第67話 自撮り
既に遼太郎がいることに何の疑問ももたなくなった玲音は、そのまま連れ立って大型自家発電のある発電室へと入る。
中は薄暗く、オレンジ色の非常灯が血管のように伸びた鉄パイプや、塗装されていない壁面を映し出しており、どことなくホラーゲーのような雰囲気がある。
「これが自家発電ですか?」
雷のような電気マークのついた発電機は、巨大なタービンのようで小さく回転音を発しながらも稼働していることがわかった。
「なぜ動いているのに切りかわらなかったんだ……」
玲音は呟きながら近づき、発電機に異常がないか確認して回ると、ヒューズボックスの中にある三本のヒューズのうち一本がなくなっていることに気づいた。
「問題はこれか……しかしおかしい。先日の設備点検でヒューズ不良や交換するなどとは聞いていない」
「直りそうですか?」
「ヒューズが一つない。しかし制御系を書き換えれば、残り二本で回すことも可能だ」
「良かった」
玲音は腕時計型のデバイスを発電機にかざして通信を試みたが、うんともすんと言わない。
おかしいと思いデバイスを見ると顔をしかめた。
デバイスの画面にヒビが入り、完全にブラックアウトしているのだ。
恐らく先ほど貯水槽に落ちた時、どこかにぶつけ、できたヒビから中に水が入ったのだと予測がついた。
「チッ……」
これではプログラムの書き換えを行うことができない。
その時玲音の目に映ったのは遼太郎の持つ年代物の電話型携帯デバイスだった。
「それを貸せ。私のデバイスは先ほど落ちた衝撃で壊れたらしい」
「これですか?」
遼太郎は長方形のスマートフォン型デバイスを玲音に手渡す。これでなんとかなるかと思われたが、またしても問題に気づく。
「何世代前のだこれ?……古すぎて使い物になるかわからんな……」
「すみません」
遼太郎のデバイスをかざしてみると、予想通りスペックが低すぎて発電機にアクセスすることができない。
「ネットワークアダプタのバージョンが古すぎて最新のものにアクセスできない」
玲音は思案すると、ある打開策を思いついた。だが、それには彼の了承が必要だった。
「おい、これ壊してもいいか?」
「えっ?」
「最新型のデバイスが買えるくらいの補償はする。これをヒューズの代用として使いたい。ただ使えば通電に耐え切れずほぼ確実に壊れる」
「壊れてしまったら意味がないのではないんですか?」
「一度通電させれば恐らく災害モードから自家発電モードに切り替わる。ヒューズは三本なくても二本でも回るはずだ」
要は発電機の自家発電モードに切り替わる一瞬だけ持てばいいと説明されるが、遼太郎は口ごもる。
「いや、その、えっと……」
「アドレスのコピーくらいはPCにとっているのだろ?」
「それは、はい、あるんですが。古すぎてこのデバイスじゃないと読めないデータもありまして……」
「そんなデータ処分しろ。新たなフォーマットに対応できないデータはいずれ消える。データは劣化しないと思っている人間がいるが、データは古くなれば読み込めなくなったりデータ破損をおこしたりする。それはすなわち古いものが朽ち落ちるのと同じだ。そのデバイスはそう遠くないうちに壊れる。そうなればお前が惜しんでいるデータは見れなくなる」
遼太郎は玲音の言っていることは理解していた。自分が大事にしているデータはそう遠くないうちに見れなくなる。それがデバイスの寿命を待つか、ここでヒューズのかわりをしてぶっ壊れるかの違いなだけだと。
合理的な玲音からすれば、彼が惜しむデータよりここで電力を復旧させるのに使った方がこのデバイスの価値は高く、おまけに新型のデバイスまで買ってやると補償つきだ。
彼女の考えからすれば断る理由は見つからないが、玲音は人間が物を惜しむという感情が時として合理性を上回ることを知っている。
その為、断るのであれば無理強いをするつもりはなかった。
「そこまで惜しむなら無理にとは言わない。ここを出て私の予備のデバイスを持ってくる」
だが、それは無理だとわかっていた。地下の防火シャッターは下りていたし、自分たちが落ちて来たダクトは背伸びや肩車して届く位置にはなく、仮に届いたとしてもあれだけ傾斜がきついダクトをよじ登っていくことは不可能で、実質二人はこの地下に閉じ込められているのだ。
「…………どうぞ、使って下さい」
「いいのか?」
「ええ、真田さんが言う通り、いずれ見れなくなるデータですから」
「そうか。何のデータかは知らないが、サルベージできそうならしてやる」
「いえ、大丈夫です」
玲音はデバイスを操作した後、欠けたヒューズの位置にデバイスをセットする。
そして発電機に再起動をかけると発電室の電気が一瞬完全に落ち、すぐに非常灯から通常の蛍光灯へと切り替わる。
玲音の言う通り、自家発電モードへと切り替わったようだった。
その直後発電機の電力に負け、ボンっと音をたてて遼太郎のデバイスは壊れてしまった。
しかしながら発電機は落ちることなく、そのまま稼働し続けている。
遠くでシャッターが開く音がして、どうやら閉じ込められていた場所が解放されたようだ。
「これで大丈夫だな」
玲音は安堵したが、遼太郎は悲し気に黒焦げになった自身のデバイスを拾い上げた。
「お前のおかげで復旧することができた」
「いえ、僕は最初から何もしていませんから」
玲音は黒焦げになったデバイスを見るが、一目でデータのサルベージなど不可能なくらいぶっ壊れていることがわかる。
「ここまで壊れてしまうとデータの復旧は無理だ。恐らくメモリの部分も焼け焦げてしまっている」
「だと思います」
遼太郎は顔を上げると、誰にでも作り笑顔とわかる笑みを浮かべていた。
人の感情等基本なんとも思わない玲音であったが、その諦観の笑みだけは妙に心に刺さったのだった。
停電から三日、電線のトラブルも解決し、自家発電のチェック態勢の見直しが行われていた。
玲音は停電による被害報告と管理会社の見直しも含め、なぜヒューズがなくなっていたのか調査した資料に目を通していた。
しかしながら満足のいく調査結果ではなく、結論よくわからないという内容が難しい言葉で書かれているだけで、玲音苛立ちは瞳の冷たさとなって顕れる。
コンコンとノックが響き、第一開発室室長室に桃火が入って来る。
「あーもう、やってらんないわよ。開発のトラブルじゃなくて、こういう全く関係のないところでトラブんのってほんとテンション下がるわ」
「停電の被害はどうだったんだ?」
「休日だったから作業的な戻しは発生しなかったっけど、開発用のサーバーPCの電源が死んでたわ。ハード交換依頼したけど業者が来るまで二、三日かかるって」
「PCはデリケートだからな。いきなりコンセントを抜けば壊れるものもでてくるだろう」
「環境構築しなきゃいけないって意味では戻し作業よね」
「そうだな」
「あっ、そうだリョウタロー、じゃなくて平山と一緒に発電機動かしに行ったんだって? あいつなんかやらかした?」
「いや、食えぬ男だったが役には立った」
「あれ、珍しい。姉さんが人を褒めるなんて」
「私のデバイスが壊れて困っていたが、奴のデバイスを使って復旧させた」
桃火はふーんと頷いたが、首を少しだけ傾げる。
「あいつのデバイス超古いでしょ? よくあれで対応できたわね」
「いや、そもそもネットワークアダプタの形式が違って発電機にアクセスできなかった」
「それどうしたの?」
「ヒューズが一つ欠けていたのが問題だったから、ヒューズのかわりにした。一回切りかわれば後は残りのヒューズでも動く」
「えっ、でもそれってデバイスが会社用の発電機の電圧に耐えられないわよね?」
「ああ、当然ながら発火した」
「……それで、か」
「当人は惜しいデータがあったみたいで嫌がっていたがな」
「まぁ当然じゃない。あのデバイスの中に亡くなった家族の写真が入ってたし」
「………………なに?」
玲音は調査資料に落としていた視線をあげる。
「亡くなった母親や祖母の写真が入ってたの。それにあのデバイス母親の形見だし」
「聞いてないぞ、大事なものじゃないか」
「そうよ。あたしもいつまで使うつもりなんだろって思ってたけど、本人は壊れるまでって言ってたから、そりゃ悲しいんじゃない?」
「チッ……なぜそんなものを差し出した。私は別に嫌ならいいと言ったのに」
「そりゃ社長が君のデバイスを使って会社を復旧させてくれって言われたらバイトの身のあいつとしては、はいと言うしかないんじゃない?」
「パワハラだろ」
「パワハラね」
「そんな古いデータ削除しろとまで言った」
「合理主義の塊である姉さんらしいと言えばらしいわね」
「あの男デバイス捨てたか?」
「持ってるでしょ、どんな形であれ形見なんだから」
形見という言葉が玲音の心をチクリと突き刺す。
あの諦観の笑みの正体がわかり、彼女の表情は苦虫を噛み潰したかのようになっていた。
「桃火、あいつにそのデバイスを持ってこさせるよう伝えておけ」
「どうするの?」
「データのサルベージをする」
「諦めたんじゃないの?」
「これを諦めたら私が人としてクズすぎるだろ」
「そんな偉い人いっぱいいると思うけど」
「黙れ」
「はいはい、言っておくわ」
そうして数日後、遼太郎が焼け焦げたデバイスを玲音に預けて何日か経った後だった。
彼の元には新品同様となったスマートフォン型のデバイスが戻ってきていた。
「製造中止になっていたはずなんですが……」
開発室で新品同様になったデバイスを見て驚くが、中身のデータも元通りになっていて二度驚くのだった。
デバイスを持ってきた桃火が苦い笑みを浮かべながら経緯を説明する。
「もうね、それを復元するのにいろんな業者に協力してもらったわ。製造メーカーは勿論、制御系担当しているソフトメーカーとか、復元を専門にしている会社にも無理言って最新の技術を借りてきたわ」
「いや、驚きです。黒焦げだったはずなのに」
「玲音姉さんから復元はしたが、それは元のあんたが大事にしていたものではない。無理を言って大切な思い出を壊して悪かったって」
「玲音さんっていい人ですよね」
「そう? あたしからしたら人の皮をかぶった鬼なんだけど」
「いい人ですよ。停電の件で一気に親近感がわきました。なんというか凄く好きになれたと思います」
そう言うと桃火の表情が一瞬で憤怒の化身のようになる、
「あ゛あ゛ん?」
「そ、そんな怒らないでよ桃火ちゃん。僕みたいなのとつり合いが取れるわけないんだから」
そう言うが桃火は何か言いたげに、首を右に左に傾けている。
「あと、はい、これ」
遼太郎はもう一つデバイスを手渡される。それは玲音が使っていたのと同じ腕時計型のデバイスだった。
「これは……たしか玲音さんが使ってた……」
「それめっちゃ高いわよ」
「う、うん、そう思う……」
「具体的にはそれ一つで二階だての家が建つわよ」
「ええっ!? そんなの受け取れないよ! デバイスもこうやって修理してもらったし」
「姉さんから、大事なものを身につけているといつか不注意で取り返しのつかないことになるぞって」
その言葉の意味合いは彼も理解していた。
「…………」
「ずっと使ってたいかもしれないけど、大切なものはやっぱりちゃんとしたところに保管しておいた方がいいんじゃない?」
「…………うん、そうだね。これを壊したら玲音さんに申し訳がたたないし」
「あと、大切なものを捨ててしまえって言って悪かったって」
「気にしてないのに」
「お詫びを検討しているから、何かあれば言ってこいって」
「そんな、こんないいもの渡されてまだお詫びなんて言えませんよ」
「別に好きなの要求すればいいと思うけど。あっ、姉さんのヌードとかどう? 面白そうじゃない?」
「と、桃火ちゃん、僕まだ死にたくないですよ」
「確かに殺されそうよね」
「でも、そうですね。写真を一枚もらいたいです」
「姉さんの?」
「ええ、ぼくの勝手な思いこみですが、ほんの少しだけ仲良くなれた記念として」
「まぁ伝えといてあげるわ」
その数日後、新しくなった遼太郎のデバイスに自撮り慣れしてない感半端ない玲音のプライベートの私服写真が送られてきて、遼太郎はやっぱりこの人可愛い人だなと思ったのだった。
玲音エンカウント編 了
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