第38話 有体な別れ話

 遼太郎は桃火の体を抱いて第二開発室へと運び込む。

 中ではVR開発筐体の前でヘッドギアを持ち、何やら第二の開発者と話をしている玲音の姿があった。


「そこに寝かせろ」


 玲音が指さしたのはVR筐体の中である。まさかこんな状況でゲームでもさせようと言うのだろうかと、全員が不審に思う。

 遼太郎がVR筐体の中にある、チェアーベッドに桃火の体を寝かせると玲音は彼女の頭にヘッドギアを被せた。


「えっ、まさかゲームを?」

「こいつの記憶障害の原因は十中八九過去のストレスの再現による逃避からくるものだ。なぜ今になってそれが発現したのかは知らんが、荒療治だがそのストレスと向き合わせる」

「そんな、大丈夫なの姉さん?」


 麒麟はそんな無茶なと声を荒げる。


「今の時代便利になったものだ。精神のデジタル化なんぞ昔ではオカルトでしかなかった。精神をデジタル化できるなら、そのストレスとなっている部分を直接引っ張り上げることはできる」

「そんなことしたら桃火ちゃんの心が壊れてしまうんじゃないですか!」

「だからお前が行くんだよ」


 玲音はカポっと遼太郎の頭にヘッドギアを被せる。


「元はお前が原因なんだろ?」

「それは……」

「こいつは過去の記憶に納得がいってないんだ。見た目通りうやむやにできる性格じゃない。だからこいつは時を戻した。最大のストレスを感じる直前まで」

「それって遼太郎さんと別れたから……だから高校生に戻った」


 麒麟が遼太郎に視線を移すと彼は痛みをこらえるように口を一字に結ぶ。


「原因が結果をかえるなんてできませんよ」

「こいつは何が痛みの原因かがわかってないんだ。中途半端に壊すから悪い。壊すなら木端微塵に破壊しろ。1も残すな0にしろ。未練の一つも残させるな」


 遼太郎は静かに俯いた。

 玲音は顔を寄せ、耳打ちする。


「お前だけが痛みをこらえる状況はやめろ。あいつの為を思うならあいつにも背負わせろ」

「!」

「行け。あいつを連れて帰れるのはお前だけだ」

「わかり、ました」

「第二が開発している恋愛シミュレーションゲームに使われているアナザーメモリーシステムのリミッターを外して桃火の記憶を再現する。相手の精神に引っ張られるなよ。デジタル化した精神が融解してしまえば元には戻せなくなる」

「はい」


 遼太郎は頷くとVR装置を起動させる。




 遼太郎が目を覚ますと、そこは問題があった彼女の誕生日の日、デートの待ち合わせに使った公園の前だった。

 去年の8月8日、時刻は12時10分、約束の時間10分オーバーである。しかしそこには誰の姿もない。

 時計の針が15を指す頃、ようやく息を切らせた桃火の姿があった。

 誰もが振り向くような美しい女性は、待ち合わせ予定の冴えない男の為にきっちりと身だしなみを整え、あの男の好みそうなスカートの短い露出度を少しあげた勝負服でやってきていた。

 桃火は公園の時計台の下に来ると、時間を確認する。


「あちゃ、やっぱ遅刻か……」


 しかしながら彼女の5分、10分の遅刻は日常茶飯事であり、その度に遅刻した罰ゲームを何か決めながらデートを開始するのが二人のお約束となっていた。


「まぁ、あいつも遅刻だしおあいこよね」


 いつもは5分前から10分前には待っている男だが、今日は珍しくその姿はない。

 久しぶりにあうのだ、何かしらキメて来てもおかしくはないだろう。

 なんと言っても今日は自分の誕生日である。あの男に一体何を買わせようか、お金ないなんて言ったらどうしてやろうかと桃火は考えていた。

 実際彼女はうまくいくときより、うまくいかなかったときを想像する方が好きで、好きな相手をどうやっていじめ、いじめられてやろうかと考えるのが好きなサディストでもありマゾヒストでもあった。

 時刻は20分を指そうとしている。桃火はたった5分でしびれをきらしつつあり、時計台の前をぐるぐると犬のように回っている。


「あーこりゃダメだわ、夜景の見えるクソ高いレストランに連れて行って貰わないと割に合わないわ」


 彼女の遅刻に対する利息は理不尽な勢いで膨らんでいく。

 桃火はしびれを切らし連絡をとるが、いくら電話しても電源が入っていないとコールが返ってきてイライラは募るばかりだ。

 時刻は1時を回る。我慢という言葉を知らない桃火が1時間近く人を待つなんて奇跡に等しいことだった。

 頭の中に、あいつと会った時なんて言ってやろうか、出会いがしらのシャイニングウィザードか、それとも全く怒らず罪悪感を攻め立てるか。なんにせよ極刑である。


 1時半を回った頃、電話がかかってきて急いでとったが、それは会社からのもので、なんとか今日早く帰ってこれないかという嫌なモノであった。

 現状いくら姉が管理する会社務めと言えど学生上がりの桃火の立場は弱い。

 今日だけは無理を言ってなんとか数時間だけ空けてもらったのだ。にも関わらず呼び出しがくるということは相当切羽詰まっている状況なのだろう。

 しかしこちらもこれを逃せば、また次いつあえるか全くめどが立っていない。

 その貴重な時間を遅刻で食いつぶすことになるとは、なかなかいい度胸である。

 しかし待てど暮らせどかかってくるのは会社からの連絡だけである。

 桃火は遼太郎から送られてきたメールを表示する。

 そこには [桃火ちゃんの誕生日なんだけど、待ちあわせ場所、いつものとこじゃなくて駅近くの柊公園の時計台の前にしてほしい] と自分から待ち合わせ場所の変更を要求してきているのだ。

 遼太郎が単純な場所ミスや、時間ミスをするとは思ってはいない。

 今まで一度としてこんな大遅刻をしたことがないあいつがなぜ……。

 そう思いながらも桃火は待ち続けた。

 桃火から遼太郎への発信履歴は、もう何件になるかわからないほどだ。

 念のため実家の方にも連絡をかけてみたがつながらなかった。


「あんにゃろう……」



 午後六時を回り、辺りは暗くなってきていた。そろそろ本気で会社に戻らないとまずい時間である。

 しかし桃火の腰は重く、動くことを拒否していた。

 最初の方はなんて文句を言ってやろうかとそればかり考えていたが、徐々に頭の中にすっぽかされたのではないかという気持ちが出てきたのだ。

 思えば会社に入ってから遼太郎とはほとんと連絡をとっておらず、メールや電話など返せなくて申し訳なく思っていた。

 遼太郎はまだ学生で、自分はもう社会人、あいつはもしかしたら他に良い女性でも見つけたのではないだろうかと悪いことばかりが頭に浮かぶ。


 そして夜空の星が煌めく午後11時、気が短いと自他ともに認める事実を返上しなくてはいけないぐらい長い時間待った桃火はようやく重い腰をあげ、本来最悪でも9時までには戻らなければいけない本社に2時間以上遅れて戻ったのだった。



 そこから先は見るも無残なもので、メンタルを一気に崩した桃火は会社で凡ミスから重大ミスまでありとあらゆるひっかかりそうなミスに全てひっかかり、会社とチームに迷惑をかけまくった。

 ほんの一回、一回だけでいい、遼太郎が電話にでて「ごめんね桃火ちゃん、行けなかったんだ」と謝罪か釈明をしてくれれば全て持ち直す。

 だが、遼太郎からは何の連絡もなく、桃火からの連絡も繋がらなかった。

 姉の玲音からも厳しい叱責が飛び、彼女の思考はある結論を導き出す。

 それは遼太郎に頼っていたのが全ての間違いだったと。

 自身のモチベーションを他人にゆだねるからこんなことになってしまったのだと。

 自身の責任と思い込むことで桃火はこの泥沼のような窮地を脱したのだった。

 それから約二週間後、ようやく遼太郎から連絡が来た。だが、その時には桃火はもうなんとも思っていなかった。



 再会したのは以前待ち合わせした公園の時計台の前だ。久しぶりの遼太郎はどこかやつれた感じがある。しかしそんなものは関係ない。


「来たわよ」

「その、桃火ちゃん。ごめん!」


 そう言って遼太郎は地に頭をつけて謝った。

 いつもの桃火であれば、これほどのことをしでかしたなら公衆の面前だろうがその地に伏せた頭を踏んでいたことだろう。

 しかし今は違う。


「恥ずかしいからやめなさい。土下座なんて今時ハラスメントよ」

「桃火ちゃん……」

「そんで理由は? とりあえずそれだけは聞いてあげるわ」


 今回の怒りはいつもとは違う。仁王立ちする桃火の目は、返答をしくじればいくらお前でも許さないと告げている。


「…………ごめん、話せない」

「はっ? 話せないってなによ。すっぽかしておいて話せないはないでしょ」

「ほんとにごめん……でも、話せないんだ」

「なんなのそれ意味わかんない。謝りにきたの? 怒らせにきたの?」

「ごめん……」

「ごめんじゃ話が進まないでしょ! 謝罪っていうのはあんたが許されたい為に使う言葉じゃないのよ!」

「……ごめん」

「あんた理由も話せないなら、あたし許せないわよ?」

「多分何時間も待たせたと思う」

「何時間も待ってないわよ、30分で帰ったわ。あんたなんかの為に貴重な時間無駄にするわけないでしょ」


 桃火が嘘を言い切ると、子供連れの親子が通りかかる。


「ママ、あのお姉ちゃん夜中まで待ちぼうけしてたお姉ちゃんだよ」

「こら、人を指さすんじゃありません!」


 親子連れは去って行った。


「…………」

「ごめん……」

「…………ええ、そうよ待ったわよ。10時間も。人を待つ最長記録よ。多分あたしの人生の中でこれ以上長く人を待つことなんて金輪際ないわよ」

「ごめん」

「じゃあなんで今まで連絡つかなかったのよ」

「それも、そのことに関係あるから言えない」

「はぁ……」


 桃火はこれみよがしに大きなため息をつく。


「あれも話せない、これも話せないじゃなんの解決にもならないでしょ」

「ごめん」

「あんたごめんも使いすぎるとそれで封殺しようとしてるみたいでイラついて来るわよ」

「うん……」

「何、他に好きな子できたの?」

「ち、違うよ!」

「そこは否定すんのね。でも今のあんたに信憑性はゼロよ」


 その時桃火のスマホが鳴り、桃火はそのまま電話に出た。

 会社からの電話で、桃火の話し方は丁寧で腰が低い。

 恐らく相当社内でもまれているのだろうと察しがつく。


「悪いわね」

「いや、いいよ」

「そういう意味じゃないわ。悪いけど、話す気がないならこれ以上この場にいても無駄ってことよ」

「…………」

「黙ってても事態は好転しないわよ。むしろ悪化するだけよ」

「…………」

「もういい、あんたってほんとガキね」

「ごめん……」

「つっ!」


 桃火は思いっきり遼太郎の頬をひっぱたいた。

 遼太郎は当然のようにそれを受け入れ、何も言ってはこない。


「…………」

「いいわ……別れましょう」

「えっ……」

「人を10時間も待たせて理由も説明できないんじゃ、あたしはこの先あんたを信じられない。それにあたしだって忙しい中来てるの。こんな風にまたすっぽかしくらったんじゃたまらないでしょ?」


 桃火は怒りながら長い髪を後ろ手に弾く。

 しかしこれは桃火からの最後の優しさでもある。私をとるか、その言えない理由をとるかの二択である。

 もし自分をとるのなら、今の言葉を撤回しても良かった。

 彼女自身今回この場にやってきたことも含め、遼太郎に修復のチャンスを何度も与えているのだ。それは彼女なりの愛情と未練の裏返しでもある。


「…………」

「…………あっそ、時間の無駄だったわ。本当に……」


 桃火は怒りを包み隠さず遼太郎を睨む。


「あんたは最後にはあたしのことをとってくれると思ってたのに……」

「桃火ちゃん……」

「気安く呼ばないで。あんたとあたしはもう何でもないんだから」

「…………」

「最後だから言っとくわ、あの時海でキスした時から始まったけど、あれたまたまあんたが近くにいたからあんたにしただけで、別に誰だってよかったのよ」

「…………」


 桃火自身こんなこと言うつもりなんてなかった。だが止まらない。裏切られた愛情がとめどなく押し寄せ、これまで過ごしてきた遼太郎との記憶を穢し、引き裂き、ぶち壊していく。

 愛情と悪意のたけを全てぶちまけていく。それは自分自身が幸せだった記憶を徹底的に破壊することで遼太郎と決別する為だ。

 その為のサンドバックとして徹底的に殴られてもらう。

 慈悲なんてない。ぶっ壊すつもりで殴り続ける。

 あたしのことなんて見るのも思い出すのも嫌にしてやる。桃火はそのつもりで言葉で殴り続けた。

 全てを吐き出した後遼太郎は泣いていた。声を殺して、なんとか泣き声をあげないように必死に歯を食いしばりながら。

 しかし涙だけはとめどなく流れ出ていた。

 心が痛い。ボッコボコにぶん殴ったのは自分なのに、心が痛みに堪えられない。

 桃火は泣いたまま、もはや再起不能に近い遼太郎を残し、そのまま会社へと戻った。




                 痛い

                  痛い

                 痛い

                  痛い

                 痛い

                  痛い

                 痛い

                  痛い

                 痛い

                  痛い

                 痛い

                  痛い

                 痛い

                  痛い



 会社に帰ってから吐き気が止まらない。体の中をムカデでもはっているような、そんな気持ち悪さ。

 心の痛みが体を引き裂こうとしているようだ。痛い痛い痛い痛い痛い。

 桃火は会社のトイレでその日一日吐き戻した。


 これが真田桃火と平山遼太郎の顛末。

 なんてことはない、有体なカップルの別れ話の一つだろう。


 遼太郎は過去にあったその再現を見届けた。

 ほんの一年と少し前の話だ。今でも鮮明に覚えている。自身が彼女を裏切った話を。


 じゃあ時を遡ろう。彼女と共に。

 彼女が知りたがっている真実を打ち明けよう。

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