を立った。ゆかり抜きで歩美達と話をする機会は、今後の人生を考えても今のこの瞬間しかないかもしれないのだ。
ゆっくりと歩美の元へと近づいてゆくと、彼女も高橋の姿に気付いたようで、軽く会釈をしてきた。先ほどまでは由紀と祐一を挟んで右隣にいる友人と話をしていたが、高橋が近づくと、話を切り上げて席全体で拍手をしてきた。
「おめでとうごまします。いやー、二人もやっとまとまりましたね。本当、一時はどうなるかと思いました」
歩美は小さく笑みを浮かべながらそう言ってきた。それからしばらく女性ばかりの華やかな席での写真撮影などの喧騒が一段落した後に、歩美はそっと耳打ちをしてきた。
「ゆかりちゃんから『同棲解消した。別れるかも』って言われたときはどうしようかと思いましたよ」
歩美はそう言っていたずらっぽく笑った。どうやら同棲が解消された後、ゆかりは歩美に悩み相談をしていたようだった。それは高橋は初耳だった。
「……なんだか余計な心配かけてすみませんでした。あの時は色々ありまして」
「本当ですよ。祐司に感謝してくださいね?」
「……坂本に?」
「ええ。ゆかりちゃんがウチに泣きついてきたとき、祐司が一生懸命高橋さんの事を庇ったんですよ。アイツはいいヤツだから浮気なんかするはずがない、ってね」
「…………」
高橋は再び坂本の笑顔を思い出した。恐らくあの時既に死ぬしか道はないと思っていたはずだ。最後に生きた証を残したくて、二人の仲を取り持ったのではないか。
本当の所は解らないが、高橋はそう思って涙が出そうになった。
「だから、二人がこうして結婚を向かえたのも、祐司のおかげもあるから、忘れないでくださいね」
「私も。ちゃんとフォローしたんだからね」
隣で聞き耳を立てていた由紀が歩美の袖をつかんで頬を膨らませていた。
「ちゃんと『浮気するほどの甲斐性はない』ってフォローしたんだから」
「……すみませんね。最近変な言葉ばっかり覚えちゃって」
「いや、いいんです。それより坂本はまだ……」
高橋の言葉に歩美は小さく首を振った。
「なんにも進展していません。まったく、どこに行っちゃったんですかねえ」
「…………」
歩美になら、本当の事を言ってもいいと思っていた。彼女は口が固く秘密を守ってくれるだろうし、何よりも戻ることのない人を一生待ち続けるのは辛すぎる。せめて彼が既にこの世にいないことだけでも伝えるべきだと考えていた。だからこのゆかりが席を外している間に歩美に近づいたのだ。坂本は残念ながら死んでしまった。だから我々は前を向かなければならない。
しかし、高橋はそれを言うことが出来なかった。喉まで出かかっているのに、それを口に出すことが出来なかった。それを言ってしまえば、最終的にはサイトの事が表に出てしまうだろう。そうすれば坂本が行っていた事まで知られてしまうだろう。果たしてそれは坂本が望んでいることだろうか。
いや。高橋は己の考えを否定した。結局の所自分が可愛いだけではないのか。坂本が死んだことから、自分が殺人を行ったことがバレてしまわないか、そのことを恐れているのではないか。
「……高橋さん?」
急に黙った高橋に歩美は首を傾げた。
高橋は少し考えた末に、ゆっくりと顔を上げた。
「いや、なんでもない。坂本、いい加減帰ってくればいいのに」
「本当、帰ってきたらひっぱたいてやるんだから」
歩美は小さく笑いながらそう言った。
その時、高橋は係員にそれとなく呼ばれた。ゆかりの衣装替えが完了したようだった。高橋が高砂に戻ると、司会がゆかりの到着を伝えた。
結婚披露宴はつつがなく進んでゆく。新婦からの家族への手紙や高橋の父親の挨拶を終え、最後に新郎である高橋からの謝辞を迎えた。
「……本日は、お忙しい中私どものために集まっていただき、ありがとうございました……」
高橋の口上はそんな言葉から始まり、事前に作成した文面を読み上げていった。それはごく一般的な文面であり、高橋はかすかに緊張しながらもそつなく読み上げていった。
「……以上、簡単ではございますが、私達からのお礼の挨拶とさせていただきます。最後に……」
高橋はそう言うと、文面から目を離し、辺りを見回した。スポットライトが眩しいが、一同がこちらに集中していることがよく解る。歩美も由紀も、高橋を見つめている。そしてその隣が空いていることも、よく見えた。
「私はとても小さな人間です。大切な決断ではいつも迷ってしまい、その度に後悔をしてしまいます。もっとうまく動けたのではないかと思うことも多々あります。いつも悩んで苦しんで、その度に自分が小さい人間だと思い知らされます」
高橋は言葉を止めて大きく息を吸った。そしてはっきりと会場を見渡す。
「しかし今はゆかりが隣にいます。これからはゆかりと一緒に悩んで決断して、そうして私のまわりで困っている人の支えになればと思います」
高橋が深く礼をした。溢れるほどの拍手を受けながら、高橋は「これで良かったのだ」と心の中でつぶやいた。
本当は坂本の死を伝えなければならない。しかし今は自分だけの身体ではないのだ。だからいつか本当のことを話せる日が来るまで、決して忘れることなく生きていかなければならない。
なあ。これで良かったんだよな?
高橋は坂本の顔を思い出した。多分、その顔は笑っているような気がした。
・ ・ ・
ゆかりとの結婚式から半年が経過した。季節は冬を過ぎ、春へと移り変わった。
高橋は加奈子の車の助手席に座っていた。運転するのは加奈子。車内には二人きりで、二人は一言も発することなく静かに車を走らせていった。今回の事はゆかりには内緒である。
車は山道に入り、人気のない道を走っていた。よく晴れた昼下がり。窓を開けると少し冷たい風が入ってきた。
「もう少しで着きますよ」
加奈子が前を向いて運転しながらそう言った。高橋は何も言わずに流れる風景を眺めていた。
そして山の中腹あたりで車を停める。路肩に駐車して二人は車から降りた。路肩のガードレールを越えて山の中へと入ってゆく。木々が生い茂る斜面を少し降ると、急に開けた空間に出た。
眼下が小さな崖のようになっており、川が流れていた。割と広く流れが早い。川の向こう側には大きな桜の木が一本植えられている。まだこの辺では桜の開花はしていないはずなのに、その桜は既に満開を迎えているようだった。
「ここです。この桜が目印のようです」
加奈子は短くそう言って、そっと顔を伏せた。
「ここか?」
辺りは川のせせらぎの鳥の鳴き声しか聞こえてこない。静かな場所だった。高橋が予想していた風景とはまったく異なり、少し面食らってしまった。
加奈子には懇意にしている運営委員がいた。彼女曰く、「向こうは私のことを好きみたいです。私は興味ないですが」ということらしい。その運営委員は、加奈子の「どうしても」というお願いに対し、渋々ながらも誰から聞いたのかは他言しないことを条件に教えてくれた。
それはサイト運営での一番の核、会員にも秘密であること。運営委員は彼女のためにサイトの規律を破ってくれたのである。
加奈子は桜の花を見ながら、少しだけ目を細めた。
「ええ。この地域での戦闘の遺体処理は、ここで行われます。葛西さんも坂本さんも、父も、ここで行われました。……明日美さんは関東なので違いますけどね」
「ここで、どうやって処理するんだ?」
「詳しく聞きたいですか?」
「……今後の食生活に支障を来さない程度にね」
高橋がそう言うと、加奈子は持っていたカバンの中からビニール袋を取り出した。ここに来る前に立ち寄ったスーパーで購入したものだ。その時は解らなかったが、今は購入した意図が解った。
「実際の処理は戦場で行われます。そしてこんな感じに……」
加奈子はビニール袋からサイコロステーキのトレイを取り出した。ビニールの包装を取り、中の肉片を川に向かって投げた。すると今まで静かだった川で、魚が勢いよく跳ねた。今まで静かにしていた魚が、こぞって投げ入れられた肉片に集まってきた。そしてそれに合わせるように空からも水鳥が集まってきて、気がついたら加奈子が投げ入れたサイコロステーキは綺麗になくなっていた。
魚も水鳥もしばらくするとどこかにいなくなり、再び静かな川辺に戻っていた。
坂本も葛西も佐藤も、こうして処理されたのかと思うと少し複雑な気分になり、高橋はそっと手を合わせた。
「ありがとう。これで少しはすっきりしたよ」
「いいえ。私も父が眠る場所を知りたかったので」
加奈子も手を合わせ、しっかりとした目で向かいの桜を見ていた。高橋も同じように桜に目を向ける。養分をしっかりもらっているからなのかそれとも別の理由があるのか、気味が悪いくらい綺麗に花を咲かせている。何となくその桜が墓標のように見えてきた。
それからしばらく沈黙が流れた。加奈子は先ほどからずっと桜の木を眺めている。そんな加奈子に、高橋はポツリとつぶやいた。
「……実はさ、坂本が死んだこと、そんなにショックに感じなかったんだ。もちろん悲しかったし辛かったけど、何日か経ったら平気になったんだ。こうして人が死ぬことに慣れるのは、やっぱり普通じゃないよね?」
高橋の言葉に加奈子は桜から視線を話さずに答える。
「普通じゃないのかもしれませんが、高橋さんはずっとまともな方です。すぐに今まで通りに戻れますよ。心配はいりません。さ、戻りましょう。あまり長居してられませんから」
加奈子はきびすを返し、来た道を戻って行った。高橋も後をついて行く。
「ん?」
もうすぐ車を駐車した峠道に戻るところで何か物音がした。重低音、どうやら車の排気音のようだ。
峠道に戻った。ガードレールの先、車道の向こう側に車が停まっていた。車高を極限まで低くした改造車らしい。やけにうるさい排気音も、その車から聞こえているようだ。
高橋達がガードレールをまたぐと、改造車から二人の男が出てきた。長髪と、坊主頭である。彼らは高橋の方へと近づいてきた。
「この車、あんたらの?」
「ええ。そうですが?」
「この峠降りてくるのに、そんな所に車駐めてるとすっげー邪魔なんだわ。早くどいてくれねえかな」
長髪の男がそう言って高橋に凄んできた。登っている方の車線の路肩に駐車している加奈子の車は、普通に降りてくるのには邪魔にはならないだろう。邪魔になるとしたら、大きく膨らむ必要がある、いわゆるタイムアタックに必要なのだろう。そう言えばこの峠道が走り屋に愛用されていることに高橋は気付いた。
「おい、黙っていないで何とか言えよ。大体こんな山奥で何やっていたんだよ」
坊主頭の男が下卑た笑みを浮かべている。
まずいな。高橋は眉を寄せた。この場所にいることを見られたのはまずい。後ろの加奈子に目を向けると、同じように考えているようで、右手をカバンの中に入れていた。
加奈子に視線で制するように合図を送り、高橋は長髪の男の目を見据えた。
「君達、申し訳ないけど今のことは忘れてもらえないかな。ここに駐めたことは謝るし、君達のその、暴走行為も公言しないからさ」
「は? なんだてめえ」
凄む男達に冷えた目を向けた。彼らの脅しなど、戦闘の時の緊張感に比べれば大したことはない。高橋は一歩前へ出て静かに彼らを睨み返した。
「……おい。もういいから行こうぜ」
長髪の男がため息混じりにそう言った。坊主頭の男も舌打ちをして応じた。
「ありがとう。すぐに帰るから」
高橋のその言葉を無視して、男達は車に乗り込み、馬鹿みたいに大きな音を上げて峠を登っていった。
「じゃあ早めに帰ろうか。……ところでそれ、何を握っているの?」
高橋は加奈子の、カバンに入れている手を指差した。彼女はフッ息を吐き、カバンから手を引き抜いた。
そこにはタオル地のハンカチが握られていた。
「……なんだよそれ」
「こうしていれば、高橋さんが何とかしてくれると思いましたので」
加奈子はそう言って小さく微笑んだ。
二人は車に乗り込み、峠道を降りていった。
「……先ほどですが」
山道を抜け、田園風景の中の道に出たところで加奈子が口を開いた。
「あの男性を殺そうと思いました?」
「まさか。もうあの世界には戻りたくないよ」
高橋が笑いながらそう言うと、加奈子は「そうですか」とだけ言った。その口調は少し明るかった。
一応サイト内には名前が残ってしまう事になるが、それはそれで仕方ないと思っている。それだけのことをしてしまったのだ。高橋はそのくらいの不都合は受け入れようと思っている。
「ところで、若林君とはどんな感じなんだい? ヤツは教えてくれないんだよね」
若林と加奈子は、高橋の結婚式二次会でメールアドレスの交換をしたようである。それからそれなりに交流があるようなのだ。
高橋の問いに、加奈子はかすかに頬を染めた。
「まあ、普通ですよ」
素っ気ない返事だが、それなりにうまく言っているようだ。
高橋は小さく笑いながら窓の外を見た。
外は綺麗に晴れ渡っている。空で悠々と漂う雲に、葛西と坂本の笑顔が見えた。
殺人サイト 福王寺 @o-zi
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