第64話 激おこ
姉妹がそろってしばらくすると、父鉄也が居間にやってくる。
オールバックに和服姿の鉄也は威厳があり、どこぞの美食家の如く、上座に座ると見てくれの悪い料理を眺める。
こんなもの食えるか、女将を呼べ! と怒鳴りつけられてもおかしくない料理内容だったが、鉄也の頬はほころぶ。
「今日も麒麟がつくってくれたのか?」
「はい、全部私がつくりました……少し失敗してますけど」
「うんうん、全然構わん」
普段は恐ろしい表情を崩さない鬼社長、真田鉄也とまで言われる存在だが、子供の前ではこの通りだらしない顔をしているのだ。
「それではいただこうか」
全員がいただきますと合掌してから料理に手をつける。
桃火が、うーわ、マッズと顔をしかめるが、鉄也、玲音は何食わぬ顔で食べ進めている。
「嘘でしょ、あんたどれ食べてもマズイじゃん」
「そんなことないですよ、お米は成功してますよ」
「あんた米焚き失敗すんの?」
「米と水の微妙な量でグズグズになっちゃったりするんです。毎回計量カップではかってるんですけど不思議です」
「あんたもう根本的に向いてないんじゃないの?」
「なんでそんなこと言うんですか!?」
「事実よ。人間向き不向きがあるから、弱点克服型じゃなくて長所特化型の方が人間価値が高まるわよ」
「そんなゲームキャラみたいなこと言わないで下さい。器用貧乏って言いたいんですか」
「いや、そもそもあんた器用じゃないし」
「うーあったまにきました、私絶対料理やめませんから! 毎日食べてもらいますからね」
二人で言い合っていると玲音の目が二人の方を向く。
二人はやばい、この流れは怒られると一瞬で黙るが、彼女が口に出した言葉は全く別ものだった。
「桃火、麒麟あの新人はどうだ? 確か……平山とか言ったか」
二人は驚いた。玲音から家族以外の話題を振ってくることは今まで一度もなかったのだ。
玲音は誰にでも分け隔てなく興味がない。特に他人なんて瞳に映らない仕様になってるんじゃないかと思うくらい興味がなかったはずなのだ。
「遼太郎さんは凄く頑張ってくれてますよ」
「遼太郎?」
「あっ、えっと平山さんです」
「仲は良いのか?」
「はい、この前も偶然電気街で会って、そのまま近くのレストランで食事をして帰りました」
その話を聞いて鉄也の眉がピクリと上がる。
「麒麟、そいつはいつぞやお前が社員にしたいと言っていた”男”か?」
「はい、そうですよ。それでですね遼太郎さん、店員さんが注文を間違えて、お子様ランチを持ってきたんですけど、返すのも勿体ないってそのまま食べたんです。私も久しぶりにお子様ランチを食べて凄く懐かしい気持ちになりました」
「麒麟よ、お前もお子様ランチを頼んだのか?」
「あっ、言い方が悪かったですね。遼太郎さんのお子様ランチを少し貰ったんです。そこのレストランチキンライスが凄く美味しくて、鳥のダシがきいててとてもお子様ランチとは思えないほどで」
鉄也のこめかみにビキビキと青筋が入る。
彼は自他共に認める真正の親バカであり、男の存在など許せるはずがなかった。
「ほ、ほぉ、しかしワシは公共の場で食事を分けるようなはしたない行為は感心せんな」
「そうですか?」
「何堅いこと言ってんのよ、別に運ばれた料理をどう食べようが客の勝手でしょ?」
「一般家庭ならそうであろうが、ワシらのような品格を求められる人間が、外でそのような下品な真似をしてはならぬ。いつ誰に見られているやもわからん。慎みを持ちなさい」
「下品って」
桃火は麒麟のかわりに反論してやろうかと思ったが、口を出すと逆に面倒になるかと思い苦い顔をしながらも口を閉じた。
「わかったか麒麟」
「は、はい……」
「堅いのよ父さんは」
「お前たちはもっとしっかりしなくてはならない。そうだろう玲音よ?」
鉄也は援護射撃を求めて玲音に同意を求める。だが、彼女から返って来た言葉は意外なものだった。
「……別に良いのではないでしょうか。最低限マナーを守っているのであれば、その場にいる人間と楽しむことも必要でしょう」
「えっ?」
その言葉は麒麟と桃火にとっても意外であり、こういったマナーやモラルに関してはむしろ父より玲音の方が厳しいのだ。
それが容認する言葉が出て、妹たちは顔を見合わせる。
「し、しかしだな」
「桃火、お前はどうなんだ?」
「えっ、あたし? あたしはまぁボチボチ」
「バレンタインに誰かの仮眠室からコソコソ出てくるお前の姿を目撃したと聞いている。その時仮眠室には平山が入っていたとか」
「なんだと! どういうことだ桃火よ! 許さんぞ!」
「げっ、見られてた……。べ、別になんてことないわよ、ちょっとチョコ渡してただけだし」
「何、ワシはチョコなぞ貰っておらん、許さんぞ!」
どこにキレているのか鉄也はどんっとテーブルを叩く。
「父さん血糖値と尿酸値高いから甘いもの食べれないでしょ」
「私もその話気になります。あそこで何があったんですか?」
「な、何にもないわよ! 雪奈も一緒だったし、別にやましいことは何もないわ」
「私あの人がストッパーになると思えないんですけど。むしろ率先してやましいことしそうな」
「桃火どうなんだ! ワシは許さんぞ!」
「いや、何を許さないか知らないけど、さっきも言った通り別に何もないわよ」
これでお終いと桃火はごはんをかきこむ。
その様子を見て、鉄也は更に顔をしかめる。
「桃火、麒麟よ、まさかとは思うが、その男に入れ込んでいるのではないだろうな」
「「ゲホッゴホッゲホッ!!」」
二人は同時にむせる。
「まぁ入れ込んでるって言い方が嫌ですけど、一緒にいて楽しい人ですから」
「えっ、入れ込んでるっていうか元カレだし」
「も、ももももも元彼だと? ワシは聞いとらんぞ!」
「なんでいちいち彼氏の詳細を親に話さなきゃいけないのよ」
「しかし、それはもう終わった話なのであろう?」
「えぇ、んーまぁ終わったと言えば終わったけど焼け木杭に火がついたというか。鎮火してなかった小火が大火事に発展したというか」
「未練全開で、どうやってより戻すか考えてるんでしょ? 普通元彼にチョコなんて渡しませんからね」
「よぉりおぉぉもぉぉどぉぉすぅぅぅ?」
鉄也は顔を歪めながら歌舞伎役者のように首を回しながら繰り返す。
「ワシは許さんぞ! そんなどこの馬の骨ともわからん男と付き合うなんて! どうせ大して学も家柄もない男だろう! そのような男とお前たちは身分が違うのだ。その男にはワシから分をわきまえよと言っておく」
「はっ? 何言ってんのやめてよ」
「そうです! 別に遼太郎さんからアプローチがあったわけじゃないんですから」
「男を下の名前で呼ぶのはやめんか! お前たちにはお前たちに相応しい上流の人間がいる! 下流で溺れているような男に熱を上げるみっともない真似をするんじゃない!」
「なっ!? 酷すぎます!」
「そうよ、人間を上や下なんて勝手に決めるのは傲慢よ」
「黙らんか! ワシはそのような下賤な輩、絶対に許さんぞ!」
鉄也は全員が食べ終わったことと、皿に何も食べ物が残っていないことを確認し、誰も怪我をしない位置にテーブルをひっくり返した。
ガシャンと皿が全てひっくり返るが、汁物の入った器は全員がその手に持って退避させている。
「父さんテーブルひっくり返すとき、完全に目で合図するから避けやすいわね」
「そもそもひっくり返さないでほしいです」
あーあー久しぶりにやったなと桃火たちが苦い顔をしていると玲音が極寒の瞳を開く。
「父さん、はしたないやマナー云々を語っている人間が、テーブルをひっくり返さないでください」
その威圧感のある声と瞳は例え父親でも萎縮してしまう。
「う、うむ……少し感情的になったな。パパ反省」
「それに桃火の言った通り、他者を勝手に枠にはめるのはおこがましいことだと思います」
「む、むぅ……」
「お前たちも売り言葉に買い言葉で答えるな。冷静になれ」
「は、はい」
「悪かったわよ」
「だが、玲音お前ならわかるだろう。桃火や麒麟には輝かしい未来があるのだ。その未来を腐らせるわけにはいかんのだ」
「父さんが二人の幸せを願っていることは知っていますが、それは誰にとっての幸せなのかを考えて下さい」
桃火と麒麟は玲音がこんなにも恋愛に対して理解があるのかと、逆に驚いてしまう。
「玲音、お前までそんなことを言うのか。ワシはむざむざ娘が不幸になるのを放ってはおかんぞ!」
「勝手に不幸になるって決めつけないで下さい!」
「お前たちは口を挟むんじゃない、黙ってなさい!」
「横暴よ!」
妹と父親の口喧嘩にイラっとした玲音は片足でひっくり返ったテーブルを元に戻す。回転した重いテーブルがどすんと大きな音をたてる。
「……同じことをその場で繰り返さないでください」
ハスキーな声と冷徹な瞳が鉄也と妹たちの発言権を完全に奪う。
「釣り合わないなら釣り合うところまで育てればいい。ただそれだけの話」
「さすが玲音姉さん大好き!」
麒麟は姉に飛びつく。だが、桃火は逆に理解がありすぎる玲音に不審感を抱いていた。
合理主義の塊である姉が、男を育てるなんてそんな面倒なプロセスを踏むのだろうかと。
「何と言おうがワシは認めんぞ。お前たちに相応しい男はワシが用意する」
「べー、いりませんよーだ」
麒麟が子供っぽくアカンベーをしていると、鉄也は肩を怒らせながら居間を出ていった。
想定外だ。まさか玲音があちら側に回るとは思っていなかった。
「釣り合わなければ育てればいいなど……ふざけたことを」
鉄也はなんとか平山遼太郎という男を追い出せないか、その日は思案にふけるのだった。
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