第83話 椅子

「手こずらせてくれたわね」


 桃火がパンパンと手を払うと、そこには倒れた陸サーファーたちが鬼にでも出会ったかのような怯えた目で桃火たちを見やる。


「畜生覚えてろ」


 今ではマンガですらそんなこと言わない、情けない捨て台詞をはいてから男達は逃げ去っていった。


「まだあんなこと言う気力があったか。ちょっと手加減しすぎたかしら」

「いや、ギタギタにしてやったという言葉がふさわしいと思うのですが……」

「何よ、助けてあげたのに」

「ごめんね、ありがとう」


 なぜ彼女たちがここにいるのかは知らないが、助けてもらったことは事実であり、遼太郎は素直に玲音と桃火に謝罪と感謝を述べる。


「べ、別にいいわよ。あんたぶん殴られてプチっときたのあたしだし」

「なんでここに?」

「別にいいでしょ。ちょっと姉妹で海に来ただけよ」


 あまりにも不自然すぎる言い訳だったが、遼太郎は「そうなんですか?」とそのまま額面通りに受け取ってしまう。この辺りが彼の最大の欠点でもあり、この姉妹を悩ませる原因でもある。


「じゃあもしかして、さっきのタオル被ってたのって」


 彼の予想通り、頭に目玉マークの描かれたタオルを被った女性がトボトボと歩いてくる。

 どうやらこれが麒麟上司らしい。

 彼女はそのままの姿で遼太郎の体にひしっと抱き付いた。


「すみません。私のせいで殴られてしまって……」

「いや、いいんですよ。麒麟さんだと気づいていませんでしたし、不慮の事故のようなものです。気にしないで下さい」

「遼太郎さんって、ほんと狙ってないのにジゴロですよね」

「何か言いましたか?」

「なんでもありません」


 タオルの下で麒麟の頬が赤く染まっていることに彼は気づいていない。


「それより、なんでそんなおもしろタオル被ってるんですか?」

「いや、周り見て下さいよ。ボインボインお化けが二人も揃ってるんですよ。どうやったって比べられるに決まってるじゃないですか」

「いや、あの別に女性の胸だけを見ているわけではないですから」

「気休めはやめてください。浜辺の男の人の視線でよーくわかりました。余計惨めになります。このまま海に帰りたくなってしまいます」


 遼太郎はまずい、麒麟の卑屈スイッチが入ってしまったと気づく。


「き、麒麟さんも決してないわけじゃないですし、むしろ平均値より遙かに上だと思うのですか」

「遼太郎さん。80点とっても世の中には100点以上を叩きだす人がいるんです。中の上とかゲームじゃ完全に要らない子ですよ」

「いや、バランス系って大事ですよ。どこにでも連れていけますし」

「そのかわり真っ先に切られるのはバランス系ですよ」


 彼女の卑屈度をなめてはいけない。


「うっ……あの陸サーファーたちも麒麟さんをナンパしてたじゃないですか」

「あんなの釣れても全く嬉しくないです。まぁそのおかげで遼太郎さんのカッコイイシーンが見れましたが」

「僕、ただぶん殴られてただけですけど」

「あの状況で女性の前に立てるだけで十分カッコイイですよ。誰も助けてくれない中一人で助けに来てくれるなんて完全にヒーローです」

「は、はぁ……」

「ねぇ岩城さん、椎茸さん」


 麒麟は甘い声で、あなたたちは来てくれませんでしたねと副音声で伝える。


「い、いやはや、正義の味方ヒラヤマンの邪魔になるといけないと思ったので」

「でふでふ。花を持たせたでふ」

「ほんと都合良いんですから」


 クスリと麒麟が笑みを浮かべる。

 遼太郎は特に何も言わずに油断している麒麟のメジェドラタオルをめくろうとする。


「ふわああああっ、な、何するんですか!?」

「僕、麒麟さんのが見たいです。タオルとりましょう」

「こんなの見ても虚しくなるだけですよ。もうほんと見渡すような大平原というか田舎の田んぼを見ているような気持になりますし、とても男性におすすめできるようなものではありません。もう心が無に返って焼け野原になるような――」


 遼太郎は最後まで言葉を待たず、ていっと麒麟の羽織っていたタオルを脱がす。

 すると、全く自身を卑下する必要のない麒麟の肢体が露わになる。

 イエローの競泳水着に包まれた体は、他の女性と比べれば慎ましやかではあるが、玲音達と比べ身長が10センチ以上低い為、バランスで考えれば麒麟の身体は十分グラマラスと言えるだろう。

 脚線を美しく見せるカットラインは鋭く、水気を帯びた水着は光沢があり陽の光を反射して煌めいている。

 キュっと水着によって締め付けられたくびれのラインは美しく、男の視線を集めるのに十分すぎる効力があるだろう。

 陸サーファーたち五人もの男を惹きつけたのも納得と言える。


「遼太郎さん、声もれてます」

「はい、漏らしてます」


 わざとですという遼太郎に麒麟はカッと頬を赤く染める。

 その様子にムッとした桃火が、どんっと尻で彼の体を押す。


「あたしにはなんかないの?」

「えっと、スケベな体だね――」


 桃火のハンマーのような拳が振りおろされ、遼太郎の頭頂部にクリーンヒットする。彼の体は、その衝撃で鉄杭の如く砂浜に埋まった。

 首だけを残してほぼ全身砂の中に埋まってしまった彼の姿は、シュール以外の何物でもない。

 岩城たちは首の骨折れたんじゃないかと思ったが、遼太郎は頭にたんこぶを作っただけで普通にしていた。


「ごめんよ桃火ちゃん」

「なによ」


 生首状態の遼太郎を、桃火はうりうりと脚でなじる。彼女は遼太郎の視線からだと凄いアングルになっていると気づいていなかった。


「なんか可愛いですね。私もやっていいですか」


 麒麟が一緒になって足でペタペタといじる。


「あ、あのやめてください~」

「お前ら子供みたいなことを」

「姉さんもどうですか。動けない遼太郎さんをいじるのって楽しいですよ」

「くだらん、早くパラソルをたてろ。車から荷物を出せんだろ」

「は~い」


 桃火と麒麟は二人でビーチパラソルを設置しに砂浜へと戻る。

 残されたのは首までうまった遼太郎と玲音だけだ。


「くだらん体力を使ったから、あっつい……」

「玲音さんは熱に弱そうですね」

「おい、下を向け」

「はい?」


 玲音はグリっと遼太郎の後頭部を足で踏みつけ下を向かせると、その頭にお尻を下ろしたのだった。


「あのー」

「拠点が設置されるまで椅子になってろ」

「砂浜に座ればよろしいのでは?」

「砂が熱い」

「では海の中に入っているというのは」

「塩水が嫌いだ」


 なんでこの人海に来たんだと動かない首を傾げる遼太郎であったが、周りから見れば美女に頭を椅子にされている光景はご褒美以外何ものでもなかった。



 その様子を死んだ魚のような目で見据える滝下の姿があった。


「……なんだよあれ……天国かよ……」


 砂浜にいる男性全員の心の代弁であった。


 ビーチパラソルが設置された為、玲音がようやくお尻をどけてくれたので、滝下は遼太郎の体を砂浜から掘り起こしていた。


「あの、いろいろ聞きたいんだけど」

「あぁ、あの人達はウチのゲーム会社の上司です」

「あれって真田ピーチ姫だよな?」

「ええ、桃火ちゃんの姉妹で玲音さんと麒麟さんです。あと、その名前で呼ぶとめちゃくちゃ怒りますから、やめた方がいいですよ」

「いや……ありえないだろ。なんであんな美人がゲーム会社に……」

「偏見ですよ。ゲーム会社だっていろんな人がいますからね」

「いや、それより気になったのは、お前彼女と別れたって言ってなかった?」

「言いましたよ?」

「いや、彼女だけじゃなくて他の女の人も……」

「どうかしましたか?」


 滝下の言いたいことは「あれじゃ誰が彼女かわからないじゃないか」ということであり、完全に傍から見ると全員と付き合っているようにしか見えなかったのだ。

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