第39話 なぜ

 遼太郎は大きく深呼吸する。

 そうして意識を集中すると全ての景色が巻き戻って行き、一番最初の光景に戻る。

 時計台の前にいるのは今か今かと遼太郎の姿を待ちわびる遅刻魔の桃火である。

 記憶の中の登場人物ではない今現在の平山遼太郎は、一つ大きく深呼吸し、過去へと侵入する未来人として、待ちわびている桃火へと近づく。


「桃火ちゃん」

「あっ、おっそいわね。20分待ちよ? 罰金ものね、あたし夜景の見える豪華なレストランで食事がしたいなー」

「…………」

「何よ、そんな悲しそうな顔して。冗談よ冗談。あたしも五分前にきたとこだし、この前の分でチャラっていうか、あたしの方が圧倒的に借金あるわけだけど。てか給料あるしあたしがおごったげるわよ。何がいいの? ラーメンは汁が飛ぶからダメだけど、汁物以外ならなんでもいいわよ。そうねカツなんかいいわよね、あんたカツ丼の美味しいところとか知らない?」


 オシャレなデートというより男友達と遊びに行くような、そんな気安い関係性。

 ああ、いつも通りだと深く頷く。

 遼太郎は何も知らない桃火へと近づく。

 本来記憶の中の遼太郎が間に合えば繰り広げられるはずだった会話である。

 ありえなかった記憶の再現、そのことを思うと遼太郎の心は痛んだ。


「えっ、どしたの?」

「桃火ちゃん……」

「えっ、何よバカ、こんなとこで始める気じゃないでしょうね。……ま、まぁあたしだってやぶさかではないけど……」

「………」


 そして桃火は気づく。

 この遼太郎はいつもの遼太郎ではない。少し年齢が上がっているだろうか、一年か二年か、少しだけ雰囲気が大人びている。

 あまりにも察しの良すぎる少女は、それだけで彼がこの世界から外れたものだと気づいてしまう。


「…………あんた、誰?」

「僕は未来の平山遼太郎かな……」

「なにそれ、あんたにそんなギャグセンスあったの?」

「…………」

「悪かったわよ。続けて」

「うん、ここはね過去なんだよ」

「過去? 何言ってんのあんた、ここは……」


 桃火が振り返った瞬間、風景全てがセピア色へと変わり、時間が停止する。


「なに……これ」

「今現実の君は大変な状態にあるんだ。だから僕は君に真実を見せに来た」

「…………」

「結論から言うと平山遼太郎はここには来ない。いや、正確に言うと来ていたが帰った。ここは桃火ちゃんの記憶と僕の記憶が混じった、君が知りたかった真実を知ることができる世界なんだ」


 遼太郎が時計に手をかざすと、時計の針が凄い勢いで巻き戻っていく。


 時刻は11時55分、桃火が来る約15分前。そこには慌てた様子の遼太郎の姿があった。


「なんなのこれ、時間が……巻き戻って」

「今僕と君はこの世界から外れてる。だから君がどんなに叫んでも過去の僕には何も聞こえないよ」


 必死に時間を気にしている遼太郎を桃火はペタペタと触るが、過去の世界にいる彼は何の反応も返さない。

 時間は12時5分、彼の携帯が鳴り響き、慌てて通話に出る。

 そして二、三言で話し終えると過去の遼太郎は膝から崩れ落ちた。


「な、何、何があったの?」

「…………」


 彼は沈痛な面持ちで立ち上がると、そのまま走って消えていった。

 そしてその10分後、桃火が到着する。


「ねぇ、あんたはどこに行ったの!?」

「こっちだよ……」


 遼太郎は桃火を連れて、近くにある病院へと向かう。

 そこには泣き崩れる遼太郎と、白い布を頭にかけられた中年女性の姿があった。


「なによ、これ……」


 状況が把握できず、桃火は困惑する。一体何がどうなっているのか。


「自分のことを彼というのもどうかと思うんだけど、彼はこの前日に火事にあってるんだよ」

「……はっ?」

「元から母親と二人アパート暮らしだったんだけどね。下の階から出火して母は煙をたくさん吸い込んでしまったんだ。幸い燃えたのは出火元の部屋だけだったんだけど、直上だった僕らの部屋は煙が多く入ってきてね」

「…………」

「それからもうバタバタして、君に連絡をとる暇もなかったんだ。僕のスマホも火事でダメになっちゃってね……。桃火ちゃんに連絡をとりたかったんだけど、電話帳から電話をかけてたから、君のアドレスも電話番号もちゃんと覚えてなかったんだよ。さっき使ってたのは病院から借りてたものなんだ」

「じゃあなんで、あんたは待ち合わせ場所に」

「一言今日行けなくなったって言いたかったんだ。でも運悪く待ち合わせ場所に出向いた時、母は息を引き取ってしまってね」


 遼太郎の自分を見る目にはあまりにも色がなく、辛かった事実を他人事のように眺めているように思える。


「……なにそれ、あたしのせいじゃん……あたしが時間通りに来てれば全て問題なかったわけじゃない。あんた親の死に目にあえなかったんじゃない……ねぇ、なんか言いなさいよ」

「…………」

「なにこれ、全部あたしが悪いんじゃん……なんで言わなかったのよ、そんな大変な状況にあるって! 知らなきゃわかってあげられないでしょ! あんたがそんな大変な状態にあるならあたしだって」

「…………ごめんね。桃火ちゃん大変そうだったから……あんまり重荷にはなりたくなかったんだ」


 そう言って遼太郎の瞳から涙が零れ落ちた。

 その涙は桃火のことを信じて話しておけばよかったと思う後悔か、封印して一生桃火には知らせないまま終わらせるはずだったものを明かしてしまったことによるものか。

 どのみち覆水は元に戻らないものだ。


「うあああああああああっ!!」


 桃火は悲鳴のような泣き声を上げた。

 そして時は動き出し、残酷な別れのシーンがもう一度目の前で繰り広げられる。

 どちらも辛かった。

 遼太郎の為に待ち続けた桃火、桃火の為に隠し続けた遼太郎。

 一見すると遼太郎の方が辛いように見えるが、彼女もまた真実を知らされず、かきむしられるような心の痛みに苛まれ続けた。



 これがこのカップルの破局の真実である。

 桃火のどうしても受け入れられなかった真実というものは、遼太郎が必死にふたをして誰にも見せないように封印してきたものである。

 彼は誰も恨んでいないし彼女の怒りは当然だと思う。

 初めに理不尽を味わったのは桃火であり、隠し通したかった。彼女の重荷になりたくないというのは彼の優しさと同時にエゴでもある。

 結果その優しさは桃火を追い詰め、爆発させることになってしまったのだ。


 桃火はなぜいつも遅れたことのない男の異常な行動に気づかなかったのか。いや、気づいても白状するまで問いたださなかったのか。

 なぜあのような楽しかった過去をズタズタに引き裂いてしまったのか。

 なぜ自分はもっと信じてあげられなかったのか……。

 なぜあのとき自分は遅れてしまったのか……。


 これは終わった恋の話である。

 顛末を知ろうが知るまいが結果はかわらない。

 0になったものの過程を知ったところで結果は同じことだ。


 悲しみに暮れる二人であったが、突然桃火の視界が歪み始める。正確には遼太郎の体がグニャりと歪んでいるのだ。


「なに、これ」


 その時突如、桃火の脳内に姉である玲音の声が響く。


「聞こえるか、桃火」

「玲音姉さん?」

「自我がかえってきてるな」

「ど、どういうこと?」

「過度のストレスで精神が閉塞状態に陥ったお前を、遼太郎そいつに引っ張り出して来いと言って送りこんだ。アナザーメモリーシステムのリミッターを外して、お前の精神に干渉させている」

「相変わらず無茶苦茶するわね」

「真実を知ったか?」

「ええ、もう泣きそうなくらいズタズタよ……」

「それは結構。だが今、事態が悪化している。お前の精神に送り込んだ平山の精神データが融解しはじめている」

「どういうこと?」

「精神データが人の形をやめて、ただのデータとしてバラバラになり、お前の精神の中に取り込まれかけている」

「なっ!? どうしたらいいのよ、それは!」

「今そいつは自我境界線が曖昧になっている。なんとかしろ」

「なんとかって!? あたしこいつをめちゃくちゃにした張本人よ、原因が結果をかえるなんてできないわよ!」

「同じことを言うなお前らは。なら私も同じことを返す。お前が原因だろう、お前がなんとかしろ」

「くっ、きっついこと言うわね」

「お前にきついと言う資格があるのか?」

「なによ見てたの?」

「私だけモニターで見させてもらった。姉の私が言うのもなんだが。お前最低だな」

「知ってるわよそんなこと、そこにクズと変態をつけてもいいわよ」

「それでクズで変態の妹よ、このままそいつのデータが融解してしまえば、いくら私が天才といえどスープになった人間をサルベージすることは不可能だ。まだ人の状態である平山に人間をやめさせるな」

「だからどうすればいいのよ、それは」

「知るか、お前が考えろ。ただ、私から言えるのは戻らない時計は進ませるしかない。停まるな歩け」

「さすが姉さん容赦ないわね」

「お前を甘やかすつもりはない」

「そうね、もっともだわ」

「お前のやるべきことはなんだ」


 桃火は背中が歪み、今にも消えてしまいそうな遼太郎を見やる。

 その背中は何も語らない。

 彼の姿は成長し、二年の時が経っている。本来なら一緒に過ごすはずだった大切な時間である。


「私のやるべきことは……時を戻したい」

「だが時は戻らない」

「ええ、だから……終わったなら、また始めればいいだけじゃない!」


 桃火が力強く地面を踏みしめると、彼女の周囲に風が舞う。

 その瞳には壊してしまった後悔はあるが、ゼロやマイナスになったのならばもう一度プラスに持っていけばいいのだろう? と開き直りがある。

 それがどれだけ難しいことであっても、彼女がそう決めたのならそれをやり遂げるだけだなのだ。


「カッコイイなお前は。気持ちの整理はついたか?」

「もう決まってるわ、どうするかじゃない、どうしたいかよ。あたしはこれだけやらかしたって背中を見せないし、逃げない。ただしその責任はとるわ」

「誰かの為に生きてこそ、人生には価値があるな」

「なにそれゲーテ?」

「アインシュタインだ」

「姉さんには全く似合わない言葉ね」

「全くだ」


 玲音はクツクツと笑う。


「ええ戦うわよ、許してもらえるまでなんてあたしはそんな生易しいことなんて言わないわ。そう、今まで不幸にした分は全てのしつけて返してやるくらい、いやそんなものじゃない、あたしが全力で幸せにしてやるわよ」

「それでこそ我が妹、お前の立ち直りの速さと単純バカなところは美徳だ」

「うるさいわね、これでも理系よ。あんな奴すぐに落としてメロメロにしてやるわ。それで桃火ちゃんキスしよって毎日言わせてやるわ」


 ふん、と鼻を鳴らし、長い髪を後ろ手に弾く。


「お前が言ってそうだがな」

「否定はしないわ」

「ククク、ほんとお前は面白い。開発者よりそっちの分野の方が向いてるんじゃないか?」

「うっさいわね」

「何か必要なものがあれば、こちらで用意するぞ」

「じゃあ誰もいない学校の教室、夕暮れの」

「わかった。二度もしくじるなよ。お前は大事なところでツメが甘い」

「なめないでよ、二度も手放すほど軽い想いじゃないわ」


 桃火の目には強い意志が宿っていた。

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