第66話 不思議な二人

 玲音の行動力の高さに驚きながら遼太郎もよじ登って通気口ダクトへと入っていく。

 通気口の中は狭く、四つん這いで進むしかない。整備が行き届いているのか、中が綺麗なのは救いだった。

 玲音に追いつくと、彼女も同じように四つん這いになりながら進んでいる。

 ただ前を見ると、玲音の尻が揺れているので気まずく、すぐに下を向くことにした。


「あの、どこに向かってるんですか?」

「地下だ。本来停電しても予備の自家発電に切り替わるはずだが、何かが原因で切りかわっていない」

「送電線のトラブルなら待った方が良かったんじゃないですか?」

「休日だろうが取引先から連絡は来るし、出社してる社員も多い。会社が一時間止まるだけでどれぐらいの損失が出ると思っているんだ。それにこの状態で火災や地震が発生すれば、閉じ込められた社員は逃げることもできない」

「そ、それは確かにそうなんですが。でも、これ副社長の仕事なんですか?」

「ならお前は教師の仕事に子供の喧嘩の仲裁は入ってないから無視すると親に言うのか?」

「いえ、そうではないですが」

「そんな奴最初から教師になるなという話だ。社員がこれは自分の仕事ではないと勝手にライン引きするのは結構だが、それは100%自分の仕事が完遂できる社員だけで、その人間に別のことをやらせると費用対効果として不利益が生じる時のみ、その言い分が通用する。トップである私にとって会社の復旧は最優先事項であり、これに勝る業務など他にはない」

「発電機の復旧なんてやったことあるんですか?」

「ない。だが、今の時代何にでもOSは組み込まれてる。ネットワーク接続できるなら何だって私は直せる」

「す、すごい。逆に直せないものってあるんですか?」

「人の道徳や概念。ネットワークを異常なまでに敵視する老人や、母親は子供のゲーム依存症に頭を悩ませゲームを嫌いになりやすい。私の身近にいる子供もVRゲームにのめりこんでいるが、それを見ている親が今後心配になるのはわかる。親心のような善の思想をかえるのは難しい。いくらゲームが安全と言っても時間を消費するのは間違いない」

「えっ、真田さんって子供いらしたんですか」


 そう言うと、玲音は容赦なく後ろにいる遼太郎に蹴りを見舞った。


「どう聞いたらそうなるんだ」

「痛い、痛いです! すみません。ま、まだご結婚されてませんもんね、勘違いしました」


 再び玲音の長い脚が後ろに繰り出される。


「鉄板入りはやばいです、死んでしまいます!」

「この程度で死ぬか。今、私を良い歳して男の一つもない哀れな女と笑ったな」

「笑ってません! 想像が飛躍しすぎです!」

「ふん」

「あの、失礼かとは思うのですが、真田さんは今おいくつなのでしょうか」

「二十二だ」

「嘘でしょ……僕と二つしかかわらないんですか……。にじみでるオーラと言うか貫禄が」

「老けていると言いたいのか」

「ち、違います! その、何と言っていいかわからないんですが、多分皆さん真田さんの貫禄に圧倒されているんですよ。高嶺の花というより宇宙の星のような存在に思えてしまいます」

「くだらん世辞はいい。私は見え透いた嘘が大嫌いだ」

「す、すみません。ですが、事実ですので……」


 玲音はダクトから下の階にひらりと飛び降りる。

 遼太郎も真似してみたが、見事にずっこけてしまった。

 遼太郎が起き上がった瞬間、壁ドンよろしく玲音に突き飛ばされ背中を壁に叩きつけられた。

 何がおこったかわからず目を白黒させていると、玲音が怒りの表情でこちらを睨み付けてくる。


「あまり私を怒らせるな。世辞は好かぬと言ったところだろう。私に生娘のような反応を期待するな捻り潰すぞ」


 その鋭い視線はまさしく泣く子も黙るものだろう。

 空気が質量を持ったかのように遼太郎の両肩に重くのしかかる。


「目、綺麗ですね。ウチのおばあちゃんと同じ目をしてます」

「…………」


 しかし圧倒的圧力もこの男には通じず、背景でカラスがカーカーと鳴いた気がする。完全に怒りのタイミングを外されてしまった。

 褒めているのかけなしているのかイマイチ判断の困る返答に、玲音は口をへの字に曲げる。

 普通ならばこの”圧”で何も言えなくなってしまうはずなのだが、キョトンとしている顔を見ていると毒気を抜かれてしまう。


「さすが涼音さんの孫だよ」

「あれ、僕のおばあちゃん知ってるんですか?」


 玲音は口が滑ったと苦い顔をする。

 彼女は遼太郎を無視して、また通気口のカバーを外す。

 どうやらダクトは一気に地下まで直結していない為、一階ずつ降りて行かなければならないようだった。

 気まずい雰囲気のまま階を降り進んでいくと、約三十分ほどかけて一階まで降りて来た。

 見慣れたはずの会社のエントランスには防火シャッターが下りており、電気もついていない為薄暗い。

 遼太郎は昔夜の学校に忍び込んだことがあるが、その時静かすぎて不気味な校舎を見てまるで別の場所に来たように感じたことがあった。それと同じ気持ちになっていた。


「お前はもう帰れ。復旧にはまだかかる。今日はもう仕事どころではない」

「ここから地下行けそうですよ」

「…………」


 遼太郎は既に地下へと続く通気口のカバーを外しているところだった。


「なんなんだこいつは……普通、私と一緒にいて息苦しさ以外感じないはずだ」


 玲音は常識の通じない遼太郎に額を押さえていた。


「何か言いましたか?」

「さすが桃火の男だと言ったんだ。……あいつがまともな男好きになるわけがないか」


 その時遼太郎は斜め下方に続いているダクトに体を滑り込ませていたが、つるんと足を滑らせる。


「あっ」


 マヌケな言葉を残して一瞬で玲音の視界から遼太郎が消える。

 やばい落ち方をしたと気づいた玲音は咄嗟に手を伸ばすが、その手は空を切り、遼太郎は凄い勢いでダクトを落下していった。


「アーッ」


 再び間の抜けた声がダクト内に響き渡る。


「ああもう、なんなんだあいつは!?」


 玲音はすぐさま追いかけるためにウォータースライダーばりの速さでダクトを滑り落ちていく。

 彼女が落下したその先にあったのは大量の水だった。

 ザパンと音が響き、水柱があがる。

 天地が逆さまになり、予想していなかった水中落下に驚くが玲音はすぐさま水面に浮きあがる。

 そしてここが去年設置した水道水を循環させる社内浄水設備の中だと気づく。


「どこだあいつは!? まさか泳げないんじゃないだろうな!?」


 浄水設備に落下した男性社員溺死と嫌なニュースが頭の中に浮かび、玲音はもう一度貯水槽の中に潜ろうとするが、その脇を遼太郎が普通に通りかかる。

 しかもこの男、水槽の中に落ちておらず貯水槽の上で心配そうに水面を見ている。


「おい、なぜお前は無事なんだ」

「あの、落ちてる途中ダクトが二つに分かれてるところがあったと思うんですが、それを左に行ったところあちら側の出口からでてきまして」


 遼太郎が指さす先に、突き破られたダクトがあったが確かに出口は水槽の上ではなく通路の上だった。


「…………最悪だな」


 玲音は不機嫌そうに貯水槽を泳ぎ、這い上がる。

 彼女の服はずぶ濡れになり、重くなった上着を脱ぎ捨てる。

 すると白いワイシャツの下から黒い下着が透けているのが見え、遼太郎は慌てて後ろを向く。


「すみません、助けようとして追ってきてくださったんですよね?」

「自惚れるな。地下へは元から降りるつもりだった。ただお前が落ちて行ったから驚いただけだ」


 後ろでビチャビチャと服を絞る音が聞こえる。


「真田さん怖そうに見えてお優しいですね」

「黙れ、今度なめた口を叩いたら重りをつけて沈めるからな」


 それは恐ろしいと思う。遼太郎は自身の着ていた服を脱いで後ろ手に玲音へと差し出す。


「なんだ?」

「すみません、その拭くものがないので、これで拭いていただければ……」


 親切心で差し出したつもりだったが、よくよく考えれば玲音は自分と天と地ほど身分が違う存在である。

 自分なんかが着たものをタオル代わりにしてくれなんて嫌だろう。

 玲音じゃなくても女性なら嫌悪感を持つ人だっているかもしれない。


「す、すみません。僕が着てたものでした。失礼しました! 上に上がって何かないか探してきます!」


 遼太郎は差し出した服を引っ込めて、階段へと走ろうとするが、玲音が服を掴んで離さない。


「おい、これで拭けと言ったところじゃないのか。それに階段はシャッターがおりていて上には上がれない」

「す、すみません。よくよく考えると僕みたいなものが着たもので体を拭けなんて、とんでもなく失礼なことを言っていると気づきまして」

「何を言っているお前は。ありがたく使わせてもらうから手を離せ」

「は、はい」


 本当にいいのだろうかと思いつつ手を離すと、後ろで体を拭いている音が聞こえる。

 しばらくして水に濡れた服が遼太郎へと返される。


「クリーニングするが」

「い、いえ、家宝にするのでそのままでいいです」

「変な奴め」


 遼太郎はそろそろいいかなと思い後ろを振り返ると上は黒のブラジャー、下はタイトスカートだけになった玲音を見て絶叫をあげる。


「キャーーーーー!!」

「なぜお前が叫ぶ。そういうのは女の役だろ」

「いや、上を着て下さい!」

「なぜあんな濡れたものを着なくてはならない。最低限隠れていればそれでいいだろう。本当なら下着も脱ぎたいところだが我慢している。お前が男じゃなければもっと楽だった」

「す、すみません」

「いい、行くぞ」


 この人多分前世はよっぽど男前な人だったんだろうと思いながら、王につきそう侍従のように玲音の後に続く。

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