第65話 電気がない

 真田家の食卓事件から数日後の日曜日。


「…………」

「…………」


 気まずい……。

 遼太郎はうんともすんとも言わなくなった扉を前に立ちすくむ。

 本来今いる階を表示するモニターはブラックアウトしており、ここが今何階なのかすらわからない。

 狭い密閉空間に男と女が一人ずつ……知らない人と一緒なら、ここまで気まずさは感じなかっただろう。

 自身の隣にいる女性のプレッシャーが凄まじく、今は空気が質量を持ったかのように重く肩にのしかかって来る。


 10分程前、休日出勤してきた遼太郎はいつも通り会社に入り、エレベーターに乗り込んだ。

 四、五階めくらいだろうか、エレベーターが途中で止まり、グッドゲームズカンパニー役員である女性が一人で乗り込んできた。

 鷹のエンブレムがついた軍帽に、チェーン付きの眼帯、陸軍将校のようなネクタイ付きの制服に勲章のようなアクセサリーが胸元で揺れる。

 腰まである長く美しいシルクのカーテンのような髪がサラサラと流れ、切れ長の瞳は睨まれただけで泣く子も黙ってしまいそうな威圧感がある。

 コスプレのような格好にも思えるが、着ている人間が長身で外国人ハーフと非常に様になっている為、大きな違和感を感じない。

 真田家長女、グッドゲームズカンパニー実質の社長トップと言っても過言ではない、ゲーム開発部門第一開発室室長兼副社長の真田玲音だ。

 彼女のような歩くだけでプレッシャーを放てるラスボス的タイプは、実は話すと気さくとか、話してみると優しいとかよく聞くが、この人は見た目通り怖い。

 本物の社長とエンカウントするよりずっと緊張感がある。

 昔岩城が同じ様にエレベーターで遭遇し、あまりにも緊張しすぎて下りる階を間違ったことがあると言っていたが、このプレッシャーにさらされれば確かに間違ってしまうこともあるだろうと思う。


 そんなことを思いながらエレベーターに乗っていると上昇中に突如大きな振動が襲う。エレベーターはがくっと一瞬下に落ちるような重力を感じ、落ちる!? と思った瞬間、安全装置が働いたのかエレベーターは緊急停止した。

 すぐに異常だと気づき非常連絡ボタンを押してみるが反応はなく、休日の為か気づかれる様子もなかった。


 それから数分、止まってしまったエレベーターに閉じ込められた遼太郎は何度目かわからないコンタクトを玲音に試みる。


「復旧しませんね」

「…………」

「十階くらいで止まりましたね」

「……ああ」

「…………」


 終始このような感じで、暖簾に手押し、糠に釘と言うかほとんど反応がない。

 ただ反応がないだけならいいのだが、立ち込める不機嫌オーラが半端なく、近づいたら殺すぞという殺意の波動をひしひしと感じる。

 携帯デバイスを使って岩城や椎茸たちに連絡をとってみるが、どれも繋がらない。


 やっと繋がったと思った高畑から衝撃的な事実を聞かされる。

 この周囲一帯の送電線がトラブルで停電しているらしく、同じく休日出勤してきている社員たちが電子ロックのせいで開発室の外に出られなくなっているらしい。

 管理会社もこのことは把握しているみたいだが、トラブルが復旧しない限りこの状況が改善することはないようだった。


「あの……」

「……なんだ」

「暑いですね」

「…………」


 空調も完全に止まっており、密閉空間であるエレベーターの中は暑く、息苦しさすら感じる。

 しかしながら遼太郎の隣にいる玲音は一人だけ気温が違うのか暑さを感じている様子はなく、顔色も涼し気だ。


(この状況でもまったく顔色がかわらないなんて凄いな)


 さすがは氷の女王と呼ばれているだけはあると心の中でそう思っていた。

 だが、それとは裏腹に玲音の服の下には大粒の汗が彼女のボディラインにそって流れていた。

 時間を確認すると、二人が閉じ込められて既に三十分ほどが経過している。

 まさか送電線のトラブルが解決しなければずっとこのままなのではないかと思い、嫌な予感を感じる。

 そう思ったのは遼太郎だけではなかったようで、玲音は先ほどからずっとエレベーターの天井を見まわしていた。

 何かあるのだろうかと一緒に首をあげるが、光の消えた蛍光灯以外何かある様子はない。


「…………おい」


 初めて向こうからのコンタクトである。


「はい、なんでしょうか」

「お前、椅子になれ」


 さすが鬼の第一開発室リーダー兼副社長である。社員に対して椅子になれ命令。

 並の指導者にできる命令ではないだろう。

 本来パワハラととられてもおかしくはないが、なぜだか従わなければならない使命感に駆られる。


「はい」


 遼太郎はその場で素直に四つん這いになった。すると玲音はヒールのまま遼太郎の背に乗る。

 なぜだか彼はありがとうございますと叫びたい気持ちになっていた。

 しかし椅子になれと言われたので、てっきり疲れているから座りたかったのかと思ったが玲音は遼太郎の背中の上で立っている。

 さすがは強者、どのようなときも頂点に立っていなくては気が済まないのかもしれない。

 もしかしたら救助に来た人に上下関係をわかりやすくしているのかもしれない。

 もし自分が救助隊で、四つん這いになった男の上に女が仁王立ちしていたら、即座にこの女の人は凄い権力を持っているのだろうと理解するだろう。


 ただ、その権力誇示いる? と思わなくもない。


 そんなバカなことを考えていると、ガコンと何かが外れる音がした直後、遼太郎の目の前にエレベーターの天板の一部が落下してくる。

 驚いて顔を上げると視界に黒色のストッキングに包まれたデルタゾーンが目に入る。


「誰が顔をあげていいと言った!」


 玲音は容赦なく遼太郎の顔を踏んだ。


「ありがとうございます!」


 つい声をあげて喜んでしまった。遼太郎はもしかして自分はマゾだったのだろうかと自身の性癖について深く考えてしまう。


「おい、強く踏むぞ」

「はい、いかようにも」


 言葉通り背中に容赦ない重量を感じ、その直後背中が軽くなった。どうやら彼の背中の上でジャンプしたらしい。

 もう一度踏まれるためではなく、どうなっているか確認する為遼太郎は顔をあげる。

 するとそこにはエレベーターの天板を外し、そこからよじ登ろうとしている玲音の姿があった。

 だが、天井にあいた穴は彼女が通るには若干小さいと思われる。

 そう思いながら眺めていると、予想通り胸でつっかえているようで、どうしても上半身が肩以上上がらない。

 玲音は桃火の姉であり、スタイルは桃火を凌ぐ。昔桃火とバカップル時代に彼女の胸のサイズを測ったことがあるが、高校の時点で90後半をマークしていた。玲音のそれは桃火を上回る。だとすればスレンダーな女性は通れても、玲音や桃火は通れないのではないだろうかと思う。


「おい平山、ボケっと見てないで下から押し上げろ!」

「は、はい!」


 玲音が自分の名前を知っていたことに驚くが、ここで無能さをアピールするわけにはいかない。

 遼太郎はなんとか玲音を押し上げようとするが、肩から下の女性の体って一体どこを持てばいいのかわからない。

 腰? 脚? それとも尻? こう見ると女性って触るとまずいところばっかりだなと思いながら、遼太郎はセクハラにならないであろう玲音の足裏を持ち上げる。

 それでなんとか上半身は通過できたようだったが、やはり当然と言えば当然か、今度は尻で引っかかっている。

 尻は胸と違って伸縮しないので、これは無理やり押し込む以外に手段がない。

 なんとか足裏を押し上げるが、脚に全て力が吸収されているようで役に立っているように思えない。


「おい、そんなところを押し上げても意味がない。もっと上を押せ!」


 上と言われましても、もう遼太郎の視界には玲音のタイトスカートに包まれたむっちりとした尻と、黒ストッキングの長い脚しか見えない。

 この状況でセクハラ云々考えるのも気にし過ぎかと思い、遠慮なく玲音の尻を掴み、思いっきり上に押しあげた。

 するとなんとか狭い穴を通過し、玲音はエレベーターの外、天井の上へと出た。


「あ、あの真田さん危険ですよ。いきなり動きだしたりしたら……」


 しばらくして玲音は天板から顔だけをだした。髪の毛が全て逆さになり、ホラー映画のようだ。


「私一人でいくつもりだったが、乗り場側の扉が開かん。お前開けろ」

「は、はぁ」


 そう言うと玲音は天板をもう一枚剥がすと、穴の大きさが遼太郎でも通れそうなくらいの大きさになった。

 遼太郎はジャンプして穴にしがみつくと、そこからなんとかよじ登る。

 エレベーターの上は薄暗く、太いワイヤーが何本も天井に伸び、それを巻き上げる大きなウィンチが見える。


「こんなの映画でしか見たことありませんよ……」


 玲音が前を指さすと、丁度目の前に閉じた扉があるのだ。ここが何階かはわからないが、この扉をあければフロアに出られることはわかった。

 これならばと思い、遼太郎は両方の扉を開こうと力を込める。だが、扉はほんの少しだけ開いただけで、とても人一人が通れそうになかった。


「ぬぎぎぎぎぎ……」


 顔を赤くして血管が切れそうになるくらい全力を込めるが、扉はビクともしない。


「インターロックが外れてないからな。男の力でも無理か……仕方ない、どけ」


 遼太郎は少しだけ下がると、玲音は軽い助走をつけ扉に向かってそれはもう美しい回し蹴りを叩きこんだ。

 扉は凄まじい衝撃を受け、べこりと歪む。


「う、嘘でしょ……」


 玲音がもう一発回し蹴りを放つと、扉の歪みは激しくなり三発目には扉は完全にひしゃげ、人が通れるくらいの隙間ができる。


「いや……嘘でしょ……」


 玲音はパンパンと手をはらうと、何事もなかったかのように扉の隙間から外へと出ていく。

 遼太郎もそれに続く。


「あ、あの普通、扉蹴破るとかできるんですね」

「私のヒールには鉄板が仕込んである」

「そっかぁ鉄板かぁ、それなら……鉄板!? 一体なんのためにですか?」

「有事の際蹴り潰す為にだ」

「何を蹴り潰すんですか!?」


 玲音はうるさい黙れ殺すぞ言わんばかりに、そのままカツカツと足音を響かせながら停電したフロアを歩く。

 どうやらこの階は使われていないらしく、どこも空きフロアだった。

 すぐに階段へと向かうが、防火シャッターが道を塞ぎ通れそうもない。

 玲音は腕時計型のデバイスを防火シャッターのスイッチにかざすが、やはり電気系統が死んでいるらしく、うんともすんとも言わない。


「マスター権限がきかない……電源が落ちた後災害モードに切りかわってるな……でも、なぜそれなのに予備電源が動いていない。チッ、こうなったら」


 まさかまた回し蹴りで破壊するつもりなのだろうかと冷や冷やしていると、玲音は再び遼太郎を椅子にして近くにあった通気口のカバーを外す。

 もしやと思ったが、やはり玲音は通気口へと潜り込んでいく。


「アグレッシブな副社長だな……スパイ映画みたいなことする人だ」

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