第72話 独り

「じゃあ僕はこれで今日は落ちます」

「もうちょっと……ダメ、デスカ?」

「もう23時を回っていますからね。これ以上するとお医者さんに怒られますよ」


 遼太郎は不満を漏らす少女に笑みを返す。

 帰ると言われてしょんぼりしてしまったのは、このにゃんにゃんバーに来て遼太郎のことを一番慕っている外国人の少女で、名前をアンナと言う。

 肌の色が白く透き通るようで、銀色の髪が美しい。前髪が長く、両目が隠れるほどで口数はあまり多くないが、ゲームへの興味は強く、遼太郎が教えたレトロゲームを夢中になってプレイしている。

 過去の難関鬼畜ゲームもすんなりクリアしてしまうなど非常に集中力の高い子だった。

 しかし、神経系の病気から体の動きが制限されているらしく、現実世界の彼女はほぼ病院で寝たきりになっているらしい。

 こっそりと病室からログインしてきているらしいが、見回りの看護婦たちに見つかったりしないものだろうかと毎回心配になっていた。


「体の方は大丈夫ですか?」

「あー……体、ダイジョブデス Не беспокойся心配しないで


 たどたどしい言葉にほほえましくなる。時折母国語が混じるようで、本来なら翻訳機が正確に訳してくれるが彼女は日本語を勉強しているらしく、現在頑張って翻訳機を通さず自力で話をしているのだ。ただ、あまり難しい言葉などはわからないので、その場合翻訳機を辞書代わりにして使用している。


「それは良かった。また明日も来ますよ」

「ん……また来て、クダサイ」

「ええ、今度は新しいゲームを持ってきます」

「あなたを……待って……い、マス」


 言いたい言葉を頑張って辞書を引きながら調べた感じの会話内容に、ほほえましい気持ちになりながら「また来ます」と言い残して遼太郎はゲームを落ちていった。

 一人になったアンナは寂しさから一つため息をついて同じくゲームをログアウトする。



 薄暗い部屋で少女はヘッドギアを外すと、寝ころんでいたベッドから起きあがり、電気をつけて冷蔵庫から水を取り出しコップに注ぐ。

 LEDの光で照らし出された部屋は病院ではなく、一人部屋にしては広すぎる彼女の私室で、そこに並ぶのは優勝トロフィーと賞状、動画サイトから贈られてきた登録者100万人、200万人突破記念表彰の盾。

 それにヴァイオリンなどの楽器の類がケースの中におさめられている。

 少女はコップを片手に、自分を含めた四人の楽器を持った若い男女が写った写真を見て、小さく息を吐いた。その写真には赤いペン字で[新生ZAK結成!!]と書かれている。


「姉様……独りは寂しい……です」


 その写真とは別に、彼女がデバイスに表示させた画像には髪の長い美しい女性と、幼少期の自身の姿が写し出されていた。

 彼女が遼太郎やにゃんにゃんバーの店主に言った神経系の病気でベッドから出られないというのは嘘で、アンナという名前も偽名だった。

 もう一度息を吐くと、視界の端にヘッドギアが映り、人の良さそうな青年に嘘をついている罪悪感がチクリと少女の胸を突き刺す。


[キンコン]


 深夜0時を回っているのに玄関のチャイムが鳴る。

 少女は誰が来たかは見当がついており、晴れない表情のまま扉を開く。

 するとそこには天然パーマぎみの中年男性が胡散臭い笑顔をして立っていた。

 無精ひげを生やしており自身の髪や顔の手入れはしていないのに着ているものは高そうな新品のスーツに、金の高級腕時計とアンバランスさを感じる。

 この男は彼女の所属しているミュージック会社、サンライトミュージックの社長兼プロデューサーの前原だった。


「ディアナ、今日は長かったな」

「スミマセン」

「それも仕事だ、構わない。遅くなったが今から歌のレッスンと来週アップ用の動画撮影を行う」

「ハイ、すぐ行きマス」




 ギターの音が響き、高層マンションの地下に造られた防音スタジオでディアナはマイクを片手に汗を流していた。

 だが彼女の表情は硬く、音を楽しむ余力は微塵もない。


「全然ダメだなディアナ。どうしたんだ? ちっとも身が入っていないじゃないか。こんなのじゃ困るよ。動画リスナーっていうのは簡単に離れていっちゃうんだから、常に良いものを早く、これ重要! とにかく早くできれば毎日提供していかないと! 皆新鮮な娯楽に飢えてるんだ」

「スミマセン……」


 俯くディアナに前原は両腕を組んで苦い表情をしている。

 彼女事態に疲労の色も見えるが、原因は他にあるように思えた。


「ディアナ、あの仕事嫌だったのか?」

「…………」


 体調の悪いディアナを休ませるが、顔色は一向によくならない。

 元は彼女は弱小ミュージックレーベルサンライトミュージックが発掘した、ゲーム配信者だった。

 元から人気のある配信者だったが、前原が注目したのはゲーム動画の方ではなく、彼女がアップロードした有名曲をカバーして歌う、〇〇歌ってみたというタイトルで今なお多く投稿されている音楽系の動画の方だった。

 これは売れるとふんだ前原は、すぐさまディアナにコンタクトをとり自社へと迎え入れた。

 そこでサンライトミュージックが推しだしているが、鳴かず飛ばずのバンド【ZAK】と組ませることによって、バンドメンバーを含め、爆発的な人気を獲得したのだった。

 傾いていたサンライトミュージックを持ち直し軌道に乗せなおしたのはディアナを含むZAKの功績であった。

 ZAKのメンバーは、ほぼ全員が十代で陸上選手や、声優などマルチに活動し、そのフレッシュさと身近さが若者に共感を受けていた。

 ディアナも水泳が得意で練習風景が動画で公開された時は非常に反響が大きく、誰もが将来を期待するユニットだった。


 しかしそれは全て昔の話である。

 今現在ZAKのメンバーはディアナしか残っておらず、他にいたメンバーたちは辞めてしまったのだった。

 なぜディアナだけになったかと言うと、それは全てこの前原のやり方についていけなくなってしまったからだ。


「そんなに気に食わなかったのか? 俺は面白いと思うけどな。ドッキリ大作戦、有名VRゲームに潜入したディアナがユーザーと接触。一週間楽しく過ごした後に実はディアナでしたってバラす企画」

「それはディーナが有名じゃないと成立しマセン」

「何を言ってるんだ、10代20代の認知度、並み居るアイドルを押しのけ第4位に入ってるんだ。正直君を知らないのなんて動画に興味のない老人世代くらいのもんだよ? もっと自信をもつんだ。来年にはトップ3入りも夢じゃない」

「ディーナが今話してる人、凄くいい人デス……。騙してるの、とても申し訳ない……」

「信じてるなら好都合じゃないか。その方が最後落とすとき盛り上がるだろ? ピエロは滑稽であればあるほどいい」

「ピエロだなんて……」

「深く考えすぎなんだよディアナは、俺はこの道のプロなんだ。俺について来れば間違いない。何にも心配なんかいらないさ」


 その結果会社を潰しかけたわけだが、前原はそのことを完全に棚上げする。


「ソウ……デスガ……でもディーナはゲームが好きでやりたいデス。歌は向いてないでデス。いつも歌う時、頭真っ白で足が震え、すくんでしまいマス」

「そんなこと言っちゃって、あれだけ気持ちよさそうに歌ってるのに、それが実は嫌でしたとか誰も信じないよ?」

「ディーナの歌は……親しいほんの一部の人だけに歌ってきました。マエバラさん日本来たらゲームタレントできるって言うから日本来たのに、全然話違う。音楽の練習ばっかり……ディーナ個人でアップしたゲーム動画もマエバラさんすぐ削除する……全然自由ない」

「そんなことないって。今メタルなんとかだっけ? そのゲームの仕事してるじゃない」

「あんなの人を騙しているだけ!」


 珍しく声を荒げたディアナに、前原は地雷踏んじゃったと悪びれる風もなく舌をぺろっとだした。


「じゃあこれが終わったら本当にゲームの仕事入れるからね」

「もうその言葉聞き飽きまシタ……全然約束守ってくれない。マエバラさんゲーム嫌い、知らなかった……」

「ディアナ、もっと大局的に物事を見るんだ。ゲームと言うジャンルは狭い庭でしかないんだ。その庭で一位になったとしても、所詮それは井の中の蛙、シェアとしてはとても小さいものなんだ。君の実力なら世界を狙える」

「世界とか目指してないデス……ただ、楽しくゲームしたかった……。スミマセン、次が終わったらディーナも辞めさせてください。こんな人を騙すような仕事、もうしたく……ナイ」


 ディアナは辛そうに俯くと、前原は突然彼女に土下座して号泣しだした。


「お願いだよディアナ、そんなこと言わないで! 君が辞めてしまうと、また我が社は潰れてしまうんだ。俺には妻も子供いるんだ、君がいなくなってしまったらあの子たちはどうなってしまうか。お願いだディアナ辞めるなんて言わないでくれ」


 恥も外聞もない土下座に気圧されるが、ディアナはこの土下座を見たのがこれが初めてではない。

 彼女が辞めると切り出した時は、毎回これをやられて困ってしまうのだ。

 性根が素直で優しいディアナにとって、この泣き落としは非常に有効であり、誰が見たところで嘘だろと看過されてしまうが、疑うことを知らないディアナは可哀想と思ってしまい辞めると言えないのだった。

 他のメンバーはこの強引さや、虚言癖に嫌気がさしてやめていったのだ。

 しかし前原からすればディアナさえいればなんとでもなると思っている為、彼女以外のメンバーを強くは引き留めはしなかった。逆に彼女を孤立させた方が縛り付けることができると思ったからだ。

 もしディアナにこの泣き落としが通用しなくなれば、今度はもっと乱暴な手に出るつもりであることを彼女はまだ気づいていない。

 所詮彼女はこの異国の地で独り身である。バンドメンバーも辞めてしまった今、頼れる人間なんて誰もいないのだから。

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